10.回想〜顔合わせ〜
私がカイトと出会ったのは、メリッサの大樹に花が咲き始めた頃……オグスヴェル学園に入学する直前に行われた、バディ同士の顔合わせの場でのことだった。
他の生徒たちは既に顔合わせを済ませた後か、元から知り合いでその必要がないかのどちらかだったらしく。私たちの顔合わせは他人を交えることなく、学園の一室でひっそりと行われた。
「緊張する……やっぱりお母さんだけでもついてきてもらうべきだったかな」
扉の前で深呼吸しながら、思わず呟く。しかしすぐに首を横に振った。最初から弱気になってどうする。
今日は一人で来た。学園側からは両親と一緒に来ても構わないと通達があったが、あえてそうすることにしたのだ。両親は共に仕事で忙しいのに、私のためだけに時間を空けてもらうのは申し訳なかったから。それに十五歳にもなって未だに親同伴じゃないといけないなんて恥ずかしいという気持ちもあった。
「すー……はー……よし」
緊張で小鳥になってしまわないように、冷静に……と言い聞かせながら、意を決して。私は扉をノックし、「失礼します」と言いながら学園側から示された部屋に入る。
そこには立会人なのだろう教職員らしき人が一人、既に席に座っていた。しかし同い年くらいの男子の姿はない。どうやらバディになる予定の彼はまだここには来ていないようだった。ほっと胸を撫で下ろす。
「ああ、こんにちは。えーっと……君が、ルチル・アルベットさんかな?」
書類をちらりと見遣りつつ、確認するように初老の男性が尋ねてくる。私ははっきりとした口調で肯定した。
「はい、私がルチル・アルベットです。本日はよろしくお願い致します」
そしてぺこりとお辞儀をする。
「そうか、君が……」
何故か感慨深げに言われて、不思議に思った私は顔を上げた。すると、男性がこちらをじろじろと眺めているのが目に映り。何か粗相をしてしまっただろうかと私は慌てそうになる。
「あ、あの……何でしょう?」
おずおずと尋ねると、彼ははっとしたような表情をした。そしてこほんと咳払いを一つして。
「すまない、失礼した。まあ何、ずっと立っているのも疲れるだろうから、適当な椅子に座って彼の到着を待つといい」
「すみません、ありがとうございます」
促されて、恐縮しながら近くの椅子に座った。先程の男性の様子は気になったものの、尋ねるのには勇気がいる。結局私は大人しくバディになる予定の彼を待った。
私が席に着いてしばらくすると、とんとんとノックの音がした。そして「失礼します」の声と共に扉が開く。
私はいよいよか……と居住まいを正した。鼓動が高鳴る。
「すみません、バディの顔合わせの場ってここで合ってますか?」
そう男性に尋ねる彼の姿を認めて、私は目を見開いた。
焦げ茶色の短い髪にきりっとした赤い瞳。長身ですらっとした体躯。どこをとっても格好いいという感想しか浮かばなくて。
この人が私のバディになるの……? にわかに心がざわめきたった。
「ああ。ということは君が……カイト・カーレン君かな?」
「はい、俺がカイト・カーレンです……ところで」
こちらをちらりと見やる彼。どきどきと心臓が早鐘を打つのを止められそうにない。
「そちらが件の……なんか煙みたいなものが出てますが、大丈夫なんですか?」
「えっ! 煙⁉︎」
彼に気を取られて気がつかなかった。私が驚いた声を出すと同時、しゅううううと煙が立ち上っていく。
そして煙が晴れた頃には。
「ちち、ちゅん……(ああ、もう……)」
散乱した服と共に椅子の中央で途方に暮れる小鳥が一匹、そこにいた。
その様子を見たのだろう、男性が感心したような声を上げた。
「ほう、この手の制約は私も初めて見たが。見事なものだ」
「制約というと、やはり彼女がそうなんですか?」
彼……カーレン君が疑問を口に出す。それに対し男性が答えた。
「ああ、その通りだ。彼女こそ君がバディを務めるルチル・アルベットさんだ。この通り、彼女は制約を掛けられている。その一時解除を君に頼みたい」
「はあ」
「早速で悪いが、制約の一時解除を頼めるかな? このままだと会話しづらいし、君の実力も確認しておきたいのでね」
席を立ち、「これがこの制約の一時解除用の呪文だ」と言って封筒をカーレン君に手渡す男性。それを受け取ったカーレン君が何かの呪文を唱えると、自然に封が開き、中身が宙に浮いた。
「ふうん、なるほど」
呟いて、彼が再度呪文を唱える。すると今度はさらさらと封筒ごと粒子が細かくなっていき、最後には目に見えないほどの大きさになって、消えてしまった。
