トラップトリップ
「見つけた。死んでもらいます」
登校中にいきなり目の前に現れた女。非常識だ。激しく非常識だ。初対面の人間に対して『死ね』などと言う、一見何の変哲もないこの女は現れ方も考え方も甚だしく変だと言えよう。
そもそも何故俺が死なねばならんというのか。生まれてから十八年、『清く正しく美しく』なんて生きてきてはいないが、だからといってこんな事を言われる筋合いもないと思う。
ようはアレか。電波とか言われる人種か。よし、これは無視するに限る。こんなの相手にしてたら時間を喰われるばかりか、俺の精神力も喰われる、きっと。手間のかかる人間は従兄弟のアレだけで充分だ。これ以上は俺の手には負えない。
いったいどれだけあの馬鹿の所為で俺が迷惑を被ったか。年齢も同じで、なまじ近くにいる分(家がお隣さんだったりする。激しく嬉しくないが)俺への影響が半端ない。主に悪い方向で。
この前もあいつが起こした事で各方面へのフォローやら尻拭いやらで走らされた。放っておきたいのは山々だが、そうするとさらにややこしい事になるのは経験済みだ。
アレがやらかしたちょっとした事が巡り巡った後に大惨事になる……なんてザラにあったりするのが馬鹿従兄弟クオリティ。非常に迷惑だが放っておくわけにはいかないのだ、あの馬鹿に関しては。
ああ、今はあの馬鹿の事じゃない。目の前の電波な女の事を片付けないと。片付けるっていっても無視して通り過ぎるだけなんだけどな。それでは電波さんさようなら。また会いたくなどないが、俺にかかわり合いのないところで頑張って生きていって下さい。
「霜月 潮、覚悟なさい」
通り過ぎ様腕を掴まれ名前を呼ばれた。ちょっ、それ俺じゃねえ!その名前は手間のかかるアレ、こと俺の従兄弟の名前だ。俺の名前は『霜月 宮緒』だああああっ、という心からの叫びは届く事なく俺の意識はブラックアウト。つーかまたあの馬鹿関連かよ……。
応接室っぽい所にある無駄にデカいテレビに映る映像をじっと見る。見た事のある場所、見た事のある人達。そして見た事などない『俺の』葬式。もう一度言う。『俺の』葬式だ。
そう……このテレビには今現在、俺の葬式の様子が映し出されている……らしい。らしいっつーのは他人から聞かされたから。そして何より俺が今ここに肉体を持って存在していて、俺の葬式だっていう現実感がないから。
確かに画面には肉親や親類、友人共が映っちゃいるが大規模などっきりなんじゃねえかと疑ってしまう。だって自分が死んだなんて普通は思いたくないだろ。触れる肉体だってあるのに。
それに登校中に電波な女に死ねと言われて気が付いたら応接室。信じられるわけがない。あなたは死にました、ここに映っているのはあなたの葬儀の様子です。なんて言われたって早々信じられるわけがないだろうふざけんな。
「これで三桁ですよ、この手の間違い」
「ですねー、とうとう三桁に乗っちゃいましたね」
「もうこれ以上ウチじゃあ庇いきれませんから」
「えー、そんなあ」
「はっきりいってこんな足手纏い必要ありません」
「そんな事言わずに」
「無理です。そもそもワタシ、転生課でもないのに転生術が得意になってしまったんですよ、アナタの所為で」
「得意な術が増えてヨカッタですね!」
「……アナタ、反省の色なしですか」
「そ、そんな事ないですよ。むっちゃ反省してますって。今日のご飯のデザートを諦めるくらいにちゃんと反省してますって」
何だ、何なんだ、こいつらは。人に己の葬式の様子をテレビで見せておいて背後でごちゃごちゃと。しかもデザートを諦めるくらいってどんだけ小規模な反省だよ。あーもう、わけわかんなくて頭痛がしてきそうだ。
