ドミノ選手権
ドミノ選手権は毎年、市の複合体育館で行われる。広場を囲むように体育館が四つも集まっているこの施設は、四ツ神市のランドマークだ。銀杏の降りしきる広場は、すでに他校のドミノ部の人たちでいっぱいだ。お嬢様学校めいた制服の朱雀高校に、黒いジャージで広場の半分を埋め尽くしている玄武高校。県外から来ている強豪校。この中から優勝は一校だけ。
定刻になり、抽選会が始まった。各校の部長がくじを引いていく。私たち青龍高校は、午後から西体育館でドミノを並べることになった。そして何の奇縁か、西体育館を午前中使うのは、玄武高校に決まった。朱雀は北体育館で午後から。
みんながぞろぞろとそれぞれの体育館に向かう中、カメラとマイクを持った大人二人が列をかき乱すように私たちに向かって猪突猛進してきた。
「ちょっとすいません。青龍高校、倒山さん。あなた、倒山流の倒山一花さんですよね?」
マイクを突き出される。私は言葉を発する代わりにうなずく。
「去年の選手権以来、どのドミノイベントにも参加してこなかったあなたがなぜ今日のこの大会に? 一時期は倒山一花は引退したという噂もありましたが、その真偽のほどはどうなんでしょうか?」
「それは――」
舌が重たい。この人たちに話すことなんて何もない。私がドミノをしようがしまいが、私の勝手だ。
「倒山流の当主であり、選手権の審査委員長でもあるお母様から何か言葉をかけれましたか?」
「いえ」
「実の娘のドミノ審査を公平中立にできると思いますか?」
「あのっ」
声を上げたのは、七実だった。
「一花ちゃんが困ってます」
記者たちが一瞬、口を止める。が、すぐにしゃべり始める。
「これはビッグニュースなんだよ。ぼくたちも仕事でやってるんだ。引退したと思われていた倒山流の後継者がドミノを再開。電撃復活。どうしてもコメントがほしい」
「そんなこと、知りません」
「は?」
「仕事でやってるとか、ビッグニュースだとか、そんなこと、知りません。迷惑です」
いつも笑っている七実が屹然とそう言った。記者は苦い顔をしながらも、それでも、マイクを突き出して、薄っぺらい笑みを顔に張りつけて言う。
「復帰おめでとうございます。今回の大会にかける意気込みを」
「んなもん、優勝以外にあるかいな、ボケ」
吞神狂鳴が記者からマイクをひったくって言った。
「ええか、人からコメントもらって生計立てとるボケカス記者ども。倒山流がどうたらこうたらとかそんなしょうもないこと、忘れさせてやるわ。ウチのドミノでな。あと、さっきお前らがウチの部員に執拗に取材しとったの、動画で撮ったからな。これ以上邪魔するなら、新聞記者の嫌がらせみたいな取材ってタイトルつけて動画をSNSに流す。ちなみに俺のフォロワー数一万超えとるからな、覚悟しとけや」
「まずい、こいつ、吞神狂鳴だ、ほら、ドミノ界の異端児の」
記者たちはぐちぐちと吞神狂鳴への不満をささやきながら、別の強豪校のもとへ取材に向かった。
「すみません」
「なんであやまんねん」
「なんで謝るの?」
吞神狂鳴と七実が同時に言った。
「さあ、はやいとこ会場行って、ええ席とるで」
「おーっ」
足取りたくましく歩む二人。その背中に迷いはない。こんなふうに強く生きられたらどんなにいいだろうか。助けられてばかりというのも気が引ける。鬱々と一歩一歩踏み出していたら、思わぬ死角から生駒先輩が現れた。
「倒山さん、一つ頼みがあるんだけど」
「何ですか?」
「今日の吞神先輩。ちょっと、いや、ものすごく調子悪そうだから、本番やばくなったらできる範囲でフォローしてあげてほしい」
「え?」
理解不能の四文字が頭に浮かんで消えた。
「調子いいとか悪いとか、わかるんですか?」
「まあ、吞神先輩のパシリになってもう一年と半年がたつからね。なんとなくわかる」
「はあ」
この人、何なの。
「でも意外です。生駒先輩は吞神先輩のこと嫌いなんだと思ってました。だからドミノ選手権もどうでもいいのかと」
「どうでもいいし、吞神先輩のことは嫌いだよ。でも」
「でも?」
「去年みたいに負けて落ち込む吞神先輩はもう見たくないかな。あの人、敗北が似合わないんだよ、絶望的に」
私は小さく笑ってあいづちを打つ。
「わかります」
