【連載版始めました!】黙って我慢していてもいいことなんてなかったので、ブチギレます
「俺達結婚することになったから、お前との婚約は破棄させてくれ」
「ごめんねぇ……。お姉ちゃん、そういうことなの……」
私、青羽美亜は、恋人と妹からそう告げられた。
言いたいことはいろいろあったはずなのに、言葉が出てこなかった。
頭の中が真っ白になって、身体が凍りついてしまったのだ。
そんな私の様子を見て、妹と恋人は勝手に勘違いしたみたいだった。
「やっぱりお姉ちゃん、怒ってるよね……」
「おい、そんな責めるような目でアリサを見るなよ。アリサは大変なんだって、お前も知ってるだろ? だから俺は、アリサを支えたいって思って……わかるだろ?」
わからない。だけど私の恋人であったはずの上岸真来は、「わからないのは、お前の理解力が足りないせい」みたいな呆れた目でこちらを見ている。
「いつから……?」
「二年くらい前からかな」
「……私、真来に別れようって言ったこと、あったよね?」
正直私も、いつも私より妹を優先する真来との関係に疲れて、別れを切り出したことがあった。だけどそのとき彼は、「悪かったって! 俺はただ、大変そうなアリサと子ども達を助けたいだけなんだよ……」と泣きついてきたのだ。
そんな言われ方をしたらなんだか、許せない私の方が、心が狭いみたいで……結局ズルズルと付き合い続けてしまったのだ。
「あのときは、本当にお前と別れたくなかったんだよ。でも、人の心なんて変わるもんだろ」
「そんな……」
「あのなあ、アリサには子どもがいるんだぞ。子どもには父親が必要だろ」
――そう。妹のアリサは過去に一度結婚して、青羽アリサから、阿久井アリサになった。しかしその後、離婚。前の旦那さんとの間には三人の子どもがいて、アリサが三人とも引き取ったのだ。
離婚の原因について、「旦那さんが酷い人だったのぉ……」と言っていたが、アリサは平気で嘘を吐く子なので、真相は定かではない。実際私も、昔から「お姉ちゃんが酷いのぉ……」と悪者にされてきたし。
いずれにせよ、妹には三人の子がいる。四歳と、二歳の双子だ。だけどアリサは、大切にしてあげたくて子どもを引き取ったわけではない。そもそもアリサは、まともに子育てをしたこともない。
離婚前から「私って身体弱いし、疲れがたまっちゃってて」と実家に帰ってきて私に世話を押し付け、離婚後は「離婚の精神的ショックで、何もする気が起きないのぉ」と言って、いつも私に世話をさせていた。おそらくアリサは養育費目当てで子どもを引き取ったのだと思う。だけど、私に育児の対価を払ってくれたことは一度もない。
私は二十代で、高校卒業後会社員として働いていたのだけど。子ども達と、妹と違って本当に身体が弱い両親の世話もあり、仕事をやめてパートにした。日々、ろくに睡眠時間もなく親と子ども達の世話をしていた。
子ども達の、実の母であるアリサは毎日ぐっすり眠り、「気分が優れないから」といって昼寝までする。それを指摘すると、「酷い、体調が悪いんだから仕方ないじゃない……! お姉ちゃんは病人をこき使う気なの?」と喚いて泣き出す。自分の子どもが泣いていても、「お姉ちゃん、子どもが泣いてる。早く面倒見てあげてよ、かわいそうでしょ」と言うだけで自分では何もしない。
真来は、昔私の家に遊びに来た際にアリサと面識を持ち、彼女の境遇に同情して……「大変そうなんだから、協力してあげないとな」と言って、子ども達と遊んでくれたりした。その姿を見て、優しい人なのかなと思ってしまったけど。
今思えば、たまに子ども達と遊んでいただけで、オムツ替えや食事の世話などは全て私にやらせていた。まあこれに関しては、真来が父親なわけでもないし、仕方がないのだが――
正直、私だって、自分の子でもないのだから、育児を放り出してしまいたかった。
だけど実際、子どもに罪はない。アリサに任せたら、いずれ虐待のようなことをしかねない。だからこそ、辛くても必死に頑張ってきたのに――
「おい、アリサを責めるんじゃないぞ。子ども達がかわいそうだろ」
(……またそれか)
これまで、何度も聞かされてきた。「子どもがかわいそう」。
子どもを責めているんじゃない。アリサと真来の日頃の行いや浮気を責めているんだ。なのに、子どもを盾にして私の方が悪人であるかのように仕立て上げる、アリサと真来の腐った性根に吐き気がする。
だけど障子を挟んで隣の和室では、子ども達が寝ている。大声を出せば起きてしまうだろう。それに、実の母や伯母が、こんなドロドロした話をしているなんて……いくら幼いとはいえ、気付かせたくなかった。まだ小さいとはいえ、大人達の嫌な空気というのは、伝わってしまうものだ。
だからこそ、何も言えなかったのだけど――
次の瞬間、ぐらりと視界が揺れた。
(え……?)
