12.従順なる夜の奴隷
空には少し雲があるものの、明るい日差しが降り注いでいる。
メリディエス家の車寄せには自慢の豪奢な馬車が一台と、犬や荷物、使用人を載せた複数台の馬車が停められていた。
細かい金の装飾を施された豪奢な馬車は、日が反射してキラキラと美しく輝いている。
なぜそのように多数の馬車が停車しているのか。
実は今日、有力な商人同士が出資して建てられた狩猟の館と呼ばれる館で、文字通り狩猟が行われる予定なのだ。
その館で主催を務められるのは、商人の中でも限られた面々となっており、招待客には商人仲間のほかに政治的影響力の高い貴族が呼ばれていた。
彼らは狩りの合間に社交を楽しむという名目で集ることになっているのだが、実質的には商人達による貴族への接待が主たる目的だった。
また、新たな顧客獲得やコネクションが持てるため、この館へ招待されて一緒に狩りに参加ができることは、商人の間ではある種のステータスとなっていた。
そして、今日はメリディエス家の家長・アーロンがその主催役を務めるようだ。
彼は同行者として二人の人物にそれぞれの役を依頼した。
一人目は自身の代理で、なおかつ狩りが上手いと自負する貴族でも緊張感を持って張り合える相手としてザラキエルを。
二人目は男たちが狩りをしている間、その夫人や娘を茶会でもてなす女主人として、長男ユリエルの妻・クリスティーヌを。
「旦那様。馬車の準備が整いました」
使用人から声をかけられたアーロンと連れの二人は、腰掛けていた長椅子から立ち上がると車寄せへ向かった。
すると、奥にいたミカエルとラファエルの制止を振り切り、納得できないと屋敷から出てきた金髪の男がアーロンに向かって絡んだ。
「なんで俺は連れて行ってもらえないんだ!」
男は子供が頬を膨らませるようにして文句を言っている。
アーロンは大きくため息を吐き、もう二十歳手前なのに納得しようとしない次男のエルにこう声を掛けた。
「あくまでもこれは接待なんだ。お前が来てみろ。上手く立ち回る必要があるのに、そんな事も忘れて本気でやり合おうとするだけだろうに」
「本気でやるのが何が悪いんだよ。向こうだって、その方が盛り上がるだろう!」
エルがそう答えると、アーロンはやれやれとまた大きくため息を吐き、側にいたザラキエルに視線を送った。
「エルネストよ。お前は本当に言うことを聞かない悪い子だ。こちらに来い」
ザラキエルは静かな声でそう言うと、馬車から会話が聞こえないくらいの位置にエルを移動させた。
その様子をクリスティーヌが心配そうに見つめている。
「何だよ。説教なら別にあっちでもいいだろ」
まだ頬を膨らませながら、エルはそう言った。
腕を組んでいるザラキエルは、別に自分だって今から言うことをあちらで話しても構わない。
だが、クリスティーヌに配慮してお前をこちらに呼んだのだと含みある言い方をして、彼女の方をチラリと見た。
「クリスティーヌに配慮?」
エルは何だそれはと首を傾げて、眉間にシワを寄せた。
「ああ。真面目な彼女には刺激の強すぎる話だからな」
いいか。よく聞けと言って、ザラキエルは彼を説得し始めた。
今日来る招待客の中には、とある将軍も含まれている。
彼は美しいものが大好きで、美しいものであれば絵画、彫刻、動物、宝飾品、そして女をとにかく自分の所有物にしたがる。
「女って……それじゃあ、クリスティーヌが危ないじゃないか!」
クリスティーヌだって、愛らしい見た目をしている。
人を物扱いするような男の目に止まってしまったら、どうしてくれるんだ。
本来だったら彼女を守るべき旦那のユリエルだって居ないというのに。
というより、愛人の所に入り浸りで全く頼りにならないのだし、それなら自分がやはり同行して、そんな不埒な輩から守らないと、とエルは自分より背の高いザラキエルに楯突いた。
するとザラキエルは、安心しろ。それは表向きの話だ、とエルに向かって返した。
「それよりももっと重要なことがある」
実際のところ、将軍が一番所望しているのはーーー
若く美しい男なのだ。
彼の従僕たちを目の当たりにしてみろ。共通しているのは皆、見目麗しいものばかりだ。
とりわけ彼の中で好みなのは金髪か銀髪、顔つきは女寄りの作りに惹かれるらしい。
中身はお前の双子の片割れであるラウルのように大人しい性格よりも、なかなか意のままにならない、お前のような生意気なタイプがそそるそうだ。攻略のしがいがあると。
……だから、私も若い頃はしょっちゅう誘われた。
熱烈なラブレターを渡してくるだけならまだ可愛いもので、舞踏会などで遭遇すれば、人気の無いところを見計らって手を握られたり、耳元で囁かれたり、髪を撫でられたり、尻をつねられたり。
あまりにもしつこく懇願されたので、なんだか可哀想になり一晩だけ相手をしてやったこともある。
「嘘だろ?!」
ここまでの話を聞いてかなり衝撃を受けていたエルだが、彼の発言には体を仰け反らせて思わず声を出した。
「まだ話はある。聞け」
ザラキエルは表情を変えずに話を続ける。
今ですら、彼は私にだけはまだ声を掛けてくるのだ。
もう五十歳をとっくに超えている私に対してだぞ。どれ程しつこいかわかるだろう?
