筋肉的歓迎会!!
「こっちだ」
低い声で言うと、ふらりと通路を曲がる芹沢。
曲がった先にはエレベーターがあった。どうやら道場は上のフロアにあるようだ。
エレベーターのドアが開くと、芹沢と金平は順に中へ入っていく。遅れてソフィも駆けこむ。
「待って待って」
屈託の無い笑顔を浮かべたまま、閉じかけたエレベーターのドアの隙間に滑りこんできた。
煙草をくゆらせる芹沢は無言のまま。
背後に揃って並ぶ金平とソフィ。
「ねぇ、金平さんは何歳?」
「23歳です」
金平の顔を覗き込むソフィ。
着ているカーキ色のコートの下には、胸元が大きくはだけた黒いセーター1枚だ。
色の白い胸元が目に飛び込み、縦に一本入った深い谷間が、金平を扇情的な気持ちにさせた。目のやり場に困り、みるみる顔を赤面させていく。
「じゃあ、私より三つお兄さんだね」
並びの良い白い歯を見せて、ソフィはニコリと笑う。
人形的な、透明感のある笑顔だった。
そんな会話をしているうちに、エレベーターが静かに停まった。
ゆっくりと開いたドアから見える部屋には、ロッカールームとおぼしきスペースが広がっていた。プラスチック製の長椅子が並び、林立するロッカー。シャワールームとトイレも完備されているようだ。
フロアの床はピカピカに磨きこまれていて、3人が歩くたびにキュッキュッと音が鳴る。
『一階のトレーニングルームといい、これのどこが引っ越しセンターなのか……それにしても、これだけの設備を揃えるにはどれだけの金がかかったことだろう』
金平の心中に、更に疑問が増える。
ロッカールームを抜けると、鋼鉄製の扉が目に入った。両手で芹沢が開けると、中は畳敷の道場になっていた。
小学校の体育館並みの広さがある。
どうやらこのフロアは、ロッカールームと道場で全ての面積を使っているようだった。
その道場の真ん中には増山が立っていた。相変わらずグレーのつなぎを着ている。道場は暖房がついていないのか、かなり冷えていた。
「増山ぁ、戻ったぜ」
煙草の煙を上に向かって吐き出すと、目線だけ下にして増山を見据える。
「お帰りなさい。芹沢さん、道場は禁煙っすよ」
部活の先輩後輩、そんな雰囲気の二人。
芹沢は無言で壁ぎわまで行くと、窓を開けて中指でタバコを弾いて捨てた。
朝日が注ぎこみ、畳から舞い上がった埃がキラキラと輝きながら、両者の空間が霞む。
「戻ってきた早々稽古ですか?」
「あぁ、このガキとな」
顎で金平を差し示す。
「おめーは朝練終わったのか?」
「ええ、終わりましたよ」
芹沢の問いかけに笑顔で答えた増山は、ゆっくりと金平の脇を歩いていく。
「金平君気をつけろ」
「えっ?」
戸惑う金平に一瞬視線を送ると、表情は変えずに金平の肩を軽く叩いた。その額や頬を汗が伝い落ちていく。
「増山さんおはよう」
ソフィの挨拶にニコリと笑顔を見せた増山は、静かに道場から消えた。
次の瞬間。
鈍い音がしたと思うと、金平の腹部に激痛が走った。
「あうっ!」
呻き声を上げる。
見るといつの間にか芹沢が、金平の懐に潜りこんでいた。
肘が金平の鳩尾にめりこんでいる。
「カハッ」
呼吸が停まり、畳の上に崩れ落ちる金平。
「お〜、わりぃわりぃ」
畳の上に膝をつき、ゆっくりと横に倒れながら、くの字になった金平を見下ろすと、芹沢の顔には不敵な笑みが浮かぶ。
だが金平も、柔道家として並みの鍛えかたをしていたわけではない。呼吸を整え、ふらふらと立ち上がる。