魔封筒だ、と私は思った。魔封筒とは魔動力で作られた封筒と中身を指す。決められた呪文を唱えないと開けられない仕組みになっていて、読み終えたら必ず締めの呪文を唱えることになっている。すると魔封筒は魔動力へと還元され、それらは完全に抹消されるのだ。
主になるべく周りに知られたくない情報をやり取りする際に、魔法使いの間で使われている伝達手段だと、父が教えてくれたのを思い出した。
「それでは」
彼がこちらを見る。そして聞き馴染んだ呪文を唱えた。しゅううううとまたもや煙が立ち上る。
え、もう⁉︎ 心の準備がまだできていない。このままだと二人に裸を見られてしまう! そう思って、私は焦りそうになる。
「カーレン君、ちょっと私たちは外に出ていようか」
「え? ちゃんと戻るか確認しなくていいんですか?」
「いいから。アルベットさん、着替え終わったら呼んでね」
しかし男性が気を遣って、カーレン君を伴って外に出てくれた。私は心の中でほっと一息つく。助かった。流石に初対面の男性二人に裸を見られるなんて、恥ずかしいどころの話ではなかったので。
「さて、改めまして。私はロナウドと言う。この学園のしがない職員だ。今回は君たちの顔合わせの立会人を務めさせていただく」
全員が椅子に座った後、仕切り直しとばかりに口を開いたのは初老の男性……ロナウドさんだった。彼は手で私を示すと。
「それで、こちらの女性がルチル・アルベットさんだ。『魔力漏れが起きそうになると小動物に変身する』制約を掛けられている」
「ルチル・アルベットです! 先ほどは失礼致しました。この度は私のバディを引き受けて下さり、ありがとうございます。これからよろしくお願いします!」
そこまで一気に言い切ると、カーレン君に向かってぺこりとお辞儀する。よし、考えてきた言葉を噛まずに最後まで言えた。私は胸を撫で下ろす。
「……」
しかしカーレン君から何も反応がない。どうしたのだろうと顔を上げると、彼はじとっとした……有り体に言えば面倒臭そうな表情でこちらを見ていた。
気まずい空気が流れる。それを払拭するようにロナウドさんが一つ咳払いをして。
「あー、それでこちらがカイト・カーレン君だ。魔法の腕前は先程の通り、彼であればきっと大丈夫だろう……カーレン君?」
「……どうも」
促されてようやく、彼はぶっきらぼうに挨拶をした。
その様子に私は少し焦りそうになる。あれ? 私、何か彼の気に障ることをしてしまっただろうか。
考えて、思い当たることと言えば先程の制約発動だ。もしかしてあんなにあっさり制約を発動させたことで呆れられてしまったのだろうか。いやいや、きっとそうだ。それで面倒な人だと嫌われたのだ。
私は落ち込んでしまう。もしかしなくてもこの場でバディになることを拒否されるんじゃないかと最悪な想像をしてしまった。
「……なあ」
無意識の内に視線を下ろしてしまっていた私に、カーレン君が声をかけてくる。私は目を合わせられなくて、小さく「何でしょう?」と返した。
すると彼は冷めた声で。
「ルチル・アルベット。俺がお前のバディになるのは決定事項だ。これは今更変えられないから、仕方がない」
「え?」
「ただし、俺がバディを務めるのは最長三年までだ。最悪前期課程を修了するまでは付き合ってやる。だが、それ以降は知らない」
「その後は自分で何とかしろ」とつっけんどんに告げる彼。私はその言葉を聞いて。
「ありがとうございます!」
感激のあまり大声で感謝の意を述べた。彼は呆気に取られたように目を見開いて、「は?」と呟いた。
「まさか三年も約束してくださるなんて思ってもみなかったから……本当に助かります、ありがとうございます」
カーレン君に向かって笑顔でお礼を言う。今度は目を逸らさずに。
しかし今度は彼の方が視線を逸らした。そして頬をぽりぽりとかく。
「まあ義務みたいなものだし……そんなに喜ばれるとなんというか、その」
ものすごく気まずそうな様子の彼。私はどうしたのだろうと不思議に思う。
突然上座の方から笑い声がした。そちらを見るとロナウドさんが笑っていて。
「どうやら二人ともうまくやっていけそうで、私としても何よりだ……ところで、いい雰囲気のところ悪いが。必要書類と、後こちらで用意した特注の魔道具がある。受け取って欲しい」
そう言って、彼は足元の箱から何やら取り出し始めた。
ちなみにこの時渡されたのが、伸縮魔法の掛けられたローブと通信機能の付いた留め具で。これから私が肌身離さず愛用することになる魔道具たちだった。