ドミノ部に入れ
「何を考えとるんだ、お前はっ」
生徒指導の権藤が俺の鼻先に噛みつきそうな勢いで怒鳴り散らした。うっさいのう。あほんだら。
「このっ、クズがっ。お前、自分が何をしでかしたか、わかっていないようだな」
職員室中に響く野太い声。ああうるさいうるさい。はよおわれ。
「なぜあんな放送をした?」
「やから、部活の勧誘活動の一環って言うとるやろ」
「許可は?」
「いちいち許可なんかとるか、ボケ」
権藤のこめかみが痙攣し、眼が血走る。
「大人をなめるのもたいがいにしろよっ。停学だっ、停学。いや、お前のような問題児は退学にしてやる」
「おお、やれるもんならやってみろや」
「ちょっと呑神君。そのへんにしておきなさい」
見るに見かねて席を立ち、ヒールをカツカツ言わせて来たのは、他でもない、我がドミノ部の顧問、新内詩帆。
「すみません、権藤先生。私の監督不行き届きでした。ドミノ部顧問として謝ります」
「困りますなあ。若いとは言え、新内先生ももう三年目でしょう。部員の管理ぐらいしっかりしてもらわないと」
「おい、ゴリラ。管理って何や? 人を物みたいに言うなや、ボケ」
「ボケはあなたでしょ。ちょっと黙ってなさい」
そう言って俺の喉元に三角定規を突きつけると、新内は慣れた様子で権藤の相手を始めた。問題児の扱いに困っているか弱い新任教師を演じ、権藤先生のような立派な先生になりたいと思ってもいないお世辞を言い、権藤を気持ちよくさせたうえで、俺の頭をがっとつかみ、下げさせた。
「本人もこの通り反省してますから、権藤先生はどうぞ柔道部の練習に戻られてください」
「ああ、あいつらは俺がいなくてもちゃんと真面目に練習してますよ」
「それはそうでしょうけど、柔道部が毎年全国大会に出場できるのは、権藤先生のご指導あってのこと。ウチの学校で強いのは柔道部ぐらいですもの。これ以上先生と柔道部の子たちの邪魔をするわけにはいきません」
「まあ、そこまで言われたら、私も悪い気はしないですがね、生徒が問題行動を起こしたとき、教頭に詰められるのは生徒指導の私なんですからね。まったく」
権藤は鼻をふくらませ、パンツスーツを着ている新内の腰にいやらしい目線を送りつつ、がに股で職員室を出て行った。
「新内、お前気いつけや。あのスケベゴリラ、お前のこと狙っとるぞ」
「こら」
新内が俺の頭を小突く。
「何度言ったらわかるの? 新内じゃなくて新内先生でしょ」
「バカ言え。お前から教わることなんて一つもあらへんのに、なんで先生言わないけんのじゃボケ」
「ちょっと。かばってあげた私に対する態度がそれ?」
「恩着せがましい女やな。助け舟なんかなくてもちゃんと自分で迎撃できとったわ」
俺はそう言ってズボンのポッケから手帳を取り出す。
「こっちはあいつの弱み、ごまんと握っとんじゃ。新内、お前のもあるぞ」
「それ貸しなさい。没収です」
「ほれ、取ってみい、ほれ」
腕を真上に伸ばし、手帳を掲げる。ヒールを掃いていようと、俺の方が背は高いので取られる心配はない。遊んでいると、奥の方から不快な咳払いが聞こえた。
「新内先生、もう少し静かに生徒を指導できませんかな」
ハゲをズラで隠している秘密主義の教頭が、こっちに向かって渋い顔をしている。
「すみません、すみません」
平謝りする新内。俺は舌打ちして言う。
「さっきの権藤の説教の方がはるかにうるさくて耳障りやったけどなあ」
「呑神。停学がお望みか? 私が校長に言えば一発だぞ」
くそ。教頭は権藤と違ってちゃんと権力持ってるから厄介や。しかも今のところこれといった脅迫ネタもない。