気付けば、私は畳の上に倒れていた。
(な……に? おかしい……)
苦しいわけではないのだが、身体が熱く、言葉で説明できない感覚がある。
「やだお姉ちゃん、どうしたの? そこまでして真来の気を引きたいの……?」
「マジかよ、そういうのやめろって」
目の前で私が倒れても、二人はクスクス笑っている。……信じられない。
私には、「もっと思いやりを持て」とか「皆がかわいそうだろ」とか、言っていたくせに。私に異変があっても、助けてくれようともせず笑っているだけなのか。
自分の人生を削って妹の子育てや親の世話に費やしてきた私は、「かわいそう」じゃないのか。私には「優しくなれ」と言ってきたくせに、私には優しくしてくれないのか。
(――私はこんな奴らのために、今までずっと我慢していたの?)
こんな奴らのためではない。子ども達のためだ。
だけど、沸々と湧き出る怒りが止まらない。
(我慢なんか、するんじゃなかった。私を軽んじる相手なんかに、まともに接するんじゃなかった――)
薄れゆく意識の中で、最後になんとか二人を睨みつけて――遺言のように、口にした。
「……許さないから――」
◇ ◇ ◇
「――あれ?」
てっきり、過労か何かで倒れたかと思ったのに。気付けば私は、全然知らない場所に立っていた。
見た感じ、西洋風の豪華な広間だ。私の足元には大きな魔法陣があり、目の前には、物語で見る「王子様」というのが相応しい衣装に身を包んだ、金髪碧眼の男性が立っていた。その隣には、王女様っぽいドレス姿の女性もいる。更に、私の周りをぐるりと囲むように、武官や文官らしき人達が立っていた。
(まさか、これは……『異世界召喚』ってやつ?)
最近は忙しくて全然読んでいる暇がなかったが、アリサの子ども達を育てるようになるまでは、よくネット小説でそういうのを読んでいた。
鏡こそないものの、自分の姿を見ると、身体も服も全く変わっていない。異世界転生じゃなくて、転移のようだ。
これが夢なのか現実なのか、よくわからなくてぼんやり立っていると、王子らしき男性が口を開いた。
「貴様が異世界の聖女か。ふん、聖女というには絶世の美女が現れるのかと思いきや、随分やつれて隈のある、貧相な女だな」
(――あ?)
なんだ、こいつ。多分私を召喚した人間だろうに、何の説明もなしにいきなり人に暴言吐くってどういう了見?
「まあ、いい。この俺が直々に召喚してやったんだ、ありがたく思え。貴様のような貧相な女でも、これから俺とこの国のために働けるのだ。光栄だろう?」
絶句する私の前で、王女っぽい人が彼を褒め称える。
「聖女召喚の儀を成功させるなんて! お兄様、さすがですわ!」
「ふ、当然だ」
呼応するように次々と、周囲の武官や文官達も「王子、さすがでございます」「素晴らしいです」など、口々に彼を称賛していた。……いやいや、私は? 説明もなく放置?
