世界の容量削減
仕事に飽き始めた昼下がりに考えた話。
最近、部署異動があった。
職業柄、珍しいことではなく、すでに何度か経験している。
一つ前のチームにも、異動してきたベテランがいた。
今はその人がやっていたことを真似ており、おかげか、新しいチームでも仕事を覚える速度が上がった気がする。
傭兵レベルが確実に上がっているのを感じる今日この頃である。
そんなある日、ふと思ったことがある。
新しいチームのAさん、YouTubeで配信活動をしているaさんと声が似ているな。
隣の席のBさん、中学時代の友人のb君と顔が似ている気がするな。
なるほど、この世界は容量削減のため、テクスチャや音声ファイルの使い回しを始めたのだな、と。
有名なところでいうと、ファミコン版『スーパーマリオブラザーズ』では、草と雲が同じドット絵の色違いだったりする。
開発者の努力には頭が下がる。
世の中には、いくつか面白い説がある。
「世界五分前仮説」や「シミュレーション仮説」など、世界の成り立ちや、私たちが現実だと思っているものの確かさを疑う話だ。
どれも、普段は当たり前だと思っている世界を、少し違った角度から見せてくれる。
なんとなく、そんな話を信じてみたくなるような気分だった。
もっとも、メタ的な話をすれば、これは脳が情報処理を効率化するために行っていることなのだろう。
人の顔や声には情報量が多い。
しかし、そのすべてが個人を識別するために必要なわけではない。
脳は特徴をある程度パターン化することで、効率よく人を認識しているのだろう。
……ということは、世界の開発者も同じようなことをしているのではないだろうか。
動植物や街の景色、星空なんかも容量削減で、ぱっと見では同じテクスチャを使われていたりしないだろうか。
私が注視したときだけ詳細に見せればよいのである。
そんな感じでこの世界がパターン化されていたら?
空模様や定期的に発生するトラブル、なぜか忙しいときに限って発生する問題。
世界の開発者が手を抜いて、そのあたりまでもが再利用されているのではないか、などと下らない妄想が膨らんでいく。
いったい、何を信じればいいのだろう。
そんなことを考えていると、なんだかむなしくなってくる。
おいおい、まさか私が今この文章を書いていることも、決まったシナリオの一つだというのか??
そこまで考えたところで、ふとデカルトの有名な言葉を思い出した。
「我思う、故に我あり」
仮にこの世界が誰かの作ったシミュレーションだったとしても、今こうして疑って考えている私の存在までは否定できない。
それでも、少なくとも私の人生の主役は私だ。
そう思って、自分を大切にしていこうと思う。
……と、綺麗にまとまりかけたところで、ひとつの恐ろしい疑問が脳裏をよぎった。
私が異動先で仕事を覚えるのが早くなったのは、私が環境に適応したからではなく、単に過去の職場で身につけたテンプレートを流用しているだけなのでは?
なるほど、私の「傭兵レベル」が上がったのではなく、私自身が「使い回しの利く汎用素材」になりつつあるということか。
……それはそれで、なんだか少し嫌だな。
皆さんの周りでも、「この人、あの人と声(または顔)のテクスチャ同じでは?」と感じた瞬間や、「世界の開発者、絶対ここで手を抜いたろ!」と思うような日常の現象はありますでしょうか?
汎用素材にならないよう抗いつつ、また次回も書いていこうと思います。




