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11.悪魔による仕置きの時間

 マリアは約束通り、一週間後にディミトリが住まう薔薇の館に迎えの馬車を寄越した。

 

 彼女の仕業のせいで、この一週間、排泄以外は自分のものは機能させることは出来なかった。

 まったく。着いたらすぐにでも自分の言う通りにさせてやる。


 感情が高ぶっていたディミトリは、いら立ちを覚えながら、揺られる馬車の中で彼女とのあれこれをそのように想像していた。



 馬車が到着したのは、パリの郊外に建てられた白く瀟洒な建物だった。

 なぜこのようなところに自分を呼び出したのだろう。本当にここに彼女はいるのか……? と彼は少々疑わしく思った。


 しかし、玄関の扉をノックすると、髪を下ろし就寝用のドレスを身にまとったマリア本人がディミトリを出迎え、その艶めかしさに彼は先ほどのいら立ちをすっかりと忘れていた。


「お疲れになられたでしょう?」

 外は肌寒かったが、邸宅は暖められており薪の香がしている。

 彼女はそう言いながら、天井の高いホールを通り抜け、彼を廊下の突き当りにある部屋へと案内した。


 部屋は最低限の照明のみでほの暗く、左手には優美な曲線を描いた柱が天蓋付きの寝台を支え、右手には丈の短いカーテンで覆われた小窓があり、奥には長いカーテンが閉じられているのがかろうじて見えた。


「単刀直入に申し上げます。服を脱いでくださるかしら」

 部屋の扉を閉めたとたん、彼女はディミトリに向ってそう言葉を掛けた。


 ようやく我慢していたものが解き放たれる!


 そう歓喜に湧いたディミトリは、マリアの願いに素直にしたがって、手早く上着もシャツも、そしてキュロットもストッキングも何もかも取り払った。

 もちろん、下半身に取り付けられている怪しげな拘束具は除いて。


「さあ、俺は脱いだ。だから、これを外してくれないかな」

 彼がそう言うと、マリアは目を潤ませ頬を赤くしながら

「お気持ちはわかりますけど、焦らないでくださるかしら」

と可愛らしい声で返した。


「そちらを外すには少しテクニックが必要ですの。寝台奥側の支柱に立っていただけますかしら」

 マリアが指さす先の支柱に、ディミトリは肉のついた背を彼女に向けながら移動して立った。


 指示通りにディミトリは立つと、マリアは彼の背後に移動してその両腕を掴んで支柱の後ろで組ませた。


 次は何をするのだろう。

 彼がそうと思ったのと同時に、彼女は驚異的な速さで、いつの間にか手にしていた縄を使い、彼の両手首をその支柱に縛り付けた。


「なっ……! なぜ縛る!?」

 ディミトリは彼女のわけのわからない行動に驚いて叫んだ。しかし、マリアは先ほどとは異なり、とても涼しい顔をしている。


「言ったでしょう。外すのにテクニックがいると。次は足首を縛らなければなりません。足を閉じてください」

 マリアはさもなくば、出来ないものは出来ないと言った。

 

 不審に思いつつも、外すためになら仕方ないのかと観念したディミトリは、両足をぴたりと合わせて黙って縛られることにした。

 もちろん、こちらに関しても彼女は手際よくだ。


「さあ、できましたわ! あとはカギを……あら? ごめんなさい。カギを部屋に置いてきてしまったみたい。取りに行って参りますので少々お待ちくださいね」

 彼女は私としたことがいけませんわね。ほほほと笑いながら、その部屋を出ていってしまった。


 ディミトリは彼女のうっかりにため息を吐く。


 だが戻ってくれば自分は自由になれる。そして彼女とようやく甘い時間を過ごせるのだ。

 ここまで待たせられてしまったんだから、多少激しくしても文句は言われないだろう。

 

 そのように如何わしい妄想をしていると、自然と彼の下半身には熱が入ってしまったようだ。


 「痛ってぇ……!」

 忘れるなとでもいうように拘束具がその仕事を行ったため、彼は苦痛に顔を歪めた。



 すると、部屋の扉が開いた。


 あぁ、ようやく来た! と彼は痛みを忘れて期待に胸を躍らせたのだがーーー


 現れたのはなんと、マリアではなく兄であるフィリップだった。

 彼も就寝前であるためか、シャツとキュロットだけという砕けた格好をしている。


 彼は、なんとまあ、すごい光景だ! 

