復活の日!!
葵裕樹の家族を殺害した犯人はようとして捕まらず、悪戯に時だけが過ぎ去った。現場に残された出刃包丁はどこにでもある既製品で、その他になんの手掛かりも無く、無計画な物取りの犯行として事件は風化し、世間から忘れ去られた。
失意の葵裕樹は、酒浸りの日々を送り、職場へも足が遠退く。浴びる程飲み、寝ても覚めても襲い来る悪夢から逃れようとした。
歓楽街、雑居ビルのバー。薄暗い店内のカウンターに葵裕樹はいた。
落ち窪んだ瞳に、無精髭。精気を失った表情。グラスを持つ手は震えていた。
剣聖と謳われた面影も今は無く、ただひたすらに酒を煽り、心を磨り減らしている。
「隣、いいかな?」
ふと、背後から聞こえる柔らかい口調の声。
その言葉に視線すら動かさず、黙したままの葵裕樹。長身のスーツ姿の男が、音も無く隣へ座った。それにはなんら気にする様子も見せず、震える手でグラスを口へ近づけようとする。
突然、葵裕樹の手首を掴むスーツ姿の男。一重の涼しげな目許には、薄っすらと笑みが浮かぶ。
「酒は今日で終わりにするんだ。妻子の敵を討ちたくないかね?」
「!?……お前、何者だ?」
掠れた声で葵裕樹が尋ねる。
自分にしか分かりえないはずの繰り返される悪夢と白昼夢。その世界に現れた突然の訪問者。
一見スーツには不釣り合いな程の長髪の男は、悪鬼のような葵裕樹の視線になんら怯むことなく、整った顔を崩して笑う。
「このファイルを見てくれ。最後のページに私の連絡先がある。気が向いたら会いに来てくれたらいい。もしかするとこの中に、君の大切な人を奪った人間がいるかもしれない」
おもむろにカウンターの上に分厚いファイルを置くと、静かに立ち上がった。そして、柑橘系のフレグランスの香りを残し、男は消えた。
その男の後ろ姿を見送り、首を傾げながらファイルを開く。
「こ、これは……」
中には、様々な男の顔写真と、それに付随する詳細な個人情報が載っていた。
そのどれもが、過去に殺人や暴行などの前科を持つ者ばかりだった。これ程の膨大な資料は、警察関係者でも容易に閲覧出来る物では無いし、ましてや持ち出すことなど不可能だろう。
この中に妻子を殺めた容疑者がいる。そう思えても間違いでは無い程の情報量を有していた。
「あいつはいったい?」
葵裕樹の中で、日を追うごとに失われていった希望の光が、ほんの微かに輝きを取り戻したように思えた。
◆◆
その夜から明け方までファイルに目を通した葵裕樹は、記載してあった連絡先へ電話する。
三国重工本社ビル。
バーへファイルを持ってきた声の主は、電話の向こうでそう告げた。
どこか夢うつつな葵裕樹だったが、迷いながらもふらふらと動き出す。
酒と不眠症のせいか、酷い頭痛が襲っていた。
シャワーを浴びてから頭痛薬を口にすると、無精髭を剃り、身支度を整えた。
目には光が宿っている。
自宅から車を走らせ、市内中心部にそびえ立つ三国重工本社ビルへ到着すると、広いエントランスの受付で名乗り、しばし待たされた。
すると奥から、長身、スーツ姿の黒人男性が現れる。何故か頭には、着ているブランド物のスーツには不釣り合いなスエードのキャップが。
「初めまして。ご案内します」
2メートルはあろう屈強な体格の男は、不敵な笑みを浮かべると、外見とは裏腹にネイティブな日本語で葵裕樹をエレベーターへと誘う。
地下一階へ到着し、開いたドアから見渡した景色に愕然とした。広大な空間に、研究施設とおぼしき設備が整然と並び、白衣姿の研究員があちらこちらで熱心に作業に従事している。その中でも一際異彩を放っていたのが、大型の円筒形の水槽に入った生物だった。
あたかもホルマリン浸けの標本のように、巨大なゴリラが浮かぶ。体にはセンサーらしき配線が、そこかしこに取り付けられていた。その水槽を取り囲み、研究員が真剣な面持ちで周辺に備え付けられた電子機器に見入っている。
「なんなんだ?ここは?」
「話すと長くなるんですが、詳しくは社長から聞いてください」
葵裕樹の問いに、微笑みを浮かべた表情は変わらないまま、黒人男性は説明した。
「やぁ、来てくれると思ったよ」
そこへ、昨夜バーに現れた長髪の男──三国司が姿を見せた。
「彼はスコーピオン。君のパートナーになる男だ」
司は、傍らのスコーピオンに視線を移し、破顔した。
「どういう了見だ?」
怪訝な表情の葵裕樹へ、美空との別れ、ピラーと呼ばれる古代の遺跡、そしてそこから産み出されたSEについて、的確に、分かりやすく説明を始める司。
葵裕樹はその話に黙って耳を傾ける。
「そのSEウイルスとやらの開発が成功したら、それを使って悪人どもの魂を狩れと?そうすれば、あなたの想い人や私の妻子を生き返らすことが出来る……と?」
「その通りだ」
「冗談にしか思えないな。すまんが、帰らせてもらう」
司の真剣な眼差しとは対照的に、その口から語られた余りにも滑稽な話。
思わず苦笑いを浮かべる葵裕樹は、こんな場所まで来た自分が可笑しくもあり、悲しくもあった。
「信じられないのも無理はないな。そこでだ」
司がゆっくりと、背後に見える研究施設の円筒形の水槽を指差す。
「数週間後にSEウイルスの最終テストを、あのマウンテンゴリラを使って行う。君とスコーピオンにはそれを見学してもらいたい。百聞は一見にしかずというやつさ。どうだ?帰ってまた酒浸りの日々に戻るのは、それを見てからにしては?──その前に、君には衰えた体をスコーピオンと共に鍛え直してもらいたいのだが。このビルにはトレーニング施設も完備されている。君の類い稀な才能を埋もれさせておくのは、実に惜しい」
穏やかな笑顔を見せる司だった。




