7.頼って欲しい彼と頼りたくない私
カイトとアンナさんが到着したとき、私はサーシャさんにもみくちゃにされているところだった。至るところを撫で回されもうくたくただ。
「ちゅん……(疲れた……)」
ぐったりする私を見かねたアンナさんが、私の代わりにサーシャさんに苦言を呈してくれた。
「お嬢様、構い過ぎです。そんなことをしていたら本当にルチルさんに嫌われますよ?」
「わかっています、わかってはいるんですけど……ルチルさんのこの姿を見て惹かれない方などいないと思うのです!」
興奮するサーシャさんはぱっとカイトの方を向くと、そのままの勢いで彼に尋ねた。
「ねえ、カイトさんもそう思われますよね?」
「えっ、俺ですか⁉︎」
突然話を振られたカイトは戸惑ったような声を上げる。「そうです、あなたです!」と、サーシャさんは椅子を操作し彼に詰め寄った。
彼は一歩後退りながら、サーシャさんと私を交互に見やると。
「ええと、俺は……小鳥姿より、元の」
そこでカイトの言葉は止まった。「ああ」だの「うう」だの言うばかりで、その後が言葉にならない。何となく見上げると彼の耳のあたりが赤くなっている気がした。
サーシャさんはその様子を見て、一言。
「あら、カイトさんはルチルさんの元の姿の方がいいと」
「そうは言ってないです……まだ」
そっぽを向きながらぼそっと呟くように言うカイト。それに対しサーシャさんは身を乗り出しながら。
「わかりますよ、元のルチルさんも可憐ですものね。惹かれてしまうのも当然です」
「ひ、惹かれ⁉︎ 流石にそこまでは……」
動揺したような声を上げるカイトの様子など目もくれず、彼女は続ける。
「ですが、それゆえに! 小鳥という小さな動物になったことで更に可愛さが増したとは思いませんか?」
「ほら、よくご覧になって下さいな!」とずいっと私の乗った両手を持ち上げるサーシャさん。カイトの顔が目の前いっぱいに広がる。
カイトは最初目を見開いてこちらを見つめていたが、やがて目を逸らした。そして、頬をぽりぽりと掻きながら。
「……まあ、可愛くないとは言いません」
そうぶっきらぼうに言ったのだった。
その言い方にサーシャさんは少し怒ったような口調で言葉を返す。
「もう、煮えきらない返事ですね! 言いたいことははっきりと……」
「ごほん。お嬢様、そろそろルチルさんを解放して差し上げては?」
アンナさんの咳払いでサーシャさんはようやく気が付いたというように「そうですね、すみませんルチルさん」と言った。そして彼女は持ち上げていた私を自分の目の前まで持ってくると、名残惜しそうな声で呟く。
「ああ、この姿を拝めるのも本日はこれで最後なのですね……」
「お嬢様?」
「すみません、アンナ。もう言いません」
冷え切ったアンナさんの声に苦笑いを浮かべると、サーシャさんは改めてカイトに私を差し出した。
「それではカイトさん、よろしくお願い致しますね」
「はい」
彼は短く返すと私を受け取り、制服が散乱している地点の中央に置く。そして少し離れた後、サーシャさんとアンナさんに声をかけた。
「すみませんがお二人とも、ルチルから離れて背を向けてもらってもいいでしょうか?」
二人は頷くと指示通り動いた。唯一リアムさんはそのままだが、彼は鳥だ。万が一裸を見られても特に問題はないだろう。
カイトが呪文を唱えた。煙が立ち昇る。私はローブの前を合わせながら元に戻るのを待った。
サーシャさんとアンナさんの二人と別れて、私たちは使役科の敷地を出る。カイトも私もこの後の用はないということで、今日はもうこのまま寮に帰ろうということになった。
「しっかしでかい大鴉だったよなー。魔物の中でもトップクラスの大きさなんじゃないか、あれ」
