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短編(シュール)

あなたの腹痛の原因は国語辞典です

作者: 鞠目

 朝、腹があまりにも痛くて目が覚めた。どれぐらい痛いかというと腹の中から針を何度も何度も突き刺されているような痛さだ。一秒間に少なくとも五回以上のペースで刺されている気がする。

 ベッドから這いずるように出て台所に向かうと、既に化粧を終えて普段着に着替えた妻が朝ごはんを作ってくれていた。コーヒーとトーストのいい匂いがするが食欲がない。

「おはよう。ちょっと、顔が土みたいな色をしてるけど大丈夫?」

「いや、まったく大丈夫じゃない……かなり痛くて……きつい……」

「それは大変、救急車を呼んだ方がいい?」

「いや、それはいい……ただ仕事は休もうと思う」

「その方がよさそうね。車で病院に連れて行ってあげようか?」

「いや、大丈夫だ…………いや、やっぱりお願いしてもいいか?」

「大丈夫よ。今日は会社が創立記念日で休みなの。コーヒーでも飲んでから行く?」

「いや、食欲がないんだ」

「そう、じゃあもう車出そうか?」

「ああ……頼む。すぐ着替えて出るから」

「わかった。窓は閉めていくから最後鍵だけお願いね」

「ああ……」

 妻は心配そうな顔で私を一瞥してからてきぱきとリビングやダイニングの窓を閉めて玄関へ向かっていった。そんな妻をぼんやり眺めていた私は、はっと我にかえり急いでアイロンがきっちりかけられた白シャツと黒いデニムに着替えて洗面所に向かった。

 鏡を見ると体調不良だと一目でわかる顔色をした私が立っていた。まさか妻の『土みたいな色』という表現がここまでぴったりだとは思わなかった。白と黒の清潔感のある服装が私の顔色には不似合いだった。

 急いで顔を洗って歯を磨き、髪を整えてから玄関に向かう。腹の痛みを我慢しながらなんとか革靴を履き、のっそりと家から出てドアの鍵を閉める。お腹を押さえながらなんとか家の前のガレージへ向かうと妻が車のエンジンをかけて待っていてくれた。改めて頼りになる妻だなあと思う。

 車に乗り込むと、私は妻の運転に身をまかせてゆっくりと目を閉じた。


「着いたわよ」

 妻の声で瞼を開ける。近所の総合病院の駐車場に着いていた。時計を見ると家を出てから10分ほど経っていた。ゆっくりと車を降りて建物に入り、受付に向かう。

 受付で問診票を受け取り待合席に座って記入していく。妻は隣に座って文庫本を読んでいた。表紙を見てみるとタイトルがアルファベットのAから始まる有名な海外のミステリー小説だった。名前は知っているが読んだことはない。

 問診票の記入を終えてふと周りを見渡すと私たちの他には誰もいなかった。平日の朝の病院は混んでいるイメージだったが意外とそうでもないようだ。

 問診票を受付で渡し再び待合席に戻るとすぐに診察室から名前を呼ばれた。

「私はここで待ってるわ。今いいところなの」

 妻は本から目を逸らすことなく言った。

「わかった」

 私はなるべくお腹を刺激しないようにゆっくりと立ち上がり診察室に向かった。


「レントゲンを撮りましょう」

 診察室に入った私の顔を見た途端、医者はなんの前置きもなく言った。私はリアクションをする間もなく二人の屈強な体格をした看護師に担がれてレントゲン室に連れて行かれた。

 何が起こっているのかわからないままレントゲンが終わり、また屈強な体格の二人に担がれて診察室に戻された。診察室にはさっきと同じように医者が座っていた。

 白髪パーマにメガネ、体格は細めで顔は色白、年齢不詳のマッドサイエンティスト風の医者。彼の手には分厚い書類の束があった。

「朝からお腹が痛いんじゃないですか?」

「え……あ、はい。そうなんです」

「針で刺すような痛みですか?」

「そうです。あの、どうしてわかったんですか? あと、いきなりレントゲンって……」

「結論から申し上げます」

 医者は私の質問を途中でぶった斬って話し出した。

「あなたの腹痛の原因は国語辞典です」

「……は?」

「だから、あなたの腹痛の原因は国語辞典です。ちなみに電子辞書ではありません。紙の辞書です」

「あの、私のお腹に国語辞典が入っているとでも言うんですか?」

「ええ、そうです」

 医者は真剣な眼差しで私を見つめながらきっぱりと言い切った。


「あと、一番悪さをしているのが国語辞典なだけであって、お腹の中に入っているのは国語辞典だけではありません」

 医者はぺらぺらと書類をめくりながらこれまたきっぱりと言った。

「……あの、何を言っているんですか?」

「他にもたくさんお腹の中にあるんですよ。例えば、唐揚げにネックレス、指輪にシャンパン、ブランドバッグにフレンチのフルコース、あとは熱海旅行もあります。心当たりはありませんか?」

「食べ物と変なものが混ざっているんですが何かの間違いではありませんか?」

「間違いではありません。因みに今言ったのはあくまでほんの一部です。あなたの体内にあったものの一覧がこの束ですので」


 ドサッ


 医者が机の上に持っていた書類の束を置いた。10や20どころではない。おそらく100ページはゆうにあるであろう書類にはびっちりと小さな文字が敷き詰められていた。たくさんの文字に見ているとなんだか気持ちが悪くなってきた。

「ご覧になりますか?」

「いえ、結構です……先生、私はどうすればいいんですか? 下剤でも飲めば治るんですか? でも、そもそも国語辞典やブランドバッグみたいなものを食べた覚えはないんですが……」

「そりゃあそうですよね。あなたの口の大きさでは国語辞典を飲み込むのは不可能です。もちろんバッグも無理でしょう」

「ならなぜ私の体内に?」

「さあ? それは私に聞かれても困ります。そんなことより先ほど申し上げたものに心当たりはありませんか?」

「心当たりなんてあるわけないでしょう」

「本当ですか? おかしいなあ……じゃあドライブデートはどうですか? 会社の忘年会にビジネスホテル、なにかピンときませんか?」

 真顔で質問してきた医者に対して私は生まれて初めて殺意という感情を持った。そしてそれと同時に恐怖した。どうしてこいつが知っているんだ?

