練習試合
夏休みの練習の日々は淡々と過ぎて行った。時たま、帰宅部部長の生駒さんが来て、コンビニのアイスやマックシェイクを差し入れしてくれた。地味で影の薄い先輩にしては気が利いている。顧問の新内先生も毎日一回練習を見に来る。そして呑神狂鳴に関する愚痴を私と七実に言いまくる。教師がそんなに生徒の悪口を言っていいのかと心配になるぐらい愚痴る。呑神狂鳴は終業式の放課後のミーティング以来、顔を見せない。
七月が終わり、八月もすぐに半ばに差しかかった。お盆は三日間、全部活休み。これは青龍高校の規則で決まっている。私はと言うとその三連休、祖母と母と父と家族そろって墓参りに行ったほかは、七実の家に遊びに行ってムギと戯れたぐらい。犬を飼いたい。強くそう思う。
お盆明け、ずっと練習に来なかった呑神狂鳴が顔を見せた。
「急な話で悪いんやけどな、明日、朱雀高校ドミノ部の連中がここに来る」
朱雀高校と言えば、ドミノ選手権団体の部で毎年いい成績を残している強豪校だ。何も知らない七実が無邪気に問う。
「え? 急に? 何しにくるんですか?」
「んなもん練習試合しにに決まっとるやろが。選手権の前哨戦やな」
「じゃあ久しぶりにウチの部も全員勢ぞろいですね、やった」
「なんでや、アホ」
「だってだって選手権の前哨戦ってことは体育館のコート全部を使ってドミノを並べるってことですよね? 全員そろわないと無理じゃないですか、そんなの」
「帰宅部の連中に一応連絡はしたけどな、絶対来いとは言うてへん。来れたら来いやって言うたら、あいつらみんな、行けたら行く言うとったわ」
「え? え? じゃあ最悪三人で練習試合に臨むってことですか? あ、でも、吞神先輩も一花ちゃんもめちゃくちゃすごいから、けっこーいい勝負になったりして?」
「言っとくけど、俺は不参加やからな。あてにすんなよ」
ふざけてる。
「負けますよ?」
私は挑むような口調で言った。
「いや、勝て。お前ら二人で朱雀高校のドミノを完膚なきまでに叩きのめすんや」
「が、がんばります」
「七実。これはがんばってどうにかなる問題じゃない。そもそも練習試合は明日なのに、広域ドミノの設計図さえこっちにはない」
「そんなんなんぼでもあるわ、ほれ、ほれ」
呑神狂鳴はズボンのポケットからくしゃくしゃに丸めた紙屑をぽいぽい体育館の床に投げ捨てた。広げると、どの設計図にも鉛筆で大きくばってんが書かれていた。
「今年の選手権で並べるドミノのボツ案や」
呑神狂鳴が練習にこなかった理由はこれか。選手権の会場はここよりももっと大きな市の複合体育館だ。使うドミノ牌の数は万を優に超える。設計図を完成させるのに一夏かかる可能性すらある。
「本命の設計図はまだできてないんですよね?」
「ほ、ほぼできとるわ、ボケ」
「なら、そっちを練習試合で試した方が」
「あかん。本命はお前ら二人じゃ並べ切れん」
「なら先輩も出ればいいじゃないですか。一緒に巨大ドミノ並べましょう」七実が陽気に言った。
「アホ。俺はやることあんねん。それに朱雀高校ぐらいお前ら二人で倒し切らんかい」
優勝候補の朱雀高校ドミノ部を、たった二人で倒す。それは不可能というものだ。個人戦ならともかく、団体戦は人数がものを言う。だからこそ、部員数の多い玄武高校が強いのだ。けれど、この男には何を言っても無駄だろう。四月に出会ってから、やることなすことでたらめばかり。王道につばを吐き捨て邪道を突き進むしか能のない異端児に正論を解くなどそれこそ時間の無駄だ。
「わかりました。要は朱雀高校に勝てばいいんですよね?」
「せや。なんとしてでも勝て。もしここで負けるようなら、選手権で優勝するなんて夢のまた夢や。あー、そうそう。条件が一つあったわ」
人差し指を立てて見せる呑神狂鳴。
「条件?」
「ドミノを完成させる最後の一牌は、倒山、お前が決めや」
「え? なんでですか? 私じゃダメなんですか?」
「ダメというか、意味ないねん、それじゃあ。まあ、精々がんばるっこちゃな」
呑神狂鳴が去ったあと、散らばったボツ案を拾い集め、七実とどの案を採用するか、検討した。二人だけで並べ切れそうな設計図。そんなものは一つもなかった。
「この設計図、立体交差がすごいあるよ。それに最後はドミノ文字。商店街で玄武高校がやってたやつ。これやってみたい」
「ならそれにしましょ」
もう投げやりもいいところだった。私たちは設計図の通りにドミノを並べようと試みた。が、日が落ちてもドミノは完成しなかった。七時間かけて、完成度は五十%といったところ。明日の練習試合の持ち時間が四時間であることを考えると、結果は目に見えている。
「一花ちゃん、これ、やばいよね」
「ええ。こんなんじゃ試合にすらならない」
「やっぱり二人じゃ無理だって先輩に言お」
「設計図通りに作らなければいいのよ。牌の数をもっと減らして、各ゾーンの難易度も下げる。こじんまりしたドミノになると思うけど、完成しないよりはマシでしょ」
「うん。でも呑神先輩も無茶言うよね」
「あいつにとっては無茶でもなんでもないのかもね、このぐらい」
迎えた次の日。私と七実は朝早くから体育館に行き、掃除をし、器具庫から大量のコンテナケースを引っ張り出し、練習試合ができるように準備を進めた。朱雀高校は今回、二万個のドミノを使うと聞いている。本当は私たちも二万個並べるはずだったが、呑神狂鳴の設計図をスケールダウンして、半分の一万個でドミノを作ることにした。