吞神狂鳴は勝ってこそ吞神狂鳴だ。負けても得るものはあっただとか、この負けは財産だとか、敗北からの方が学べることは多いだとか、そういうきれいごとにくそくらえと罵声を浴びせてナンボのドミノ界の異端児。
「でも、私がフォローする必要あります? 生駒先輩、いつも余裕あるし、フォローぐらいいくらでもできるんじゃ」
「無理だよ。ぼくら帰宅部にそんな余裕ない」
「あると思いますけど」
「買いかぶりだ。それにぼくらの真価はやる気がないからこそ発揮される。張り切りすぎるとろくなことがない」
私はうなずく。この人は分をわきまえている。こういう大一番で積極的に動くと事故る可能性が高い。そのことをすべて承知したうえで、一番ドミナーとしての経験が長くて深い私に吞神狂鳴のフォローを頼んだんだ。
「フォローといっても代わりにドミノを並べてあげるまでは必要ありませんよね?」
「フォローの仕方は任せるよ」
話しているうちに会場の西体育館に着いた。二階のアリーナ席の空いているにところに座り、玄武高校のドミノが始まるのを待つ。座席は次々と埋まっていった。みんなが昨年の優勝校に注目している。
審査員が最前列の席に座った。菊の柄の着物を着た母の顔は研ぎ澄まされている。母の隣にはジーパンにロンティーというだらしのない恰好の平酒もいる。母が一瞬、こちらに目をやった。そしてすぐ体育館のコートへと視線を下した。
私は制服のスカートの上で拳をにぎる。そんなことをしてもなんにもならないのだけれど、そうせざるを得なかった。
「始まるで」
吞神狂鳴が言うやいなや、玄武高校ドミノ部が入場してきた。先頭は部長の土多摩。その後ろには、腕に腕章をつけた、勝気そうな女子。そして黒い体操ジャージを軍服のように着こなす部員たち。百人以上はいる。
おもむろに母が立ち上がった。マイクを手にする。
「みなさん、本日はドミノ選手権にご来場いただき、誠にありがとうございます。この大会の審査委員長として、そしてドミノ教会副会長として厚くお礼を申し上げます」
つづいて母は簡単なルール説明を行った。合計点数は、速度点、創意工夫点、倒牌点を足した合計であること。制限時間内にドミノが完成しなかったときは大幅な減点を受けること。審査委員長の母だけは、すべての会場を見て回り、すべてのドミノに点数をつけること。
一礼し、マイクを審判らしきスーツの男性にわたす。
「それでは、これより玄武高校ドミノ部のドミノ並べを始めます。制限時間は四時間です。はじめっ」
玄武高校ドミノ部は整列したまま動かない。体育館のステージに部長が立つ。メガフォンを口元にもっていく。
「練習通り、並べること。以上」
即座に各部隊が動き出す。牌の詰まったコンテナを運ぶ部隊。人の流れをとめないよう誘導する部隊。ドミノ牌を並べていく部隊。並べたドミノ牌のわずかなズレを修正していく部隊。各隊がそれぞれの役割をまっとうし、ドミノが出来上がっていく。
「何かの絵?」
七実の直感は正しい。玄武高校は体育館いっぱいを使った一枚のドミノ絵で勝負をしかけてきた。ドミノ絵は倒れてはじめて絵の内容が明らかになる。故に倒れない牌があれば、大幅に減点をくらう。しかし完成すれば高得点は間違いない。そして玄武高校のドミノ絵は完成するだろう。それも恐ろしいほど高い完成度で。
休憩が終わり、再び玄武の部員が動き出す。どの小隊もまったく疲れを見せない。中でも、とりわけ目を引くのは、腕章をつけている女生徒が率いている部隊だ。体育館を縦横無尽に駆けまわり、ドミノ絵の要所要所を手際よく並べていく。あの隊だけ練度が違う。他の小隊の倍は働いてる。
「やっぱあの副部長、もっと徹底的につぶしとくんやったわ」
呑神がつぶやいた。どうやらあの腕章をつけている女生徒が玄武の副部長らしい。俊敏に各現場を回り、難易度の高いドミノを一つのミスもなく並べていく。私は唇を噛む。
「倒山、なんや、悔しいんか?」
「別に」
「去年の自分やったら律田に負けへんかったのに。そう思っとるんやろ」
「そうですよっ」
どうしても現実を突きつけられる。私は一度、ドミノから逃げたんだ。実力は格段に落ちている。
「そんな怒るなや。別にええやんか」
「は?」
「律田に負けても別にええ言うとんのや」
「それは楽しければ、負けてもいいってことですか?」