「で、聖女。貴様は何をしている? とっとと俺の前に跪き、名を名乗れ」
ブチ、と私の中で何かが切れた。
元の世界であんな扱いをされ、わけもわからず召喚された世界でも、こんな扱いなのか。私の人生は、どこまでも他人に舐められ続けなければならないというのか。――ふざけるな。
(そうだ。私はもう、言いたいことを我慢しない。――我慢してたって、何もいいことなんてないって、思い知ったから)
「人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗りなさい」
私がそう言うと、周囲の武官や文官達が、ザワッとどよめいた。
「何と無礼な! この御方は、この国フェンゼルの王太子、ワンドレア殿下であらせられるぞ!」
「だから何? どんな地位であろうが、私を、元の世界から連れ去った極悪犯罪者でしょう?」
瞬間、「ワンドレア殿下」とやらの顔が、かっと怒りに染まった。
「貴様、この俺を犯罪者扱いする気か!?」
「扱い、ではなくて犯罪者です。私の同意もとらず、無理矢理異世界に引きずり込むなんて、非人道的にもほどがあります。どうせこの後は、世界を救えだのなんだの、身勝手な王族のテンプレみたいなことを言うつもりなんでしょう? この世界と何の関係もない、一般人の女に世界の命運を任せるなんて、恥ずかしいと思わないんですか? この世界のことは、この世界の人々でなんとかするべきです。無関係な私を、勝手に巻き込まないで!」
堂々と、目を逸らさず言うと、今までふんぞり返っていた王子は、明らかにぎょっとしていた。
(多分、いつも皆に傅かれているから、こんな態度をとってくる女なんていなかったんだろうな。……王族だからって、どれだけ他人を舐めてるのよ)
この国の王族がどれだけ偉いのか知らないが、異世界人であり、許可もなく引き込まれた私には関係ない。
確かに元の世界も最悪ではあった。だからといって、こんな世界に来たかったわけではない。
(この世界、電化製品も娯楽もなさそうだし……何より、この王子達が最悪)
異世界転移でも、優しい人達に囲まれて、いい暮らしをさせてもらえるならともかく。上から目線で「お前は聖女なんだから俺達のために役に立って当然」みたいに言われて、嬉しいなんて思えるわけがない。
「だ、だからといって……別に、連れ去りなんてつもりは……」
「じゃあ、私が元の世界に帰る方法はあるのですか」
「そ、そんなもの、あるわけないだろう。聖女召喚の儀は存在するが、帰還の方法なんて聞いたこともない」
「ほら。最初から帰せないってわかっていてやったんだから、犯罪者じゃない」
「お……お前は聖女だろう! 聖女は見返りを求めず、この国のために尽くす存在だろう!?」
「見返りを求めず尽くせって何!? 勝手に召喚しておいて、無償で強制労働をさせるな!」
「だ、だが……っ。この国の民は、魔獣の被害に苦しんでいるのだぞ! お前は、民を見殺しにするというのか!?」
「そうやって私が悪くないのに罪悪感を植えつけるな! そんなの、民を盾にした脅迫でしょ! あと、だからこの世界のことは私には関係ない!」
元の世界での生き方に後悔しているからこそ、絶対に、一歩も引いてやらない。
すると王子は、最初の不遜な感じはどこへやらという感じで、涙目になってぷるぷるし始めた。人のことは罵るくせに、自分が強く言われることには弱いんかい。
そんな王子を見かねてか、今度は王女っぽい人が口を出してきた。
「お兄様に対して、不敬にもほどがありますわ! お兄様は、次期国王陛下ですのよ!」
「だから何ですか? 私はこの国民ではないどころか、この世界の人間でもありません」
「あなたが異世界人だろうが、ここはフェンゼル王国ですわ。あなたみたいな無礼者、不敬罪で処刑することだってできましてよ!」
「私を殺したら、困るのはあなた達でしょう」
そう言うと、王女っぽい人はぐっと言葉に詰まった。
「詳しい事情は私の知ったことではないですが、この国は、この国の人間では解決できない問題を抱えているから、私を召喚したのでしょう。私を殺したとして、他の聖女を召喚できるのですか?」
これは賭けだが、多分答えは「ノー」のはずだ。聖女召喚の儀なんて、いかにも重大事項っぽいし、そうポンポン召喚できるわけではないはず。
「で、ですが、あなたが聖女の力を使わないなら、魔獣によってこの国が滅ぶかもしれませんわよ! そうしたら、あなただって無事ではいられませんわ!」
「だからなんですか? 連れ去られ、脅されて、便利な道具みたいに使われるくらいなら、そっちのがマシです。――異世界人に強制無償労働させなきゃ存続できないような国なら、滅べばいい」
王子も、王女も、周りの人々は皆、あんぐりと口を開けていた。
どうやら、聖女は「召喚していただけて光栄です! 異世界人ですが、この国のため一生懸命労働します☆」なんて言うと信じて疑っていなかったらしい。なんでだよ。勝手に召喚されて働かされるのが、嬉しいわけないだろ。
「わ……わかった。元の世界に帰すことはできないが、別に無償で働けとは言わん。見返りを与えてやればいいんだろう?」
「ごくごく当たり前のことを言っているだけで、『慈悲深い俺』みたいな空気を出さないでください。そもそも人を無断で召喚して無理矢理力を使わせようってのがおかしいんですから」
とはいえ私だって、条件次第では譲歩してもいい。衣食住の保障は当然として、十分な睡眠時間や休日も確保してもらったうえで、給与を貰えるなら、聖女として働いても構わない。
(労働環境や報酬の確認、大事!)
