第2章、旅の始まり
第2章:旅の始まり
コージャの村を出て、丸1日かけ森の中を歩いたヒロとコージャの2人は、ようやく目指す隣村:レキへとたどり着いた。街道から村の明かりがまばらに見えだした時には、すっかり日は落ち、2人は早足で村の入口を目指した。
当初の予定では、昼過ぎには村へ到着するはずだったのだが、想定外のアクシデントに遭遇してしまったのだ。それも二度。
それは、早めの昼休みを、森でとっていた時だった。この辺りの街道は、カーレ領:サウル地方でも田舎の地域だったから、元々街道を往き来する商人なども少ないとはいえ、コージャの村を出て丸2日、全くと言っていいほど誰にも会わない事に、(精霊の森)を出たばかりで、世間知らずのヒロにも、おかしいと感じたらしい。その事をコージャに訊くと、
「そう言やぁ、爺ちゃんが、最近街道に山賊が出るらしい、とかって言ってたな」
「山賊?」
不思議そうに聞き返すヒロに、コージャは思わず目をむいた。
「げっっ!ひょっとして、山賊も知らないとか言う?」
ヒロが大きくうなずくので、コージャは深いため息をついた後、彼にレクチャーを始めるのだった。
「山賊っていう連中は街道荒らしで、盗賊だな。盗賊は解るよな?」
「人の物を盗む、悪い人達だよね」
「そうそう。山に出るから山賊。ちなみに、海を荒らす連中は海賊な」
「でも、どうして人の物を盗んだりするんだい?」
「そりゃあ、手っ取り早くお金を稼げるからだろ。俺にきくなよ」
「でも、人の物を盗むのは悪いことなんだよ。どうして誰も止めないの?」
彼のこの質問に、コージャはまたまた深いため息をついてしまう。
「誰も止めないんじゃなくて、止められないんだと思うぜ。盗賊なんて連中は、たいてい札付きの悪ばかりだからな。役人の数も少ないし…」
「そうか。じゃあ、もし僕が山賊に出会ったら、まず彼らを説得してみよう!」
「はぁ?!」
ヒロが真剣な面持ちで、突拍子もない事を言い出すので、コージャは思わず奇声を上げてしまった。気を取り直すと、すぐにヒロへ説明を始める。
「おいおい、本気かよ?人の話を素直に聞くような奴なら、最初から盗賊になんてならないって」
「でも、元はいい人かもしれないし」
「無駄だと思うぜ」
ヒロとコージャは上着の裾を払うと、ゆっくりと立ち上がった。いつの間にか、周りを囲まれていたからだ。下品な笑い声と共に、木立の間から姿を現したのは、まるで登場のタイミングを計ったかのような山賊どもだ。その数、10人。
下っ端らしい男が、先頭のいびつなモヒカン頭の醜男に、声を掛ける。
「兄貴~。人の話し声が聞こえると思ったら、旅の魔導士ですぜ。どうしやす?」
「それより。おめぇら、良く見てみろ!ありゃあ、エルフじゃねぇのか!?こいつはぁ運がいい、大陸へ高く売れるぜ。おい、おめぇら、エルフには傷付けんじゃねぇぞ!」
「「「「へぃ!」」」」
山賊どもの会話を耳にして、コージャは笑いを噛み殺しながらヒロに言う。
「いや~ん、助けて。魔導士様ぁ」
「―ねぇ、貴方達」
ヒロは真面目くさった顔で、モヒカン男に声を掛けた。
「これ以上、罪を重ねるのはやめなさい。貴方達が心を入れ替え、真面目になると誓うのであれば、役人に減刑を申し出てあげましょう」
ヒロの台詞に、山賊一味は一瞬呆然となっていたが、互いに顔を見合わすと、一斉に高笑いを始めた。
「あ~っはっはっはっは!こいつぁ傑作だ。聞いたか、野郎ども。王都の魔導士っていうのは、お人好しの馬鹿揃いみたいだぜ!」
「で…でも兄貴、魔術が相手じゃ、分が悪いんじゃあ?」
「んなもん、呪文さえ喋れなけりゃあ、意味がねぇって!!」
言うや否や、山賊のリーダーは背中から巨大な斧を取り出して、一気にヒロへと向かって走り寄った。ヒロが呪文を唱えるより先に、攻撃しようと仕掛けたのだ。巨大な戦斧が唸りを上げて、ヒロの頭へ打ち下ろされるが、彼は難なくその一撃を避けた。
何を隠そう、ヒロの得意技は早口言葉だった。だからモヒカン男が戦斧を振り上げようとした時には、ヒロの呪文はすでに完成しており、胸前で印を組むと、力在る言葉を紡ぎ出した。
「ファイヤーボール!!」
どちゅごご~んんっ!!