「……い、いきなりどういうことですか」
まだ上体が起ききらないまま、言葉を絞り出した。額には浮き出た血管と、油汗が滲む。
「くっ!」
咄嗟に金平は前方へ転がった。受け身をとると、膝立ちで体勢を整える。
芹沢の二回目の肘打ちを寸ででかわしたのだ。
「へぇ、今の反応は中々だ」
酷薄な笑みを浮かべ、芹沢は体勢を金平へ向け直した。
『完全に俺を潰す気か』
恐怖と怒りに身を震わせる。しかし、金平も黙ってやられるつもりは毛頭無い。
全身に気力を充実させると、猫科の動物さながらの瞬発力で、膝立ちの状態から一気に芹沢に飛びかかった。
芹沢の首めがけ右腕を叩きこみ、強くホールドする。
そのまま『首投げ』を敢行した。
若年者が行う柔道競技の中では危険とされていて、使用を禁止されている。使い方を間違うと、重大な事故になりかねない技だった。
芹沢の悪意に満ちた肘打ちの応酬に、金平も容赦を忘れている。分厚い胸板と剛腕が、芹沢の頚椎と頸動脈を捻じ切るかのごとく締め上げた。
不意討ちを食らった金平は、我を失う程、完全にキレている。芹沢の体に一瞬で体を合わすと、八の字型に膝から下を落とし、一気に姿勢を屈める。次の瞬間膝を伸ばすと同時に、芹沢の腰に自らの腰を当て、体を巻きこんだ。首を万力のごとく締め付けられた芹沢は、そのまま下半身を弾かれ空中に舞う。
だが、突然、金平は力無くその場に崩れ落ちる。
「ガフッ……」
おかしな吐息を吐き出すと、そのまま前のめりに倒れこんだ。首投げを極められた刹那、芹沢が右手で何かをしたのだ。
「うぅっ」
大の字に仰向けになると、スウェットとシャツを弱々しくめくり上げる。見ると、痣になった鳩尾の下に、紫色に五本の指の跡がくっきりと残っていた。えぐられたかのように落ち窪んでいる。
「いったい何を……」
苦痛に顔を歪める金平が、弱々しい声で音を出す。
「な〜に、『指砕』って技さぁ」
冷ややかに見下ろす芹沢が、薄ら笑いを浮かべながら言い放った。
首投げの瞬間、芹沢の背中から肩、腕にかけて、尋常ならざる筋肉の硬直があった。
一瞬鋼のようになった芹沢の右腕。
その状態で、金平の鳩尾めがけ、異様な力がかかった五指を押し付けたのだ。
「それほど力はかけてねーから安心しろや。マジでやったら、今ごろ内臓ぶちまけてらぁ」
口から涎を垂らし、惨めに横たわる金平を冷ややかに一瞥する。
『人間離れした強さだ──』
金平は薄れ行く意識の中で、そう思った。
肘打ちと今の技の痛みで、意識を無くす。
呼吸が停まっていた。
「ちょっと、おじさん!なんとかしてよ!」
一瞬の出来事を静観していたソフィが、金平の状態を見て叫んだ。
ソフィの悲壮な表情に視線をやると、芹沢は金平の体を軽々と抱えあげ、両肩を掴んで後ろから背中へ膝を当てる。
関節を外したのかと錯覚する鈍い音を立てながら、金平は思い切り咳き込み意識を取り戻した。
「ゴホッ……カハッ」
「ガキにしては悪くなかったぜ」
芹沢は悠然とタバコに火を点けると、金平とソフィを残して道場を出て行った。
◆◆◆
ロッカールームを抜けてエレベーターに乗りこむと、芹沢は中に貼られている鏡を見て、タバコを咥えたままダウンジャケットをめくった。
見ると首に、くっきり腕の跡があざになっている。
「あのガキ」
苦悶の表情を浮かべ、呟く芹沢だった。




