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|||||||||||||||ドミノ|||||||||||||||  作者: 仙葉康大
並川七実の第二章
6/27

ドミノ勝負

 教室の窓が少しだけ開いている。そこから春の風がそよそよと入ってくる。

 現社の教科書を読みあげる、眉の太い初老の先生。念仏のような声が眠気を誘う。

 資本主義経済がどうたらこうたら。コンドラチェフの波がすごいとかなんとか。

 何度目かのあくびをかみ殺したところでチャイムが鳴った。やった。本日の授業終了。

 素早く片づけをし、足早に教室を出ようとしたちょうどそのとき、担任が教室に顔を出した。

「今日この後、委員会があるからな。委員になってる奴は忘れず行くように。いいな?」

 はーいと間延びした返事をする私たち一同。

 幸い私はどの委員会にも入っていない。

 さあ、部活だ部活。

 意気揚々と図書室に向かうと、入り口近くの壁にもたれている呑神先輩を発見。

「せんぱーい」

「おお、よう来たな」

「先輩、先輩。昨日から気になってたこと聞いていいですか?」

「なんや?」

「先輩のその服、制服じゃないですよね」

「制服なんか着れるか、アホ。あんなかたっ苦しいもん着とるやつらの気が知れんで」

そう言って先輩は着ている黒のロンティーのすそをひっぱる。すごい、伸縮性抜群。

「ってそんな世間話しとる場合ちゃうわ。確認や、並川。今日ここに来た理由は?」

「部員を勧誘するためです」

「せや。けどただの部員やない。倒山一花。ドミノの名門、倒山家の一人娘や」

「名門っ。すごいっ」

 どんなドミノを並べるんだろう。

「今、倒山は図書室ん中におる。委員会中や」

「まさか委員会に乱入するつもりですか、先輩」

 入学式の日に許可も取らずに校内放送で部活勧誘するような人だ。やってもおかしくはない。

「いや、ほかの委員会ならそれもありやけど、図書委員はな。いらんちょっかいかけん方がええ。それに、相手は倒山や。ここは慎重に行きたい。委員会が終わったら、並川、まずお前が倒山に声かけにいけ」