九時前、朱雀高校ドミノ部が到着した。灰色の制服に身を包んだ彼女たちは、どことなく清楚な雰囲気を漂わせている。
「全員、女子だね」
七実が耳打ちしてきたので、小声で返す。
「朱雀高校は女子高よ。私立のお嬢様学校」
先頭に立っていたおかっぱ頭の女子が恭しく一礼して、微笑した。
「朱雀高校ドミノ部です。このたびはお招きいただき、ありがとうございます」
「青龍高校ドミノ部の倒山一花です。あいにく部長の呑神は本日欠席していますが、私たち二人がお相手しますので、よろしくお願いします。あなたが部長ですか?」
「いいえ。私は副部長です」
「そちらも部長はご欠席ですか?」
「いいえ。来ておりますよ。ほら、あちらに」
手で指し示した方向は私たちの後方。振り返ると同時に、重厚な和音が体育館に響いた。
「なっ」
朱雀高校の生徒がステージの上にあがり、グランドピアノを弾いている。クラシックに疎い私でもこの曲は知っている。ベートーベンの『運命』。あのピアニストが朱雀高校ドミノ部の部長。呑神狂鳴もたいがいだが、朱雀の部長もどうかしている。使用許可もとらないでよその学校のピアノを勝手に弾くなんて。演奏をやめさせようと思い、ステージの方へ歩を進める。ピアニストの容姿がはっきりしてきたところで足を止め、息をのむ。縦にロールした黄金色の髪。不敵な灰色の瞳。忘れもしない。あいつは――。
突如、不協和音が鳴り響き、ピアニストが屹然と立ち上がった。
「倒山一花。ここで会ったが百年目ですわ」
「綺羅崎灰音」
私はその名を苦々しく口にした。
「え? 一花ちゃん、朱雀の部長さんと知り合いなの?」
「知り合いなどという浅い関係ではありませんのよ、わたくしたち」
「じゃあなんなんですか?」
「宿敵。そう言って差し支えないでしょうね。わたくしたちは、あの舞台で戦ったのですから」
事情を知らない七実に説明する。
「綺羅崎は、去年のドミノ選手権中学個人の部の優勝者よ」
「それってつまり、倒山さんにも勝ったってこと?」
「ええ。決勝で私はこいつに負けた」
「否ですわっ」
綺羅崎灰音が声を張り上げる。
「あのときは倒山一花、あなたがただ自滅しただけですわ。あんなもの、不戦勝と同じ。だからこそ、今日この場であの日の決着をつけてさしあげますわ」
綺羅崎の顔には自信がみなぎっている。しかし一点、腑に落ちない点がある。
「一年生のあなたが部長なのはなんで?」
朱雀の副部長が説明する。
「朱雀高校ドミノ部は完全実力主義を謳っています。部で一番ドミノがうまい者が部長を務める。学年の上下関係は一切ありません。昨年のドミノ選手権を制した綺羅崎さんが部長になるのは至極当然のことでございます」
なるほど。
綺羅崎が体育館を見渡して言う。
「練習試合は団体戦を想定して行うとそちらの野蛮な部長さんからお聞きしたのだけれど、青龍高校ドミノ部の他の方々はまだ来られてませんの?」
「他の部員は来ない」
「ご冗談を」
「冗談じゃないわ。こっちは私と七実の二人だけ」
綺羅崎が目を細める。
「たったお二人でこのわたくしが率いる朱雀高校ドミノ部を相手にするというの? そんなもの、勝負になりはしないわ。わかりました。では本日は、急遽予定を変更し、倒山さん、あなたとわたくしとの一騎打ちと行きましょう。その方がお互いにとって得るものがありますし、胸が高鳴る勝負ができると思いますの」
「反対っ」
勢いよく手をあげたのは、七実だった。
「私も一花ちゃんと一緒に戦うし、朱雀高校の人たちも全員参加した方がいいと思いますっ」
「なぜ?」
「なぜって、だってその方が楽しいじゃないですか」
七実の曇り一つない眼に綺羅崎が一瞬ひるむ。副部長がすかさずフォローする。
「しかし、ハンデか何か設けないと、本当に勝負になりませんよ。こっちは五十名近くいますが、そちらは二人。これではあまりにも結果が見えすぎています。練習試合をしに来た意味がありません」
もっともな理屈だ。わざわざ来てもらっておいて、二人で相手をするというのは流石にふざけすぎている。
「もういいわ。副部長。帰りましょう。これ以上は時間の無駄です」
綺羅崎灰音がステージから下り、最も大きな正面出入口へ向かって歩き出したそのとき、体育館横の出入口からぞろぞろと、冴えない男子の一団が何とはなしに入場してきた。
綺羅崎が足を止める。七実が叫ぶ。
「帰宅部のみなさんっ」
「帰宅部? なぜ帰宅部が夏休みの学校に?」
朱雀高校ドミノ部の誰かがつぶやいた疑問に帰宅部部長の生駒さんが答える。
「ぼくたち帰宅部はドミノ部部長呑神狂鳴の支配下にあります。だから、ドミノ部の助っ人にきました」
しかし解せない。なぜ来てくれたのだ。私は確認の意味もこめて問う。
「呑神狂鳴は今回に限っては必ず来いとは言わなかったんですよね?」
「うん。来れたら来いって言われた」
「ならどうして?」
「それは、まあ、ぼくらも来る気なんてなかったんだけど、コミケも終わったし、塾で勉強するのにもうんざりしてきたし、家にいてもアニメ見るかゲームするかだし。それにまがりなりにもぼくたち、みんな二年で君たちの先輩だからね。一年の二人に練習試合を丸投げするのは流石にダサすぎるかなって思って。ドミノ並べるかは別にして、様子見に行くだけ行って、二人が大丈夫そうなら速やかに帰宅しようって思ってたんだけどさ、大丈夫そうじゃなかったから」
