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9.仮面舞踏会と忌まわしき亡霊

「舞踏会に行こうですって?」

 夕食時、イレーヌは飲もうとしていたワインの入ったグラスをテーブルに置き、息子からの唐突な誘いに眉をあげて驚いた表情を見せた。


「はい。昨日、知り合った若い外国人貴族に誘われたんです。ぜひとも彼の妹君と会わないかって」

「それはどう意味かしら? お見合いという事なら、あなたはとっくに婚約者がいるというのに」


 もうすでに話は決まっているのだから、新たな出会いなんて不必要なのに。

 どうして断らなかったの? と言葉にはせずに、母親は彼の事を見つめた。


 しかし、ディミトリは母親の反応は予想通り、と言った様子で肉をナイフとフォークで切り分けながらこう答えた。

「まあ、会うだけなら別に問題ないでしょう。実際にどんな顔をしているのかわからないし。僕もそう簡単にはその女性を気にいるとは思いませんから」


 肉を口に運び、美味しそうに食べている息子を見ながら、イレーヌは内心ため息をついていた。


 正直、ディミトリの婚約者は女性としてはあまり魅力的に映らないタイプだ。

 彼の父親も誠実な男かと言えば、イレーヌ自身を愛人として囲っていた過去がある。


 そしてディミトリもそう言った面は父親に似いて、一人の女で満足するようなタイプではないし、この縁談も自分が彼に何度もキツく言って、ようやくなんとか纏まったのだ。


 結婚後であれば、他の女に手を出そうが文句を言うつもりは無いが、頼むから結婚前には事を荒立てるようなマネはしないで欲しい。

 それが彼女の本音だった。


「わかったわ。私もその舞踏会に行きましょう」

 彼女は、もし彼が縁談を御破算にするような振る舞いを行おうとするならば、すぐに引き上げさせるつもりでこの誘いに乗った。


「一緒に来てくれるんですね! 良かったです」

 一方、ディミトリはそうとも知らず、嬉しそうにワインを口にしながら微笑んだ。


「ところで、その会場はどこなの?」

 ああ、それなら……と、ディミトリが会場名を告げると、イレーヌは途端に顔色を悪くした。


「あぁ、なんてこと! そう。それなら……やはりお断りしてもらえないかしら?」

 彼女は先ほどは良いと言っていたのに、急に行くのを辞めろと言い出した。


「えっ?! 何でですか?」

「何ででもよ。あの場所は私は行きたくないの」

 ため息を吐きながら、まさかあそこに行くなんて。気分が悪い。私が行かないというのだから、あなたも行くのをおよしなさいと彼女は言った。


 しかし―――


「わかりました。では、お母様は行かなくて結構。僕一人で行ってきます」

「なんですって?!」

 いつもなら歯向かわない息子が、今日は珍しく立てついた。

 

 それもそうだ。

 ディミトリの方としても、この機会をみすみす逃すわけにはいかなかった。

 

 どんな娘が来るのかはわからないが、あの金髪の男の見た目から察して、妹の見た目も悪くはないのだろう。


 それに、自分の家よりも大きい商家の出というだけで、大して可愛くもない女と結婚することと比較したら、ほかの商会を出し抜き、しかもこの国の中で牛耳れる存在になれる可能性に賭けてみたい。