「おや、本当は心当たりがあるんじゃないんですか?」

「……何故あなたが知っているんですか?」

「レントゲンの結果に書いているんです。診察室に入ってきたあなたの顔を見た時、一目で危険な状態だとわかったので特殊なレントゲンを撮らせていただきました」

「特殊? 何が特殊なんですか?」

「写真ではなくテキストで情報を出力することで通常の15倍の情報を取り出すことができます」

「なんですかそれ?」

「そういうレントゲンです」

「はあ……」

「そんなことはさておき、見たところあなたは浮気をしていますね?」

「………………あ、あの」

「言いにくければ結構です。ただ、今のままだともっと顔が土色になって死にますよ。早ければ今夜」

「えっ?」

「まだまだ元気でいたければいますぐに浮気相手に別れを告げてください」

「いや、そんな、あの……」

「以上です」

「そんなこと急に言われても困ります」

「私は困りません。どうするかはあなた次第です」


 私は浮気をしている。

 相手は会社の部下だ。愛読書が国語辞典という変わった趣味の彼女はいつもカバンの中にコンパクトサイズの紙の国語辞典を入れていた。

 私の下に配属された当初は変わった子だなと思って見ていた。しかし、仕事を教えているうちにいつの間にか気になる存在となり、恋愛感情が芽生えていった。彼女が私の部下になって半年ほど経った頃、私は会社の忘年会の帰り道に彼女を口説いた。そして……

 さっき医者が読み上げたレントゲンの結果は彼女にプレゼントしたものや一緒に食べたもの、行った旅行先だった。今も腹にはずっと鋭い痛みが続く。このままだと命を落とすと医者は言った。私はこんな意味不明な病気で死ぬのか? しかも原因は浮気だって? そんな滑稽な死に方だけは回避したいと思った。

「……彼女との関係を終わらせます」

「ええ、そうされるのがよろしいかと。では早速今ここで彼女に対して別れのメッセージを送ってもらえますか?」

「今すぐにですか?」

「はい、あまり時間が残されていないので」

「……わかりました」

「送るのは一言で大丈夫です。『もう終わりにしよう』と送ってから相手の連絡先を消してください」

「……はい」

 私はポケットからスマートフォンを取り出して医者に言われた通りにした。するとその途端腹から痛みが消えた。

「顔色も良くなりましたね。もう大丈夫ですよ。一応ビタミン剤を処方しておきますね。今日はごゆっくりなさってください」

 こうして私の診察は終わった。妻には、腹痛はストレスが原因だったと言って誤魔化した。私の浮気は短い一言のメッセージで簡単に終わっていた。次の日会社に行くと彼女は辞めていた。


 腹痛に襲われてから一週間が経った。

 朝、私は激しい頭痛で目が覚めた。それはもう酷い痛みで頭の中を金槌で叩かれているような気分だ。痛む場所も痛み方も違うが何故か少し嫌な予感がした。

 ベッドから這いずるように出て台所に向かうと、既に化粧を終えて普段着に着替えた妻が朝ごはんを作ってくれていた。コーヒーとトーストのいい匂いがするが食欲がない。

「おはよう、ちょっと、また顔が土みたいな色をしているけれど大丈夫?」

「いや、大丈夫じゃない」

「それは大変、救急車を呼んだ方がいい?」

「いや、それはいい……ただ今日も仕事には行けなさそうだ」

「また車で病院に連れて行ってあげようか?」

「お願いしてもいいか?」

「大丈夫よ。今日は社長の誕生日で会社が休みなの。コーヒーでも飲んでから行く?」

「いや、何も飲めそうにない」

「そう、じゃあもう車出そうか?」

「ああ……頼む。すぐ着替えて出るから」

「わかった。窓は閉めていくから最後鍵だけ閉めて来てね」

「ああ……」

 一週間前と同じように私は妻に病院に連れて行ってもらった。病院は相変わらず空いていた。病院に着き受付を済ますとすぐに診察室に呼ばれた。そして診察室に入った瞬間レントゲンを撮らされた。

 レントゲン後、屈強な体格の看護師に抱えられて再び診察室に戻る。すると先週お世話になったマッドサイエンティスト風の医者がまた分厚い書類の束を片手でぺらぺらめくりながら言った。


「あなたの頭痛の原因は三角定規です」


 私は思わず頭を抱えた。今日、また一人の女性とお別れしないといけないのかと思うと悲しくて悲しくて胸が痛くなった。

 私はポケットからスマートフォンを取り出した。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かった。 [気になる点] 同じような内容の小説をどこかで読んだような気がする。 [一言] どこで読んだっけ?思い出せない…
[良い点] 国語辞典、三角定規、間違いなく腹痛にされるでしょうね。 ペンギン一門の問題ですね。 [気になる点] どちらの内科医でしょうか? [一言] 藪医者がいなくなる事を願います。
2021/07/09 23:04 退会済み
管理
[一言] 世にも奇妙な物語みたいで好き
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