生駒さんをはじめとして、来てくれた帰宅部は二十人。私と七実を合わせて、青龍高校ドミノ部は二十二名。これでもまだ勝ち目は薄いけど、最低限試合にはなる。私は綺羅崎の顔を見据える。
「改めて、青龍高校ドミノ部として朱雀高校ドミノ部に練習試合を申し込みます」
「いいでしょう。受けて立ちます」
綺羅崎灰音は笑みを崩さずそう言った。
それから、各校を代表して私と綺羅崎で、今日の練習試合の審判と審査員を務める男を呼びに校長室に行った。男は革張りのソファに深く腰かけ、足を広げ、校長との雑談に花を咲かせていた。
「しかし青龍高校ドミノ部も落ちぶれたもんだなあ。校長。あなたは知らないかもしれないが、かつてここにはそれはそれはでっかい優勝旗が飾られていたんですぜ」
「ほう、そうですか」
「失礼します、ドミノ部一年の倒山一花です。準備が整いましたので、平酒審判兼審査員、体育館の方へご入場願います」
その男、平酒佑健はパーマをかけた頭をこちらに向けると、目を大きくした。
「一花ちゃん? マジかよ、おい。え? 嘘嘘。ママからドミノはやめたって聞いてたけど、いったいどういうことだよ、こりゃ」
私は舌打ちする。ドミノ教会が派遣してきた審査員がまさかこいつとは。つくづく運がない。
「しかも隣にいるのは、去年の選手権覇者の綺羅崎灰音ちゃん? うわー、練習試合の審判とかだりーなって思ってたけど、今日の俺、めっちゃついてるわ。まさか一花ちゃんと灰音ちゃんのドミノが見れるなんて」
「こちらこそ、プロドミナーであらせられる平酒さんにジャッジしていただくなんて光栄ですわ」
「よーし、おじさん、審査がんばっちゃうぞー」
うざい。平酒はプロのドミナーで、母のライバルだった。過去形なのは、母の成長は今なお止まらないのに対して、この男のドミノはあるときを境に成長が止まったからだ。今となっては雑誌のインタビューなどで、ドミノは技術よりもハートが大事だ、などと訳のわからないことを語っている始末。
私たちが校長室を出た直後、入れ違いで、教頭と生徒指導の体育教師が肩を怒らせて校長室へと駆け込んでいった。
「校長、また呑神がやらかしましたよ。他校の部活を盗撮していたようです」
「退学だっ、退学」
「まあまあ。詳しい事情を聞こうじゃありませんか」
呑神狂鳴が盗撮。やってもおかしくないわね。遵法意識とか皆無だろうし。怒鳴り声を背中に聞きながら、私たちは体育館に向かう。平酒があくびをして言った。
「ママ、元気?」
「おかげさまで、大病なく」
「今度さー、遊びに行ってもいいか、聞いといてくんない? 久しぶりに庭園ドミノいじりたくなっちゃってさ」
「庭園ドミノ? 何ですの? それは。私もやりたいですわ」
「よし、それじゃあ今度行くときは灰音ちゃんも連れて行ってあげるよ」
勝手に決めるな。私は二人を無視して歩き続けた。体育館に戻ると、青龍、朱雀、両校ともに今日の試合で並べるドミノの設計図を広げ、最後のチェックを行っていた。私と綺羅崎が部員を呼び集め、平酒の前に整列させる。
「おはよう諸君。今日の試合の審判と審査員を務める平酒佑健だ。職業プロドミナー、好物はいちご大福、嫌いなものはイナゴの佃煮。趣味は――」
「ルール説明をお願いします」
「何だよ、一花ちゃん、こわいなあ」
咳払いして、平酒はしきり直す。
「各校、持ち時間は三時間。使えるドミノの数に制限はないが、並べていい場所はこの体育館内のみ。九時から先手の高校が並べる。昼休憩を挟んで十三時から後手のターン。何か質問は?」
「審査の基準は?」
朱雀の副部長が尋ねた。
「俺がいいと思った方」
「ふざけないでちゃんと答えてください」
私が言うと、平酒は頭をかきながらうつむき、だるそうに顔をあげた。
「審査基準は主に三点。どれだけ速く完成させることができるか。完成後のドミノ披露の際にちゃんと倒れた牌の数。あと、創意工夫の点数だな」
ちゃんと完成させ、披露時にすべてのドミノが倒れ、創意工夫もこらされている作品ほど高得点というわけだ。
「手番はもう決めたのか?」
「まだです」
「じゃあ今決めろ。じゃーん、けーん、ぽん」
私がパーを、綺羅崎がチョキを出した。
「朱雀高校。先攻後攻どっち?」
「先手必勝。先攻でお願いいたしますわ」
「オーケイ。試合開始は九時から。それまではウォーミングアップなりミーティングなりご自由に」
とはいっても、九時まではあと十分かそこらしかない。私は七実と帰宅部の人たちを引き連れて体育館二階へとあがる。ここからなら朱雀高校の全部員の動きがよく見える。
「楽しみだね」
七実が柵にもたれかかって言う。
「そうね」
私は心もこめずそんなことを言った。帰宅部の人たちはスマホをいじったり、文庫本を読んだりしている。やはりドミノに興味はないらしい。
定刻。九時きっかりに平酒がブザーを鳴らした。朱雀高校ドミノ部が一斉に動き始める。四グループになってコンテナをそれぞれの持ち場へ運び、ドミノを並べ始める。急ぐ様子はない。余裕さえ感じられる。流石、昨年のドミノ選手権高校団体の部の準優勝校だ。指先の動きまで洗練されている。
「一花ちゃん、あれ」