 と言って、視線を上下させながらディミトリのあられもない姿に手を広げて、少し芝居じみた風に大げさに笑って見せた。


 この男は部屋の扉を間違えて開けたのだろうか?

 ディミトリがそう思っていると、フィリップは見透かしたように、君が言いたい事はわかるけど違うよ、と彼に向って返した。


 フィリップは部屋を出ていくことはせず部屋の中へと入り、右手側のカーテンが掛かった部分に行くと、さっとそれを部屋の奥側に寄せた。


 カーテンが開けられたその先には、窓ガラス越しに煌々とした明かりのついた隣の部屋が映っている。


「ここから隣の部屋が見られるようになっているんだよ。でも、隣の部屋からは同じ部分が鏡の役割を果たしている。設計者は何を思ってこの部屋を作ったんだろうね」


 ちなみにこの仕掛けを知ったのは、僕が初めて父にここへ連れて来られた時なんだ。

 彼はそう言って、この仕掛けを指し示しながら笑った。

 

 つまり、この部屋からは隣の部屋が丸見えなのだが、一方の隣の部屋は見られていることがわからない仕様だと言いたいらしい。


 しかし、彼の言うことは何を意味しているというのだろう。ディミトリは意味がわからず、首を傾げた。


 それ以前に、マリアが戻って来るのだから、早く彼には早く立ち去って欲しいのだが。

 この無様な格好を見られているのも恥ずかしいこと極まりない。


 彼がそう思っていると、再びフィリップは彼の心を読むかのようにこう言った。

「あぁ。君がお待ちかねのマリアだけど、もう彼女はこの部屋に来ることはないよ」


 フィリップの言葉に、ディミトリは大きく目を見開きはあ!? と大きく叫んだ。

 じゃあ、この下半身に取り付けられているものはどうしてくれるんだと。


「だって彼女はこの世に存在しないんだもの。いや、正確に言えば、彼女はもし僕が女の子で同じくらいの年齢だったら、と想像して造られた幻なんだからね」


 まぁ、彼女を演じていてくれたのは僕の姉なんだけど。

 だけど、すごくかわいかっただろう? 僕自身も驚いたよ。

 でも、胸だけは君の好みに合うように少し盛るように依頼しておいた、と彼は人差し指と親指を開いて笑いながらそう付け加えた。


 幻だと?! フィリップは先ほどから何を言っているのだろう。意味が分からない。

 そんな事は現実にありうるはずないじゃないか! とディミトリはそう叫ぼうとした。

 

 だが、それよりも前にフィリップの方が口を開けた。

「あぁ、そうそう。君はいともたやすく僕のホラ話を信じてくれたけど、僕の本当の名前はフィリップじゃないんだよ。僕の本名は……ラウルだ」


 ラウルがそう種明かしをすると、ますますディミトリは目を見開いた。

 どこかでその名前を聞いた覚えがある。

 彼はその名前を記憶の糸から手繰り寄せた。ラウル……ラウル……


「!?」


 ディミトリはようやく思い出したらしく、あぁ!! と大きく声を張り上げた。


「やっと思い出してくれたんだね。そうだよ。僕は君と同級生だったときに、たっぷりと可愛がってもらったラウルなんだ」


 あの時は君達よりも断然背が低くて、体格も華奢だし、声は甲高いし、今自分が振り返っても女の子と間違えられてもおかしくなかったと思う。

 君たちのおかげで学校を辞めた後に、急に成長期を迎えたんだ。


「だから、今では背丈もすっかり君の事を追い抜かしてる。声だってだいぶ変わったからね。君がわからなくても仕方ないと思うよ」

 ラウルはディミトリの前に立つと、片手を胸に当て楽しそうに笑い声を上げた。


 しかし、彼はぴたりとそれを止めて急に真顔になった。


「でも、君は僕のことを忘れていたようだけど、僕は君たちにされたことを忘れたわけじゃない」


 あの日、君とその取り巻き達は僕を無理やりあの場に連れていくと、皆で押さえつけて僕の服を引き裂いたね。


 そして、君たちは僕の体を見て、本当に男だった、しかもまだ子供だとせせら笑って、君が今されているかのように無抵抗だった僕を縄で縛り上げた。


 その時の惨めさ、孤独感、君たちが言い放った悪魔がいつ来るのかと怯え、誰にも見つけてもらえないかも知れないという恐怖……


「もし、本当に僕が女の子で男装してあの学校に入り込んでいたのなら、その後どうしたんだろう……まぁ、だいたい想像がつくけど。きっと僕がその立場だったら、その場で舌を噛み切っていただろうな。タイタス・アンドロニカスに出てくるラヴィニアみたいに。あぁ、でもあれは舌を切り取られたんだっけ。そう言えばその話にも、君の名前によく似た暴力的な人間がいたのを今思い出した」


