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|||||||||||||||ドミノ|||||||||||||||  作者: 仙葉康大
倒山一花の第二章
7/27

勝敗

 最後の一冊、夏目漱石の『こころ』の文庫本を手にした途端、あのときのことが脳裏に浮かんだ。中学三年。秋。私は初めてドミノ選手権に出場した。実力はもともとあったから、難なく決勝まで勝ち進んだ。なのに、最後の一牌で失敗した。並べた何千というドミノが、たった一つのミスでどんどん倒れていく。一度の失敗で倒山家の名は地に落ちた。私は、ドミノをやめた。せいせいした。好きで並べていたわけでなく、ただ、倒山の家の子に生まれたから並べていただけなのだから当然だ。これからはドミノとは無縁な平凡な人生を送る。そういう決意を胸に抱き、ドミノ強豪校の玄武高校ではなく、青龍高校に進学した。なのに私はまたドミノを並べている。柴犬を一日好き放題にしていいという誘惑には抗えるはずがなかったし、腐っても私がドミノで負けるわけないとも思った。ましてやこんな素人の子に負けるなんて、天地がひっくり返ってもあり得ない。なのに、最後の一冊が、どうしても置けない。心臓がきゅっと締めつけられる。指の震えが止まらない。また失敗する。最後の最後で。私はそういう運命なんだ。ミスをしてはいけないところでミスをする。それですべておしまい。極度の緊張で視界さえも狭まっていく。息ができない。苦しい。胸が気持ち悪い。誰も助けてはくれない。

 ふと、温かさが生まれた。手に。

 震えは、止まっていた。

 本から手を離す。

 手が離れた反動で、本が少しだけ開いた。

 そして、静止した。

「時間です」

 古羽先輩が告げた。もう三十分経ったのか。あと少しでももたついていたら、間に合っていなかった。

「なんで?」

 私が問うと、並川さんはきょとんとした。

「何もしなければ、私のドミノは完成しなかったのに」

「うん、やばかったね。完成してよかったー」

「よくない。あなた、勝負の意味わかってる?」

「お、落ち着いて。あんまり大きい声出すとドミノが」

 詰め寄る私を手でやんわりと押し返す並川さん。

「単純に、このドミノが倒れるところ、見てみたいなって、そう思ったから、じゃダメかな?」 

「何言ってるの? その甘さのせいであなたは負けるのよ。それでいいって言うの?」

「何もめてんねん」

 間に割って入ってきた呑神狂鳴が、私と並川さんを引き離す。

「倒山お前、犬みたいにキャンキャンよお吠えるやないか。そんなに並川は強敵やったか?」

「うるさい。黙れ」

 呑神狂鳴は私の言葉など意に介さず、視線を長机の方へと切った。図書室にある三つの大きな長机。その内の二つには百冊を超える本が並んでいる。伝記が並んでいる長机を指さして、

「こっちが並川やな」

 とわらう呑神狂鳴。

「でもってこっちが倒山一花」

 骨董品でも見るような目つきで、目玉をぎょろぎょろさせて私が並べた文庫本のドミノを鑑賞している。

「そんなにじろじろ見ないで」

「倒山、お前」

 呑神狂鳴がこちらを振り返り言う。

「やるやないか」

「あら、呑神君が人を褒めるなんて珍しい」

 古羽先輩がクスクス笑う。

「じゃかしいわ。古羽、お前ナメた審査したら許さへんからな」

「そうだった。私が勝負の審査をするのだったわね。じゃあまずは並川さんのドミノから」

「ど、どうぞ」

 緊張した面持ちの並川さんが、古羽先輩をドミノの開始地点へといざなう。

 古羽先輩の白い人差し指が、エジソンの伝記を倒した。パタン、パタン、バタン、タタン、とドミノはぎこちなく倒れていく。バタン、バタン、タン、バン、バタン。長机の端に近づくにつれて並べた本のラインはカーブしていく。Uターンするように作れられてはいるが、私の見立てだと、途中で――。

 バタン、バタ。

 やっぱり。

 カーブの途中で本はあらぬ方向に倒れ、次の本を倒すことができなかった。

「ああああああっ。うそっ、なんで?」

 並川さんが悲鳴のような声をあげた。

 並べた本の内、倒れたのは約半数、といったところか。

「うう。がんばって並べたのに」

単線シングルラインのカーブが倒れ切らんなんてようある話や。まあ、それにしてもお前のカーブはひどい。あんなん、倒れ切れるわけないやろ」

「ちょっと呑神君。並川さんは初心者なんでしょ。もう少しやさしく言ってあげたら?」

「ドミノに初心者も上級者もあるかい、ボケ。並べたもん勝ち、んでもって倒れたもん勝ちなんがドミノや。並べ切るだけのお前は半人前もいいとこや。わーったか、ボケ」

 この人、自分の部の新入部員によくここまで暴言吐けるな。どうかしている。

「次は倒山さんのドミノね」

 古羽先輩がゆっくりと私のドミノへと近づいていくにつれて、私の鼓動も大きくなる。完成したドミノを倒されるのは久しぶりだ。私のも構成は並川さんと同じ。単線のUターン。ちゃんと倒れるだろうか。倒れるに決まってる。でも、ドミノには万が一がある。倒れるはずのところで、なぜか止まってしまうドミノをこれまで何度も見てきた。