地響きと共に、山賊達が後方へ吹き飛ばされて行く。たとえ相手が悪人でも殺す訳にはいかないので、もちろんヒロは手加減をしていたが、山賊達に勝ち目がないのは、子供の目にも明らかだった。
口から泡を吹き、地面で伸びている山賊達に、コージャがカバンから荒縄を取り出して、素早く縛り上げていく。山賊を縛る手を休めずに、コージャはヒロに言った。
「な!こんな連中に説得なんて、無駄だっただろ?解ったなら、さっさとこいつらを、峠の関所の役人へ突きだそうぜ」
「うん…」
深い、深い森の中を通る街道を行けば、盗賊の出現もやむを得ないとは思っていたものの、旅を始めて早々に出くわしてしまったので、コージャはいささか緊張したようだった。気を引き締めて街道を、レキ村に向かって歩いて行く。コージャの横に並んで歩くヒロにも、ようやく山賊=ならず者という概念が定着したらしく、役所に山賊どもを突き出す際、コージャに苦言は言わなかった。
「ま、大して時間はかからなかったし、日暮れまでにはレキの村に着くでしょう」
「…そうだといいけど」
歩きを止めて立ち止まるヒロに、コージャが訝しむように訊き返す。
「どういう事?」
「僕達が、また誰かに邪魔されるって事」
そうヒロが呟いたのとほとんど同時に、街道の前と後ろを塞ぐ形で、男達が行く手を遮った。どこからどう見ても先ほどと同様、今度も山賊御一行のようだ。やれやれと大袈裟に、コージャはため息をついた。
「あれ?コージャ、あの先頭の男って…」
「ん?ああ~!お前、さっきの!!」
ヒロの指摘に、先頭の男の顔を見て、コージャは指差してしまう。特徴のあるモヒカン頭の醜男は、先ほど自分達の手で役所に突き出して来たばかりの、山賊のリーダーだったからだ。
「お前、役所から逃げ出して、わざわざ追っ掛けて来たのかよ。…勘弁してくれ」
あからさまに嫌そうに答えるコージャの話が通じないのか、モヒカン男は目を点にして、逆に訊き返してくるではないか。
「何だ、おめぇ?初対面でいきなり」
「初対面だと?コラ、山賊!ふざけんのも大概にしろよ!」
いきり立つコージャを横目に、手下の男がモヒカン頭に言う。
「あ…兄貴、こいつらが言ってるのって、ひょっとしてマギー兄貴の事じゃないですかね?」
「何?」
オズオズと声を掛ける手下の指摘に、ようやく事態が呑み込めたのだろう。モヒカン頭は額に、幾筋も血管を浮かび上がらせると、真っ赤な顔をして怒り出した。
「―待ち合わせ場所に、顔を出さないと思って様子を見に来てみりゃあ、てめぇら!よくもマギー兄貴を殺ってくれたな!?」
「マギー兄貴?」
首を捻るコージャに、ヒロは臨戦態勢に入りながら叫んだ。
「コージャ、服の色が違う!」
「おっ!本当だ」
ヒロの言う通り、先ほど役人に引き渡した山賊団のボスは、赤い色の服を着ていたのだが、目の前のモヒカン男は、顔·髪型は同じでも、緑色の服を着ているのだ。
コージャ目掛けて打ち下ろされた、巨大な戦斧を後ろへ飛んでかわすと、すでに呪文を完成させていた、ヒロと場所を入れ替わる。
「俺達、がレオン兄弟を舐めると、痛い目を―!!」
「……ファイヤーボール!」
どっご~んんっっ!!
モヒカン男の口上を、ヒロは最後まで聞く事なく、魔術を解き放った。巨大な炎球は、山賊達の足元で着弾し、大きく爆発する。爆風に吹き飛ばされて、山賊団一行は呆気なく静かになった。
「うは~、弱ぇ…」
コージャは再びカバンから縄を取り出すと、慣れた手つきで山賊達を縛り上げていくが、コージャの呟きには大きな間違いがある。それは、山賊達が弱いのではなく、ヒロが異常に強いのだ。
こうして同じ街道を、日に2回も往復させられてしまったお陰で、ヒロ達が村へ着いたのは、すっかり夜になってからの事だった。村へ近付くと、遠目に家の灯りだと思っていた光は、轟々と焚かれる篝火で、その炎はまるで村を守る門番のようだった。
篝火の脇を抜けて、村へ入ろうとする2人に向けて、突如、何かが飛来した。それは火のついた矢尻で、コージャの顔の横を掠めて、地面に突き刺さった。
「アチチ!髪が焦げたっっ」
「大丈夫、コージャ!?」
「平気、平気。それより、誰だよ?こんな物騒なもん、人に向けて撃つ奴は!」
2人が篝火の向こう、村の中の暗闇に目をやると、弓を携えた少女の姿が目に入った。どうやら今の火矢は、この少女が放ったものに違いない。コージャは地面から、まだ火のついた矢を抜き取ると、少女の元へ詰め寄った。
「こんなもんを人に向けて撃ったら、危ないだろっ!」
「……こんな時間に外を出歩く方が悪いのよ。奴らと間違えられても仕方ないわ」
すると少女は謝るどころか、コージャとヒロに冷たい視線を送ると、身を翻して村の中へと消えて行くではないか。慌ててコージャは彼女の後を追うと、腕を掴んで文句を言った。
「ちょっと待てよ!先に謝るのが筋だろ。俺達だって、日が暮れる前に着くつもりだったんだぜ?」
「コ…コージャ、よしなよ!」
少女は掴まれた自分の腕を迷惑げに見下ろすと、コージャに一言だけ告げる。
「…怪我はないようね?」
「あ?まぁな」
「じゃあ、私があんたに謝る必要はないわね」
「なっっ…何だとぉ?」
コージャはあまりの言われ方に、目を白黒とさせている。
「―それと、いい加減迷惑だから、放してくれない?」
コージャの我慢の限界も、ここまでだった。乱暴に少女の腕を放すと、文句をつけようと彼女へ詰め寄った所で、後ろからヒロが羽交い締めにして必死に止めた。
「お…お前なぁ!いくら女でも、謝らないと容赦しないぜっ!」
「コージャ!ちょっと、落ち着いて…」
「これが落ち着いてられるかよっっ!」