……まあ、そもそもまだ、私が本当に聖女なのか、どんな力が使えるのかさえ、わかってないけど。でも、勝手に召喚したのはそっちなのだから。最低限の保障はして然るべきだろう。
「聖女の力を使ってくれるなら、この俺の愛妾にしてやろう!」
「…………」
(……何言ってんだ、こいつ?)
本当に「いいこと思いついた! これで解決だ」みたいな顔してるから、頭が痛い。
「光栄だろう? お前は俺の好みではないが、これも国のためだからな。可愛がってやるぞ、聖女」
馬鹿王子が私の顎を持ち上げ、唇を奪おうとしてきたので――
王子を、ぶん殴った。
彼は「ごふぅ」と情けない声を上げて後ろに吹っ飛ぶ。
「同意なく召喚した次は、同意なく猥褻行為するつもり!? どこまでもクソ王子ですね!」
「な、何故怒っているんだ!? 女というのは、俺がこうすれば皆喜ぶものだろう!」
「ああ、あなたはこの国では王子だから、身分につられて受け入れてしまう女性も多いのでしょうね。でも、恋人でもない相手に無断でキスしようなんて、それこそ犯罪です!」
どうせもう帰れないし、帰ったところでろくな未来が待っていないんだ。
だったらもう、どうにでもなれ。舐められてたまるか。
「な……!?」
馬鹿王子は、本当に私が喜ぶと思ってやったみたいだ。ガーンとショックを受け、打ちひしがれている。
「そう……か。俺は、王子という立場に、甘んじすぎていたのかもしれないな。周りは俺の行動に、肯定しかしてくれないから……」
(あれ。逆ギレするのかと思いきや、結構しゅんとしてる)
これはちょっと意外だった。正直また、処刑するぞとか言われるかと思ったのに(そう言われたところで、そうしたらこの世界は聖女を失うわけだから、ざまぁなんだけど)。
王子は、じっと私を見つめて――
「……お前のように、俺を恐れず物を言う女は初めてだ」
「あ、だからって私に惚れたとか言わないでくださいね。あなたみたいな犯罪者、絶対嫌なので」
「な……!?」
王子は更にショックを受けたようで、泣きそうな顔でぷるぷる震えている。え、もしかして図星? 半分は冗談だったんだけど。
「お兄様に、こんな恥をかかせて……! 許せませんわ!」
王女の方は、わなわなと震えてお怒りのようだ。というか、よくこんな男を「お兄様」なんて呼んで尊敬できるな。今の一連のやりとりを見ただけでも、幻滅してもおかしくなさそうなものなのに。
「許せないなんて、勝手に召喚されたこっちの台詞です。……とにかく、あなた達のせいで疲れたのでそろそろ休みたいです。清潔な部屋と衣服を用意してください。これからは一日三食と、一日八時間以上の睡眠は必ずとらせてもらいますから」
王女や他の人々は、明らかに眉を顰めながらも、何も言えないようだった。それだけ「聖女」という存在が特別なのだろう。
(今の私は聖女どころか、とんでもない悪女に見えているのかもしれないけど)
どう見られようが、どうだっていい。私は元の世界で、黙って我慢して、周りの言うことを聞いていても、いいことなんてないって思い知ったんだ。もう自分を抑えてなんてやるもんか。
「言っておきますが、私に手荒な真似をすれば、絶対に聖女の力は使いません。そうなれば、困るのはあなた方だということを、肝に銘じておいてください」
◇ ◇ ◇
そうして私は、使用人の女性に案内され、城の客室に通された。
(おお! 王族達は最悪だったけど、お城なだけあって部屋は豪華だ)
アンティークっぽい調度品の数々に、天蓋付きのベッドまである。
試しにベッドにぼふっと寝転ぶと、ふかふかで気持ちがよかった。
王族達は私に見張りをつけたがったけれど、私が拒否したため、室内には一人だけだ。向こうも聖女の力を失うわけにはいかないから、私のことが気に食わなくても、迂闊に手出しできないのだろう。