 相手は王家の血筋を引く娘だ。こんな大物を引き当てるなんてこの先ないだろう。

 見た目も家柄もそれに比べたら、大した事のない女に甘んじるつもりはない。

 まあ、ダメだったときの保険としてあちらは残しておけばいい、と彼はこっそり野心燃えていたのだ。


 とはいえ、とても愛してはいるが、今はただの”障害”となっている母親という人物をどうにかしなくては。

 ディミトリは変な部分で反対してきたイレーヌに、実はその貴族というのは……とフィリップたちの出自について話し始めた。


◆◆◆


 仮面舞踏会の当日。


 結局、ディミトリの話からとてつもない大物に接近できると知ったイレーヌは、行かないといった意見を翻し、彼に付き添って舞踏会に出席することに決めた。


 パリの中でも、華やかさと人の多さで有名なこの会場には、ヴェネツィア風の装飾がついた仮面から、シンプルな黒い仮面まで様々な仮面をつけた者たちが来ていた。


 実はこの会場は、高い入場料さえ払えば貴族だろうが平民だろうが参加できるので、様々な階級のものが入り乱れているのである。


 それ故に、この会場には国内海外の大物貴族が身分を隠しながら、ハメを外すためにやってきてもなんらおかしく無いという具合だった。

 噂だと、かつて国王と王妃も王太子自体はお忍びで来ていたとも。


 ディミトリはフィリップに指定された通り、踊りが行われている大広間で彼らの到着を少々待った。

 