「でも私、倒山さんの顔、わかりません」

「はあ? 何ぬかしとんねん。同じ学年の奴らの顔と名前ぐらい全員覚えとけ、アホ」

 そんな無茶な。一年生、百人はいるよ。しかも私、昨日入学したばっかなのに。

「ほれ、あいつや。あのくらそーな女」

「え? どの人ですか?」

 図書室の入り口に二人で張り付いて、中の様子をうかがう。

 委員長らしき女の人が当番のことについて説明している。

「わかるやろ。神妙な顔で話し聞きよる黒髪のやつや」

「そんな子たくさんいるじゃないですか」

「肩より髪が長いの。でもって狐みたいな顔。机の端の席にちょこんと座っとる」

「え? え? 狐顔? 机の端ってどっちのですか?」

 そうこうしている内に委員会が終わった。

「よし。行け、並川」

「ちょ、待ってください。先輩も一緒に来てくださいよ」

「俺が行ったら警戒されるやろ。まずは同じ一年のお前が上手いこと言うてその気にさせてこい。ほれ、いいから行け」

 背中を押されてつんのめりながら図書室に入る。

 図書委員の面々がささやくように会話をしながら、あるいは無言で図書室を出て行く。

 顔を目で追うけど、誰が倒山さんかなんてわからない。

 苦し紛れに髪が長くて唇が厚ぼったい女の子に声をかけてみる。

「すみません。倒山さん、ですか?」

「え? 違います」

「すみません、すみません」

 平謝りしてから、室内を見回す。委員はすでに全員が席を立っており、長机には誰もいない。

 本棚と本棚の間を探してみるけど、やっぱりいない。

 どこにいるんだろう。もしかしてもう帰った? やばい。呑神先輩に殺される。

「何か本をお探しですか?」

 背後から、凛とした声が聞こえた。

 振り返ると、縁なしの眼鏡をかけた、清楚を絵に描いたような女生徒がそこにいた。

「図書委員長の古羽ふるはねです。探している本のタイトルはわかりますか?」

「い、いえ、あの、本ではなくて人を、図書委員の倒山一花さんを探してまして」

「あ、そうだったのですね。こちらへどうぞ」

 古羽先輩のあとをついていく。本棚を抜けると、貸出カウンターが見えた。

 いた。長い黒髪に狐みたいな顔の女の子。貸出業務の際に使うパソコン端末を注視している。

「倒山さん。お友達? がいらしてるわよ」

 古羽先輩の声に顔を上げる倒山さん。私を見て一言。

「誰? あなた」

「同じ一年の並川七実。はじめまして。今日はお願いがあってきました」

「何?」

「ドミノ部に入ってください」

 倒山さんの目がきゅっと鋭くなる。

「入らない。迷惑。帰って」

「はい帰ります」

 慌ててUターンし、出口へと向かう。呑神先輩に頬をつかまれる。

「おい、何すんなり諦めとんねん。もっと粘らんかい」

「だって倒山さん怖いんですもん。それに拒絶のオーラがすごくて」

「今度は二人で行くぞ」

 再び貸し出しカウンターへ。

 古羽先輩がどこか蠱惑的な微笑を浮かべて椅子から立ち上がった。

「呑神君、どうしたの? 珍しい。図書室に何か御用?」

「俺が用があるのはそこの一年、倒山一花や」

 口を開きかけた倒山さんを、古羽先輩が手で制す。

「倒山さんは図書委員なの。そして私は図書委員長。この意味、わかるわよね?」

 呑神先輩の顔が引きつる。

「安心せいや。俺やって、お前の怒り買うほど怖いもん知らずやない。ちょっと話がしたい、それだけや」

「部活の勧誘かしら?」

「せや」

「ドミノ部には入りません」

 倒山さんが呑神先輩をにらみつける。

「ドミノはもうしません」

「そうか。ほな、勝負しよや」

「勝負?」

「これからドミノ並べで勝負して、俺らが勝ったらお前はドミノ部に入る」

「そんな勝負受けない。私にメリットが何もない」

 呑神先輩がポケットから何か取り出す。手帳だ。開き、下卑た笑みを浮かべる。

「倒山、お前、ドミノやめてからは、ユーチューブで犬猫の動画ばっかあさりよるみたいやのう」

「そ、そうだけど、どうしてそれを」

「アホか。こっちだってバカやない。こんな優秀な手駒ゲットのチャンス、そうそうこおへん。事前に情報収集してないわけないやろ」

 私は身震いする。あの手帳にはいろんな人の弱みやスキャンダルが記されているんだろうな。

「ドミノ勝負にお前が勝ったら――」

「倒山さん、忠告しとくけど、この話、乗らない方がいいわよ」

 古羽先輩がやんわりと口を挟む。

「お前が勝ったら、こいつんちの柴犬、一日触りたい放題。これでどうや」

「やります」

倒山さんの即答に古羽先輩が額を押さえる。なんてバカな子なのと言いたげな顔だ。

「って、呑神先輩、どうして私が柴犬飼ってること、知ってんですか? 私と先輩、昨日会ったばかりなのに」

「お前もアホ。昨日から今日までの間に何分あったと思うねん。お前のことも念入りに調べさせてもろたからな。これから一緒に仲良く部活やっていこな、並川」

 手帳をみせびらかしながらそんなことを言う先輩。終わった。絶対私の弱みも握られてる。

「何うなだれとんねん。しゃきっとせいや。これから倒山と戦うんやから」

「え? 私も勝負に参加するんですか?」

「何言うとんねん。お前んチの犬の一日賭けるんやぞ。飼い主のお前が出張らんでどうすんねん。俺に頼ってないで、お前が倒山倒さんかい、ボケ」

 そっか。

「よーし、がんばるぞ」

「決まりやな。ルールは、そうやな、図書室の本棚を一つ選ぶ。その本棚の本を一つ残らず並べる。そうして完成した本のドミノを披露していって、最終的には審査員が一人の勝者を決める、でどうや?」

