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点滅する正しさとすれ違う夜

「またね」


その二文字が、夜の底でずっと熱い。


熱いまま、僕はベンチから立ち上がる。

立ち上がっても、熱は落ちない。

むしろ、歩き出した瞬間に、体の奥で熱が“場所”を探し始める。


帰る場所。

逃げ込む場所。

寄りかかる場所。


それが、僕の中で少しずつ、

“夜”から、“彼女”に寄っていくのが分かる。


分かるのに、

止められない。


止めたら、昼が崩れる。

崩れた昼は、僕をそのまま押し潰す。


そんな気がしてしまう。


 


家に帰る。


鍵を回す。


いつもの匂い。


洗剤。

畳。

古い木。


そこに、今日は少しだけ、

公園の冷たさが混ざっている。


缶コーヒーは、冷えきったまま机に置く。

置いた瞬間、金属の冷たさが指から消える。


消えた冷たさの代わりに、

胸の奥がじわじわ痛くなる。


痛い。

痛いから、現実だ。


スマホを見る。


通知はない。


分かっている。

今日は「またね」までで終わった。

それ以上を求めたら、壊れる。


壊れるのが怖い。


でも、求めてしまう。


求めてしまうから、

僕はスマホを伏せる。


伏せると、

画面の光が消えて、

部屋の暗さが濃くなる。


暗さが濃くなると、

頭の中の彼女の言葉がよく聞こえる。


「すれ違うかも」


すれ違う。


その言葉が、“未来”の形をしているのが怖い。

会えない、じゃなくて、

ずれる。


ずれたら、同じ場所に戻るのに力がいる。


力は、今どこにある。


 


翌朝。


空は白い。


冬の白は、優しくない。

何も覆ってくれない白。


大学へ行く。

講義を受ける。

ノートを取る。


ペン先が紙を擦る音だけがやけに大きい。

教授の声は、遠い。

就活、という単語だけが、近い。


近いものほど、痛い。


休み時間、友人が言う。


「バイト忙しい?」


「……うん」


「クリスマス近いもんな」


クリスマス。


その言葉が軽くて、

軽いのに胸に落ちて重い。


軽いのは、世間の言葉だ。

重いのは、僕の中身だ。


 


バイト。


忙しい。


忙しさは、考える隙を奪う。

奪ってくれるから助かる。

奪われすぎると、何も残らない。


残らないまま、

終わりの「お疲れ様です」を言って、

裏口から出る。


夜。


イルミネーションが点滅している。

相変わらず、「正しさ」が光っている。


優しくしろ。

笑え。

誰かと過ごせ。


僕はその下で、ポケットの中のスマホを握る。


握ったまま、画面を見ない。


見たら、送ってしまうから。

送ったら、待ってしまうから。

待ったら、揺れてしまうから。


揺れるのが怖い。


だから、見ない。


見ないまま帰る。


 


帰って、シャワーを浴びて、

濡れた髪をタオルで雑に拭く。


鏡の中の自分は、

昨日より少しだけ薄い。


薄いまま、スマホを開く。


千華さんのトーク画面。

最後のやり取りは、昨日の短い言葉だ。


「またね」


既読の表示。


それだけで、

胸の奥が少しだけ息をする。


息ができると、嬉しい。

嬉しいと、怖い。

怖いと、また息が浅くなる。


最悪だ。


最悪なのに、僕は打つ。


「今日は、帰れた?」


送信。


送った瞬間、心臓が縮む。


返事が来ない時間が、

僕の中の何かを削っていく。


削られながら、

自分の中で言い訳が育つ。


忙しいから。

余裕ないから。

締切だから。


分かってる。

分かってるのに、

分かってるだけじゃ痛みは消えない。


 


深夜。


スマホが震える。


「帰れたよ」

「今、少しだけ休憩」

「和樹くんも、寝てね」


短い。


短いのに、ちゃんと息がある。


僕は息を吐く。


画面の光が、目に刺さる。

刺さるのに、消したくない。


「うん」

「無理しないで」


真似。

また真似。


真似を送って、

僕は少しだけ安心する。


安心の形が、

彼女の言葉になっていくのが怖い。


でも、今はそれでいい。


今だけは。


 