(それにしても……王族達が無礼すぎて、ついつい大口叩いちゃったけど。私って本当に聖女なの? どんな力が使えるんだろう。えーと、こういうときは……)
以前読んだネット小説の数々を思い出し、とある言葉を口に出してみる。
「能力開示」
次の瞬間、目の前に、光の表みたいなものが出てきた。
「わ、本当に出てきた」
高校時代に読んでたネット小説の知識が役に立ったぞ、と喜びながら、自分の数値を確認する。
・アオバ ミア
・聖女 LV100
・HP:204,733
・MP:9,247,330
・能力については、こちらを参照
能力の欄は、「こちら」のところがリンクみたいになっていて、指で押したら取説みたいなのが出てきた。便利か!
「何々……? ふむふむ……」
(へー……聖女の力って、こういう仕組みなんだ)
私はもう元の世界に帰ることはできないらしいし、聖女の力は、私がこの世界で生き、周りに軽んじられず、尊厳を保つための切り札だ。だからこそ熟読したけれど……
(これなら……これからも、充分この世界で生きていけそう)
元の世界であんな仕打ちを受けたうえ、この世界もだいぶ腐ってるみたいだし、正直、生きていてもいいことなんてない気がする。
だからといって、あいつらがのうのうと生きているのに、なんで私が死んでやらなきゃならないのか。理不尽だろう。
「私は……私を軽んじる相手に、折れたりしない。徹底的に、抗ってやる」
◇ ◇ ◇
それからも三日ほど、聖女の力を使わない日々が続いた。
王女は何度も私に「とっとと聖女の力を使いなさい」「自分の立場をわかっているんですの?」と言ってくるが、本当に困っていてお願いするなら、相応の態度というものがあるだろう。口汚く命令されて、なぜ従ってやらなければならないのか。
私は「あなた方が私に今までの無礼を謝罪するなら、聖女の力を使います」と言ってみたのだが、王女は「無礼を謝罪するのはあなたの方ですわ!」と激昂するばかりだ。
そのため私は、部屋に引きこもっていた。この国の人々も、どんなに生意気であれ「聖女」を弱らせるわけにはいかないとは理解しているようで、食事は、王宮にしては質素だがちゃんと持ってきてくれた。ちなみに、廊下で使用人さん達がもっと豪華な食事を運んでいるのを見たことがあるので、私の食事が質素なのは食料が足りないわけではなく、せめてもの嫌がらせなのだと思う。
どうやら私はこの世界の文字であればなんでも読めるようだったので、侍女さんに本を持ってきてもらい、読書もした。できるだけこの世界の知識を身に付けて、今後の身の振り方を考えないといけないし。
そんなふうに過ごしていた、ある日――
私の前に、死体が転がされた。
「見なさい。あなたが聖女として働かないせいで、この国ではこんな被害が出ていますのよ」
王女が、兵士に運ばせてきたようだ。私の部屋の床が、血で染まる。
(いや……待って。まだ、生きてる)
死体と見紛うほど傷を負っていて、ボロボロではあるが、足元の人――騎士のような男性には、まだ微かに息があった。
「どうですの、この国の民は哀れでしょう? 全部あなたのせいですのよ! わかったらとっとと力を使いなさい!」
こんなふうに、今にも死にそうな人を利用して、私に罪悪感を植えつけて。
かわいそうでしょ、と、本人でもないくせに他人を盾に脅迫して。
私を従わせて、勝ち誇ろうとしているんだ。この女は。
――反吐が出る。
「それとも、無能な聖女。あなたは、この哀れな騎士に死ねとおっしゃるのかしら?」
「はい。死ね」
そう言ってやると、王女は絶句していた。
けれど次の瞬間には激昂しそうだったので、王女が口を開く前に、こちらから言う。
「――なんて言ったら、どうせ『この人でなし!』と私を責めるのでしょう?」
挑発して、失言を誘導して、実際にこちらが何か言おうものなら、鬼の首をとったように大はしゃぎして。――お前みたいな人間のやることは見えすいてるんだよ。