「審査基準があいまいです。そもそも審査員は誰が?」

「古羽、頼めるか?」

「いいの? 倒山さんに有利な判定をするかもしれないわよ」

「お前がそんなしょうもないことするかい」

 不敵な笑みを交わす三年の先輩二人。ふつうに怖い。

 図書室を利用していた生徒たちは呑神先輩の姿を認めると、一人残らず出て行ってしまった。

 新たに図書室に入ってくる人たちも同様で、みんな、怯えた顔をして逃げ帰っていく。

「では、はじめてください。制限時間は三十分よ」

 古羽先輩が勝負の開始を告げた。

 とにかくまずは本棚を選ばないと。

 できるだけ同じサイズの本の方が並べやすいよね。

「選んだ本棚の本、並べ切れんかったら失格やからな。よお考えて選べよ」

 そうだ。本棚を空にしないといけないんだ。大きい本の方が早く並べ終わりそう。

 足を止める。

 見つけた。

 この勝負にぴったりの棚。

 トーマス・エジソンと背表紙に書いてある本を取り出し、長机に立てて置く。

「伝記の棚にしたのね」

 古羽先輩が声をかけてきた。

「偉人の伝記は出版社がシリーズで出していることが多いから、規格もそろってるし、サイズもそれなりに大きい。いいチョイスだと思うわ」

「ありがとうございます」

 そう言えば倒山さんはどんな本棚を選んだんだろう。

 首をめぐらす。

倒山さんはすでにもう何冊か並べ終わっていた。長机の上に並んでいる本、あれは。

「小説の、文庫本?」

「ええ。倒山さんはあそこの棚を選んだわ」

 古羽先輩が指さした棚には、小説の文庫本がひしめくほど詰まっている。

「うひゃあ、あれを全部並べるつもりってこと?」

 私がそう言うと、倒山さんが鋭い視線を飛ばしてきた。

「私の心配より自分の心配したら? あなた、ドミノ初心者でしょ」

「ど、どうしてわかったの?」

「その並べられた伝記見ればわかる。いくら腕が錆びついたといえ、初心者に負ける私じゃない」

 文庫本を並べていく倒山さん。その一挙手一投足はきれいだけど、淡々としている。

「倒山さんって、ドミノ、嫌いなの?」

「嫌い」

「そうなんだ。私はね、ドミノ好き。っていうか楽しい。すごく」

 私はそう言ってライト兄弟の伝記を机の上に立てる。

「あなたに一つ教えてあげるわ」

 倒山さんは文庫本を音を立てて並べ、言う。

「ドミノは、楽しくなんかないのよ」

 それきり倒山さんは口を閉ざした。

 あんなにきれいに並べることができるのに、ドミノが嫌いだなんて、おかしな話だ。

 とりあえずこの勝負は勝とう。そう思った。

 ドミノが嫌いだ、楽しくないという人に負けるわけにはいかない。

 私は一つ一つ慎重に本を並べていく。

 地道な作業は嫌いじゃない。

 中学時代は、バスケのレイアップシュートやフリースローを延々とやっていた。

 飽きなかった。

 ひたむきにがんばってきたかいあって、補欠にはなれた。

 でも、レギュラーにはなれなかった。

 努力と結果は比例しない。中学三年間を通して私が学んだ唯一のこと。

 並べる、並べる、並べる。

 あ、本が倒れそう。手で支え、ゆっくりと立て直す。

 並べる、並べる、息を整えながら、並べる。

 あと少し。

 並べる、並べる。

 深呼吸する。

 並べる。

 最後の一冊が立ち、本棚がすっからかんになった瞬間、心が満たされた。

 ふと、倒山さんの方を見る。

 本棚は空になっている。残りの本はあと数冊。長机の端の方に置いてある。

 残り五冊、四冊、三冊、二冊。すごいスピードで並べていく。

 最後の一冊は、夏目漱石の『こころ』のようだ。

 手に取り、並べようとしたそのとき、倒山さんが動きを止めた。

 私は首を傾げる。どうしたんだろう。

 一歩、二歩と近寄って行って、様子をうかがう。

 倒山さんは、震えていた。

 最後の一冊を持ったまま、瞳も指も震わせ、呼吸も忘れたかのように呆然としている。

 様子が変だ。

「倒山さん?」

 ハッとして私の方を見る。そして、唇をきゅっと結び、最後の一冊を机上に立てようとした。

 立つには立っている。でも、手がまだ離れていないのに、不安定なのが見て取れる。

 多分、今、手を離したら倒れてしまう。

 倒山さんの呼吸がどんどん荒くなっていく。

 確かに私も最後の一冊を並べるときは緊張したけど、ここまでじゃない。

 倒山さんが机の上に並べ立てた文庫本は優に百冊を超えている。

 唇を噛み、うつむく倒山さん。指は本を離れない。ドミノは完成しない。

 こんなにきれいなドミノが。

 私が並べた伝記のドミノは、ひどいものだ。

 等間隔じゃないし、ラインもずれてる。カーブのところなんてちゃんと倒れるかわからない。

 一方、倒山さんが並べたドミノは、神秘的なぐらいに整っている。

 等間隔で、列に乱れ無し。カーブしてるところも必ず倒れる。倒す前からそれがわかる。

 なのに、倒山さんは最後の一冊を置けないでいる。ひどく震えて今にも泣き出しそう。

 私は、そっと手を添えた。

 倒山さんの手に。

 驚いたようにこちらを見る倒山さん。

 私が笑うと、震えが止まった。

 本から手を離す。

 私と倒山さんの手が離れた反動で、本が少しだけ開いた。

 そして、静止した。


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