 ここまでラウルは言った後、はぁとため息をついて少し無言になった。

 下を向いて何やら考え事をしているように見える。


 だが、彼はキュロットのポケットに手を伸ばすと、しゅるしゅると長い布を取り出して、ディミトリに見せつけるようにピンと張ると手にそれを巻いた。


 それを見たディミトリは、さっと顔を青くした。


 自分は今縛られている状態で抵抗することが出来ない。

 恨みを持つラウルが、それを使って行おうとするのはあれしか想像できない……


「お願いだ! 俺が悪かった。だから、そんなことしないでくれ。な? それに何年も前の事じゃないか。俺たちだって子供だったんだしさ」


 彼は必死に悪かった、悪かったと言って、ラウルに許しを請うた。

 しかし、ラウルは無表情のまま彼にじりじりと近づいていく。


 あぁ、もう駄目だ。この男に自分は首を絞められて殺されるんだ……とディミトリは恐怖を感じ、半ば諦めながら目をつぶった。


 ところが、ラウルは彼の背後に回り、彼の首ではなく口に向って布を当てると、頭の後ろでそれを固結びした。


「首を絞められとでも思った? ……ふん、とんでもない! そんな楽な方法で君を苦しめるわけないじゃないか。今からやるのは、君をもっと絶望の淵に追い込む方法だ」


 トントン! トントン!


 鉄の扉が叩かれる音が聞こえる。


 ラウルがそういった瞬間、玄関の扉がまたノックされた。別の誰かが来訪してきたようだ。

 するとラウルはとびっきりの笑顔を作り、彼に向ってこう言った。


「あぁ、役者がそろったみたいだね。そこの窓から今からちょっとした芝居が始まるから、まあよく見ててよ。目は絶対につぶってはだめだよ。音もきちんと聞こえるようにしておかなければならないから、君に魔法をかけてあげよう」


 あと、君にしている猿轡は僕が気を散らさないためのものだ。

 お芝居中に叫ばれたりでもしたら、興ざめだからね。じゃあ、ゆっくり楽しんで。

 僕が弱虫で泣いてるだけの腑抜けな少年ではなく、男だったという事を嫌でもたっぷりわからせてあげるよ。


 ラウルはディミトリにそう伝えた後、ぱちんと指を鳴らして部屋を出て来訪者を迎えに行った。



 果たして何が行われると言うのだろうか。


 ディミトリの心の中に不安と恐怖が渦巻いていると、目の前の窓から隣の部屋の扉が開けられるのが見えた。


 そして中に入ってきたのは、ラウルとーーー


 自分の母である、イレーヌだった。


 何故、ここに母が?! どうやってここまで来たというのだ?!

 お願いだ、その男は何をしでかすかわからない!

 早くそこから逃げてくれ!


 ディミトリはそのように彼女に向かって叫んだ。

 しかし、猿轡をされているため、その声は届かない。


 それに、ラウルが言っていた通り、隣の部屋は鏡にしか見えないのであろう。

 彼女はその鏡の奥に、ディミトリがいるとは全く気づいていないようだった。


 すると、ラウルはイレーヌを寝台まで連れていった。


 いけない、逃げるんだ!

 きっと、この男は自分の目の前で母親を殺すつもりだ!