「倒します」

 古羽先輩の指が文庫本に触れた。パタ、パタ、パタパタパタパタと倒れていく私のドミノ。規則正しく、一定のテンポで、次から次に傾いては倒れ、傾いては倒れ、Uカーブも難なく曲がり切り、止まることなく倒れていく。パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタン――。

「やったーっ」

 声を上げて万歳したのは、私ではなく、並川さん。

「すごい。全部倒れたよ。やった。すごい、倒山さん」

「なんであなたが喜んでるのよ。私のが全部倒れたってことは、この勝負、私の勝ちであなたの負けってことなのよ」

「あ、そうだった」

 審査員の古羽先輩に聞くまでもなく、勝敗は決した。私が勝ったら、並川さんの犬を触らせてくれる。そういう約束だった。

「犬を触らせてくれる日を決めたいのだけど、いつなら都合がいいか教えてくれる?」

「おい、待て待て。何勝手に勝負終わらせとんねん」

「並川さんのドミノは半分しか倒れなかった。私のドミノはすべて倒れた。私の勝ちです」

「せやな。確かに並川は負けた。けど、それじゃあお前の勝ちにはならへんのや。俺の言いたいことわかるか? 倒山」

 わからない。この男は何を言っている?

「古羽、記憶力いいお前なら覚えとるやろ。俺は何て言うてこの勝負始めた?」

 古羽先輩が大人げない、といった目つきで呑神狂鳴を見つつ言う。

「『これからドミノ並べで勝負して、俺らが勝ったらお前はドミノ部に入る』」

「どこでどう勘違いしたんか知らんけどな、お前の相手は並川一人やない。俺と並川の二人や。勝利の味に酔いしれるのは俺を倒してからにせいや」

「倒してからって」

 ドミノを並べれそうな大きな長机は三つ。内二つは私と並川さんが使用した。残りの一つには、何も並べられていない。

「呑神狂鳴。あなたはドミノ並べてないじゃないですか」

「アホ言え。ちゃんと並べとるわ。こっちや」

 本棚の方に向かう。すると確かにそこにドミノはあった。本棚と本棚の間の床、そこに自然科学系の本が立ち並んでいる。図鑑もあれば、文庫サイズの本もある。新書に雑誌、星や宇宙の写真集。サイズも厚さもてんでばらばらな自然科学系の本でできたドミノは、ゆるやかに蛇行しているように見える。このドミノは直線じゃない。波線だ。

「古羽、倒せ」

「ええ」

 先輩の指が運命のように『種の起源』という本をそっと押した。パタン、パタン、タン、バタン、タン、タン、バタンタン。ゆるやかな波線を描きながらドミノが倒れていく。奥まで行くと、本棚を回り込むようにUターンしてこちらに戻ってきた。そしてもう一度Uターンし、本棚と本棚の間を縫うように進むドミノ。倒れて、倒れて、倒れて、最後に『素数の音楽』という文庫本が倒れた。

「しゃっ」

 ガッツポーズする呑神狂鳴。その隣では、並川さんが「すごー」と言いながら拍手している。古羽先輩が私をちらりと見る。

「呑神君と倒山さんのドミノ。どっちも全部倒れたけど、こういう場合って私が勝敗決めるのよね」

「せや。で、どっちや? 俺と倒山、どっちのドミノがえかったか、ゆうてみい」

 古羽先輩は視線を斜め下に飛ばし、口をつぐむ。これ以上先輩に迷惑はかけられない。私はいさぎよく挙手する。

「負けです。私の」

 同じ規格の文庫本を直線で並べるのと、サイズも厚みも違う本を波線で並べるの、どちらの難易度が高いかなんて素人にもわかることだ。それに本棚と本棚の間に並べるのと、机に並べるのとでは、作業のしやすさもまるで違う。この男は、狭い場所であれだけのドミノを三十分という短い制限時間内に完成させた。

「約束は守ります。ドミノ部に入ればいいんでしょ」

「いや、ええわ」

 呑神狂鳴はそう言うと、図書室の出口へ向かって歩き出した。

「ウチの部、人手不足でなあ。のどから手出るほど新入部員が欲しいんは事実や。けど、やっぱお前は要らん。勝負に負けたから仕方なくって嫌々入部してもろても、他の部員の士気が下がるだけやわ。倒山、お前はすごいドミナーや。けど、今のお前のドミノに対する姿勢は、そこの並川にも劣る。本気でドミノしとうなったら、入部届、俺の顔面に叩きつけに来いや」

 だるそうに手を振りながら遠ざかる背中は、不気味なオーラをまとっているようでまるで妖怪みたいだった。

 そしてなぜか、図書室に残っている並川さん。

「何? まだ何か私に用?」

「今週末、時間ある?」


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