「何を騒いでいるんだ?!」
その時、不意に3人へ誰何の声が掛けられた。振り返った少女の顔が、緊張で強張るのを、ヒロは見逃さなかった。
「と…父さん」
「騒動の元はお前か、プレセア?」
「はい。ですが父さん、こいつらが夜になってから村へ近付くから…」
「お前は黙っていなさい!」
「…はい」
プレセアと呼ばれた少女は、父に言い訳をしようとしたが、目の前の父親はそれを許さなかった。娘が黙ったのを横目に見やると、父親はヒロとコージャへ丁寧に頭を下げた。
「これは、旅の魔導士様でしたか。先ほどは娘が大変、失礼を致しました。お怪我などは大丈夫でしょうか?」
「え、はい!連れも、この通り大丈夫です」
娘とは打って変わって丁寧な父親の物腰に、ヒロもコージャも思わず居住いが改まってしまう。父親は柔和な笑みを浮かべると、2人へある提案をする。
「お怪我がなくて何よりです、どうでしょう?ご迷惑をお掛けしてしまったお詫びとして、今夜は是非、我が家へお泊まりになられては?」
「え、いいんでしょうか?」
「ええ、もちろんですとも」
日が暮れてから村へ到着してしまった2人にとって、これは有難い申し出だったので、ヒロは背後のコージャを振り返った。
「どうする?」
「どうするも何も、今夜の宿は決まってないんだ。有り難くお受けしようぜ」
「うん、そうだね。―ありがとうございます、遠慮なくお伺いさせてもらいます」
ヒロの返事に、父親は微笑んだ。
「それは良かった。では、ご案内致しましょう。どうぞこちらへ」
ヒロとコージャの2人は、プレセアの父親の案内で、彼の家へと招かれた。話では、プレセアの父がこの村の村長であり、村の治安維持に日々努めているとの事だった。
夕食をよばれながらヒロとコージャは、今は側にいないプレセアの行動について、訊いてみる事にした。
「こう山賊が多いんじゃあ、村の治安を守るのは大変だろうけど、いきなり人を火矢で撃っといて、素直に謝らないっていうのは、どうかと思いますよ?」
コージャに言われ、村長はすぐに頭を下げた。
「その事については、本当にすまないと思っているよ、コージャ君」
「ですが村長、何故、彼女はあんな事をしたのです?」
ヒロに訊ねられ、途端に村長の顔は曇ってしまった。どうやら核心に触れたらしい。村長は頭を振ると、今この村に起こっている事を話し始めた。
「―夜になると、(奴ら)が村にやって来るんだよ」
「「奴ら?」」
「この辺り一体の村村を襲っている、山賊達の事だ」
「山賊ですか?山賊でしたら…」
「昼間ヒロが退治して、役所へ引き渡したぜ」
ヒロとコージャの台詞に、村長はうつむいた顔を上げた。
「本当か?!コージャ君!」
「ああ、ヘンテコな頭の兄弟だろ?確か、がレオン兄弟とか何とか…」
「嗚呼」
1度は明るくなった村長の顔は、再び暗いものへと変わっていく。意味が解らずに、顔を見合わせる2人に、村長は事情を説明する。
「君らが言ってるのは、人間の山賊だろう?私が言ってる(奴ら)とは、魔物の事だよ」
「「魔物!!」」
「半年ごろ前から出没するようになった。頭は犬のようでいて、武器や防具で武装した、ずる賢い連中だよ。最初に村が襲われた時に、私の息子が犠牲になった…。それからだよ、大人しかったプレセアが、まるで別人のように変わってしまったのは。元々、中のいい兄妹だったから、よほど息子の事が悔しかったんだろう」
村長の言葉に、コージャは愕然となった。
「なっっ!!村長、何ですぐに俺の爺ちゃんに相談してくれなかったんだよ?」
「君の村だって魔物が棲み着いてしまって、大変だったじゃないか。相談なんて、出きる訳がないだろう。それに、我々だけで退治出来ると、軽く考えていたんだよ」
コージャの言葉に、村長は静かに首を振るだけだった。相手が魔物となれば黙ってはいられない、ヒロは村長に訊き返す。
「でも、相手が魔物で犠牲も出たのに、村の被害は小さいようですが?」
「篝火ですよ。魔物と言っても所詮は獣、火を絶やす事さえなければ、村に近付いては来ません。それに連中は夜行性のようで、昼間に姿を見たと言う者は1人もいません」
「ですが、最初の被害から、半年は経ったんですよね?」
「どうかしたのか、ヒロ?」
あごに右手を添えて考えるヒロに、コージャが訊き返す。
「うん。火を恐れるくらいだから、相手は低級魔族なんだろうけど、そろそろ篝火も通用しないんじゃないかと思って」
「それは本当ですか、魔導士様っ」
「はい。低級だからといって魔族を舐めると、痛い目をみるという事です。コージャ、このままじゃ、この村は危険だ。僕は、しばらく様子を見た方がいいと思うんだけど?」
「決めるのはお前だろ、ヒロ。これはお前が決めた世直し旅なんだ、俺はお前に着いて行くだけさ」
コージャに言われ、ヒロも決断する。
「村長、しばらく僕らがご厄介になっても、構いませんか?」
「ええ、魔物を退治してくれるのでしたら」
こうしてヒロとコージャの2人は、しばらくレキの村に滞在する事となった。急ぐ旅ではあったが、目の前で苦しむ人々を、見捨てる訳にはいかなかった。
相手が夜行性という事もあり、2人は昼間の間、近隣の森の中に出ては、少ない魔物の情報収集に専念している…。
「う~ん。ないなぁ、手掛かり。ねぇ、コージャは何も感じない?」
「駄目だ。こう獣の気配が多くちゃ、目標を絞り込めないぜ」
やれやれと身を起こすコージャに、ヒロが言う。
「まさか、君とこの村の村長が、顔見知りだったとはね。思ってもみなかったよ」
「そうか?俺だって一応、村長の孫だぜ。家に何度か来た時に、挨拶くらいしてるさ」
「ふ~ん」