 

 逃げろ! 逃げろ! とディミトリは必死に叫んだ。


 だが、予想に反する事態が起きた。


 なんと、ラウルはあろうことかイレーヌに向かって熱っぽく口付けをし始めて、鏡の方をちらりと見たあと、彼女のドレスに手を付けたのだ。


 彼によって一糸まとわぬ姿に自分の母はされてしまうと、ディミトリの視線の先には、恋人や夫婦が寝台で行う愛を交わす光景が繰り広げられた。

 しかも、目の前の母は無理やりされているというのではなく、女としてそれを享受しているという有様だった。


 加えて、時折ラウルは明らかに嫌がらせでこちらに向かってわざと視線を送ってくるため、その度にディミトリは母が穢された怒りと悲しみで叫ばずにはいられなかった。


 また奇妙な事に、彼は目を閉じたくても瞬きする事しかできず、顔も背ける事も出来ず、聞こえるはずが無いであろう、隣の部屋で起きている布が動く微かな音ですら耳に届いてくる状況だった。

 もちろん、自分の母親の声も……


 彼にはこの恐ろしい事態から目を背ける、耳を塞ぐという選択肢は全くなかったのだ。


 しかし、彼が叫びすぎたからだろうか。


 縛られていた猿轡が外れてしまったため、ディミトリは彼女にも聞こえるように、腹の底から大声で、お母様逃げて! と叫んだ。


 その声に、一旦事を終えて寝台でまどろんでいたイレーヌにも何か聞こえたと気づいたようだが、すぐにラウルが何かを囁くと、何も聞こえていないかのように関心を失い、またしても彼との愛の行為に耽ってしまった。


 また、ディミトリが叫んだのを挑発と受け取ったのか、より嫌がらせをしてやろうとラウルの嗜虐心に火をつけたのかはわからない。

 さらに、恐ろしかったのはここからだった。


 身も心も蕩けているイレーヌを何を思ったのかラウルは目の前の鏡まで連れてくると、先ほどよりも激しくその行為の様をディミトリに向かって見せつけ始めたのだ。


 そして、快楽の果てにとうとう気を失ってしまった彼女を再び彼は寝台に寝かせると、葡萄酒色のローブを羽織って目の前鏡越しから、嫌みたらしくこう言った。


「どうだった? 君も僕が男だっていうことを、十分に理解して楽しめただろう?」


 

 ラウルが隣の部屋を出て、ディミトリのいる部屋に戻るや否や、ディミトリから、この人でなし! 悪魔! 地獄に落ちろ、クソ野郎! と怒号が飛ばされた。


 ディミトリの方を見れば、すっかり目は涙で濡れており、鼻水も垂らして、この世に存在していた地獄をたっぷりと味わったという状態だった。


 そんな彼の様子をラウルは鼻で笑うと、寝台のもとに行き腰かけながら、彼が絶対に聞きたくないであろう、イレーヌとの房事を卑猥な言葉も交え、あけすけに生々しく語った。


「……と、いう訳ですごく良かったよ。僕は君と違って、女性を無理やり襲うのは趣味じゃない。僕が誘ったら、彼女は自分からここに来てくれたんだ。あぁ、実は彼女とはこの前の舞踏会ですでに肌を重ねていたんだ。君がマリアに鼻を伸ばしてた間にね……こんな出会いじゃなければ、互いに体だけを求めあう関係にはなれたと思う。さすがに恋人になるのは難しいけど」


 聞いている間、ディミトリは何故か口をふさがれたように全く話すことが出来なかった。


 ようやく、彼が話し終えた後に口が動かせるようになったため、彼はまたしてもラウルのことを最低のクズだ! と罵った。


「お母様を弄びやがって! お前なんか、やっぱりあの時徹底的にやって、二度と表を歩けないようにしてやれば良かった!」


 ディミトリは、何もできなかった悔しさで自分の唇を強く噛み、今すぐにでもこの悪魔を殺してやりたいという憎悪に支配されながら、彼の事を鋭く睨みつけた。


 それに対して、だから何だとでも言うようにラウルの方は至って冷静だった。

「よく言うよ。君はそう言うけど、もし僕がそんな被害にあっていたら、僕の兄様なんて君の事を刺し殺しに行っていたかもしれない。それだけ、君だって他の大切な誰かを傷つけていた可能性があるってことだよ」