日が進む。


街の点滅が強くなる。

店のBGMが増える。

予約用紙が増える。

シフトが増える。


千華さんのメッセージは、さらに短くなる。


「作業」

「寝不足」

「やばい」

「ごめん」


僕の返事も短くなる。


「食べて」

「寝て」

「落ち着いて」


短い言葉を積み上げるたびに、

僕らの間に“会えない夜”が増える。


増える夜は、空白じゃない。

空白のふりをした、圧だ。


圧があるから、余計に会いたくなる。

会いたいから、余計に待つ。

待つから、余計に弱くなる。


 


クリスマスイブが近づく。


バイト先は、戦場みたいになる。

笑い声が増える。

袋が増える。

「ありがとうございます」が増える。


増えた分だけ、

僕の中から言葉が減っていく。


減った言葉の代わりに、

疲れが溜まる。


溜まる疲れは、

筋肉じゃなく、

心臓の奥に溜まる。


 


イブ前夜。


帰り道、駅前の大きなツリーが光っている。


光が綺麗だ。


綺麗なのに、

僕の中は荒れている。


荒れているのに、

外側だけは普通の顔をしている。


その普通さが、

自分を一番騙す。


騙されると、

余計に苦しくなる。


 


家に着く。


コートを脱ぐ。


スマホを見る。


通知はない。


分かっている。

彼女は修羅場だ。

彼女は締切だ。

彼女は余裕がない。


分かっているのに、

“イブ”という言葉が勝手に心臓を煽る。


誰かと過ごせ。

誰かと笑え。

正しくいろ。


正しさが、家の中にまで入ってくる。


僕はスマホを握って、

打ってしまう。


「明日、少しだけ会える?」


送信。


送信してから、息が止まる。


止まった息のまま、

画面を見つめる。


既読はつかない。


時間が過ぎる。


イルミネーションの点滅が、

窓の外で遠くに揺れる。


揺れ方が、

僕の心臓と似ている。


 


しばらくして、

既読がつく。


返事が来る。


「ごめん」

「明日、無理」

「ほんとに今、手が離せない」


無理。


その言葉は、刃だ。

でも、刃は正しい。

刃は嘘をつかない。


嘘をつかない刃ほど、

刺さる。


刺さるのに、

僕は返信を打つ。


「分かった」

「無理しないで」

「落ち着いたらでいい」


優しいふり。


優しいふりをしないと、

自分が崩れるから。


送信。


送った瞬間、

胸の奥が空になる。


空になったまま、布団に入る。


目を閉じても、

寝れない。


明日が来る。

イブが来る。


世間は正しさを祝う。

僕は、正しさの中に居場所がない。


 


イブ当日。


バイト。


忙しい。


忙しすぎて、考える隙がない。

隙がないのに、

心臓の奥だけがずっと「会えない」を繰り返す。


終電が近い。


「お疲れ様です」


一番好きな言葉を言って、

外に出る。


寒い。


寒さが、少しだけ助けになる。


冷たいものは現実だ。

現実なら、まだ耐えられる。


 


帰りの電車。


車内の広告が、

プレゼント、ケーキ、チキン。

幸福の見本市みたいだ。


僕は窓に映る自分を見る。


薄い。


薄いのに、目の奥だけが赤い。


泣いていない。

寝不足でもない。


ただ、削れている。


 


家に着く。


鍵を回す。


部屋の匂い。


洗剤。

畳。

古い木。


その匂いに、

“今日が終わる”という安心が混ざる。


安心は、弱い。

弱いから、すぐ揺れる。


スマホを見る。


通知はない。


分かっている。


分かっているのに、

イブの夜は、どうしても公園を思い出す。


電灯の白い円。

白い息。

煙の匂い。


“夜にだけ帰る場所”。


そこが今夜は閉まっている。


閉まっているのに、

僕は立ち尽くす。


靴を履くべきか。

履かないべきか。


履いても、会えない。

履かなくても、救われない。


どっちでも痛いなら、

せめて小さい痛みを選びたい。


僕は靴を履かない。


代わりに、

スマホを開く。


短く打つ。


「メリークリスマス、って言うの苦手だけど」

「生き延びよう」


送信。


送ってから、

自分で自分を笑う。


どこまで真似をするんだ。


真似じゃない。

これは、今日の僕の言葉だ。


そう思いたい。


でも、言葉の形が似ているだけで、

僕は少し救われる。


救われたくて送ったんだろう。


そういう自分が嫌だ。


嫌なのに、

送った手は止められなかった。


 