カイトが突然話し始める。私は頷いて応じた。
「そうだね。初めて見たよ、あんな大きい魔物」
「あそこまで大きいと普通怖がって近づかないと思うが。それなのに平然と友達になろうとするサーシャさんはやっぱり凄いな」
「うん、私もそう思う」
そこで会話が止まる。何となくカイトとの間に気まずい空気が流れた。
その沈黙を破ったのはやはりカイトの方で。彼はぼそっと呟いた。
「……羨ましいな」
「羨ましい? 誰とでも友達になれるサーシャさんが?」
私は目を見開く。カイトがそこまで動物好きだったとは知らなかった。どちらかというと一般的な魔法使いと同じく、動物に対してはドライな方なのかと……。
しかし彼は苦笑しながら言った。
「確かにそれもあるけど。違う」
「じゃあ何が羨ましいの?」
「サーシャさんとアンナさんの関係性が」
思わぬ言葉に私は「え……」とこぼす。彼は目を逸らしながら続けた。
「ああいう、何ていうのか……気のおけない関係っていうのか? いいなあって」
……何が言いたいのだろう。私が首を傾げたのを見て、カイトが言ったのは。
「同じバディなんだし、俺たちもああなれたらいいよな」
「……」
私は何も言えなくなって、少し下を向く。
カイトはそう言ってくれるが、彼女たちと私たちでは決定的に違う点がいくつかある。彼とは幼少時からずっと一緒にいたわけではない。それに彼女たちはどちらかというと持ちつ持たれつの間柄だ。人の手を借りる必要のあるサーシャさんと恩返しがしたいアンナさん。対して私とカイトはというと、私が一方的に彼に助けてもらっているような関係で。私が気を遣ってしまうのも仕方がないと思うのだ。
だんだん彼の顔を見られなくなって、どんどん顔が下を向いてしまう。視界に映るのは煉瓦で舗装された道ばかりになって。だから私は隣から手が伸びてきているのに気が付けなかった。
「っていうかさ。ルチルお前、遠慮しすぎ!」
「へっ⁉︎」
突然くしゃっと頭を撫でられて私はびっくりする。そしてそちらを見ると、そこには悪戯が成功したとばかりに満面の笑みを浮かべるカイトの姿があった。
「やっと敬語が抜けたかと思ったら、態度はほぼそのままなんだもんなー。壁があるっつうか」
「うっ」
心当たりはありすぎるくらいある。私は胸を押さえた。その様子を見ながら彼は言う。
「もっと頼ってくれていいんだ。何なら小鳥化してない時にも呼んでくれたって俺は構わない」
「でもそれは……カイトに悪いし」
私が躊躇すると、カイトは眉を下げて口を開く。
「まあそっちにもいろいろ事情があるだろうし、無理にとは言わないが。でもそれが俺に遠慮してるからって理由ならやめてくれ」
「……」
「俺は頼られた方が……」
私は何も言えずにいたが、彼は話し続けて、でもそれも途中で止まった。私はどうしたのだろうと疑問に思う。若干彼の顔が赤いような……?
「……あー、とにかく俺は! 全く気にしてないから……だからいつでも頼ってくれ」
しかしそれは一瞬で。顔色はいつも通りに戻る。
言葉の最後に彼は優しげな笑みを浮かべた。
「……うん。ありがとう、カイト」
それを受けて、私は笑みを返しながら感謝の気持ちを述べる。
それはできる。だけど頼るとは残念ながら約束できない。やはりそれは彼に申し訳なかったし、彼に依存し切ってしまうのはきっと駄目だと思う自分がいるから。
それに私は、どこかで彼とは対等でありたいとも思っていた。そのちっぽけな見栄とプライドが邪魔をして、素直に頼れない。
あるいはもしかしたら、彼に申し訳ないという気持ちすらも建前で。ただただ私は己の見栄のために頑なになっているだけなのかもしれないと思った。