迷信
数年前の話だ。
僕はその頃立て続けに怪我や病気に見舞われていて、それがきっかけで医療保険に入る事を決めた。
知人の中川さんという保険屋にその事を相談すると、すぐに見積もり書を作ってくれるとのことで、僕達は翌日に喫茶店で会う約束を交わした。
「――三浦さん。遅くなってすいません。会議が長引きまして」
「いえいえ。急に頼んだのはこっちですから」
「見積もり書、お渡ししますね」
「――おお、良いですね。予算以内です。そろそろ保険に入りたかったんですよ」
「物騒な世の中ですからね……あ、降ってきちゃいましたね。天気雨だ」
「狐の嫁入りですね」
「迷信かぁ。懐かしいですね。子供の頃ご両親に何か言われませんでしたか?」
「言われました。米を残すと目が潰れる、だとか」
「そんなのもありましたね。そういえば、男さんって変な話好きなんでしたっけ」
「大好物です」
「じゃあ一ついかがですか? 遅れたお詫びに」
「是非是非! コーヒー代持ちますよ」
「ははは。迷信といえばなんですがね?」
*
十年前、今の妻と籍を入れまして。
え? ああそうなんです。二人目でして。
彼女は宮城県出身なもので、東京育ちの僕とは結構違う習慣を持っているんですよ。
例えば、初詣の事を「ガンチョウマイリ」っていうんです。そうそう。元の朝に参る、です。
――四年くらい前ですかねぇ。
うちの倅が家の中で蜘蛛を見つけまして。新聞紙で叩こうとしたんですよ。
すると妻が――。
「朝の蜘蛛を殺したら目が潰れる」って、止めたんですよ。
そんな迷信聞いた事がないでしょう?
僕は思わず「朝の蜘蛛は縁起がいい、じゃなくて?」と聞いたんです。
そうしたら「なあにそれ、聞いたことないよ」って言うんですよ。
まあよく考えたら、迷信なんて地域によって違うんですよね。
それで、他も違うのだろうかと思って、妻の家に伝わる迷信を色々聞いてみたんです。
――私ね、聞かなきゃ良かったと思いましたよ。
朝に蜘蛛を殺したら目が潰れる。
ツバメが低く飛ぶと目が潰れる。
秋茄子を嫁に食わすと目が潰れる。
遠くの音がよく聞こえると目が潰れる。
夜に爪を切ると目が潰れる。
妊娠中に葬式に出ると目が潰れる。
カラスが夜に鳴くと目が潰れる。
北枕で寝ると目が潰れる。
他の迷信もね、みーんな全部、最後には目が潰れるんです。
*
「面白いなぁ」
「気になって調べたんですがね。宮城県民が皆そうだっていう訳じゃないんですよ。妻の家や、妻の親戚の間でだけ、この目が潰れる迷信が伝わっているんです」
「一体、誰が広めたんでしょうか」
「何だか気味が悪いですよね。まるで、誰かが目を欲しがっているみたいで」
「この話、よかったら貰ってもいいですか? イベントで話してみたいです。もちろんお金はお支払いします」
「いいですよそんな。あ、そういえば妻の曾祖母の話なんですがね?」
「ええ」
「白杖、ついていたんですよ」
「――目が見えていなかったんですか?」
「はい。妻が生まれる前からそうだったようで。亡くなった今となっては、結局それが病気だったのか怪我だったのか、誰にも分からないんですよ」
「あの。不謹慎かもしれませんが、それは――」
「ええ。私には、迷信と関係があるように思えてならないんです」
『迷信』了