七実が異変に気付いた。朱雀高校ドミノ部の中で唯一、まだ動いていない者がいた。部長の綺羅崎だ。目を閉じて体育館の中心に突っ立っている。私はあいつのことを知っているから、あいつが今、何をしているのか、だいたい見当はつく。
「綺羅崎は耳がいいの。だから音を聞いてるんだと思う」
「音ってドミノ牌の?」
「それだけじゃない。足音、息遣い、心臓の鼓動、この体育館中のありとあらゆる音を聞いて、次に何が起こるか、知ろうとしてるの」
「そんなことできるの?」
普通はできない。けれど、綺羅崎は普通じゃない。国際ピアノコンクールで入賞するほどのピアニスト。いい耳を持っている。ドミノなんてやめてピアノ一本で生きていけばいいのに。そんなことを思っていると、綺羅崎が動いた。静かな足音が体育館に響く。数秒後、部員の手元がわずかにぶれ、牌を倒した。連鎖して牌が倒れていく。すぐにリカバーに入ろうと動き出す前に、綺羅崎がそこにいて牌を止めた。
「水分が少しだけ足りていないようですわ。補給してらっしゃい」
ミスした部員は素直に従い、隅の補給エリアに向かった。その間に綺羅崎は倒れた牌を立て直し、繊細な指運びで川の水が流れるように牌を立てていく。そんなふうに綺羅崎が部員のミスを何度も救うので、朱雀高校は順調にドミノを完成させていく。一時間半ほど経ったところで、全員で休憩をとり、後半戦、綺羅崎が妙なものを取り出した。赤いコンテナから現れたそれは、鉄の棒。
「何あれ?」
七実の素朴な疑問に私は強い確信をもって答える。
「鉄琴、をばらばらにしたものよ」
「鉄琴って楽器の?」
「そう。綺羅崎、あれ、好きだから」
去年の選手権のときも使っていた。ドミノでビー玉を転がし、鉄琴の一本一本に当てて音を鳴らすのだ。さっそく朱雀高校は鉄琴を配置し、その鉄琴に向かって階段の仕掛けとビー玉を設置。手際がいい。ドミノはドミノ牌だけでなく、仕掛けも重要だ。ドミノを並べる高い技術とワンポイントの仕掛け。朱雀高校はどちらも満たしたうえで、残り時間を二十三分残し、ドミノを完成させた。
綺羅崎の報告を受けて、平酒が大きくうなずく。
「朱雀高校のドミノが完成した。速度点は二十三点、これから倒牌点と創意工夫点をつけるため、ドミノを倒してもらう」
速度点はどれだけ速くドミノを完成させたか。完成時点での残り時間が分単位でそのまま点数となる。倒牌点は披露の際、ちゃんと倒れたドミノ牌の数。創意工夫点はどれだけユニークなドミノを作れたか。審査委員の裁量が最も大きいのが創意工夫点だ。
「倒しますわ」
綺羅崎の指がはじめのドミノを倒す。リズムよく、軽快な音を立ててドミノの列が倒れていく。早くも遅くもならない。一定のスピードを保っている。カーブも難なく曲がり切る。まるで怖いところがない。最後まで必ず倒れるだろうという安心感が、朱雀のドミノにはある。鉄琴ゾーンに入った。牌が牌を倒し、仕掛けの階段を上っていく。上りきると、牌はビー玉を押し、ビー玉は階段の上から落下する。待ち受けるのは鉄琴。鳴ったのはドの音。次々音が鳴り響く。ド、ソ、ソ、ラ、ラ、ソ。これは――。
「きらきら星」
ビー玉は鉄琴を鳴らし、きらきら星のメロディーが体育館に響く。完奏し、余韻が生まれたころには、朱雀高校のドミノは一つ残らずすべて倒れていた。
七実が拍手する。私はしない。帰宅部の人たちは拍手する人、しない人、半々ぐらい。部長の生駒さんは力のない笑みを浮かべて音の出ないような拍手をしている。審査員の平酒は腕を組んで仁王立ちになっている。むずかしい表情。
「えー、倒れた牌の数は一万か。ってことで倒牌点は一万点。これに創意工夫の点数が加わるわけだが」
「何点ですの? 創意工夫点は?」
「七点だな」
「それは当然、十点中七点という評価ですわよね?」
平酒が人さし指を降って告げる。
「百点中七点だ」
綺羅崎の表情が凍る。
「わたくしたちのドミノ、その創意工夫点が七点? なぜそのような点数になるのか、ご説明してくださるわよね? 平酒佑健」
「鉄琴のアイデアはよかったが、もっとできたはずだ。例えば、和音にするとか。それに、鉄琴以外のアイデアは皆無だったしなあ。音鳴らしときゃいいだろって感じ。俺ならこのドミノ、もっと面白くできるぜ。もっともっと創意工夫を散りばめることができる。あとは何だ、見てて全然ハラハラしなかったしな。危なっかしいところがまるでない。ドミノってそうじゃないだろ。完成させることができるかどうか、制限時間が迫る中、ギリギリまで粘って粘って粘ってギリギリで完成させる。こっちはそういう熱いドミノが見たいのであって、優等生の完成することがわかりきってるドミノを見たいわけじゃねえんだよ。つーわけで、君たちの創意工夫の点数は百点中七点です。速度点、倒牌点、創意工夫点を足した合計得点は一万三十点」
綺羅崎が握りしめた拳を震わせて言う。
「平酒佑健。覚えておきなさい。今年の選手権ではあなたから、創意工夫の点で九十点はもぎとって見せますわ」
「やってみな」
その表情で平酒が綺羅崎を一人のドミナーとして認めていることが、私にはわかった。
「はい、じゃあ、昼休憩を一時間挟んで十三時から青龍高校のターンだ。時間厳守でよろしく」
