8.我が可愛らしき妹
ある侯爵夫人主催の退屈な舞踏会に参加していたディミトリは、あまりに退屈過ぎて眠くなってしまい、眠気を覚まそうと肌寒い外廊下へ出た。
彼はあくびをしながら前をよく見ず歩いていたため、別方向からやってきた背の高い金髪の男に、真正面からぶつかった。
「チッ。どこ見て歩いてんだよ」
自分がよく見てないのが悪いのに、ディミトリは舌打ちをして男を睨みつけた。
すると男は異国訛りの入った言葉で、ぶつかってすまなかったと謝ったあと、彼のこと何故かをじぃっと見つめた。
「なんだよ。人のことをじろじろ見やがって。喧嘩売ってんのか?」
「いや、そうじゃない。僕以外にもこの舞踏会に参加している若い男がいたんだなと思って」
確かに、金髪の男はディミトリと同じ年頃に見えた。
だが、彼が着ている立体的で精緻な金の刺繍が入ったアビ・ア・ラ・フランセーズには、同じく刺繍の入ったボタンがふんだんにあしらわれている。
指には大ぶりな宝石が輝く金の指輪を嵌めており、身なりからして、どこかの大貴族か資産家の息子だろうということが伺えた。
「この舞踏会はとても退屈過ぎるよ」
踊っている女性は、若くても40になるかならないかくらいで誘いにくいし、それ以外は自分の親か祖父母くらいの世代しかいない。
参加して少し後悔している、と金髪の男は言った。
「ほう……確かに俺もそれは同じだ。俺は母親の付き添いで参加したんだが、踊る相手もいなければ酒もまずい」
ディミトリは金髪の男に同調して、この舞踏会のことをこき下ろした。
「じゃあ、よければ僕と一緒に飲み直しにいかない? ここから近いところに良い店がある。この前連れて行ってもらったんだ」
金髪の男は内緒話をするように、ディミトリにそう誘いをかけた。
「うーん、いきなり知らない男と酒場に行くのはなぁ……」
ディミトリは行ったところで、素性もわからない男と話すことなんて特に無いしなぁと返した。
しかし、金髪の男は口角を上げると、相手をするのは自分だけじゃないと言った。
「僕だって、いきなり知り合った男とサシで飲むつもりはない。安心しなよ。可愛い女の子もたくさんいる店だから」
その言葉にディミトリはコホンと咳払いすると、わかった。いいだろうと言って、金髪の男についていくことにした。
◆◆◆
金髪の男が案内したのは、その侯爵夫人の屋敷から徒歩で10分ほど離れた場所に位置する店だった。
一階部分に位置しているのではなく、地下にあるようで店の看板には「Du crépuscule à l’aube(夕暮れから夜明けまで)」と書かれている。
中に入れば、天井を高く取っているため意外と広く見え、たくさんの長机と椅子が置かれていた。
しかし、特筆すべきは下着に近いドレスにコルセットを締めた艶めかしい姿で接待に回ってる女性たちだろう。
彼女達が外から見えないようにするために、地下で営業しているのは明らかだった。
「こいつはいい!」
ディミトリはふかふかした長席に着くと、鼻を伸ばしながら、両方に女性を侍らせてご機嫌になった。
一方、フィリップは気に入ってくれて良かったとメニュー表を見ながら呟くと、店の女にディミトリには赤ワイン、自身にはシードルを持ってくるように頼んだ。
「そんで、俺の自己紹介は終わったけど、そっちの名前はなんて言うんだ?」
自分は商会で働いているが、目の前にいる金髪の男は一体何者なんだろうと。
「僕の名前はフィリップ。ここだけの話だけど……実は今、公務でこの国に来ているんだ」
「公務? ということは貴族か何かなのか?」
「ああ。大きな声では言えないけれど……僕の母は某帝国の女帝なんだ」
嘘だろ?! とディミトリは大きく叫んだ。
咄嗟に金髪の男は唇に人差し指を立てて、彼に騒がない事を求めた。
ディミトリは声のトーンを落とすと、そんな王家につながる血筋なら、こんな所にいるはずがないと言ったが、金髪の男は信じられなくて当然だと返した。
「まあ、上にいる兄二人は母が公式に認めているけど、僕と今連れていない妹は庶子扱いだからね。君も僕の母の男好きは知ってるだろ? だから当然言ってないだけで、ほかにも実は兄弟がいる」
男の着ている服や落ち着いた雰囲気もそうだが、時々する仕草に育ちの良さが感じられるため、この男は本物なのかもしれない、とディミトリは不思議と彼の話を聞き入った。
「ふぅん。それで君は実のお兄さんを追い出したんだ。まぁ、僕の母もクーデターで配偶者を廃位まで追いやった経緯があるから、人のことは言えないけど」
ディミトリの話を楽しそうに聞きながら、フィリップはすごいワルだねと言って笑ったが、その配偶者の死因が痔の悪化だなんて理由も大概だろ、とディミトリもやり返した。
「でもまあ、本当にせいせいしたよ。しかも、自分だって使用人に手を出してるくせに、俺が少し味見しようとしてケガさせたからって、出ていけとか言いやがるし」
