11.回想〜図書館にて〜
学園に入学して初めて制約を発動させたのはいつのことだったか。それは入学して間もないころのことだったと思う。
昼休みに何となく立ち寄った学園内の図書館で、私はどんな本があるか物色しながら歩いていた。専門書はもちろん、小説なども豊富でかなり見応えがある。
何か借りていこうかな、でもどれにしようと考えていると。ふと一冊の本が目に入った。
「『騎士と少女』……うわあ懐かしい」
そのタイトルには見覚えがあった。というかこの国の人間なら誰でも知っている物語だと思う。それくらい有名な童話だ。
「でも私が読んだのはこんなに分厚くなかったけど……装丁も古いし、もしかして原典なのかな?」
呟いている内に、だんだんその本に興味が湧いてきた。私は今日借りて行く本を『騎士と少女』に決めて、目の前のそれを棚から引き抜こうとする。
しかし。
「あ、あれ? 抜けない……」
ぎちぎちに本が詰められているからか何なのか。軽く引っ張ってもそれはびくともしなかった。私は一瞬躊躇ったが、諦めきれずに引き抜く力を強める。
すると突然、目の前の本棚がこちらにぐらりと傾いだ。そのままこちらに倒れてくる!
「え? ……えっ!」
私が呆気にとられている内に、どんどん迫ってくる本棚。しゅううううと煙が立ち上った。
そして気がついたときには、本棚に怯える小鳥が一匹。
「ちち、ちゅん!(誰か、助けて!)」
小鳥姿ながらに誰かに助けを求めるも。あれ、そういえば一向に衝撃が来ないな……と恐る恐る本棚の方を見た。
「ち、ちち……?(え、何で……?)」
思わず声を上げる。そこには今しがた倒れてきそうだったはずの本棚が、そのままそびえ立っていた。まるで倒れそうになった事実などないかのように。
「ちゅん?(どういうこと?)」
私は首を傾げて困惑する。
しばらくそうしていると、その内に予鈴が鳴った。不味い、蔵書に夢中になっていて時間を気にしていなかった。もうすぐ授業が始まってしまう。そう思って教室に向かおうとして……現状の自分が小鳥であることを思い出した。
「ちゅん、ちちちゅん(ああ、もうどうしよう)」
頭を抱える。このままの姿で教室に向かうなんてできない。制約の一時解除の方法からしてこの場から動くのは悪手としか言えないし……。
ふと、ローブの留め具が目に入った。そうだ、そういえばこれを使えばバディの彼と連絡が取れるんだっけ。
頼りかけて、いやと首を振った。今から呼ぶのは迷惑かもしれないと思ったからだ。彼が今どこにいるにせよ、ここまで来るのにはそれなりに時間がかかってしまうだろう。下手をしたら授業に遅刻させてしまうかもしれない。そう思ったらどうしても手を出せなかった。
そうこうしている内に再度鐘が鳴る。授業が始まってしまった。
「ちち、ちゅんちゅん(まあ、仕方ないか)」
次の休み時間まで待って、すぐに連絡すればいいだろう。それなら最悪私が授業を一回さぼっただけで済むし、彼に迷惑を掛けることにはならない。
そう思って、しばらく待つ。適当に飛ぶ練習などしてみたりしつつ。
それからしばらく……といっても、案外すぐだったかもしれない。時計を持っていなかったのでその辺りはわからないが、とにかくしばらく経って。突然留め具がぼんやりと光った。私は一瞬何事かと思ったが、そういえばとロナウドさんが言っていたことを思い出す。
『その留め具は現在研究中のものでね。人間と動物の交流を円滑にするための魔道具だと思ってくれたらいい。あくまで対動物用ということで、アルベットさんが小鳥状態の時だけ連絡が取り合えるようにしてあるんだが……』
確か留め具が光っている時は相手から連絡が来ている時だったはず……。そう思って翼を留め具に当てる。すると、言葉が頭に流れ込んできた。
『お前、今どこにいる⁉︎』
切羽詰まったような声が頭の中に響く。私は動揺して一瞬言葉に詰まってしまった。しかしすぐに気を取り直して、答える。
『図書館にいます』
『はあ⁉︎ 授業中だぞ、何さぼってやがる!』
『すみません! お昼休みに図書館に来たのはいいんですけど、本棚が倒れてきそうになって、それで』
『言い訳は後で聞く。とりあえずそこから動くな!』
そこで通信は止まった。どうして彼が連絡してきたのかとかいろいろと疑問はある。しかしそれ以上に、選択を間違えたんじゃないか、結果的に彼に非常に迷惑を掛けてしまったのではないかとそのことで頭がいっぱいで、私は困り果ててしまった。
気がついたら、にわかに図書館内が騒がしくなってきた。大勢の人の足音。しかしここまでやってくる人は一人もいない。
それはまるで、ここだけを避けて探しているかのような。私は首を傾げた。
また留め具が光った。私が翼を当てると。
『本当に図書館にいるんだろうな?』
『は、はい! います!』
『じゃあ今の状況を説明……』
「やあアルベットさん、こんにちは」
「ちっ⁉︎(えっ⁉︎)」
カーレン君との念話に集中していたせいか。誰かが近づいてきているのに全く気がつかなかった。思わず留め具から翼を外し、素っ頓狂な声を上げてしまう。
その誰か……ロナウドさんは苦笑しながら言った。
「これはまた、厄介なところで制約を発動しちゃったみたいだね。本当はこれ、使いたくないんだけど、使うしかなさそうだ」
私が疑問の声を上げる前に、彼は片手に持っていた巻物らしきものを広げて私の上に掲げた。そして何事か呟く。
途端、周囲に風のようなものが巻き起こった。その風にもみくちゃにされそうになりながら、自分の存在が薄くなっていく感覚を覚える。
「くれぐれもこの場所のことは内密に。といっても行き方を伝えようとしても伝えられないだろうけど」
ロナウドさんの声がどこか遠くに聞こえて、目の前の場面が切り替わった。
「ちち、ちゅん?(何、何が起こったの?)」
風が収まったと同時に、私はきょろきょろと辺りを見回す。確かに周りには私の制服などが散らばっている。しかしあの『騎士と少女』の本が見当たらない。どう考えても別の本棚の前だ、ここは。
私が混乱していると、足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
「やっぱり見つからない……通信も途中で切れるし、どうなってるんだ」
愚痴を言いながら現れたのは、他ならぬカーレン君で。
目と目が合う。
「あーっ!」
「ちゅん!(カーレン君!)」
驚いたように目を見開きながら指を差すカーレン君。そして凄い形相でずんずんとこちらに向かってきた。
「お前なあ! 今までどこにいたんだ!」
「ちちち……(それは……)」
「お前が授業に出ないことでどれだけの人が迷惑被ったと思ってる!」
「ちゅん……(ごめんなさい……)」
彼に叱られながら、私はしょんぼりと項垂れた。
彼はまだ何か言い募ろうとしたが、しかし途中でやめる。首を横に振ると、思い切りため息をついて。
「いや、とりあえず元に戻さないことには話にならないな」
そう呟くと一時解除の呪文を唱えた。しゅううううと煙が立ち昇る。
私はあれ、と思った。明らかにここは制約が発動した場所ではない。なのに解除に成功している。一体どういうことだ、と不思議に思いながらも私はローブの前を合わせて、元に戻るのに備えた。