(まあ……この騎士に罪がないのは、確かだけど)
私はこの人がどんな人で、なぜこんなことになっているのか、一ミリも知らない。だからはっきり言えば、この人がどうなろうが、私には関係ない。
だからといって、自分に助けられる力があるのに、このまま放置して死なせるのはさすがに後味が悪い。私の精神衛生上、悪そうだ。
仕方ないから、無詠唱で誰にも気付かれないよう、聖女の力で痛みを消し、致命傷となる傷だけ癒してやった。誰のためでもない。私のためだ。
(――でも、これを当たり前にしたくない。『こういう手段を使えば、こいつは力を使うんだ』なんて思われたら最悪だ)
幸い、王女も兵士達も、私が既に聖女の力を使っているなんて全く気付かず、怒りで顔を真っ赤にしている。
「何度も言いますが、この世界でのことは、この世界の人々や事象のせいであって、私のせいではありません。無関係の私に力を使えと言うなら、相応の態度というものがあるでしょう、と。これまで何度も言ってきましたよね?」
(いや本当に、一体何度言わせる気なんだよ)
「こんなふうに、死にかけの人間を前にしても、あなたはそんなことを言うんですの! あなたなんて聖女ではありませんわ、この人でなし!」
「こんな大怪我をしている人がいるのに、あなただって私を責めるだけで、自分でこの人の手当てをしようともしていないでしょう。私を罵る暇があるなら、止血くらいしてあげたらどうですか」
「あなたが聖女の力を使えばいいだけでしょう! 私は、この騎士を救うために、あなたを叱って差し上げているんですのよ! これが私の優しさですわ!」
「あなたはこの人を助けたいわけじゃなくて、この人を利用して私を従わせたいだけでしょう」
「私は、あなたみたいな人でなしとは違いますわ! 私に聖女の力さえあったら、絶対にこの騎士を救ってあげましたもの! ああ、こんなに傷ついて、かわいそうに! できることなら代わってあげたいくらいですわ!」
王女は大仰にそう言う。「優しい自分」に酔っているみたいだ。いやだから、心配するくらいなら、自分で何らかの手当てとか処置とかしてやれよ。聖女の力がなくたって、王女なんだから医師とかこの世界の回復士にいくらでも命令を下せるだろうに。
「……へえ。それが、王女様のお気持ちというわけですね」
いいかげん、我慢の限界だった。
こういう類の人間には、言葉なんて通じないんだ。元の世界のあいつらのせいで、私はそれをよく知ってしまっている。
話し合えばわかる、なんて綺麗ごとだ。そもそも話し合いなんてもの、お互い、相手の話にちゃんと耳を傾けようという理性があって初めて成立するもの。――どちらか一方が、「一方的に自分の話を聞かせたいだけ」で相手の話に聞く耳を持たないのなら、それは「話し合い」ではなく単に「わからせてやりたい」というだけだ。
(そんな相手に、まともに相手をしてはいけない。まともじゃない人間にまともに対応しようとすれば、こちらが心を削られるだけなんだから)
だから――私も、「まとも」でいることなんて、やめてやる。
「わかりました。そこまで言うなら、聖女の力を使ってあげましょう」
さっきみたいな無詠唱、無気配ではない。今度は逆に、周囲に見せつけてやるかのように、聖女のオーラをぶわっと放ってやる。
「我は聖女――私はこの国と、この国の民のために祈りを捧げます。どうか、この者の痛みを取り除き、安らぎを与えたまえ」
聖女の力は、無詠唱で使えるものだけど。それっぽく見えるように適当な詠唱をしてやると、兵士達は「おおっ!」と大きく目を見開いていた。
それもそのはず、私の身体を包み込むように、光輝くオーラが出現したのだ。今の私は、周囲から見たらさぞキラキラしていて、本物の聖女のように見えているだろう。いや本物の聖女なんだけどね。
