B「推し活」
朝。
スマートフォンが鳴った。
新作グッズの通知だった。
ネズミとミミズ。
「…可愛い」
口が動いていた。
ベッドの中で、ページをスクロールした。
ぬいぐるみ。アクセサリー。ステッカー。限定ガチャ。
全部、欲しかった。
いや、欲しいと思わされていた。
でも、その区別は、もう、できなくなっていた。
買い物かごに、アクセサリーを入れた。
5,800円。
決済ボタンの上に、指が止まった。
母の声が聞こえた気がした。
「また、買ったの?」
指は、ボタンの上で揺らいでいた。
でも、押した。
会社に行く前に、母に会った。
「荷物が多いね」
玄関に、段ボール箱が三つ積まれていた。
昨日、グッズが届いたのだ。
「…友達からの荷物」
嘘だった。
母の顔が、一瞬、曇った。
でも、何も言わなかった。
朝食のテーブルで、母は、黙って、ご飯をよそっていた。
会社の机の上で、ツイッターを開いた。
「#ネズミミズ」
新作グッズの写真。
「可愛い!」
「推しは最高」
「推し活最高」
その中に、別のツイートが混ざっていた。
「推し活やめました」
プロフィール写真は、色が薄くなっていた。
アカウントを消す手前の状態。
何を書いているのか、見た。
「色々あって。推し活は、楽しくなくなってました」
コメント欄には、「え、本当に?」という反応がいくつかあった。
その人は、返していなかった。
営業の人が、営業先への資料を、置いていった。
「期間限定キャンペーンです。今、契約しないと、この値段は二度とありません」
営業の人は、毎日、これを言っていた。
紙の端をホッチキスで留めながら、その言葉を聞いていた。
期間限定。先着順。今、買わないと。
その言葉は、会社の営業資料だけじゃなかった。
推し活の世界にも、あった。
グッズの期間限定販売。ガチャの確率。
「今しか買えません」
そういう言葉に、毎回、指が動いていた。
昼休み、トイレで吐きそうになった。
別に、体調が悪いわけじゃなかった。
ただ、朝のことが、頭から離れなかった。
箱が三つ。
母の沈黙。
「また」というその一言。
トイレの個室の中で、スマートフォンを握ったまま、立っていた。
新作グッズのページが、まだ開いていた。
帰り道、駅の階段で、学生時代の友人に会った。
「あ、久しぶり」
その友人は、推し活をやめた人だった。
何か、言わなければならない気がした。
でも、何も言えなかった。
友人が、先に、言った。
「ツイッター、見た?私、推し活やめたんだ」
「…見た」
「よかったら、今度、話そう。何かいろいろ聞きたいことあるかもしれないし」
友人は、笑っていた。
でも、目は、笑っていなかった。
帰宅したら、母が、ご飯を作っていた。
台所から、玉ねぎを切る音がしていた。
リビングには、グッズの箱が、まだ開かれていなかった。
「あ、ごめん。片付けます」
「いいよ。あなたの部屋に置いてあげるから」
母は、そう言った。
何か、刺さった。
自分の部屋に、グッズを運んだ。
棚の上には、もう、グッズで埋まっていた。
ネズミとミミズの、ぬいぐるみ。
ネズミとミミズの、アクセサリー。
ネズミとミミズの、グラス。
ネズミとミミズの、シーツ。
壁には、ポスターが、貼られていた。
床には、箱が積まれていた。
新しく買ったアクセサリーを、箱から出した。
パッケージは、可愛かった。
ネズミが、元気よく、笑っていた。
ミミズは、相変わらず、黙ったままだった。
その相性の悪さが、何故か、可愛く見えた。
ツイッターを開いた。
グッズの写真を撮った。
「新作、買っちゃいました。ネズミミズ、推しは最高…」
投稿ボタンを押す前に、一瞬、止まった。
でも、押した。
すぐに、「いいね」が付いた。
「可愛い!」というコメントも来た。
その瞬間、胸が、何かで満たされた。
でも、その直後、空になった。
夜中に、友人のアカウントを見た。
その友人は、もう、推し活関連の投稿はしていなかった。
代わりに、別のことをツイートしていた。
「今日は、母と一緒に映画を見た」
「友達と会った。久しぶりで、疲れたけど、楽しかった」
その投稿を見ていると、胸が、何かで詰まった。
妬みなのか、羨望なのか。
それとも、もっと別の何かなのか。
分からなかった。
スマートフォンの通知音が、また、鳴った。
新作グッズが出たという通知だった。
ネズミが、新しい表情になっていた。
ミミズは、相変わらず、黙ったままだった。
その相性の悪さが、何故か、可愛く見えた。
買い物かごに入れた。
6,500円。
決済ボタンを、押した。
その瞬間、何かが、内側で、音を立てた。
喜びと、悲しみが、一瞬で、入れ替わった。
それとも、入れ替わったんじゃなくて、もともと、一緒だったのか。




