心の叫び!!
金平がスコーピオンと対決を開始しようとする時を同じくして──。
最上階に到着したエレベーターから、増山がゆっくりと姿を現し、通路へ足を踏み出した。
左右を見渡すが、そこに道は無く、前方へ真っ直ぐ伸びる通路を進む。突き当たりのドアノブを静かに掴み、押し開けた。
大理石の敷かれた広い部屋には、10人は掛けられる高級な革張りのソファーが置かれ、その奥には床と天井を繋ぐ大きな窓ガラスがあり、そこから望む夜景には、部屋の静けさとは対照的に土砂降りの雨が降り続いていた。
暗い夜空の中を、斜めに雷の閃光が駆けていく。
機能的なデザインのシンプルなデスクとガラス窓の間で、背中を向けている男がゆっくりと踵を返す。
「──来たか」
雷の光がスーツの背中を照らし、こちらへ顔を向けた男の表情を暗くする。色の白い顔に、冷ややかな表情を浮かべた男。
「司……」
つなぎ姿の増山が、静かに呟いた。
よほど外壁やガラスに厚みがあるのか、外の雷や叩きつける雨の音は微かにしか聞こえない。
「外は酷い天気だな」
一瞬で険しい表情を綻ばし、微笑みながら口を開いた司の顔を、苛烈な眼差しで捉える増山。
「あの日の決着をつけるんだろ?」
司の他愛も無い言葉には答えず、増山は口を開いた。
「決着か……ガキだった頃の俺達には、空手と……そして美空が全てだった」
伏し目がちに答える司。おもむろに、目の前にある大きなデスクの上に置かれたチャンネルらしき物を手に取ると、長い親指でボタンを押した。
鈍い金属音を伴って、増山から向かって左手の壁面がゆっくりと下方にスライドし始める。
「!!」
驚愕する増山。
そこには更に広大なスペースが広がり、巨大な搬送用エレベーターが設置されていた。その傍らには数台のフェラーリとアウディが並んでいる。恐らくここから車に乗り込み、一階までそのまま降りて外へ走り出せるのだろう。
しかし、増山を驚かせたのはそんな事では無い。コンクリートの打ちっぱなしのスペース、その奥。巨大な銀色の円柱が立っていた。何本もの太いワイヤーが壁から伸び、その柱を支えている。
そして、その柱からは七色の光が霧のように立ち昇っていた。まるで心臓が鼓動を刻むかのごとく、規則的に光彩が広がっては収縮している。
「これは……」
「ピラーだよ。全てはここから始まった」
司が不敵な笑みを浮かべながらスーツを脱ぎ始める。
光沢を放つサテン素材のシルバー色のベスト。シャツにネクタイ。スーツの上着を椅子へ無造作に放ると、艶やかな長髪をなびかせ、ゆっくりとピラーへ向け歩み始めた。
距離を置いて並びながら、増山も歩き始める。
「うっ!」
増山が思わず呻く。ピラーの真下。一見、沢山の電子機器が並べられているだけと思いきや、その中心にベッドがある。
そこに眠る人影。
「……ソラ」
増山が、今まで見せたことの無い、あどけない少年の表情を作った。
ベッドに仰向けに眠る女。
人工呼吸器をつけ、全身にセンサーを取り付けられてはいるが、増山にはそれが美空だとすぐに分かった。
20年という歳月は、悲しい程に美空を大人に変えていた。しかし、その美しさに変わりは無く、周囲に輝きを放つかのような神々しさすらある。
ベッドの脇に立ち尽くす増山。
自然と両目から涙が伝い落ちていた。司がその傍らにゆっくりと並ぶ。
「増山、一緒に彼女を悪夢から解き放とう。お前が仲間になってくれたら、俺達のように過去を後悔し、大切な人を失う人間を減らすことが出来る」
司の言葉は優しく、穏やかだった。
「増山、俺がこの世で一番残酷だと思う物は何か分かるか?」
口を噤み立ち尽くす増山が、視線だけ司に向ける。
「……時間」
瞳を閉じ、悲壮な面持ちになる司が呟く。
「時間は残酷だ。夢のような時はやがて過ぎ去り、全てが忘却の彼方へ消え失せ、優しかった気持ちも、愛した思い出も、そして命すらも奪っていく」
司がピラーに近づき、その表面に手を触れた。
「あと一人。魂を捧げれば、美空は、ソラは甦る。増山、俺と共に──」
言いかけた司の言葉を遮り、増山が口を開く。
「司。全ては運命だったんだ。何かをねじ曲げれば、そこに出来た歪みがまたどこかに不幸せを生む。目を覚ませ……今の美空が全てだ。これからも、何も変わらない」
「……増山」
司がより一層悲しい表情を見せた。
「俺たちは分かりあえないのか」
スーツのポケットに手を突っ込むと、静かに踵を返し歩き出す。
そして、増山の脇を音も無く通り過ぎていく。
「決着をつけよう」
「ああ」
司の言葉に、頬を伝う涙を拭うこともなく増山が答えた。
水族館の巨大水槽サイズ程の面積はあろう窓ガラス。その外では、雨が更に強さを増し、二人の心の叫びを掻き消すように降り続いていた。