「そんなわけないやろ、ドアホ。お前が律田に負けても、俺らが玄武に勝てばええ話や」
「簡単に言いますけど、あっちはまだ部長も温存してるんですよ。ウチが勝てるとは、到底思えません」
私がそう言うと、呑神は乾いた声で笑った。
「温存やない。土多摩はな、あいつは、今年もドミノ並べんつもりなんや」
「指揮に徹する、ということですか?」
「もったいないやろ。あいつ、めちゃくちゃドミノうまいねんで。中学時代、選手権で俺の決勝の相手はいつもあいつやった。なのに、高校入った途端、大会ではドミノ並べんで指揮とるばっか。なんやそれ。おもんな。人こきつこうてばっかやのうて、己の力で勝負せえっちゅうねん」
私は七実と顔を見合わせる。
「それ、たぶん、呑神先輩のせいですよ」
「わーとっるわ」
意外な返答。
「全部わかっとって、それでも俺は、あいつにドミノ並べてほしいんや」
ふと、審査員の母のことが気になった。母はどうなんだろう。私にドミノを並べてほしいのか、ほしくないのか。普通に考えれば、ほしくないだろう。また倒山の名に泥を塗られるかもしれない。そう思うのが自然だ。私は今日のドミノで母に何を示せるだろう。むずかしいことを考えていると、玄武高校のドミノ並べは佳境に入っていた。最後の一牌を副部長が研ぎ澄まされた所作で決める。開始から三時間四十五分。十五分の猶予を残し、玄武高校はドミノを完成させた。
審査員が立ち上がる。母が宣誓するかのように片手をあげた。それを見て土多摩部長が最初の一牌を倒す。ドミノが、倒れていく。一つ残らず、大海を波うつように。倒れた牌が描いた絵、それは禍々しい亀だった。甲羅には蛇が巻きついている。玄武高校のシンボル、中国の伝説上の生き物、玄武だ。会場全体から拍手が沸き上がる。揺れるような大喝采。審査委員長である母も満足げにうなずいている。拍手を送っていないのは、私と呑神狂鳴だけ。弱音は好きじゃない。でも勝てない。今の私じゃ。
「昼や昼。さっさと食って本番直前のミーティングすんぞ」
呑神狂鳴が吠えた。祖母に作ってもらったお弁当を食べながら、午後の自分たちのパフォーマンスのイメージ練習をしていると、七実がぽつりと言った。
「あ、玄武の部長さん」
背の高い、七三分けの眼鏡男、玄武の土多摩部長が呑神狂鳴のもとに来ていた。
「ウチは完璧なドミノをした。三連覇だ」
「気が早いやっちゃな」
「気に病むことはない、呑神。個人ならお前がナンバーワンだ。それは俺も認めている。しかし、団体ではウチがナンバーワンなだけのこと」
呑神狂鳴がコンビニ弁当のからあげに割りばしを突き刺す。
「十五分」
一瞬間があく。
「それだけの時間あったら、プラス一工夫できたやろ」
「速度点を落としてまで粘る必要は皆無だな。それに練習でできていないことを本番ですれば、失敗する」
呑神狂鳴が舌打ちする。
「もうええわ。ウチはこれからミーティングや。しっし」
「邪魔したな。午後のお前のドミノ、楽しみにしている」
去ろうとする土多摩部長を呼び止めたのは、七実だった。
「玄武のドミノすごかったです。亀の甲羅から出てるヘビなんか、すごいうにょうにょ曲がりくねってて」
「君は、たしか呑神が目をかけているという一年ルーキー」
「はい、並川七実です」
「そうか。ドミノは楽しいか?」
「はいっ」
七実のまっすぐな返答に土多摩部長は目を細めると、
「健闘を祈る」
と言い残し、その場を立ち去った。
昼を食べ終えた私たちは、二階から下り、体育館のコートの真ん中に集まる。本番前の最終ミーティングは一言で終わった。
「絶対勝つ。それだけや」
私たちはうなずく。でも、そのうなずきに呑神狂鳴ほどの勝ちたいという欲望は含まれていない。帰宅部はそこまで本気じゃないし、七実は勝つことよりも楽しむことを主眼としているようだし、私は私で、目の前のドミノよりも審査委員長席に座っている母のことを気にしてしまっている。玄武とは大違いだ。こんなバラバラで勝てるわけがない。
「つづきまして、青龍高校ドミノ部です」
アナウンスに気を引き締める。そのとき、七実の指先がほんのわずかに振るえたのを私は見逃さなかった。
「はじめっ」