気のない返事をしたかと思うと、ヒロは急に背後を振り返って、厳しい声を掛けた。
「コソコソ隠れても無駄だよ。話があるなら、出て来たらどうだい、プレセア?」
どうして自分の尾行が、ヒロにバレてしまったのか、信じられないといった様子で、彼女は木立の陰から姿を現したが、観念したのか、ヒロに深々と頭を下げた。
「さすがは魔導士様ね、すっかりお見通しですのね?」
「…僕たちに、何か用かな?」
「用ってほどじゃないわ。あんた達が本当に、あいつらを倒せるのかどうか、見極めに来たの」
「ずいぶんと信用がないな」
「ちょっと、コージャ!」
直接謝ってもらってない事を、まだ根に持っているのか、コージャが剣呑な言い方をするので、ヒロがすぐに釘をさす。
「女の子相手に喧嘩は駄目だよ、喧嘩は」
「する訳ないだろっっ」
「い~や、今の言い方は、僕が止めてなかったら喧嘩したね」
「あのなぁ…」
「ちょっと、いい加減にしなさい!」
2人のやり取りを黙って聞いていたプレセアが、文句を言った。腰に手を当てがい、呆れた口調で言葉を続ける。
「あんた達って本当に強いの?あいつらは、兄さんを殺したくらいの凄腕なのよ?あんた達があいつらを倒せなかったら私、承知しないんだから!!」
押し殺していた感情を吐き出すかのように叫ぶと、プレセアはその場から逃げ出そうと駆け出した。コージャは素早く後を追って、彼女の腕を掴むと、半ば強引に引き戻した。
「放しなさいよ!」
「あのさぁ、文句を言うだけ言っといて泣き出すような奴、何か事情があるの見え見えなんだよ。そんな奴をほっとける訳ないだろうが!」
近くを流れる小川のせせらぎで顔を洗うと、落ち着きを取り戻してプレセアは、コージャに向き直った。訝る彼の前で頭を下げると、プレセアは小さな声で謝る。
「夕べは、ごめんなさい」
「お…おぅ!謝ってくれたから、もういいさ」
ヒロはそんな彼女に、今回の騒動について事情を訊ねる。
「プレセア、良かったら今回の事、僕達に教えてくれないかな?君のお兄さんの事や、どうして女の子の君が、村の警護の真似事なんてしてるのか」
すると、ヒロから事情を訊かれる事を、あらかじめ予想してたのか、プレセアは暗い瞳を川面に向けながら、ゆっくりと話を始めるのだった。
「リカルド兄さんは、小さい頃から村長の跡取りとして、両親からも村の人からも、それは大事にされて育ってきたの。そして兄さん自身、そんなみんなの期待に応えるべく、日々、勉学と村を守るために剣術の稽古に勤しんでた。私は、そんな兄さんが大好きだったわ」
プレセアは一旦言葉を区切ると、鋭い眼差しをヒロとコージャの2人へ向けた。
「そんなある日、あいつらが村を襲ったわ。兄さん達、若い男手総出で撃退して、兄さんの命と引き換えに、村は守られた。―解る?村のみんなや私たち家族が、どれほど絶望したか…。私も兄さんに付き合って、よく狩りに出掛けたから、弓の腕には自信がある。だから兄さんの為にも、兄さんが守ろうとしたこの村を、私の手で守ってみせようと頑張ってみたけど、所詮女の私じゃ駄目みたい。村の人達も…そして父さんも、私には関心がないのよ。私は、兄さんみたいに跡継ぎになりたい訳じゃない!ただ、みんなが昔のみんなみたいに、元気になってほしいだけ。それだけなのよ」
女伊達らに男の格好をし、弓を持って毎夜外を見回る彼女が、みんなに思いを理解されず、これまで辛い思いをしてきた事が、彼女の独白からもよく解る。きっと、実の父親である村長からも、虐げられていたに違いない―。
話を聞いて、コージャは怒りを抑えて、ヒロを振り返った。
「ヒロ。この村を狙ってる連中は、絶対俺たちの手でやっつけようぜ!」
「たしかに人々を苦しめる魔物は、許せる相手じゃない。プレセア、必ず魔物は僕達が退治する。君と、君のお兄さんに誓って!」
「魔導士様…」
熱く、誓いの言葉を言ってくれたヒロに、プレセアは安心したように安堵の顔をみせた。そんな彼女に、横からコージャが声を掛ける。
「魔導士様なんて、固い呼び方すんなよ。こいつの名前はヒロ。そんでもって、俺がいる事もお忘れなく…。コージャだ、改めてよろしくな、プレセア」
差し出された右手を困惑げに握り返して、プレセアはコージャに笑顔を返す。
「ええ。よろしく、コージャ」
打ち解けた事で緊張が緩んだか、プレセアはヒロとコージャに、他愛ない質問で返した。
「ところで、さっきから思ってたんどけど、2人はここで何をしてるの?」
「手掛かりを探してるんだよ」
「手掛かり?」
「犬みたいな頭をしてたって、プレセアの親父さんから聞いたけどよぉ、魔物なんてたいがい、獣の姿をしてるんだぜ?だから、正体を見極める(何か)がないかって、探してるところ」
ため息混じりのコージャの言葉を受けて、プレセアは表情も明るく2人に告げる。
「それなら、私で役に立てるかもしれない。2人とも、着いて来てくれる?」
プレセアに案内されて来たのは、村はずれの納屋の前だった。彼女は慎重に鍵を開けると、ホコリ臭い納屋の中に2人を招き入れた。
「私、撃退した連中の持ってた物を、ここに隠してあるのよ。これで何か解らないかしら?」
「本当かい、プレセア?」
「やるじゃんか!兄貴に似て、しっかりしてるぜ!!」
年頃の少年2人に誉められて、プレセアは顔を赤らめてしまっている。彼女の指し示す木箱を開けて、ヒロとコージャは中から武器と鎧を取り出した。
「武器はこん棒か。鎧の方は…と」
コージャは鎧の内側に、わずかに残された、獣の毛を発見した。それは細い割りには剛毛な、茶色い体毛だった。ヒロはコージャから毛を受け取ると、光に透かして確認してみた。