平酒はそう言うと一人で倒れたドミノを片づけ始めた。朱雀高校のメンバーが手伝いに行こうとするも手で制し、弁当を食べるよう促す。牌を片づける所作の一つ一つを見ただけで、平酒がドミノを愛していることはわかる。ドミノを愛し、ドミノに愛された男。その男の一点は決して軽くない。
昼休憩が終わり、二階へと向かう朱雀高校ドミノ部とすれ違ったとき、私は綺羅崎に言った。
「平酒が創意工夫に七点をつけるなんて、少なくとも私は、初めて見た」
「倒山一花。笑いたければ笑うがいいわ。七点なんて低い点数、嘲笑されても何も言えないですわ」
「嘲笑? まさか。逆よ。あの男が創意工夫の点数に五点以上の点をつけることなんて基本ないのよ」
「はあ? 何をおっしゃってるの? 去年の選手権では――」
「選手権は別。流石のあの男も母様の前では常識的な点数をつけるわよ。殺されかねないから。でも、平酒が本気で審判をしたときの創意工夫の平均点数は五点もいってないはずよ」
「じゃあ七点と言うのは」
「胸を張りなさい」
それだけ言って私は階段を下り、体育館のコート上へと進み出た。後ろをついてきていた七実が隣に並ぶ。
「励ましてあげるなんて、やさしいね」
「別に。綺羅崎が何か勘違いしてるようだったから、教えてあげただけ」
「アハハ。素直じゃないのは相変わらずだね」
「無駄口叩いてないで集中しなさい。普通にドミノを完成させただけじゃ創意工夫なんて一点もくれやしないわよ」
「大丈夫だよ。私たち、普通じゃないから。ね、生駒先輩」
生駒先輩は苦笑いを返した。
「僕たち帰宅部は特にがんばったりはできないけど、与えられた仕事はきっちりこなすから」
「充分です」
もともとこの試合、私と七実の二人だけなら勝率はゼロパーセントだった。帰宅部の生駒先輩たちが来てくれたおかげで、百パーセント負ける試合が、あと二、三個奇跡が起これば勝てる試合にはなった。
「それでは、後手、青龍高校。持ち時間は三時間。はじめっ」
平酒がホイッスルを吹く。私たちは手筈通りまず体育館の四隅にコンテナを運ぶ。それから四つのグループに分かれ、体育館の隅からドミノを並べ始める。私は一人で四隅の一つを受け持つ。七実も一人で一つの隅を担当する。私がいる隅と七実がいる隅は、対角線上にあり、残り二つの隅は帰宅部の人たちに任せる。
いいスタートがきれたところで全体を見渡す。メインは私と七実がドミノを並べる対角線で、この線上でドミノは立体交差を繰り返す。帰宅部の人たちにはドミノ文字を作ってもらう。今回の設計図では、創意工夫の点は見込めない。ならば一つでも多くの牌を並べて、倒牌点を稼いだ方がいい。私はドミノを並べる速度を一段階あげる。立体交差にするために仕掛け階段を置き、その上に牌を置いていく。階段の側面をつらぬくトンネルの中にも牌を並べると、立体交差が完成する。私と七実はこの立体交差を連続で築き上げながら、コートの中心を目指す。お互いの進路に狂いが生じれば、対角線は完成しない。普通こういう難易度の高い対角線を作るときは、対角線の真ん中から隅へ向かって始めるのだが、この広域ドミノの設計者呑神狂鳴はそれをよしとはしなかった。
「隅から始めて真ん中でぴたりと落ち合うから面白いんやろが。対角線の真ん中から始めたってそんなんなんもおもろない」
そんな声が聞こえてきそうだ。ドミノの設計書には、手順や注意事項が詳細に書かれており、それらを守ることが競技ドミノのセオリーだ。設計者の意図を尊重しないドミノ製作を行えば、露骨に点数を下げる審査員もいる。
一時間が経過したところで、私は休憩もかねて他の人たちの様子を見に行くことにした。まずは二分した帰宅部の一方。着々とドミノを並べている。設計図通りに狂いなく、ドミノ文字を完成へと近づけていく。やる気や覇気はまったくと言っていいほど感じられないのに、彼らが並べたドミノはそれは見事なものだ。私の調子が悪いときとおなじぐらいの精度で並べることができている。しかもミスがない。始まってからというもの、帰宅部の方からはドミノ牌が倒れる音をついぞ聞かなかった。ノーミスで淡々と何の矜持も持たないでここまでのドミノを。そんなことがあり得るのか。帰宅部のもう一方のグループには部長の生駒さんがいた。みんなをしきったりはしていない。各人が個人プレーで、けれど互いの邪魔にならないように作業している。見たところ、生駒さんのドミナーとしての実力は、他の帰宅部部員とそう変わらない。でも彼には底知れぬ余裕があるように感じられる。気のせいだろうか。こちらに気づいた。歩み寄ってくる。
「倒山さん、そっちはどう?」
「私の方は順調です。問題は――」
「並川さんの方だね」
やはり、七実の状況にも気がついている。他の帰宅部部員は目の前のドミノをこなすだけなのに、この人は全体を見れている。
「七実のペースがどのぐらい遅れているかにもよりますけど、もしかしたら、応援が必要かもしれません。そのときは生駒さんにお願いしようと思うんですが、大丈夫ですか?」
生駒さんは目を閉じてうなずく。
「問題ないよ。まあ、できる限りのことしかできないけどね」
