王子の視察1
早朝。王都イーズウェルの石畳の道にはにうっすらと霧が立ち込めていた。
パン屋ブーランの店主は開店準備の為、店内から道へと看板を引っぱり出した。店主は早朝の空気を吸って一つ伸びをした。伸びをした店主の両耳は相当数の蹄鉄音を捉える。城の方角から聞こえてきたを訝しく思い、薄霧に目を凝らした。その薄霧を乱し、押しのける様にして現れたのは、6頭立ての堅牢な馬車と隊列を組み馬車を警護する十数の騎馬だった。
騎士服を纏い、頭にはベレー帽。店主は、王国の国民であれば幼子でも知り得る近衛兵の制服に驚く。
近衛兵がこれだけ揃っているからには、王家に連なる高貴な方が後に続くのだろうと好奇心丸出しになり、隊列を見つめた。
箱型の馬車がはっきりと見えてきた。今日の話のタネが出来たと内心ホクホクとしてさらに目を凝らすと、馬車側面に王家の紋章を見て取る。さらに騎士の帽子を確認すると青い羽飾りが2本ある。
店主は“青騎士…”とつぶやき、「ユーシウス王子殿下万歳!!」と大音量で歓声を挙げた。
その声が通りに響くなり、通りに面した店の中で開店準備をしていた店の人間達が“青騎士が”“王子が”と叫んでは、転げる様に通りにパラパラと出て来た。
店の者達は口々に、自国の第二王子を讃え、その声は次々に伝播して行った。
馬上にあっても、家々からバタンバタンと扉を開閉する音が響き始めたのを聞き取り、隊列の先頭を率いていた近衛兵団第三近衛兵隊、通称“青騎士隊”隊長のベルヘルムは小さく息を吐いた。ベルヘルムは、主の視察がパレード化しない内にと、馬の歩調を早めさせた。
第二王子一行が通りを過ぎ、街の住人達が朝の支度そっちのけで井戸端会議を開き“王子殿下の視察先”の話題に興じ始めた頃、ベルヘルムは大きな石造りの建物の前で隊列の進行速度を緩めさせていた。
レスティカ王国魔術師連盟、王都イーズウェル支部。ベルヘルムは周囲の警戒を続けつつ、蔦に覆われた巨大な建物を見上げた。この建物は色々な複合施設であり、魔術師の組合としての機能はもちろん魔術師教育、魔術研究、魔術師の斡旋、魔術に関する相談等々、魔術に関するありとあらゆる事を請け負っている複合施設であった。
今回、第二王子一行は魔術師連盟へ転移陣を使用する為に来ていた。
ベルヘルムは前乗りしていた部下から、進行可能の合図を施設前で受け取ると、正面ポーチへと馬首を巡らせた。
馬車が門内へ進入すると馬車の後方に付き従っていた騎馬が警戒の為、建物周辺に散って行った。
正面ポーチとその周囲には既に、第三近衛兵隊の面々、従僕、下男が既に控えていた。
ベルへルムは殿を務めていたリーガル副隊長の警備体制完了の合図を受け取ると下馬し、自分に向かって走り寄って来た下男へ手綱を預けると馬車へ歩を進めた。ベルヘルムの動きを見た従僕が馬車のステップを用意した。
ベルヘルムはそのまま馬車へ近づくと車中の人物へ準備が整った旨、声をかけた。
了承の返事の代わりに馬車の扉が開き、柔和な笑みを浮かべた碧髪の若者が軽やかな足取りで下車し、素早く扉の脇に控えた。
次にベルヘルムが忠誠を誓うその人。レスティカ王国第二王子ユーシウス=ジオン=レスティカがゆったりとした動作でステップを踏んで降り立つ。
ユーシウスは侍従の差し出すロングスピアとマントを洗練された動きで軽く手をあげて制した。
「ご苦労。」
ユーシウスはベルヘルムに一言声をかけると優雅な動作で建物の中へ歩き始めた。
ベルヘルムと碧髪の若者は、ユーシウス王子の右後方と左後方へそれぞれ、一定の距離を保って付き従い、そのさらに後方には侍従、近衛兵と続く。
ベルヘルムが左側を同じ速度で進むサザナ=リリウム=ユージニアをチラリと窺うと、今日もその端正な顔にはいつもと変わらず柔らかな笑みが浮かんでいた。その柔らかな表情が崩れる事は滅多に無く、使用人から侍従、ベルヘルムの部下に至るまで、サザナの人となりを讃えていた。ベルヘルムにはデフォルト化されたサザナの笑みは能面の様に思え、サザナに苦手意識を持っていた。
ユーシウス王子が建物に足を踏み入れると、ホールで深々と頭を垂れた施設長が出迎え、歓迎の言葉を口にする。ユーシウス王子が足を止めると、ベルヘルムとサザナはユーシウス王子の右横と左横にそれぞれ進み出る。
サザナは施設長に労いの言葉をかけ、施設長が姿勢をまっすぐに正した所で言葉を続ける。
「殿下、新しく施設長に就任されたケイロ=サイマ子爵殿です。」
天才と呼び声高いユーシウス王子においては行政組織とその人員や人名に経歴やその他付随情報まで記憶されていることは周知の事実であるが、ユーシウス王子はサザナの言葉に律儀にも軽く頷く。
緊張の為か、施設長は発言の許諾もなく唐突に口を開く。
「でっ、殿下におかれましてはご清祥のご様子。お言祝ぎ申し上げます。此度の法改正の素案も殿下が作成されたとか。殿下の名声は天高くー」
ユーシウス王子が到着するまで殿下への口上で頭が一杯だったのだろう。
気の毒に思ったのか、サザナは黙していた。対して、ユーシウス王子は長くなりそうだと思ったのか、サザナを一瞥する。
「失礼。サイマ殿。殿下の時間はできるだけ“向こう側”で使いたい。さっそくですが“転移の間”へ参りましょう。」
「はっ。サザナ閣下。御意に。」
サザナの言葉に自身の失態に気付いたのか、施設長は額に玉の汗を浮かべ答えた。
ベルヘルムとサザナはそれぞれ一歩ずつ下がると、ユーシウス王子は歩みを再開させ、ベルヘルムもサザナもユーシウス王子歩調に合わせてその後ろに付き従った。