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或る雨夜

「その手を伸ばせば助けられた命があるのに、君は何も後悔していないのかい?」


 雨の降る、暗い夜。静かな学校の屋上で僕は初めて君に会った。


「後悔? なんで僕がしなくちゃいけないんだよ」


「だって君がその手を伸ばしていたら、助けられていたかもしれないんだよ。だけど君は見捨てた。これってほとんど君がその自殺に加担したのと同じだと思うんだけどな」


 さっき飛び降りたやつの笑ったような泣いてるような歪んだ顔が思い出される。


「遅かれ早かれなくなる命なんだ。そんなの関係ない」


 お互い、雨に打たれながら問答を繰り返す。暗くて、君の顔がよく見えない。


「私はいつ死ぬか、なんてことについて話す気はない。どうやって死ぬか、について話したいんだよ」


「『どうやって死ぬか』。結局、『死』に変わりはないからどれも一緒だ」


 話していて段々と苛立ちが込み上げてくる。死について話すことに生産性なんてありはしない。自分の勝手に、自分の人生を生きることが全てだ。

 雨は一層身体を濡らす。


「君は自殺を高尚なものだと考えているだろう?」


「自分で人生に見切りをつけられる。それだけで十分自殺はいいものだとは思っている」


「自殺なんて、客観でも主観でも無様なものなんだよ。人生に見切りをつけられる、なんてあたかもすごそうな言い訳を付けて、その現実から逃げてるだけ。これのどこが素晴らしいんだい?」


 ああ、僕の琴線を触れてくるようなことしか言ってこないな。

 雨に加えて風も強くなってきた。


「あんたの価値観は分かった。あんたは何が言いたいんだよ」


「君はなぜ、この屋上に来たんだい?」


「いきなり何の話を」


「君も『自殺』しに来たんだろう? さっき飛んだあの人みたく」


「そんなわけないだろ。何を根拠に」


 心臓の音が相手に聞こえるんじゃないかというほどうるさい。雨の音がかき消してくれているのがまだ救いだ。


「じゃあなんで君はここにいるんだい? 屋上は封鎖されているはずなのに」


 一歩、一歩と相手が自分の心に踏み込んでくる。今すぐにでもここから逃げてしまいたい。


「いや、さっき飛び降りたやつに呼び出されて」


「さっき飛び降りた人? 君は本当に人が飛び降りたと思っているのかい?」


 この目で飛び降りたのを見たんだ。飛び降りるときのあの顔は忘れられないと思う。


「僕は飛び降りる前の顔から落ちて姿が見えなくなるまでしっかりとこの目で見たんだ。飛び降りた人がいないなんて嘘だ」


「君はなんでこの暗闇の中、飛び降りた人の顔まで見えているんだい? 相当近くにいないと見えないと思うけど、君はその人とだいぶ距離があったはず」


 言われてみれば、なんで僕は飛んだやつの顔がわかるんだ。今話している奴の顔だってよく見えないのに。


「なんで、なんで僕は飛び降りたやつの顔がわかるっていうんだ……」


「君は自分の姿を見ていたんだよ」


「自分の姿……?」


「自分の飛び降りる未来の姿さ」


 自分の未来の姿。確かに話しかけられなかったらあのように飛んでいたかもしれない。自分の心の中をすべて見透かされているようで怖さが勝ってくる。


「なんであんたは僕が飛び降りることを止めるんだよ」


「死なれたら困る、って理由だけじゃダメかな」


「それ、本心じゃないだろ。何を隠してるんだ」


「うーん? まあ、君が死んだら私が消えちゃうから、かな?」


「僕の死とあんたに何の関係があるっていうんだ」


「だって私は、君自身だから」


 は? 目の前にいるやつが僕自身? そんなことありえない。ドッペルゲンガーとでも言うのだろうか。

 雨が弱くなってきた。


「私は君の後悔、というか未練なんだよ。それを達するまでは君に死なれたら困るんだよ」


「後悔があったからあんたがいるのか? はっ、それはあり得ない。僕にはもう後悔なんてないから」


「飛び降りる直前に気づくもんだよ。あれをしておけばよかった、ってね」


 そんなわけない。この世に未練なんて少しもない。こんな終わっている世界にいるくらいなら死んだほうがましだ。


「あんたは僕の何を知っているっていうんだよ!」


「だから言ったじゃないか。君の分身だって。だから君のことは何でも知っているよ」


 雨が上がる。だが、風は相変わらず強いままだ。


「そろそろ、かな」


「なんの話だ」


「私の都合の話だから気にしないで。君は生き続けてくれるかい?」


「うるさいっ」


 走って相手に近づく。殴ってやりたい。

 風が吹いて、月が顔を覗かせる。


「え」


 さっきまで話していたやつの姿がない。月明りで多少見えるようになって、屋上を見渡すがどこにもいない。


「ああもう、どうなっているんだ。本当にあいつは僕自身だったのか」


 どこにも発散することのできないやりきれなさを屋上の柵にぶつける。澄んだ音が遠くまで響いていく。どうしよう、ここから飛んでしまおうか。

 柵に足をかけた瞬間、あいつが言っていた『飛ぶ瞬間に後悔が思い出されるもんだよ』が脳裏に浮かび、動きが止まる。


「今日は、やめだ」


 人の言葉で怖くなっているくらいじゃ、まだこのタイミングじゃない。


 ため息を残して、屋上を去った。空には月が輝いている。

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