力なく笑って作業に戻って行った。食えない人。私はその後ろ姿を一度強くにらみつけてから踵を返し、七実の元に向かった。七実は私に気づかない。目の前のドミノに集中している。おそらく相当視野が狭くなっているはずだ。どんどん牌を並べていくが、焦りと緊張からかそんなにきれいではない。七実本人も並べたドミノのわずかな狂いに気づいているようで、あとからきれいに調整するが、そのせいで作業スピードは落ちていく。スピードと質の両立。それができてはじめて私たちは、ドミナーを名乗ることを許される。でも七実には無尽蔵の集中力はあっても、技術が伴っていない。練習試合本番の緊張下で、スピードと質の両方を損なわずに作業を進めるだけの余裕がない。
「七実」
声をかけてみても七実は顔を上げない。
「七実」
「わっ、一花ちゃん」
顔を上げて目を見開く七実。
「休憩にしましょう」
ミネラルウォーターのペットボトルをわたす。飲みながら、一時間と少しの時間で七実が並べたドミノを見渡す。立体交差の数は十を超えている。でも、危なそうな箇所がいくつもある。私はドミノが止まってしまいそうなところの牌を少しずらす。これで披露のときにちゃんと倒れるはずだ。
「ごめん。私、かなり遅れちゃってる。なんか、遅れを取り戻そうとすればするほど、ドミノが雑になっちゃって」
後頭部に手を当て、はにかみながら七実は言う。
「練習と本番ってこんなに違うんだね」
「本番って言っても、これ、練習試合よ。本当の本番じゃないわ。気楽にやりなさい」
「うん。でも、朱雀高校には、綺羅崎さんには、負けたくないから」
「なんで? 別に七実は因縁とかないでしょ」
「私にはなくても、一花ちゃんにはあるんじゃないの」
私は言葉に詰まる。去年の選手権の決勝で、綺羅崎灰音に私は負けた。
「だから何だって言うのよ」
「リベンジしよう。そうしたらきっと」
「きっと?」
七実は私の右手をちらりと見ると、開きかけた口を閉じた。その表情のわずかな変化から私は悟る。そうか、去年の決勝で発症した私のイップスを直すために、綺羅崎にリベンジしようなんて言い出したのか。
「勝ちたいなら、もう少しペースを落としなさい」
「え? なんで?」
「気づいてるでしょ。雑になってる。スピードよりも質の方が大事よ」
「でも、ペース落としたら完成しないよ」
「するわよ。一人でやってるんじゃないんだから。これは団体戦。実力云々じゃなくて、フォローの上手いチームが勝つ」
これ以上無駄話をしている時間はない。私は持ち場に戻り、自分のドミノに集中した。本来であれば、私は指揮をとり、常に全体の進捗具合を測りながら、設計図と現実のずれに対して修正を加えていかないといけない立場にある。でも、帰宅部の人たちが思いのほかちゃんとやってくれているから、これから一時間は、自分のドミノだけに全身全霊をつぎこめる。七実のフォローをするためには、まずは自分の持ち場を終わらせないといけない。そしてそれは、他のことを考えなくてすむならそう難しいことではない。これまでの人生で何億個、牌を並べてきたと思っている。単純な連続立体交差なんて目をとじていても、一ミクロンの狂いもないものを作ることができる。指は動く。意識はない。音が消えて、視界から牌以外のすべてが消える。
気が付くと、私は自分の持ち場を超えて、七実の持ち場をやや侵食する形で立体交差ドミノを並べていた。いけない。集中しすぎた。七実を助けに行く前に、並べたドミノの中から牌を一つだけ抜く
――ドミノを完成させる最後の一牌は、倒山、お前が決めや。
それが吞神狂鳴が私に出した条件。ただ勝つだけでなく、最後の一牌は私が置くこと。吞神狂鳴も七実も私のイップスを心配している。余計なお世話だ。第一、簡単に治るものではない。そこは割り切ればいい。選手権本番で、私が最後の一牌を置かなければいいだけのこと。本当は、私が最後の一牌を置く必要なんてどこにもないのだ。私たちがやっているのは、個人戦じゃなくて、団体戦なんだから。
七実は私に言われた通りにペースを落とし、堅実なドミノを築き上げていた。七実は隅の方から中央に向かって立体交差を連続で並べて向かってくる。私は体育館中央から七実の方に向かってドミノを並べていくことにした。私と七実のペースが同じなら中央で落ち合えたのだが、私と七実ではいかんせん実力が違いすぎる。牌を手に取る。私はさきほどまでよりもゆっくりと確実にドミノを並べていく。ここで焦ってはいけない。というより、後半になるほど、ペースを落とし、慎重に並べていくのが競技ドミノのセオリーだ。なぜなら、時間が経てば経つほど、疲労はたまり、終了時間が迫る焦りからも、後半はミスがでやすい。私も、さすがにのどがかわき、汗がにじんでくる。休憩がてら、帰宅部の様子を再度見に行く。彼らは着々とドミノ文字を完成させていく。序盤とまったく同じペース。残り時間は一時間を切っている。なのにまるで焦りがない。
「こっちはあと二十分で終わる」
生駒さんが顔をあげて言った。
「だから、最後の三十分は並川さんのフォローに回れる」
「いつも、こうなんですか?」
「こう?」
「最初から最後まで同じペース」
「ああ、まあ、ぼくたち、ドミノに愛着とかまったくないからね。吞神先輩に弱みを握られて仕方なくやってるだけ。吞神先輩が怖いからさぼったり手を抜く勇気もない。かといってがんばろうなんて気持ちはもっとない。だからかな、一定のペースでドミノができていく。それだけは先輩にもほめてもらったっけ。別に嬉しくないんだけどね」