しかもあれだ。何かこの男女二人の、特に女の方のテンションは身に覚えのありまくる感じだ。声からしてあの電波女だろうが、性格が馬鹿従兄弟と似てる気がする……。俺は似たような奴らから迷惑をかけられるという運命の星の下にでも生まれてきたんだろうか。いや、今はもう死んでる(らしい)けど。
「ほら課長、この人だって私が反省してるのわかって目元押さえてるじゃないですか」
「んなわけあるか、馬鹿女!これはテメエの馬鹿さ加減に頭痛くなってんだよっ」
思わず、と言っていいほど反射で返した既視感ありまくりなこのやり取りは従兄弟の馬鹿を相手する時と同じだ。……この馬鹿女、本気であいつと同類の匂いがする。このままだとこいつのペースに乗せられてグダグダになる感が半端ない。ここは一度仕切り直さねば。
ごほん、と空咳をし、馬鹿女と言い合いをしていた責任者っつーか上司っぽい黒スーツの男の方へと視線を向ける。俺の視線を受けた男は一歩前に出ると懐から名刺ケースを取り出し、一枚の名刺を俺に手渡した。
『天界・第三死神課 課長』
柊(hiiragi)
上質な少し青みがかった厚手の白い紙に、黒い文字でシンプルにそれだけ書かれていた。
「このたびはウチの部下が大変失礼いたしました」
そう言って、柊というらしい黒スーツの男は頭を下げた。そして強制的に隣に立つ電波女の頭も押さえつけて下げさせる。痛いですーとか、髪のセットが乱れますーとか言ってる女の事は二人して軽く無視。
彼ら……まあ主に柊さんが説明するには、ここはいわゆる『天界』という場所で、この部屋は『死神課』の応接室。
人の魂を管理する天界にはいくつかの部署があり、下界にいる人間の魂を天界まで連れてくる『死神課』、連れてきた魂の記憶を白紙の状態にする『記録課』、白紙に戻した魂を次の生へと送り出す『転生課』のおおよそ三つで構成されているのだそうだ。
柊さんが言うには、柊さん達の手違いで俺は死んでしまったらしい。正確には馬鹿女のせいで。元々死亡者リストにはアレの名前が載っていて、死ぬのは馬鹿従兄弟の方だった。しかし電波女が魂を刈ってきたのは俺。完全なる人違い。リストの方も日付はあっていたが、六十年ほど先の物だったっつーんだから何ともはや。管理責任はどうなっている。
「だってー予定が押してたんで急いでたんですよ」
「アナタがサボらなければ十分就業時間内に終わる量なんですがね」
「さ、さささっさサボってなんかないですよ?」
「……ワタシが知らないとでも?仕事中にもかかわらずケーキを食べに行ったり、長電話したり、ケーキを食べに行ったり」
「ぎゃーーーっ!何で知ってるんですか!はっ、もしや課長は私のストーカー……」
「なわけないでしょう!他の課員の目撃情報ですよ」
俺、怒ってもいいよね?むしろ殴ってもいいんじゃね?訴えられても勝つよ?半端な生温い笑みを浮かべた俺に気付いた柊さんがあらためて話し出す。
「本来ならば、ワタシ達死神課の者が刈ってきた魂は記録課へ渡し、然るべき処置をした後は転生課へ行き、次の生へと廻ってく事になります。しかし霜月さんの場合は……」
「もしやそこの馬鹿女のせいで本来の正しい手順が踏めない、とか言いますか?」
すると柊さんは聞くだけで幸せが逃げ出すような溜息を吐いた。俺の幸せは現時点で絶賛ログアウト中だがな。
「はい。そもそも魂というのは現世で生きる事が修行であり、修行とは魂の経験を積む事です。そしてその経験値を貯め、より高次の存在となる事を目的としています」
「高次の存在、というと?」
「いわゆる『神の使徒』と呼ばれる存在です」
使徒、使徒ねえ。なーんか嫌な予感しかしないんだけど。
「私達みたいな者の事ですよー」
「………」
「………」