「犬の毛?犬型の魔物で、人間みたいに武装もすると言えば…」
「言えば?」
おうむ返しをするコージャに、ヒロはうなずいた。
「恐らく、コボルトで間違いないよ。連中は知能も高いし、群れで行動するからね。相手がコボルトなら、こっちから誘き寄せて、やっつけた方が早いかもしれない」
「そんな事が出来るのか?!」
「まぁね。獲物を追い掛ける、奴らの習性を利用するのさ」
そう言って、ヒロはコージャに、ニッコリと笑ってみせた。
その夜。村の周りは闇が張り付いたかの如く、月明かりもない暗闇に閉ざされていた。その闇の中を、大挙する荒い息遣いが、村の入口近くにあった。
珍しく(獲物たち)は、村を守る炎を燃やしてはいない。罠かとも考えられたが、自分達に敵うはずもないと、金色の瞳を光らせて、その異形の獣たちは村の中へ入ろうとした。
「コージャ、今だっっ!」
「漆黒の闇シャドウ!もういい、解除だ!!」
何者かの叫びを怪しむ隙もなく、突然、周りを覆っていた暗闇が、嘘のように晴れていく。そして、篝火の明かりに照らされた獣たちの前に、漆黒のマントを纏った1人の少年魔導士が、立ち塞がっていた。
「やっぱり思った通り、コボルトだったね。もうお前たちの好きにはさせない、覚悟するんだね」
「グルル…、人間風情ガ味ナ真似ヲ。容赦ハシネェ、皆殺シニシテヤル!!」
手に手にこん棒を持ち、コボルト達は一気にヒロとの間合いを詰めて行く。ヒロが自由に魔術が使えるよう、瞬時にコージャがヒロとコボルトの周りを、不可視の壁で隔離する。
「…我に応えて盟約を交わせ、フェザー·レイ!」
「ぬぅ…、結界」
「よそ見してる暇はないよ?…フレア·アロー!!」
力在る言葉と共に、ヒロの指先から炎の矢が、コボルト達に向かって飛来して行く。先頭にいた5匹のコボルトが、たちまち炭と化していった。
「フレア·アロー!!」
続け様に術を放って、残りの12匹のうち、7匹のコボルトを倒していく。
「よっしゃあ!もう一丁だ、ヒロ!」
コージャが嬉々とした歓声を送る中、再びヒロは印を組み呪文を唱えた。相手に反撃の暇も与えない、正に鉄壁の攻撃防御といった様相だ。そうして完成した術を、残りのコボルトに向けて解き放つ。
「ファイヤーボール!!」
巨大な炎塊が、コボルト達のいる地面に着弾した瞬間、強大な火柱が上がって、コボルト達を一掃して行く。先日、盗賊に使った時より、明らかに威力の違うそれに、コージャが目を丸くしていた。彼は結界を解除しながら、ヒロに声を掛ける。
「なんか、普段より半端なく強くねぇ?」
「うん、手加減なしで使ったからね。普通だと思うけど?」
(全っ然、普通じゃねぇって!…やっぱこいつは、すげぇ魔導士だぜ)
ヒロの台詞を心の中で否定するコージャはさておき、2人の元にプレセアや村の人々が集まって来て、賞賛の言葉を掛けてくれた。
「コージャ、ヒロ!」
「プレセア、約束は果たしたよ。これで君の兄さんも、安心して天国に行ける」
「ありがとう、本当にありがとう…」
プレセアの涙に、村人たちも思わず貰い泣きしてしまう。そんな中、声を詰まらせて立ち尽くす村長に、村の男達が歓びの声を掛けた。
「良かった、本当に良かった。これでお嬢も、やっと普通の女の子に戻れますね、村長」
「ああ!」
その会話は、プレセアにもヒロ達にも聞こえていた。彼女は涙を拭うと、父に聞き返す。
「どう言う事?父さんは私が嫌いなんじゃあ…?」
娘の言葉に、村長は驚いた顔で答える。
「そうか!ずっと誤解を与えていたんだな。―プレセア、お前は兄とは違い、いつかは嫁いでこの村を離れる身。それで兄とは態度が違っていたから、お前は私がお前を嫌いだと感じていたんだな。…すまない、プレセア」
「お嬢!村長は女の子の貴方が、毎夜、弓を持って男のように村の警護をならる事に、心配なさっておいでだった。貴方を嫌うなんて、そんな事、絶対にあり得ませんよ」
「父さん…、みんな…」
心の綻びが解けたのか、村長とプレセアは互いに抱き合って、歓びの涙を流した。その様子を見て、ヒロとコージャも、ホッと安堵の吐息をついた。
「良かったね。プレセアも誤解が解けたみたいで」
「本当だな。…見ろよ、ここに来て一番の笑顔だぜ、あれ」
「うん」
こうして翌朝、村人から惜しまれつつヒロ達は、一路、サウル地方を治める領主、フィレ公爵の城がある都:カーレへ向かって、旅立って行った…。
一方その頃。街道からかなり離れた森の中、そこでちょっとした騒動が発生していた。1人の少年が、辺りの景色にぼやいている。白銀の軽冑衣に、大層立派な黄金細工の大剣を、腰に差している所を見ると、何処かの貴族の王子様か。上物の絹織物のマントのフードを目深に被っている為、表情までは解らないが、澄んだ声から知性の高さが窺える。
「―おいおい、何処だよここは?…ったく、魔導士の扱う(転送装置)ってやつは本当、何処に転送されるか解らんからな」
少年剣士は深い森の木立を見渡して、太陽の方角からおおよその見当をつけて歩き出したのだが、その足がふと止まった。慎重に辺りの気配を探った後、おもむろに背後へ声を掛けるのだった。
「用があるなら、出て来いよ」
少年の呼び掛けに応えるように、斧や剣を手にした山賊の集団が、姿を現したではないか。その中でも、一際凶悪そうな顔つきのモヒカン頭の醜男が、少年剣士に威嚇の声を発した。
「おい!マギーとトニーの野郎を殺ったのは、てめぇか?」
それは先日、街道でヒロが見事やっつけた山賊兄弟の名だ。だが、少年剣士は不敵に口元を綻ばせると、意外な言葉を口にした。
「……だと言ったら?」
「てめぇ!よくも俺様の可愛い弟たちを…!ガレオン三兄弟を舐めたら、痛い目をみるぜ!」