「さーせん。以後気いつけます。他の先生方もすんません。お騒がせしました」
平身低頭謝罪して、職員室を出ていく。
「何ボケっとしてんねん、新内。ついてこんかい」
「ちょっ、どこ行くのよ」
「んなもん決まっとるやろ」
廊下を進み、一般教棟一階へ。まずは一年A組から。中に入り、机を見渡す。並んでいるドミノはちらほらとあるが、どいつもこいつも遊び半分で並べたのが透けて見える出来栄え。列がそろってないし、牌と牌との間隔もてんでバラバラ。まあ、等間隔に並べりゃええもんでもないけど。
「これ、今日中に全部片づけなさいよ」
「わーっとるわ」
「部員獲得に焦る気持ちもわかるけど、もう少し大人になりなさい。敵ばっかり作ってもいいことないわよ」
そう言いながら、教室の隅に置かれたロッカーを開け、ごみ袋を取り出し、俺に押しつける。
「だるいのう。新内、お前も手伝え」
「なんで私が手伝わないといけないのよ」
そう言いながらも新内はゴミ袋を開く。そこへ俺が机を傾けて大量のドミノを吐き出させる。その繰り返しで満杯になったゴミ袋の口を縛りながら新内が言う。
「それにしてはたくさんあるわねえ。どれだけ配ったの?」
「一人につき百個」
「去年はこんなことしなかったじゃない。最後の年だから張り切ってるの?」
「それもあるけどな、今年の一年には一人、どうしても獲得しときたい奴がおる。たしか、このクラスのはずやけど」
教卓の上に置かれていた座席表を手に取る。そいつの名前を見つける。窓際の最後列。今まさに新内がドミノを片づけようとしている。
「ちょい待ち。そこの机、何個ドミノ並べてる?」
「何個って」
新内が机から離れ、きょとんとした顔で答える。
「一個も並べてないわよ、この席の子」
俺は頭をかきながらそいつの席まで行き、机の中をのぞきこむ。俺が仕込んでおいたドミノがそっくりそのまま入っとる。
「まあ、予想はしとったけどなあ。やっぱ引退したってのはマジみたいやな」
暗澹とした気持ちで次の教室、B組の引き戸を開ける。眼前に広がる光景に俺は思わず絶句した。そのとき、後方の出入り口から一人の女子が現れた。髪を揺らして、俺と新内をちらりと見ると、何事もなかったかのように背を向け、下駄箱の方へ歩いていく。
「おいっ」
「はいっ」
背筋をピンっと張り、返事をする一年女子。
「これ、お前がやったんか?」
「そ、そうですが」
「全部か?」
「は、はい」
たまげたわ。こんな平凡そうな一年が、これを一人で。
「やるやないか」
「ど、どうも」
「お前、名前は?」
「な、並川七実です」
「ほうか。並川、お前、ドミノ部に入れ」
「え? いや、いやいやいや、そんな突然言われても、私、ドミノに向いてませんって。全然几帳面な性格じゃないですし、根気もそんなないですし、美的センスとか絶望的ですし、アハハ。それに、努力するのもうやめよーって思ってて、だから、誘ってもらえるのはうれしいですけど、無理ですよ」
「アホかお前、こっち来い」
俺は並川のところまで行って手を取り、廊下を引っ張っていき、教室の前方入り口に立たせる。
「自分のやったこと、自分の目でちゃんと見てみい」
教室に並べられている四十の机。その机上すべてに、百個ずつ、ドミノが誇らしげに立ち並んでいる。
隣で並川が息を呑む音がかすかに聞こえた。
「几帳面さ、根気、美的センス、向いてる向いてない。そんなもんな、ドミノに関係あるかい。並べたもん勝ちや。もっかいだけ言う。並川、お前はドミノ部に入れ」
春の淡い陽の光が差しこむ廊下で、並川は少しだけ胸を張り、
「はい」
とかすれた声で返事をした。