練習通りにドミノ牌を詰め込んだコンテナを持って各自持ち場へ。ウチは玄武とは違って誰も指揮をとらない。各々が自分の判断で動く。私は体育館の西側、審査員席に比較的近い場所でドミノを並べていく。母の視線を感じる。他の審査員やマスコミの視線も。ダメだ。全然集中できてない。もう、指が震えることはない。けど、こんな凡庸なドミノが私のしたかったドミノだろうか。これが、倒山流のドミノだろうか。会場から落胆のため息が聞こえてきそうだ。やっぱり選手権なんて出るんじゃなかった。そう思った矢先、リズムよくドミノ牌を並べていく七実の姿が視界の端から入ってきた。相変わらずなんて楽しそう。考えるのがバカらしくなってくる。今はこのドミノ絵を完成させることだけを考えよう。
私に割り当てられたドミノ絵は、『自由の女神像』だった。自由の国アメリカの象徴。あの像、正式名称は「Liberty Enlightening the World(世界を照らす自由)」と言うらしい。青緑色のドミノ牌を使い、像を描く。ただ正確に並べるだけでは、いい作品にはならない。気持ちが入っていないとダメだ。でも、私のドミノには技術はあっても、心はない。心をこめてドミノを並べる、なんてもはや無理な話だ。今の私は、ただ淡々と並べていくことしかできない。カメラのシャッター音が聞こえる。動画を撮っている輩もたくさんいる。私にばかり注目が集まる。倒山の家に生まれたせいで。みんなが私の失敗を望んでいる。こんな状況でどうやってドミノを並べればいい? 心を殺せばいい。
「いーちーかーちゃんっ」
不意に横から声をかけれた。七実がいた。片手にはスポーツドリンク。休憩がてら私の様子を見に来たというところか。
「なんかしんどそうだけど、大丈夫」
「人の心配してるヒマあったら、自分の心配したら? ペースが少し遅れてるわよ」
「後半盛り返すから大丈夫」
「そう」
会話を打ち切ろうとしたら、
「ドミノ、楽しくないの?」
とだしぬけに聞かれた。
「楽しいわけないでしょ。今だって後悔してた」
「ドミノに出会ったことを?」
「倒山の家に生まれたことを。私、ドミノが嫌いみたい」
七実は目をぱちくりさせる。
「私にはそうは見えないけど」
「なら、どう見えるのよ」
「一花ちゃんはドミノが嫌いなんじゃなくて、きっと忘れてるだけなんだと思うよ、ドミノの楽しさを。じゃないと一花ちゃんが今ここにいることの説明つかないもん。本当は思い出したいんでしょ。だからドミノ部に入部したし、イップスもがんばって克服したし、みんなの注目が集まる選手権からも逃げなかった。違う?」
違う。口ではそう言おうとしたのに、声がでなかった。
「よーし。休憩終わり。がんばるぞー」
腕まくりし、自分の持ち場に戻る七実。私は立ち尽くす。手の中には牌がある。私がここにいるのは、成り行きからでも、運命だからでもない。私自身が選択してきた結果。必然だ。他の誰でもない私の必然。倒山の家に生まれたのも、ドミノを死ぬほど並べてきたのも、選手権でイップスに陥り挫折したのも、再びドミノを始めたのも、全部私だ。
息を吐く。体が軽い。視線はもう気にならない。誰に見られてもいい。失敗してもいい。私は絶対に私だ。牌を置く。次々と。思考よりも手が動く。並べていく快感が指にほとばしる。この感覚を私は知っている。今、思い出した。家の庭園のドミノを、母と祖母と並べていたとき、幾度となくこんな快感を味わった。何も考えられないぐらいに指は次に並べる牌を求めている。
並べる牌がない。そう思ったときには、自由の女神像のドミノ絵が完成していた。一瞬だった。いや、正確には何十分も経っている。けど、体感時間は刹那だった。
残り時間はあと二時間。水分補給しつつ、周りを見わたす。帰宅部の人たちはドミノ牌を立体的に組んで、ピラミッドを作っている。順調そうだ。彼らはミスをしない。調子のいい悪いもない。とてもありがたい。七実が担当している富士山のドミノ絵はじゃっかん遅れてるが、まあ許容範囲内だ。さて、呑神狂鳴はどうだろうかと目を向けたそのとき、指から牌が零れ落ちるのを見た。カタカタカタカタと牌が倒れていく。まずい。呑神狂鳴が必死の形相で牌の連倒を止める。息を切らし、その場に座り込むと、体育館の天井を見上げた。