 いや、すでにもう取り返しのつかない傷を負わせてしまったか、とラウルはファビアンのことを思い出しながらポツリと呟いた。


「自分のことは棚に上げて、被害者ぶるなんて君の方がよっぽどクズじゃないか。あぁ、訂正しよう。どクズだった……さて、そろそろお喋りの時間は終わりだ」


 ラウルはそう言って寝台から立ち上がると、自身を思い切り睨み続けているディミトリの傍に立った。


 しかし、ディミトリはその瞬間、彼の頬に向って唾を吐きつけ、してやったという表情をした。

 当のラウルは無言のまま手の甲でそれを拭うと、彼を軽蔑するというよりも、憐れみを込めた目で見つめて軽く微笑んだ。


「最後まで君は本当に嫌な奴だった。でも、お陰で罪悪感はなくやれそうだ」

「ふん、やるならやれよ。この殺人者!」


 追い詰められたネズミのように、ディミトリは最後の抵抗としてそのように罵った。


 しかし、ラウルはあっそう、とだけ呟くと、次の瞬間、今までの表情を消し去り、彼に向ってわざと自身に生えている口から覗く二本の牙を見せつけた。


 途端にディミトリの顔色は怒りから恐怖へと変わる。


 彼は顔を青ざめさせ、身震いし、そんな事はありえない! 神よお救いください、こんなことがあってはならない! と叫び、到底不可能なのに逃げようと寝台の柱を揺らした。


「つまり、君にマリアの幻影を見せられたのは、僕がもう人間じゃないからってことだ。でも、残念ながら君の地獄はまだ続くんだ」


 そう言ってラウルは、乱暴にディミトリの髪の毛を掴むとのけぞらせ、もはや恐怖を通り越した絶望の声で喘いでる彼の首元に、その牙を食い込ませた。


◆◆◆


 事が終わり、柱にはぐったりとした姿のディミトリが括りつけられている。

 

 ラウルが軽くため息をついて寝台に腰掛けていると、部屋の中にはいつの間にか、黒いドレスを着たベアトリスが入ってきていた。


「終わったかしら?」

「うん。相変わらず嫌な奴だった」

「確かに。私も嘗め回すように見てくるこの男に、嫌悪感しかわかなかったわ」


 腰に手を当てられた時なんて、嫌な虫に体を這われているかと思った。ようやく解放された、とベアトリスはディミトリを指差しながらそう言って、安堵の表情を浮かべた。


「それで、あちらの準備はできたの?」

「ええ、なかなかの出来栄えだと思う。あなたがあの女といちゃついている間に頑張ったわ。あまりにも彼女の声が大きすぎて、途中で笑ってしまったけど」


 ベアトリスは窓から見える、寝台に横たわった姿のイレーヌに視線を送った。


「それにしても、二年前までは踊り以外で女の手すら握ったことのないあなたが……よくここまで進歩したわね」


 出会った時なんて、娼婦相手になすがまま、されるがままで横たわってるだけだったのに。褒めてあげると言って、彼女は軽く拍手を送った。

 対してラウルは、あの時の様子を一部始終彼女は見ていたのだろうか、と疑問に思いながら片眉をあげた。


「それは君が大体、滞在に使うのが娼館だったりするからだよ。いつも自分よりも倍の年齢の男を相手にしてるお姉様方からしたら、僕なんて甘いお菓子みたいなものらしいから」


 自分としてもやる事が無い時は、社会勉強だと思って彼女達の相手をしていた。誘われているのに無下にするのも悪いと思って。

 明らかにその仕事の憂さ晴らしで、慰みものにされていると思う時もあったが、おかげでその辺にいる市井の女性でも、暇を持て余してる貴婦人の夜の相手も問題なく出来るようになった。

 と彼は肩を竦めて返した。


「それでも、彼女は今まで相手した中で一番年上だったけどね」

 そう言ってラウルは、イレーヌの方に顔を向けて微笑んだ。


 彼女は歳の割には綺麗だったのもあるが、意外とそこまでなら相手が出来るんだ。自分の可能性が広がったみたいだ! とラウルは両手を広げて大袈裟に喜んでいるふりをした。


「そうは言っても、私たちの時間では、あっという間に彼女のくらいの年齢の女性も年下になり、80超えたお婆さんもあなたよりも年下になるのよ。今では年上の感覚かも知れないけど。そうなった時、あなたはそういった年下の女性も、みな同じように相手に出来るのかしら」


 ベアトリスの問いに、ラウルは苦笑いを浮かべた。


「まあ、それはともかく。明かりをずっと付けっぱなしにしていたら外から怪しまれるわ。さっさと仕上げてしまいましょう」


 手に持ったナイフをベアトリスはラウルに渡すと、次の仕事に取り掛かるようにと伝えた。

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