「痛い目ねぇ~。ちょうど良かった、俺もこの辺りの盗賊に用があったところだったんだ。相手になってやるよ」
大剣をスラリと抜き放つ少年剣士に、モヒカン男は顔を真っ赤にさせて怒り狂った。
「て…てめぇ、もう勘弁ならねぇ!覚悟しやがれ!!」
おおよそ20人近い山賊達が、一斉に少年剣士に襲い掛かるが、少年は目にも止まらぬ速さで、次々と山賊の手下どもを、斬り倒して行くではないか。正しくは、峰打ちで気絶させているのだが…。
少年の剣の動きは、もはや残像にしか見えない。あっという間に手下の全てを斬り伏せて、残るはモヒカン男だけとなった。モヒカン男は、気合い入れで両の掌に唾をかけると、巨大な斧を旋回させながら、少年に突進して行く。
「うぬらあぁぁぁーっ!!」
少年剣士は半歩だけ左に動いて、頭上の戦斧をやり過ごす。風圧でフードが外れるが、構う素振りすらなく、剣を下段から斬り上げた。峰打ちを喰らう寸前、モヒカン男は驚愕の声を上げていた。
「お…お前は!!ぐふっ!」
地面に倒れ伏した、モヒカン男を見下ろし剣を鞘に収めると、少年はモヒカン男の襟首を掴んで揺り起こした。
「おい、起きろ!」
目を覚ましたモヒカン男は、少年の顔を見て悲鳴を上げる。
「黄昏色の髪と瞳!お…お前、(盗賊荒らし)の傭兵アークか?!」
「なんだ。こんな田舎でも有名なのか、俺は?」
「じゃあ、本物の!ひぃーっっ」
ジタバタと逃げ出そうとするモヒカン男を捕まえて、アークと呼ばれた少年は凄みを利かせて、山賊のリーダーに訊いた。
「おい、盗賊。3日前、カーレ城へ忍び込んで宝物庫を荒らしたのは、お前さんか?」
「めめめ…滅相にありませんっっ!俺達ガレオン三兄弟は、この付近の街道を行く、旅人しか襲いませんっっ。そんな、カーレの城に忍び込むなんて、大それた真似は」
「違うのか、残念」
少年はモヒカン男の襟首を放すと、山賊リーダーは安堵の吐息をつくのだが、次にとったアークの行動に、再び悲鳴を上げる羽目になった。
「―で、お前さんの懐のこいつだが…」
「あ~っ!いつの間に、俺様の財布をっっ」
「お!何処で手に入れたんだ?けっこう上物じゃないか、これ」
モヒカン男の財布を中をあらためていた少年は、中から極上のルビーを3粒抜き取った。モヒカン男は、情けない声で悲鳴を上げる。
「それは手に入れるのに苦労したんだっ!勘弁してくれ~っっ」
「俺が責任を持って預かっててやるよ。…っと!」
「ヴ~、盗賊荒らし…」
アークは振り向き様に、モヒカン男の首へ手刀を打ち下ろして、再び山賊を気絶させた。意識を失う瞬間、モヒカン男はアークの2つ名の意味を、正しく理解出来た事だろう。少年は立ち上がると、街道に向かって歩き出した。
「あ~あ。今の連中が賊なら、仕事も楽だったんだがな。だが、街道を外れたこんな所に転送されたって事は、ターゲットも近くにいるって事だな」
しばらくそのまま歩いていた少年剣士は、ふと何かを思い出したように立ち止まると、後ろを振り返った。
「…田舎の盗賊でも俺の噂を知っていたとなると、この髪はなんとかしないとな」
少年は、背中に下げた鞄の中から長い麻布を取り出すと、それをターバンのように頭へグルグルと巻き付けて、その目立つ赤い髪を隠すのだった―。
続く…
第3章:謎の美剣士、その名はアーク
コージャの生まれ育った村を出発して、早くも10日目。目的地のカーレの都まであと僅かほどの距離であるにも関わらず、依然として到着できないでいるのは、立ち寄る村村で小さな魔物退治を依頼されたり、村人に懇願されて足止めをくったり、街道で盗賊に襲われて(もちろん、余裕で撃退しているが)役所へ赴いたりと、予定外の寄り道をさせられているからだ。
魔物の出現が増え、旅人の数も減少しているという…これこそが、世界に何かの異変が起こり始めている、前触れに他ならないと、改めて実感させられた。
太陽が真上に来た頃、街道は山頂付近へ差し掛かり、木々の間から眼下にカーレの都が広がっていた。コージャが足を止め、ヒロを振り返る。
「ふぅ。ちょっと休憩していこうぜ、ヒロ」
「うん。それにしても綺麗だね、カーレの都は」
眼下の景色に見とれるヒロに、コージャが指差しながら説明をする。
「なにせこの辺りじゃあ、一番大きな都だからな。真ん中に大きな城が見えるだろ?あれが、この地方の領主様、フィレ公爵の城だ。けど、俺も話にしか聞いた事ないけど、王都のシルバーブルクは、もっと大きくて立派な都だそうだぜ。カーレの都なんて、小さな地方都市なんだってさ」
「ふ~ん」
素直に話を聞いているヒロに、コージャは前から気になっている事を口にした。
「なぁ、ヒロ。ちょっといいか?」
「何?」
「その…、俺思うんだけどさ、人前で自分の髪の色を気にしてるみたいだけど、髪の色より黒いマントの方が、絶対目立ってると思うぜ」
「えっっ、何で?」
「お前…、精霊王から何も聞いてないのな。この世界じゃあ、黒いマントといえば、王都の魔導士って意味があるんだぜ」
ヒロは思わず飲み掛けの水を、ブーッと吹き出して、噎せてしまった。
「な…何だって?!」
コージャはやれやれといった感じで、ため息を1つついている。ヒロは心の中で、1人ごちた。
(ちょ…長老様、騙したな…)
「やっぱ俺が一緒に着いて来て正解だったぜ。お前、ホント世間知らずだもんな」
「しようがないだろ。悪かったね、世間知らずで…って、あれ?」
先ほどまでの青空が嘘のように曇りだし、おまけに辺り一帯、見る間に深い霧に包まれる。山の天候は変わりやすいとは言え、これは明らかに異常だ。
「「!!」」
