じいさんの眼鏡
おじいちゃん子ではなかったです。
十年ひと昔なんていうなら
がきのころの おれからしてみれば
あんたは大昔のいきものだった
高い木のはっぱを むぐむぐたべる
しわくちゃの 直立とかげだったし
老木のうろに棲む
物知りな 木菟だった
十年ひと昔なんていうなら
がきのころの おれからしてみれば
あんたは古文書だった
神々の戯れを刻んだ
ひび割れた 石碑だったし
黄金を練りあげる秘術を記した
かびくさい 紙束だった
砂利を敷き詰めた中庭へとひらかれた
赤茶色い縁側で
でかい湯呑みで 茶をすすりながら
碁石をならべる あんたがしてる険しい顔と
おれに菓子をあたえながら あたまをくしゃくしゃやる
骨董品の笑顔が
ちがう表情なのに おんなじ顔に浮ぶんだなって
おれは 不思議におもっていたもんさ
険しい顔のときの 射るような目も
骨董品の笑顔の やさしい目も
おれが見たのは 太い黒縁眼鏡ごしで
厚いレンズをとおさないで その光をのぞいてたら
奥にあったものまで 知ることができたのかもな
そんなことを考えるには
あんときのおれは まだがきで
大昔のいきもので 古文書のあんたとの
赤茶色い縁側での時間が
退屈で平穏な 御伽噺みたいで
そいつを楽しむ年ごろじゃあ なくなって
あんたのところに通わなくなってからも
原風景としていたもんだぜ ずいぶんとながいあいだ
暦のくぎれと 祝い事にしか
あんたを訪ねなくなったおれの不義理を
咎めもしなかったあんただけど
大昔のいきものが 滅んでくみたいに
古文書が 風化してくみたいに
やがて あんたは
赤茶色い縁側の奥の部屋で 横たわったまま
砂利を敷き詰めた中庭を ながめるようになった
黒と白の碁石も 脚つきの盤も
あのでかい湯呑みでさえ てもとに置かなくなった
あと何回 あえるかわからないから
ことばを交わせるうちに あってこいだなんて
たきつけられでもしなきゃ
足をはこばなかったのは すまねえとおもわなくもない
そんなつぶやきも あんたが逝っちまったあとじゃ
へんに深刻に とられかねないけど
あんたの形見をえらべと そういわれて
おれがえらんだのは 太い黒縁眼鏡
愛着でも 懐古でもねえ つまんない逆恨みで
おれは そいつをえらんだんだ
おれが見たあんたの目は こいつごしで
厚いレンズをとおしてしか
その光をのぞいていなかったから
奥にあったものまでを
知ることができなかった
そんな逆恨みを負わせるために
おれはこいつを 机のひきだしにおさめた
わかってら
あんたのところに通ってたころの
あんときのおれは まだがきで
大昔のいきもので 古文書のあんたの
目の奥にあるものなんて
厚いレンズに阻まれなくても
読みとれるはずなんて なかったことを
わかってら
赤茶色い縁側での時間を
楽しむ年ごろじゃあ なくなって
あんたのところに通わなくなった不義理こそ
その目の奥にあったものまでを
知る機会を奪った真犯人だって
わかってら
このころのおれなら それなりに
大昔のいきもので 古文書のあんたの
目の奥にあるものを
厚いレンズに阻まれなけりゃあ
読みとることも
ちったぁできたかもしれなかったって
わかってら
何度も いわせんな
ちゃんと
わかってら
だから こいつは
おれからの ただの逆恨みだ
厚いレンズのはまった 太い黒縁眼鏡
わるいな じいさん こいつのせいにさせてもらう
あんたの目の奥にあるものを
あんたが逝っちまうまえに
知っといてやれなかった その罪を
わるいな じいさん こいつのせいにさせてもらう
わるいな じいさん
わるいな
おれの不義理と共犯者の 太い黒縁眼鏡は
いまも 机のひきだしに眠らせてある
おばあちゃん子でした。