割り込んで来た能天気な声に、俺と柊さんは図らずも同じタイミングで溜息を吐き出した。魂の経験を積んで高次の存在となった果てがアレ……。何だろう、もの凄く生きる意味がなくなっていくような気がする。
「ええっと、話を戻しますね。自殺などにより天命以前に死んだ魂は修行期間も経験値も不足する為転生出来ません。その為に現世ではなく然るべき場所『地獄』で寿命までに積むはずだった魂の修行と経験を積む事となります」
地獄といっても日本人が想像する針の山や血の池があるような場所じゃなくて、現世とそんなに変わらない場所だという。地獄というのも便宜上の名前らしい。詳しい事は機密事項だから話せないと言われた。
で、今回の場合は向こうの手違いで俺の寿命が予期せぬ形で終わらせられた為、特別処置が採られるとの事。
「この世界での転生の輪から一時的とはいえ外れてしまった霜月さんには同じ世界での修行は出来ません。普通行う手順も踏んでませんので地獄での修行も無理です。そこで別の世界へ行って魂の修行と経験を積んでもらう事になります」
「は?」
「だからー、ミャオ君には別世界に逝ってもらうって言ってるんでっす!」
黙れ、電波!ドヤ顔して俺を変な名前で呼ぶんじゃねえ。いい加減はたくぞ。ちなみに『いく』の字が違うっつーの。誰だよ、コイツを死神課に採用した奴。
「重ね重ね本当にウチの者が申し訳ありません」
まるで教本に載るお手本のような礼をする柊さん。その所作は流れるように綺麗だった。それだけでこの人がどれ程頭を下げているのかが窺い知れる。不憫な……。
「あー、柊さんの上の人とかにコイツをどうにかしてもらえないんですか?さっき、俺でこの手の間違い三桁いったって言ってましたよね」
「前々から申請はしているのですが、ね」
答える柊さんの表情は暗い。あれ、何か空気も重くなったような……?しかしまあ手違いで殺された俺が悪い気がしてくるような暗さである。あくまでも気がしてくるような、だが。
「下界と違ってこちらの仕事は全部手作業ですし、生命がどんどん増えてるのに処理が追いつかないんです。おかげで彼女の様なものまで使うハメになってしまって、今大変な人手不足なんですよ」
「私としては万々歳ですー」
……俺はどこから突っ込めばいい。下界の機械化とか羨ましい限りです、とか効率って良い響きですよね、とか呟きながら仄暗く笑う柊さんに軽く引く。気をしっかり、柊さん!貴方が潰れたら誰がこの馬鹿の手綱を握るのさ。思うに上の人も柊さんにコイツを押し付けてるんじゃねえの?じゃなきゃ人を間違って殺してくるような奴を放っておいたりしないって。
「ワタシまですみません。霜月さんにはご迷惑ばかりかけてしまいますね」
「いやいや大丈夫ですよ」
落ち着いた柊さんにほっとする。彼があのままだったらどんだけカオスかと。
その後しばらく説明を聞いて俺は意思を固める。結局の所俺に選択の余地はないんだが、俺のいた世界と決別するのに覚悟がいったから。不満も未練もあるがどうしようもない事だってある。
俺は柊さんが行使する『転生術』で異世界に行くようだ。規定された手順を踏まないままの転生の為、記憶は残ったままで姿も俺のまま。そう聞くと『転移』みたいだが、行った先の世界に俺という存在が新しく生み出され、肉体諸々が再構成される為『転生』でいいらしい。
「それでは宜しいですか?」
「……はい」
場所を応接室から何もない白い部屋へと移し、俺は彼らと向き合った。短いながらも濃い時間だったと思う。
柊さんの口から不思議な旋律の言葉が漏れる。それと同時に眩しい光に包まれる。これが俺のこの世界で見る最後の光景だった。
……はずだったんだがなあ!