恐ろしい。調子がいいときもなければ、悪いときもない。常に平静に一定のテンションで作業を進める。そんな優秀な部隊を擁していたにも関わらず、吞神狂鳴は、団体戦で玄武高校に勝てていない。
また、負ける。
私は身震いした。去年は個人戦で綺羅崎に負け、今年は団体戦で玄武高校に負ける。この練習試合も勝てはしない。倒山家に生まれようと、私は私だ。だからこそ勝てない。私はきっとドミノに愛されていない。七実と会って、もう一度だけドミノをしてみようと思えた。でも、ただの確認作業なのかもしれない。私はドミノに向いていない。きっとそう。そうなんだ。
「倒山さん?」
生駒さんの声が遠くからした。でも実際には生駒さんはすぐ目の前にいた。
「ごめんなさい。ぼーっとしてました」
「うん。休憩した方がいい」
生駒さんが自分の持ち場に戻っていく。視界の端に七実が入ってきた。あごから汗をたらし、まばたきもしないでドミノを並べていく。帰宅部とはまるで正反対だ。七実のあの目は、試合の結果に一喜一憂する人の目だ。あれほどの情熱は、私にはない。自分の持ち場に戻り、牌を並べる。万が一、朱雀高校に勝利したら、練習試合といえど、ドミノ界の誰もが知ることになる。倒山一花がスランプを克服して復活したと。そしたら、また、負けられなくなる。全身が急に重たくなる。まずい。ペースが落ちる。考えるな。私はただ機械的に牌を並べていけばいいんだ。考える必要も楽しむ必要もない。息が荒く浅くなる。ダメだ。何も成長していない。倒山家を背負っている限り、私はまた同じことを繰り返す。ここ一番の勝負所で重圧に耐えきれなくなって負ける。
「一花ちゃん」
顔を上げる。七実と目が合う。
「どうしたの?」
「どうもしない」
「でも苦しそう」
「別に。ドミノが苦しいのなんて当たり前だし」
「え? そうなの?」
何をいまさら。ドミノが楽しいのなんて束の間。そんな幸せなひとときは一瞬のうちに過ぎ去ってしまう。
「私はいつも楽しいけどな。こうしてみんなでドミノ並べるの」
「何が楽しいのよ。こんな負け戦」
「えっ? 私たち負けるの?」
「むしろ負けないと思ってたの? 相手は全国常連だし、こっちは吞神狂鳴がいないのよ」
「一花ちゃんがいるじゃん」
あっけらかんと言われて、私は放心する。
「呑神先輩なんかいなくても勝てるよ、私たち」
「勝てないわよ」
「勝てる」
「勝てない」
「勝てる」
七実はゆずらない。ダメだ。時間の無駄。
「どうでもいいけど、早く並べないとそもそも完成しないわよ」
「あ、そうだった。やばいやばい」
七実は並べたドミノを倒さないよう慎重に急いで持ち場に戻り、連続立体交差ドミノの続きを並べだす。私は嘆息して立ち尽くす。それから、息を吸って、呟く。
「勝てる」
帰宅部はともかく、プロドミナーには調子のいい悪いがはっきりとある。調子の悪い日はささいなミスからリズムが狂い、何もかもうまくいかなくなる。かと思えば、どんなミスも侵さず、高い集中力と広い視野でドミノを並べていける日もある。今日の私は絶好調でもなければ、絶不調でもなかった。さっきまでは。
「おっ」
審査員の平酒が声をあげた。私は無視して並べ続ける。五感が研ぎ澄まされて、二階席にいる朱雀高校の人たちの声も聞き取れる。
「それでこそ倒山一花ですわ」
序盤や中盤の倍速以上のスピードで牌を並べていく。指が冴えているのが自分でもわかる。ミスりようがない。私の牌は必ず立つ。わずかなずれもない。まったく同じ構造の立体交差を次々と築き上げていく。七実の方には帰宅部の人たちがフォローに行っている。それでも私の方が速い。
瞬間、糸が切れた。まずい。この牌、倒れる。そう思いながらも指を離しかけた瞬間、どこからともなく不意に現れた指が牌を支えた。
「おっと危ない」
人差し指で牌を支えながらそう言ったのは、生駒さんだった。私は息をついて言う。
「ありがとう、ございます」
七実がまた一つ連続立体交差を完成させた。残すところはあと一つ。私と七実は互いにうなずくと何も言わずに最後の立体交差に着手した。絶好調の波は引き、代わりに恐怖がひたひたと忍び寄ってくる。まだ時間はある。大丈夫。そう自分に言い聞かせても、胸の奥に巣食う得体の知れない恐怖感は消えない。並べる、並べる、並べる。七実の手が止まる。もう七実にできることはないからだ。吞神狂鳴から出された条件。最後の一牌は私が立てること。牌を持つ。朱雀高校の人たちの、特に綺羅崎灰音の視線を感じる。平酒も見ている。何より、ここまで一緒にこのドミノを作ってきた、帰宅部と七実が見てる。息ができない。指が震える。やっぱりダメだった。突然イップスが治るほど世界は甘くできていない。
「ごめんなさい」
震える指先から零れ落ちた牌は、立体交差の頂点付近の牌を倒した。その影響は計り知れない。仕掛け階段に並んだ牌が倒れていく。こぼれ落ちた牌は下で交差しているドミノの列にぶつかり、次々とドミノが倒れていく。
終わった。
私がうなだれた瞬間、音が、止まった。ドミノの倒れる音がしない。見ると七実が、そして帰宅部の人たちがドミノの倒壊を止めてくれていた。それどころかすでにドミノを立て直し始めている。またたく間に、とは言えないけれど、それでも可能な限り早く、ドミノは元の状態を取り戻した。再び残り一牌。
「はい、一花ちゃん」
そう言って私に牌を渡す七実。