「こ、これが聖女の力……!」
「あの女、無礼で生意気だが、王子が召喚しただけあって、力だけは確かなようだな」
「当然だ。王子が召喚した女なんだからな」
おいおい。私の手柄じゃなくて王子の手柄なのかよ。本当にこの国の人間はどこまでも腐ってるな。
(私はどこまでも、舐められている。……だから、思い知らせてやらないと)
目の前の王女は、愉快そうに笑っている。
傷ついた騎士が助かることへの安堵じゃない、私を屈服させてやれたことへの、勝ち誇った笑みだ。
「ふっ、最初から素直に力を使っていればよかったんですのよ。まったく物分かりの悪い聖女ですこと。まあいいですわ、これからはちゃんと自分の立場を弁えて、私の言うことに従いなさい」
王女が金の縦ロールを掻き上げている間に、傷だらけだった騎士の身体からみるみるうちに傷が消え、彼の顔色がよくなっていく。
「さあ、傲慢聖女。あなたはこれからもっともっと、この国のために力を使うのよ! わかったら、私とお兄様への非礼を詫びて、床に頭を擦りつけなさい」
おーほほほ、と王女が高笑いを浮かべた、次の瞬間――
血が、飛び散った。
王女の身体に、さっきまで騎士が負っていた傷が移ったのだ。
「ひ……ぎゃあああああああああああああああああ!?」
――私の、聖女の力の仕組み。
まず、怪我人から怪我を取り除くことができる。ここまでは、ネット小説で読んできた聖女と同じだ。
だが、能力開示での説明を読んでみると、私の力はそれだけではない。
私の力は、取り除いた傷や病、毒、呪いを「聖女の領域」という独自の異空間に溜めておけるのだ。それらは私の意思で削除することもできるけれど、溜めておいたまま別の人間や魔獣に「移す」こともできるらしい。
だからこそ私は、騎士の痛みや傷を取り除いて、それらを王女に移したのだ。
聖女がそんなことをしていいのかよって自分で自分の能力にツッコミを入れたくもなるが、この力を人に使ってはいけないとか、罰みたいなものはどこにも書いていなかった。
なんなら取説には、「それもまた聖女の役目である」みたいに書いてあった。聖女は、傷ついた人々を癒すだけでなく、悪しき心に染まってしまった者に罰を下す役割も負っているのだとか。そんな責任の重い役割を勝手に一人の人間に負わせるな、とは思うけど。
聖女とは異世界からの救いの手であり、裁定者でもあるようだ。腐敗した世界に送られ、その世界を良き方向へ導くための使者。
(だからこんな腐敗しきった国に送られたってことね……いい迷惑だわ)
「い、痛い痛い、痛いぃぃ……っ! な、何、どういうことですの!?」
「……あなた、この騎士の痛みを『代わってあげたい』と仰ったでしょう。私は聖女として、お望み通りにして差し上げただけです。ほら、こちらの騎士様はすっかり元気になりましたよ」
「な……っ。こ、この、極悪聖女……っ」
一応、死なない程度に、騎士の人よりは軽度の傷にしてやったんだけど。それでも激痛ではあるだろう。王女は苦しみもがいて床に這いつくばりながら、私を睨み上げる。
別に蹂躙したいわけじゃない――こんなことをしなきゃいけないことにすら、吐き気があるけど。
でも、私は私のために戦わなくちゃいけない。味方になってくれる人なんて誰一人いないのだから。屈すれば、どこまでもいいように扱われてしまう。……ただの便利な道具として、壊れるまで使われることになる。
戦わなければ、意思のある一人の人間としてすら、扱ってもらえないのだ。
「王女様。そのままなら、あなたは死にます。仕方がないので助けて差し上げます。ですが、これに懲りたら、二度と私を軽んじず、無理矢理従わせようとしないこと。便利な道具ではなく、『一人の人間として扱う』と誓いなさい」
「ち、誓う……! 誓いますわ! だから助けて、お願い……っ!」