そんな彼の事だ。
もし、お前を連れて行ったら、間違いなく自分のものにしたいと、激しく欲求が湧き上がる事が目に見えてわかる。
そして勝負をお前に申し込み、勝ったら私も含めて自分の屋敷に来いと必ず言い出すだろう。
ちなみに、彼は射撃の腕に関してはこの国で一、二を争うほどと言われている。
田舎でのんびり羊を追いかけ、野犬を追い払う程度で銃を扱ったくらいしかないお前が、もし勝負を受けて立ったら……どうなるかわかるな?
いや、受けて立つ以前に、彼は間違いなくそうせざるを得ない方向に持って行くだろうな。獲物を追い込む事に関しては得意だから。
仮に二人がかりで寝台で彼の相手をすれば、さぞ喜び、適当な理由を並べて、お前に爵位を与えてはどうかと国王陛下か王妃に進言してくれるだろう。
むしろそれが目的で、彼に身を捧げたいという男達だっているという話だ。ただ、そういう見え透いたおべっか使いをするような輩はつまらない、と相手にしないそうなのだが。
まあ、私はお前に裸を見せるつもりはないし、お前の裸も見たくないから上手く帰るけどな。
とはいえ、男との初めてはきっと不安になるだろうから、寝所まで行くのに付き添うくらいはしてやってもいい。
だからある意味では、実物に会えるんだからチャンスだぞ。お前がそう言った野望を実は抱えているのであれば。
それに、お前には妻はおろか、恋人もいないんだ。
従順な夜の奴隷として選抜されたって、誰からも咎められる事はないし、枷になるものだってない。
ああ、どちらの役目を果たすのかはお前次第で大丈夫だろう。将軍はどちらでもいけるそうだからな。
という訳で、お前自身が栄光を望むなら、私の方からあの人に将軍の夜の接待をしたいと申し出ているから、ぜひ連れて行こうと口添えしよう。
そうなれば、我が家としてもますます富と名声を得ることができるのだから。
ふん。可愛い息子を女ではなく男に差し出すのは、父親としてありえないだって?
いや、そちらの嗜好については寛容なあの人のことだ。
自分から望んでいるのなら、まあ仕方ないと承諾してくれるはずだ。その点は心配不要だ。
「ここぞとばかりに、お前の器量の良さを十分に発揮すればいい。いっその事、目立つようにもっと明るく華やかな色のジャケットとキュロットに着替えてきたらどうだ? 馬車には同乗せず白馬に乗って遅れて登場したら、尚更彼の目を引く事間違いなしだ」
ザラキエルは微笑みながらエルの頬を軽く叩いた。
一方、エルは先ほどの勢いを失い、口をポカンと開けて顔は真っ青になっている。
その様子を見たザラキエルは鼻で笑うと、一部付け加える事があると言った。
「私が一晩相手をした、という件に関してはチェスの相手をして、戦史について語り合っていたというだけだ」
でもそれが出来たのは、私を押し倒そうとしてきたからやり返して、どちらが上なのかわからせたからだけどな。
ああ、それでも一応は接吻と、荒ぶる彼を宥める手伝いくらいはしてやったような気はする。
私にだって好みというものがあるし、そう簡単には寝台の選択権を他人に奪わせるつもりはない。お前にはそんなテクニックはあるのか?
脅すための冗談だと思っているのかもしれないが、残念ながらこの話は事実だ。どうだ、それでも行きたいのか? と彼は尋ねた。
エルは顔を青くしたまま、無言で首を勢いよく横に振った。
「話がようやくわかったようだな。よしよし。良い子だ」
エルに向かって再び微笑みながら、幼い子供の頭を撫でるように彼の頭を撫でて、ザラキエルは彼をその場に残して馬車の方へと向かった。
「……納得してくれたようです」
固まっているエルに視線を送り、彼がそう報告するとアーロンは頷きながら、良かったと一言だけを言った。
ザラキエルは何を話していたのだろうか。
どういう理由で、あんなに行きたがっていたエルを納得させたのだろう。
クリスティーヌは首を傾げ、自分の絵の師匠でもある彼に
「ねえ、おじ様。どうやってエルを納得させましたの?」
と、こそっとエルを納得させた方法を尋ねた。
すると、彼は大した事は言ってない、と彼女に微笑んで返した。
「単純に狩りについての話だ、クリスティーヌ。あの子はまだ立ち回り方が未熟だから、銃を手にして興奮している男の前では身が危ないと伝えてきただけだ。それより、もう時間だ」
ザラキエルは馬車の扉を開けると、彼女に先に乗るように促した。