「また倒しても大丈夫だよ。私たち、何度でも並べ直すから」
「どうして?」
「どうしてって、仲間のミスをフォローするのは当たり前でしょ」
屈託のない笑顔を向けられて、私は気づく。そうだった。今日は、団体戦だった。たった一人で並べていたあのときとは、違うんだ。私が失敗しても、立て直してくれる仲間がいる。もう、指は、震えなかった。確固たる意志を宿したかのように、牌は立った。私の指が離れたその瞬間、平酒が言った。
「そこまでっ」
ぎりぎり間にあった。
「それではこれより審査に入る。まず速度点は、タイムアップと同時に完成したので零点」
「そんな。ひどい」
「ひどくない。そういうルールだ」
七実の抗議は間違っていて、平酒の言うことが正しい。速度点は、どれだけ速くドミノを完成させることができたかで、残り時間の分数がそのまま点数となるのだから、私たちの速度点が零点なのはしょうがない。
「次に倒牌点をつける。倒すぞー」
平酒が始点の牌を倒した。牌は本線と視線に分かれ、視線の方は体育館の隅に伸びていき、帰宅部の人たちが作ったドミノが倒れ、文字が浮き出る。体育館の隅と隅、二つのスペースに浮き出た文字は「Fuck」と「you!」だった。酷い。選手権でこんなドミノ文字を披露したら即失格だろう。本線のドミノはもちろん連続立体交差だ。対角線上をひたすら倒れていく。単調だが、倒牌点は稼げる。
「すごい」
横で七実がつぶやく。
「倒れてるっ。ちゃんと倒れてるよ、一花ちゃん」
「うん」
昔の私は、ドミノが倒れるなんて当たり前だと思っていた。倒山流の修行を重ねてきた私のドミノが倒れないなんてありえない。鍛錬の末に鍛錬を重ねた私が負けるはずないとも思っていた。でも、違った。私はあっけなく負けた。そして折れた。ドミノを人生から捨てようとした。高校に入学して、七実と会って、またドミノを始めて、私はいまここにいる。今日は勝ちたい。
ドミノは倒れた。一つ残らず。
「倒牌点は、一万二十九点。そして創意工夫点は1点」
「え? え? 一点?」
七実は創意工夫点に驚いていたが、私は倒牌点の方に驚いていた。予定ではこのドミノに使う牌は一万だったはず。すると、生駒さんが目配せしてきた。
「お節介だったかもだけど、少しだけ余計に並べておいたよ」
確かに設計図の通り一万牌だけ並べたなら、負けていた。
「よって青龍高校ドミノ部の合計得点は一万三十点。朱雀高校と同点。故にこの勝負、引き分けとする」
「納得いきませんわ」
体育館の二階から、柵に身を乗り出して綺羅崎灰音が叫んだ。
「審査員なら、どちらが勝者か決めなさい。引き分けだなんて私は認めません」
「灰音ちゃん、そうカッカしなさんな。実際、ほんとに同点なんだから仕方がねーじゃねーかよ。それにそんなに焦って勝者を決めることないだろ。お前らには晴れの舞台が用意されてんだから、真の勝者はそこで決めりゃいい」
「しかし――」
「えらい食い下がるねえ。なら逆に問おう。朱雀高校ドミノ部部長綺羅崎灰音は、今日の勝者はどっちだと思う?」
綺羅崎は黙る。それから不意に背を向けた。
「わかりました。決着は選手権で」
他の部員を引き連れ、二階から下りてきた綺羅崎は、私たちに一瞥だけくれると、そのまま何も言わず出口へと向かった。数秒、逡巡したのち、私は走って彼女のあとを追った。出口で、綺羅崎は片足立ちになり、もう片方の足にローファーを履かせていた。
「今日は、ありがとう」
「礼を言われる筋合いはありませんわ。私たちにとっても得になると思ったから受けただけのこと」
立ち上がり、少しだけこちらを振り返り言う。
「ああ、そう言えば、倒山さん。あなたのドミノ、音が変わっていましたわ。選手権のときは氷のように冷たい殺伐とした音が響いてましたけれど、今日のあなたのドミノ、とりわけ、最後の一牌が奏でた音は、とても、温かく響きましたわ」
そのとき私ははじめて綺羅崎灰音をちゃんと見たような気がした。去年の選手権のときも、今日も、私の眼中に彼女はいなかった。私の敵は、私だったから。
朱雀高校のバスが校門を出ていくのを見送り、体育館に戻る。もう片づけは終わっていて即時解散となった。帰り道、浴衣を着た人とやたらとすれ違うなと思っていると、七実が突然声を上げた。
「今日花火大会だっ」
こうしちゃいられないとばかりに走り出す七実。
「一花ちゃんも早くっ」
「え? 行くの?」
「決まってるでしょ。早くしないと花火始まっちゃうよ」
この夏、ドミノ漬けの毎日を送ってきた。たまには息抜きしてもいいかな。お祭りの会場の河川敷には出店が立ち並び、無数の人が川のように流れていた。やぐらの上では、上半身裸の男の人が和太鼓を叩いている。私はりんごあめを、七実は焼きトウモロコシを買い、ぶらぶら歩いていると、花火が打ち揚がった。音と光の炸裂の中で、七実が何か言っている。
「何? 聞こえない」
「今日っ、勝ちたかったねっ」
「そう?」
「だってあんなにがんばって並べたのに」
「そんなの関係ないわ。どれだけがんばったって負けるときは負ける」
でも、私は今日、あの日の私に勝てた。七実と帰宅部の人たちのおかげで。
「ありがとう」
「え? 何何?」
「なんでもない」
金色のしだれ花火が長く長く空に垂れ下がり、消えていく。
もうすぐ夏が終わる。
選手権まで、あと三十七日。