(……口先だけなら、なんとでも言えるけどね)
多分この手の輩は、心を入れ替えるなんてしない。今だけこう言ったって、どうせすぐ約束を破るのだ。真来もそうだった。
とはいえさすがの私も、殺人者になるのはごめんだ。仕方なく聖女の力で、王女の傷を全て除去してやる。
「私の聖女の力は、除去した傷を異空間に保存しておいて、他者に移すことが可能です。ですから――またいつでも同じ目に遭わせてやれるということを、お忘れなく」
◇ ◇ ◇
騎士の傷を王女に移してやった日から、私の周囲は少し、穏やかになった。
まあそれは、単に恐怖で皆が私に近寄らなくなったせいかもしれないけれど。
ただ一つ――私にとって、完全に予想外なことがあった。
「ミア様」
あの日、私が(結果的に)助けることになった、騎士さん。
彼はヴォルドレッドさんといって、この国の騎士団長だそうだ。そしてあの日から、暇さえあれば私の傍に来て、何かと世話を焼いてくる。
意味がわからない。そりゃネット小説では、聖女に命を救われた男性は聖女に恋をする、みたいなのがお約束だけれども――
「ミア様、読書が好きだとおっしゃっていたでしょう。本日は、この国で人気の物語を何冊か持ってまいりました。気に入っていただけるといいのですが」
「ええと……ありがとうございます、ヴォルドレッドさん」
「ヴォルドレッド、とお呼びください」
「ヴォルドレッド、あの……」
「はい、なんでしょう?」
彼は私の顔を見つめ、秀麗な顔に幸せそうな笑みを浮かべている。――まるで、最愛の女性を見つめるかのように。
「……私、あなたの前で王女に、『死ね』と言いましたよね? あなたに良くしてもらえる理由がないと思うのですが」
「あれは、あなたが王女に屈しないための言葉であり、本心ではなかったでしょう。だからこそ、ミア様は私を癒してくださった」
私が王女に傷を移す前から彼を治癒していたということは、あのとき他の人間は気付いていなかっただろう。だけど、もちろんだが本人には気付かれていた。
「私はもともと、この国の王族の高圧的なやり方には嫌悪感を抱いていたのです。ですが私は従属の呪いをかけられており、今まで王家に従わざるをえませんでした。……しかしあなたに治癒していただいたとき、その呪いも、綺麗に消え去ったのです。私の命が救われたのも、私が自由になれたのも、全て、あなたのおかげ。私はあのとき……あなたに、心奪われました」
ヴォルドレッドは私の前に跪き、恍惚とした表情で見上げてくる。
「いや……感謝するだけならともかく、心奪われるのはおかしいでしょう。王女相手にあれだけ盾突いた女に。普通幻滅するのでは」
「あなたは終始、正しいことを言っていました。幻滅どころか、大変スカッとしましたが? あなたの毅然とした態度に、この胸は高鳴ったのです」
「単にやばい性癖の人では?」
「この命、ミア様に捧げます」
「いや命なんて捧げられても重いから! せっかく自由になったんだから、好きに生きればいいでしょ!」
強めに突っ込んでもなお、うっとりした目でこちらを見てくる騎士様に頭が痛くなる。
――私にとって最悪な世界から転移したものの、この異世界も、相当腐敗している。
だけどどうあがいても戻れはしないみたいだから、私はここで、生きていかなければならない。だから今度こそ、理不尽に屈せず、嫌なものは嫌だと言って生きてゆく。
……ちなみに。王宮内が異常だっただけで、国の人々は王家の傲慢さに苦しめられ、嘆いていたらしく。腐敗した王家に立ち向かい、やがて人々を救うことになった私はこの国で、『救国の聖女』と呼ばれることになるのだった――
ブクマ・評価・ご感想・レビューなど誠にありがとうございます!!
ご好評につき連載版スタートしました!
連載版では妹と元カレへのざまぁなどもありますので、よろしくお願いいたしますー!