だけど、まさかこんなに簡単にいくもんだとは思わなかった。
遺言書の偽造も案外簡単にできるものなんだなと彼は酒を飲み、つまみを口に入れながらそう言った。
彼の傍についている女たちは、きゃあ怖い! と言って、彼の頬にキスをしている。
「へぇ。公的機関を騙せるほど、そんな凄腕の偽造士がいるなんて。ぜひ、僕に紹介してもらいたいけどね」
「ふん。何に使おうと思っているんだか。そっちの方がよほど怖い」
ディミトリはさらにグラスから酒を飲むと、まあ、いいやと言って、偽造士の名前をフィリップに教えた。
「そうそう。君から紹介してもらったんだから、僕も紹介するよ」
「ん? 何をだ?」
「僕の妹だよ。僕より少し下なんだけど……まぁ、見た目は身内贔屓を差し引いても可愛いとは思うけど、すごくわがままで縁談を断りまくってるんだ」
フィリップによると、自分は王族の血が流れていると自負しているため気位がとても高く、その上、柔な貴族の男では男らしい荒々しさが足りない、となかなか納得しないと言った。
「僕もだけど彼女も庶子だからね。兄達に比べたら、誰を選ぼうがその点は自由なんだけど。加えて母は彼女の事は大変気に入っていて、自分は好きでもない間抜けと結婚してしまったから、彼女は政略結婚ではなく気に入った男と結婚しろと言ってる」
でも、あれではそのうち申し込む男も居なくなってしまいそうだ、とフィリップは肩を竦めた。
「へぇ。それで俺を紹介しようっていうのか。でも、残念。俺には婚約者がいるんだ」
ディミトリはごめんよと言って、彼に謝る素振りをした。
と言っても、無理やり母親が持ってきた縁談で決まった婚約者なんだがな。
見た目がよければまだしも、体形も良くないし、顔も正直……良い点と言えば、うちより規模が大きい商会ってことぐらいだ。
だから、母親としてはどうしてもその女とくっ付けたかったらしい、とディミトリは話した。
「なるほど。強固な後ろ盾が出来れば、君の商会での地位も盤石という訳か。でも、言葉が悪いけど、所詮ただの商会の話だろ? 国単位の規模とはわけが違う」
「ん? 何が言いたいんだ?」
ディミトリはわかっているが、あえてわからない振りをしてフィリップにそう尋ねた。
「単刀直入に言うと乗り換えだよね」
もし、後ろ盾に僕の国が付けば、君の商会だってこの国の商会の中でもトップに躍り出ると思う。
血縁関係が結ばれるのだから優先で取引を受けられるだろうし、間違いなく君の商会は僕の国の御用達にもなるだろう。
そうなれば、今まで上の立場だった人間に対しても遜る必要もなくなってくるし、うまくいけば立場も逆転したりして。
フィリップは足を組み、シードルを一口口に含むとグラスの中の泡を見つめながら、今まで下だったものが上に駆け上がる瞬間はとても爽快だろうなと言った。
「うん……まぁ、そういうのも悪くはないよなぁ」
ディミトリは自分はそこまで興味はないと言った風に装っているが、その口元は緩んでいた。
「あと、正直言って、君は……僕の妹のすごい好みのタイプだと思う。貴族の男どもには感じない野性味がある。今日いなかったのが本当に残念だ。会わせたら、絶対になんて素敵な方なのかしら! って叫んで君に抱き着いていたと思うよ」
それに、僕は彼女の秘密を知っている。
こっそり匂える園とか、カーマ・スートラなんて読んでいるんだから。
つんとすましているけれど、あちら方面にかなり興味を持っているんだろうね。
だから……君はそちら方面に強そうだし相性もいいんじゃない? と言って、再びグラスを手に持つとシードルを口に含んだ。
「ぷっ……ははは。それは素晴らしい妹君だ! それならまぁ、俺は会ってもいいよ。いいね、興味が出てきた。でも、うちの母親がなんていうかなぁ」
今の婚約者は、母親が面倒くさい女同士の茶会に辛抱強く付き合って、ようやくどこかの商会の夫人から話を貰ってきたものなんだ、とディミトリは付け加えた。
「わかった。それなら、僕から君の母上を説得してみることにしよう。そうだな。ついでに君に僕の妹を紹介できれば話が早いから、三日後に行われるここの仮面舞踏会に来てくれないか?」
そう言ってフィリップは店の女から紙とペンを借り、会場の名前を書いてディミトリに手渡すと、彼は受け取った紙を胸ポケットの奥にしまい込んだ。
「まぁ、俺は君の妹に会っても気に入らない可能性もあるけどな。それに、母親だってそんな簡単に首を縦に振らないと思う。そこだけはわきまえてくれよ」
「あぁ。でも、会場を出るころには、君は僕の妹の虜になっていると僕は思うけどね」
ずいぶんな自信だ、とディミトリはぷっと噴き出すと、そろそろ舞踏会も終わる時間だから母親と合流しなければと席を立った。
「じゃあ、また三日後に」
フィリップはディミトリに向って手を差し出した。
「おう。どんな破廉恥な妹か楽しみにしてる」
そう言ってディミトリがフィリップの手を握り返すと、ひどく冷たい手だと彼は感じた。