「何でとっとと死んじゃうんですかー」
「アウトドアすら満足に出来ない一介の高校生がサバイバルで生き残れるか、馬鹿かテメェはーっ!」
光が晴れた後に俺が立っていたのは、濃密な緑と土の匂いがする鬱蒼と樹々の茂った森の中だった。ぐるりと周りを見渡してみても目に入るのは植物ばかり。植物の事に詳しいわけじゃないが、視界に入る物は見た事もない物がほとんどだ。……俺にどうしろと。
ここで立ち止まったままでいるわけにもいかず、ひとまず歩き出したはいいものの。現在地もわからず方角もわからないままなのもいただけない。水や食料も持ってないし、マジで俺にどうしろと。
時折聞こえてくる鳥か何かの鳴き声に内心ビビりつつひたすら歩いた。立ち止まったら怖くて動けそうになかったから。そしてそれは悪い方へと転ぶ。
どれくらい歩いたのか。数メートル先の茂みが揺れたと思ったら、そこから大きな何かが飛び出してきたのだ。とっさに身をかわせた俺の反射神経に拍手。そして考える間もなく身を翻し、走り出す。どこが安全かなんてわからないから本能のままに逃げる。
なんだあれなんだあれなんだあれ!いきなり襲われてパニクった。こんな事が起こって冷静でいられるわけがない。前へ前へ前へ。とにかく逃げろ。恐怖で震える足と心を叱咤して走る。
俺は目の前にあった茂みを突っ切った。が、それが大きな間違いだったと次の瞬間悟る。地面へ着く筈だった足は空を切ったから。茂みの先は崖になっていたのだ。崖の方へ傾く身体はそのまま慣性に従うように落下する。
そして気付いたらまたこの場所に戻った俺がいた。
「霜月さん、陣の中央へお願いします」
「この辺りですか?」
「はい、結構です。では始めますね」
転生直後(っていっても数時間後だが)に即死亡、なんて今までなかった事らしい。いや、そんな事言われてもさ……。武道の心得も武器の嗜みもない俺に何が出来たというのか。あんな状況、転生チートとか持ってないと打破するのは無理だって。
そしてまたさっきみたいな事にならないように、今度は転生の条件付けを細かく指定する為に『陣』と呼ばれる物を使用して転生術を行うそうだ。あの白い部屋の床に新しく描かれた、ファンタジーで見るような魔法陣っぽい物の上に立つ。そして柊さんは不思議な旋律を歌うように詠唱する。
陣の外側が光り出し、その薄緑の光は徐々に俺の立つ中央へと迫ってくる。俺の足下までもう少し、という所で突如薄緑の光から赤い光に変わった。
「あっ」
「あぁっ」
「ちょ、待てお前らー、何だ今の声はっ!」
何二人して人の不安煽るようなリアクションしやがる。微妙に焦る柊さんにごまかし笑いを浮かべる馬鹿女。いったい何が起こっているんだ。
「アナタこの陣に何したんですかっ」
「え?えっとー、描き込みを少し。ミャオ君が異世界で困らないように向こうの言語とか魔法とか使えるようオプション追加、みたいなー?」
「言語なんかは既に陣内に組み込まれてますよ!完成された陣形に何て余計な事を……」
絶句する柊さんにさらに不安が募る。彼らがそんなやり取りをしている間も陣の光は止まらない。足下を照らすだけだった光は俺の身体を包むように大きくなっていく。
「おい、大丈夫なのかこれ」
「たぶんきっとおそらくだいじょうぶ、だといいなー」
「い、命には別状ないと思いますので……」
ちょっ、不安しかない返答だな、オイ!
「やり直しを求める!」
「「あ、それ無理」」
二人の声がハモる。どうやら一度発動した陣はキャンセル出来ないらしい。そして俺は真っ赤な光に包まれる。
「チクショウ、呪ってやるーーーーー!」
こうして俺の異世界ライフは幕を開けた。