 すると―――


 待たしてしまったかなと、ディミトリ達に声を掛けるものが現れた。


 それは、黒い仮面と濃紺の上物を着て比較的目立たない恰好をしたフィリップと、同じく黒い仮面に同色のドレスを身に纏った彼そっくりの金髪の持つ女性だった。


「どう? マリア。僕の言った通り、素敵な男性だろう?」

 フィリップはエスコートしている女性にそう声を掛けると、彼女は頬を赤くしながらディミトリのことを直視できないと言った様子で、無言のまま目を伏せた。


「やはり、君のことがとても好みだったようだ。すごく照れてる。ぜひ踊りの相手をしてもらえないかな?」

 ディミトリの方に視線を送りながら、フィリップは自身の腕に添えられていたマリアの腕を離すと、微笑みながら彼に彼女の手を渡した。


 一方、ディミトリの方はというと……


 これは期待以上の女だったかもしれないと鼻息を荒くしていた。

 柔らかそうな金髪に、白く美しい肌と触れてみたくなるような唇。そして、細身の体の割にはドレスから覗く豊かな胸……彼はごくりと唾を飲んだ。


 しかし、彼はまずは紳士であることを心掛け、彼女の手を取ると踊りの輪に参加するようにエスコートした。


 そうして、ディミトリとマリアが去って行くと、その場にはフィリップとイレーヌが残された。


「良ければ、僕と踊りますか?」

 フィリップがそう彼女に提案すると、イレーヌはまさかと言って、鼻で笑いながら彼の提案を断った。


「私はあんな女のように、みっともない事をしたくないのよ」

 イレーヌの視線の先には、祖母と孫くらい歳の離れた、明らかに金持ちの未亡人と若いツバメの組み合わせというカップルがいた。


 なかなか手厳しい。そう言ってフィリップは微笑んだ。

「では、僕の夜の散歩に付き合って頂けませんか? この会場は僕の国でも有名なんです。一人で広大な庭を散歩するには寂しすぎる」


 するとイレーヌは、まあ、それなら別に構わないと言った。


 実は彼女の中にも思惑があったのだ。

 本物かもしれないという期待に比例して、彼らが結婚をチラつかせた詐欺師なのかもしれないという疑惑だ。


 そして、いざ来てみたら……やはり彼らは詐欺師だと彼女は結論付けていた。


 なぜならーーー


 衣装代にかけるお金をケチっているのか、王族ともあろう者がこんな地味な服を着た男女だなんて。

 結婚を匂わせて、財産を奪い取ろうしているに違いない。

 息子の方は簡単に騙されてしまっているようだが。


 しかし、若いから話しているうちにボロを出してしっぽを出すはずだ。

 あの子は調子に乗りやすいところもあるから、自分が守ってやらなければ。


 あの子が踊りに飽きる頃を見計らい、詐欺師だという証拠を突きつけて、さっさと連れて帰ってしまおう、と彼女は考えていた。


◆◆◆


 イレーヌはフィリップにエスコートをされながら大広間を出た。


 だが、彼は目の前にあった小さな階段は降りようとせず、こちらの方が先ほど来た時に近道だと思ったから、と彼女を会場中央にある大階段まで連れて行った。


「ちょっと待って。ここから行くのは嫌よ」

 なぜか彼女はここを降りるのは嫌だと言い始めた。


「悪いけど、さっきの階段の方まで戻りましょう」

 イレーヌが急に顔色を悪くしているため、フィリップなぜだろうと不思議に思う顔をした。


「わざわざ、あちらに戻るんですか? 遠回りにもなるというのに」

「いいから、いいの。ここを通るくらいなら、遠回りになったってかまわないわ!」


 ……よりによって、ここに連れてくるなんて!……


 早くこの場を立ち去りたかったイレーヌの頭の中には、ある光景がよみがえっていた。


 大階段の一番上で震えながら立つ自分。


 一方、自分の眼下には階段の途中で頭から血を流して目を見開き、天井をみあげたまま動かずに横たわるドレスを着た女。


 とっさに彼女は周囲を確認した。

 自分以外には誰もいない。誰も見ていない!

 震えながら彼女は、横たわる女をそれ以上見ないようにして、急いでその場を立ち去っていった。


「……マダム? マダム?」

 どうしたものかとフィリップからそう声を掛けられた彼女は、ハッと過去の光景から我に返り、目を瞬かせながら首を横に振った。


「ご気分が優れませんか。わかりました。あなたがおっしゃる様に、ここは迂回して先ほどの小階段に戻りましょう」

 方向を変え、あちらに行きましょうとフィリップはイレーヌをエスコートしようとした。


 彼女はここを降りずに済んで良かった、と安堵しながら移動している瞬間だった。

 ふと、彼女の視界に手すりの向こう側である、一階部分のホールが映り込んだ。


 そして、いるはずのない人物が大階段に向っている姿が目に入り、彼女は釘付けになった。


「ひぃっ……!」

 彼女は小さく悲鳴を上げた。


 ……ありえない。ありえないわ、そんなの!……


 そう思っている彼女の視線の先には、時代遅れのドレスを身にまとい、ドレスの裾を持ち上げて大階段を上がろうとしている、よく知った女の姿が目に映っていたのだ。


 ファビアンそっくりの、黒髪に赤茶色の目を持つ女の姿が。


 イレーヌは彼女から目を逸らそうとしても、身体が震え始めて逸らすことができない。

 だが、視線の先の彼女はそれに構う事なく、ゆっくりとその階段を登って行く。


 そして、踊り場の部分に立つと急に彼女の方向に向かって、手で口を押さえながらクスクスと笑い始めた。


「いやぁ! どうして? どうしてあなたがいるのよ?!」

 イレーヌは両手で頭を押さえて、その場で大きく叫んび取り乱した。


 傍にいたフィリップは、どうしたのですかマダム? 落ち着いてください! と彼女を落ち着かせようとした。


「あそこに! あそこに、あの女がいるのよ!」

 彼女は指先を震わせながら踊り場を指さしたが、フィリップが振り返ってそちらにを見ても、彼は何もいないと言って、どうか落ち着いてと繰り返した。


 他の参加している客たちも何を騒いでいるのだろうと言った様子で、彼女のことを不思議そうにみている。


 しかし、イレーヌの視線の先には、相変わらず黒髪の女が彼女に向かって、笑いながら佇んでいるままだ。


「いやぁ! どうして、どうしてあなたがいるのよ! あなたは死んだはずじゃない! あなたがいるはずないのよ!」


 イレーヌがそう叫んでも、黒髪の女はその場から去ろうとはしない。

 その上さらに、彼女は口を押さえていた手を離すと、イレーヌに向かって指をさし、ゆっくり口を開てこう言った。


「人殺し」


 声が届くはずのない距離にいるのに、しっかりとイレーヌの耳には女の声が聞こえた。


 その瞬間、イレーヌは意識を失うとその場に崩れ落ちた。

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