返事は来ない。


当たり前だ。


彼女は今、

作業の中にいる。

締切の中にいる。

余裕のない夜の中にいる。


僕の“正しさ”なんて、

その中では紙みたいに薄い。


薄いのに、

僕は待つ。


待ってしまう。


 


深夜。


スマホが震える。


「ありがとう」

「生き延びる」

「あと少し」


短い。


短いのに、

今の僕には十分だ。


十分なのに、

胸の奥がきゅっと痛む。


“あと少し”。


あと少しが終わったら、

彼女は戻ってくるのか。


戻ってきたら、

僕は何を求めるのか。


名前?

形?

約束?


そんなことを考えるだけで、

喉の奥が乾く。


僕は短く返す。


「うん」

「待ってる、じゃなくて」

「ここにいる」


送信。


送信してから気づく。


僕は、今日も言ってしまった。


ここにいる。


それは支える言葉のふりをして、

僕が縋るための言葉でもある。


縋っている。


僕は縋っている。


それが分かって、

少しだけ恥ずかしくなる。


恥ずかしいのに、

胸の奥は少しだけ暖かい。


暖かさが、

また怖い。


 


数日後。


年末が見えてくる。


バイトは忙しいまま。

大学は終わりに向かうふりをして、

就活は始まりに向かう。


千華さんからの連絡は、

少しずつ“息”が戻ってくる。


「寝た」

「食べた」

「終わった」

「やっと終わった」


終わった。


その言葉を見た瞬間、

僕の中で何かがほどける。


ほどけた分だけ、

別の怖さが入ってくる。


終わったら、

会える。


会えたら、

何かが進む。


進んだら、

形が変わる。


形が変わるのが怖い。


でも、変わらないままでも、

すり減っていく。


すり減って勝手に壊れるのも怖い。


どっちも怖い。


だから僕は、

また短い言葉で逃げる。


「おつかれさま」

「会える?」


送信。


送信してから、

心臓が跳ねる。


跳ねた心臓を、

僕は手で押さえられない。


 


返信が来る。


「明日、少しだけ」

「公園で」


短い。


短いのに、

世界の色が少し濃くなる。


濃くなるのが怖い。


でも、

その怖さより先に、

息ができる。


息ができるから、

僕は明日を越えられる。


越えられるから、

また昼に戻る。


 


次の日の昼。


蛍光灯の下で、

僕はペンを握る。


文字を書く。


相変わらず心には入らない。


でも、

今日は“夜”がある。


公園の白い円がある。


そこに彼女が来るかもしれない。


来ないかもしれない。


それでも、

“来るかもしれない”だけで、

今日の薄さが少しだけマシになる。


それが、怖い。


怖いのに、

僕はそれを握りしめる。


握りしめながら、

思ってしまう。


今度会ったら、

謝ろう。


優しさの真似じゃなくて、

ちゃんと謝ろう。


「寂しかった」って言うのは違う。

言ったら、彼女を縛る。


縛りたくない。


でも、

何も言わないままだと、

またすれ違う。


だから、

ひとつだけ。


「無理って言われた夜、怖かった」

それだけ。


怖かった、って言葉なら、

彼女のせいじゃなくて、

僕の中の話になる。


僕の弱さの話になる。


弱さを出すのは怖い。


でも、

怖いままでもいい夜があることを、

僕は覚え始めている。


あの夜みたいに。


点滅する正しさの下で、

彼女が言ったみたいに。


生き延びよ。


その言葉を、

今度は真似じゃなく、

自分の喉から出せるように。


僕はまた、

長い昼を越えていく。

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