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不安定な天秤

「週末、良かったら家に来ないかい? 見せたいものがある」


 数年前の秋口のこと。

 怪談イベントなどで日頃お世話になっている坂本さんという三十路手前の男性から、そんなお誘いのメールが届いた。

 彼は自他共に認めるオカルトマニアというやつで、たまにこうして人を呼び出しては、薄気味悪い怪談や蒐集した曰くつきの品を肴に酒を嗜む趣味を持っている。

 怪談好きの僕からすると、鴨がネギと鍋とついでにコンロまで抱えてくるようなありがたい存在だ。

 僕は嬉々として返事を送り、当日を待った。


「――お邪魔します。いやぁ、何度みてもお洒落な部屋ですよね。坂本さん家って」

「女を連れ込むならこういうお洒落な部屋じゃないとね。ビールでいいかい?」

「はい。あ、そういえば見せたいものがあるって言ってましたけど」

「そう慌てないでよ。明日休みでしょう?」

「すいません」

「まあ、先に見せてもいいか――ほら、この子だよ」

「これは、日本人形ですか?」

「そう。正確には木目込人形って言ってね。木に筋彫りを入れてから、色を塗っているんだ。着物も立派でしょう?」

「確かに綺麗な人形ですね。最近買ったんですか?」

「ううん、もうずっと前にamazonで買ったんだ。なんと五万円もしたんだよ」

「たっか! 何に使うんですか一体!」

「それだよ、今日話したかったのは。とりあえず、乾杯」


 そう言って缶ビールを一口煽ると、坂本さんは話し始めた。



 人形の怪談って、よく聞くだろう?

 お菊人形なんかが良い例だよね。大正七年に発見され、爆発的に噂が広まった髪が伸びる人形だ。

 人形の髪が伸びる。人形が喋る。この手の話は何もお菊人形に限ったことじゃない。人形供養の神社が出来る程、日本には謂れを持つ人形が数多く存在する。

 海外だとアナベル人形なんかが有名だね。まあ、あれは髪が伸びるとかじゃなくて、呪いや憑き物の類だけれど。


 そう、憑き物だ。人形に異変が生じる怪談の多くには、やれ悪霊が憑いたからだの、やれ怨念が宿ったからだのと、あたかも人形に不純物が混ざり込んだような解釈がつけられている。それをとことん還元していけば、魂が宿ったともいえるね。

 これは何も悪霊や怨念という悪しきものに限った話じゃないんだよ。

 例えば、文久時代の随筆「宮川舎漫筆」の中に「精心込れば魂入」という話がある。

 強い信仰心を持った仏師や画工が手掛けた作品は魂を持つという話でね。

 ことわざでいうところの「仏造りて魂を入れず」だ。美しい造形には魂が宿る。宿らせる義務があるといってもいい。


 また、そうして生まれた人形を富山県の礪波地方では「人形神」という。

 祀ればどんな願い事でも叶い、欲しい物がすぐ手に入るそうだよ。

 まさに神だよ、神。

 不思議だろう? 恐れ忌み嫌われる人形もあれば、崇め奉られる人形もある。

 まあ、善悪は然程重要じゃないんだ。

 ここで一つ、疑問が浮かばないか?


――悪魔や怨念、腕の良い人間の力を借りずとも、物に魂を宿す方法はないのだろうか。


 そう思うだろう? 思わない?


 この疑問が浮かんだ時、僕は反射的に「付喪神」という言葉を連想した。

 道具は百年使い込むと魂を得てこれに変化する、というものだね。室町時代に出来た言葉だ。

 実に簡単で素晴らしい方法だろう?

 なにせ使うだけで良いんだ。良い腕も悪いなにかも要らない。

 じゃあ頑張って百年も待つのかって? いいや、そんな必要はないと僕は思う。

 そもそも丁度百年で都合良く魂が宿ると思うかい? そんなシステマチックな道理はないだろう。

 百という数字は、あくまで永く古いものを表現する為の、謂わば記号なんだよ。「鶴は千年、亀は万年」と同じくね。

 つまり必要なのは密度なんだ。この子をどれ程使い、この子とどれ程接したか。

 まあ、解釈は色々あるけれども。


――さてさて。長くなってしまったが、結論を言おうか。

 僕はね、この人形を出来るだけ長く、そして沢山使い込んで、魂を宿らせるつもりなんだ。

 魂なんてきな臭いものが本当に在ると仮定してね。

 いやぁ大変だったよ。毎日この子の髪を梳いて、抱いて、話しかけて、時には人に言えないような呪術的手法もとった。

 毎日毎日毎日毎日ね。もうかれこれ十年続けている。


 ああ、紹介が遅れたね?

 この子の名前はイブ。

 古代エジプトでいう心臓、意訳して魂を司る言葉からとった名だ。ぴったりだろう?

 さあ、ご挨拶して。

 ああ、君に言ったんじゃない。


 この子に言ったんだ。



 思わず坂本さんの膝の上にある人形に目をやった。

 当然挨拶など聞こえてこない。無機質な目でじっとこちらを見つめ返してくるばかりだ。

 それなのに、何故だろう。背筋に冷汗が伝う。耳鳴りが聞こえ始める。

 怖い。気味が悪い。久しぶりに心の底からそう思った。


「……本当に、十年もそんな事を?」

「もちろん」


 坂本さんは、人形の頭を優しく撫でながら頷いた。


「あの、一ついいですか?」

「いいよ。時間はたっぷりある」

「本当に魂が存在するとして、付喪神も存在するとしてですよ」

「うんうん」

「人形に魂が宿った事を証明する方法なんてあるんですか?」

「良い質問だ」

「え、あるんですか?」

「あくまで仮説だけれどね」

「はあ」

「21グラム、という言葉に思い当たる節はないだろうか?」


 魂の質量。咄嗟に浮かんだ言葉をそのまま呟いた。


「そう。人が死ぬと体から21グラム失われ、それが魂の質量であるというものだね」


 1901年、マサチューセッツ州の医師が行なった研究の事だ。学生時代にオカルト雑誌で読んだ覚えがあった。


「犬の実験の場合はなにも減らなくて、人の実験でのみ21グラム減ったとかいうやつですよね?」

「そうそう、よく知っているね」

「でもそれって、死んで肺が止まった時の発熱による汗が正体だっていうのが定説だったような」

「そうだね。現在、MRIやCTでも魂の存在は確認されていない」


 しかし、だ。坂本さんは続ける。


「どうせオカルトなんて、どれもこれも説の域を出ないんだよ。肯定はもちろんの事、否定すら確定はしていない」

「悪魔の証明ですね」

「良いことを言うね。そうだ、今から文字通り悪魔の証明をしようと思っている」

「え?」

「僕はね、この人形を買った時に正確な重さを量ったんだ。831グラム。流石木製、結構重かったね」

「まさか……」

「――ここに秤がある。さあ、一緒に量ってみようか。21グラム増えているかどうか」


 その後のことは、ここでは伏せる事にする。

 仮説、風説、道聴塗説だからこそ、怪談は怪談足り得るのだと僕は思う。

 結論まで語ってしまうと、それはただの話でしかなくなる。

――でも、もしそれでも暴きたければ、貴方も是非試して欲しい。

 髪を梳いて、抱いて、話しかけて。

 最後に量ってみるのだ。

 不安定な天秤の行方を求めて。


『不安定な天秤』了

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