私は唖然とした。呑神狂鳴が作り上げるはずの万里の長城は、まだ三分の一程度しかできていない。このままじゃ完成しない。私は並んでいる牌に気をつけながら早足で呑神狂鳴のもとに向かう。
「このままじゃまずいです」
「んなことわかっとるわ、ボケ」
「どうしたんですか? さっきも牌を取りこぼすし、よく見たら、牌の並びも微妙に狂ってていつもの冴えがないし、もしかして――」
私は口を押える。自分のことでいっぱいいっぱいになってすっかり忘れていた。生駒さんが、今日の呑神は調子が悪そうだと言っていたのに。
「先輩、今日不調の日ですか?」
「どうやらそうみたいやわ。ったく。俺もついてへんわ」
ドミナーには、年に数回、どうしたってドミノをうまく並べることができない不調の日がある。
「万里の長城は私がやります。先輩は七実のフォローに回ってください」
「やりますって、お前、自分の自由の女神像は?」
「もうできました」
「なんやと? そんなわけ――」
言葉が途切れる。私の持ち場に並び立つドミノ牌を見て言葉を失ったようだ。
「今の私なら万里の長城もいけます」
「なんや倒山、お前、絶好調かいな」
呑神狂鳴が笑う。
「でもあかん。並川のフォローに回るんはお前や」
私は眉をひそめる。
「七実よりも先輩の方がピンチだと思いますけど?」
「そうやとしても、並川のフォローに行くのはお前や。俺やない。俺じゃダメなんや、きっと。本当の意味であいつのフォローできるのは、お前だけやと思うで。こっちは心配するなや」
「万里の長城が完成しなければ確実に負けますよ?」
「お前なあ、俺を誰やと思てんねん。呑神狂鳴やぞ。不調から脱出する方法の一つや二つ、持っとるに決まっとるやろ」
そう言って呑神狂鳴はヘアゴムでロン毛を一つに束ね、両頬を手で叩いた。
「っしゃっ」
牌を持ち、並べだす。ゆっくりと、でも次第にスピードがあがっていく。ミスしそうな気配はもうない。大丈夫そうだ。流石、中学ドミノ選手権三連覇の絶対王者。不調ごときじゃこの男は止まらない。
私は呑神狂鳴に言われた通り七実をフォローしに行った。
「一花ちゃん、もう自由の女神像終わったの?」
「まあ。今日はなんだかすごく調子がよくて」
本当は七実との会話がきっかけでゾーンに入れたのだけれど、それをそのまま伝える素直さは私にはない。
「手伝う」
「うん。お願い」
七実が担当しているのは、富士山のドミノ絵だ。そして、この富士山を完成させたあとには、牌を放射状に並べてドミノで花火を作る。やることは多い。時間はたりない。牌をつかむ。無心で並べていく。再び深い集中の底にもぐっていく。絶好調時の呑神狂鳴にも負けず劣らないスピードで牌を並べる。牌が立つたびに指先が喜びにわななく。富士山の裾野から中腹までの部分を一気に並べていく。山頂から並べていた七実と落ち合い、富士山のドミノ絵ができあがった。
「やったー、完成」
「まだ花火が残ってるでしょ」
「そうだった」
場所を移動し、体育館の真ん中からドミノを放射状に伸ばしていく。残り時間はもう一時間を切っている。余裕はない。私の集中力も切れてきた。調子に乗って中盤飛ばしすぎた。疲労感が体を重たくする。それでも一つ一つ並べていくしかない。ゆっくりと、ミスをしないよう、着実に。時間は大丈夫だと自分に言い聞かせる。終盤のミスは取り返しがつかないこともある。しんどい。でも、去年の選手権のときに感じたしんどさとはまるでちがう 。今の私には仲間がいる。勝っても負けても、一人じゃない。そう思うと心が軽い。自分をがんじがらめにしていた思考の縄がほどけていく。
あと数分。全体を見るのも私の役目だ。帰宅部の方を見る。ピラミッドの前で生駒さんが手を挙げた。完成している。呑神狂鳴の方へ視線を移す。呑神狂鳴は完成した万里の長城の横で仰向けに倒れ、伸びていた。精も魂も尽きはてたようだ。ということは、私たちの花火が最後。「七実」
「うん」
最後の一牌を七実が手にした。あとはそれを置くだけ。体育館中のすべての人が息を止め、七実の手元を見つめる。そのときだった。かすかに、ほんのかすかに震えが走った。七実の手首に。あんなに楽しそうにドミノをしていた七実が顔を硬直させて、必死に震えを抑え込んでドミノを置こうとしている。
私は、私がここにいることの意味を、ようやく、悟った。