何かの気配に、周りをすっかり囲まれている。…その数、約20ほどか。深い霧に遮られ、周りの見通しが一切利かない。
すると、霧の中から中年の男が不意に、2人へ大声で呼び掛けてくるではないか。
「フッ。貴様たちが俺様を捕らえに来た、刺客である事はお見通しだ!しかし、まだガキじゃないか、ヒビって損したな。子供相手に、これだけの頭数を用意して大人げないが、悪く思うなよ。貴様たちが刺客として、追い掛けて来たのが悪いのだからな!!」
2人は思わず顔を見合わせる。明らかに人違いだ。コージャが人違いである事の説明をしようとした途端、先に男が攻撃を仕掛けて来る。
「行け、トロール達よ!では、さらばだ」
「ちょっ…ちょっと待てよ、おっさん!」
コージャの声は届かず、男の気配が消えて、代わりにトロールの群れが、2人との距離をジリジリと詰めて来た。
トロールとは、二足歩行のカバのような魔物で、性格は温厚で動きも遅く、おまけに頭も悪い。2~3頭なら、さほどの苦労もなく逃げる事が出来るたろうが、なにせ今回2人は周りをすっかり囲まれていて、退路を完全に絶たれている。20頭全てを相手にしなければならない。
トロールは1度攻撃を受けると、性格が一変して凶暴化し、群れの本能が強い為、仲間が襲われた瞬間、集団で攻撃体勢に入る。頭が悪い分、皮膚が分厚く、痛みに対する神経も鈍いので、一撃必殺で攻撃しなければ、逆に強大な怪力に襲われ、やがてスタミナ切れで、人間の方が不利になるのである。
「おいおい…、これ全部トロールかよ」
「一撃で仕留めないと、逆にこっちが不利になるよ、コージャ」
「解ってるけど…」
1匹目の攻撃を難なくかわすと、コージャは腰から短剣を抜き、ヒロの為に時間稼ぎをするのに、トロール達を牽制した。
「フレア·アロー!」
コージャの前にいた3匹を炎の矢が貫き、あっという間に体が燃やされて灰になった。
「アシッド·レイン!」
続け様にヒロは、自分の背後にいたトロール5匹を、強力な酸性雨により、瞬く間に溶かしてしまった。これで残りは12匹だ。
しかし、立ち続けに仲間の断末魔の雄叫びを聞いて、トロールの群れの本能にスイッチが入ってしまったようで、明らかにさっきまでとは目つきも速さも全然違う。ここからが正念場であった。
コージャが背中に厭な汗をかき、気合いを入れ直した所で、ヒロの術が完成していた。
「フレア·アロー!」
コージャの横手にいたトロール5匹を、炎の矢が一気に襲い掛かるが、端の2匹に避けられ、真ん中の3匹にしか命中しなかった。
「外したかっ!?」
舌打ちするコージャの隣で、ヒロの声が飛ぶ。
「コージャ、前!!」
「?!」
一瞬、気を逸らした隙を突かれ、コージャはトロールの体当りをまともに喰らい、10mほど後ろへ吹き飛ばされた。ヒロはコージャの側に駆け寄り、彼を庇うように前へ出ると、呪文の詠唱を終えて、胸前で組んでいた印を大地に当てて、術を発動させた。
「アースクエイク!」
ヒロの足元から、振動と共に大地に裂け目が出来て、無数の岩の爪のような物が現れたかと思うと、一斉にトロールへ襲い掛かる。まるで巨大な大地のアギトが、トロールを呑み込んでいくようだ。
しかしトロール達は、なんとその大地の爪を、その怪力を駆使して、食い止めてしまったのである。
「そんな馬鹿な…!!」
先頭の方にいた2匹のトロールが、猛然とヒロに向かって突進する。呪文の詠唱…駄目だ、間に合わない。ヒロが思わず目を瞑った瞬間…!
斬っ!!
ヒロに襲い掛かったトロール2匹の胴体が、真っ二つに斬り裂かれていた。
ヒロの目に飛び込んできたのは、鮮やかな赤い髪と、白銀の光を放つ剣であった。霧が深いのと、突然現れた剣士の動きが速くて、ヒロの目が追いつかない…。否、その赤い髪にまるで魅了されてしまったのか、目を逸らす事が出来なかったのだ。
ヒロの頭の中が真っ白になる。今は何も考えられない…。
それにしても、剣士の剣の腕前は、実に見事としか言いようがなかった。残り7匹のトロールも、何の苦もなく次々と斬り倒して行く。しかも確実に、あの分厚い胴体を、真っ二つに斬り裂いてしまうのだ。
あっという間に、残りの1匹も斬り倒してしまった。すると、さっきまでの霧が、まるで嘘のようにかき消えて、また青空と太陽の光が戻ってきた。どうやら霧も、先ほどの男の仕業であったようである。
霧が晴れると、辺り一面凄まじい光景が広がっていた。ヒロが繰り出した様々な術のせいで、街道沿いの木々はなぎ倒され、道も所々えぐられている。後は剣士が斬り倒したトロールの死骸が、あっちこっちに転がっていて、一面血の海と化している。トロールの死骸は、見事に上半身と下半身に斬り分けられていて、斬り口から内蔵がこぼれ出し、血の臭いと相まって、これまた凄まじい悪臭が漂っていた。すぐにでも、場所を移動した方が良さそうである。
ヒロはコージャを振り返り、彼の様子を確かめる。息はあるが呼吸が荒く、顔色も悪い。ヒロはコージャを起こすのに、身体を揺り動かそうとした時、剣士が制止の声を掛けてきた。
「ちょっと待った!内蔵が殺られてるかもしれない。すぐに動かすのは危険だぞ」
彼の言葉にギョッとして、ヒロは剣士を見上げた。トロールの返り血を浴びて、すっかり服と防具が汚れてしまっている彼も、ヒロの横にしゃがんでコージャを覗き込む。
「お前さん、魔導士だろ。回復魔法は?」
「白魔術はあんまり得意じゃない。(リカバリー)程度しか…」
「…なら、しようがないな。悪いけど、俺は高いぞ」
「えっ、高いって?」
ヒロの問い掛けを無視して、剣士はすでに呪文の詠唱を始めている。その声を聞き、ヒロは驚いた。
(この呪文は…!)
「…リザレクション!」
コージャの身体を、柔らかくて暖かい光が、優しく包み込んでいく…。
白魔術で、主に使用頻度が高く、メジャーな魔術の代表格として挙げられるのに、「リカバリー(治癒)」と、「リザレクション(復活)」の2つがある。
リカバリーの方は、割りと簡単に誰でも扱う事ができ、魔導士の下で修行をした旅の商人なんかでも、気軽に扱えるほとだ。魔術の原理としては、人間が本来持っている(生命力)を活性化させる事によって、怪我や病気を治していくのであるが、生命力が弱まっている重傷者に対して術を施すと、逆に命を危険に晒してしまうのである。
それに対してリザレクションの方は、白魔術の中でも最上級レベルの魔法で、扱える術者も神官クラスの、限られた者だけしかいない術である。リカバリーと違い、神の力を召喚して行う魔法なので、「死者も復活させてしまう」と言われているほどである。そんな大技を、ただの剣士が扱えるはずがない…。ヒロ自身、(復活)の魔術を見るのは、今回が始めてであった。
コージャの表情にも血の気が戻り、顔色もすっかり良くなっている。コージャの身体を包み込んでいた光が消えると、彼はまるで何もなかったかのように目を覚まし、ゆっくりと起き上がった。
「コージャ、良かった。大丈夫かい?」
「ああ、もう何ともない。それよか、彼は?」
コージャの質問でようやくヒロは、まだ恩人の名前を聞いていないのに気がついた。
「あのっ、え~と…」
「…自己紹介もいいけど、とりあえず場所を変えないか?」
剣士が辺りの悪臭に眉をひそませながら、ヒロ達に提案した。
街道を外れて森を突っ切りしばらく行くと、小川が流れていた。そこで剣士は、ようやくトロールの返り血を洗い流す事ができ、実に晴々とした表情で、ヒロ達2人の側に戻って来た。さっきまで気が動転していて、ヒロは彼の顔を全然見ていなかったのだが、今、改めて観察してみると、風のようにトロールを一網打尽にした人物とは、とても思えなかった。
一見しただけでは、少女と見間違えてしまうほど端正な顔立ちに、華奢な身体つきだ。歳はヒロと同じくらい、背は165cmほど…小柄な人物であったが、ヒロもコージャも思わず見いってしまったのは、その髪と瞳の色だ。
赤い髪という点ではヒロも同じではあるが、ヒロの髪の色は例えるならココアのような、赤茶色であった。だが、剣士の髪のなんと鮮やかできらびやかな事か!正に燃え盛る炎の赤、そのものである。
それにヒロと最大に違うのが、瞳の色であった。ヒロの瞳の色は、この世界ではごく普通の黒色であるが、彼の瞳は髪と同じ、鮮やかな赤色であったのだ。
強い意志の宿った眼差しに見つめられると、それだけでドキリとさせられてしまう。白い肌に、その赤い瞳と髪がよく映えて、生きた宝石といった感じであった。
「悪い、待たせたね。…赤い髪なんて自分も同じなんだから珍しくないだろ、お2人さん?」
剣士の言葉に、コージャは思わず首を振る。
「お…俺、生まれて初めて見たのはヒロだけで、あんたで2人目だ。こんな田舎しゃあ、ほとんどいないぜ」
「僕も、自分以外で(祝福を受けし者)を見たのは、貴方が初めてだ。しかも、瞳の色まで違う人なんて…」
「そうか?俺は王都の出身だけど、向こうじゃけっこう見掛けるよ。まぁ、目の色も赤いのは、さすがに俺くらいだろうけど。…で、何の話だったかな?」
訊かれてヒロは、まだお礼もしていない事を思い出した。慌てて剣士に頭を下げる。
「あっ、そうだった。先ほどは危ない所を助けて頂きまして、本当にありがとうございました。僕は魔導士のヒロ、彼がコージャです」
「ど~も、怪我の治療までしてもらったみたいで、助かりました」
「謝るのは俺の方だから、治療代はサービスだ。…さっきのトロールだが、変なオヤジに絡まれながったか?」
コージャとヒロは顔を見合わせる。ヒロが代表して剣士に答えた。
「僕たちを、刺客だなんだって一方的に言って、すぐにいなくなりましたよ?」
「…やっぱり」
剣士は頭をかきかき、2人に説明を始めた。
「俺は、王都で傭兵稼業をしている、アークって者だ。…俺の雇い主がフィレ公爵と知り合いで、公爵殿が王家より預かっていた秘宝を、盗賊に盗まれたらしくてね。それを取り返してほしいと依頼を受けて、遠路遙々カーレまで来たんだが。盗賊の奴、ヒロと俺を完全に勘違いしてるな」
「か…勘違いって」
「ま、黒のマントに赤毛とくれば、王都の魔導士って思われて当然だからな。でもこのチャンス、利用しない手はないな。よし!ここで会ったのも何かの縁だ、今から俺を2人の護衛として雇ってくれ。もちろん、無料で引き受けさせてもらうよ。君らは賊に襲われても守ってもらえる、俺は賊を捕まえる事が出来る。…悪い話じゃないと思うけど?」
「アーク、君がそれでいいのなら、僕たちは構わないけど」
「それじゃ決まりだな。よろしく頼むぜ、お2人さん」
側にいると盗賊にバレるからと、アークとは峠の出口付近にある、食堂で待ち合わせをする事になった。街道沿いにあるからすぐに解ると言われていたが、コージャもここまでは来た事がないらしく、2人は少々不安になっていた。アークは街道沿いの森の中を、盗賊に解らない程度に、着かず離れず2人を尾行している。
ほどなくして2人の目の前に、一軒の小さな食堂が見えてきた。峠の出口と言っても街道からはだいぶ離れており、ハッキリ言って「何故ここに店を造る?」といった感じである。それに、今世界は未曾有の異変の真っ只中で、商人以外、旅人が全くと言えるほどいないのが現実で、素人目にも商売にならないのは確かだ。
それでも今の2人にはとても有り難かったので、たとえ不味くても絶対文句は言わないでおこうと、店の入口で約束を交わすヒロとコージャであった。
中に入ると、4人掛けのテーブル席が4つあるだけの小さく素朴な店内で、2人は入口に一番近いテーブル席に腰を掛けて、コージャが店の奥にいるであろう主人に声を掛けた。
「すみませ~ん、誰かいますかぁ~?」
「はいはい、ただ今…」
店の奥から、初老で小太りの主人が出て来て、2人の座るテーブル席まで小走りでやって来たので、すかさずコージャはメニューを訊ねた。
「一番早くて、お勧めなのある?」
「ええ。それでしたら、当店のA定食がよろしいかと…」
「じゃあ、それ2つ」
「A定食2つですね、毎度ありがとうございます」
店の主人が奥の方へ戻って行くと、コージャは怪訝そうにヒロを問い質す。
「ふぅ、まだ知らない人は苦手なんだな?…ま、徐々に慣れればいいと思うけど」
「ご…ごめん、コージャ」
「どんまい、どんまい」
深くかぶったフードの下からするヒロのか細い声に、コージャはいいよと手を振った。そんな他愛もない会話を交わしてる内に、2人のテーブルへ料理が運ばれて来た。メインの肉料理に、スープとサラダとパンがセットになっていて、とても美味しそうだ。立ち上るいい匂いに、新たに入って来た客が主人へ注文をつけた。
「お、美味しそう!親父、俺にも同じ物を1つね」
「これは、いらっしゃいませ。すぐにお持ちします」
2人が入口を見ると、頭に絹の布をグルグルに巻き付け、ターバン状にしているアークが立っていた。2人が何か言おうとした時、アークはそれを手で制して、奥のテーブル席へと移動して行った。
「そっか、知らないふりをしないと意味がないもんな」
コージャが1人、納得のつぶやきをしている。その様子を眺めながら、ヒロは目の端でアークの様子を見ていた。ヒロ達の方に背中をむけて椅子に座っているので、その表情までは窺えなかった。食事をしながら、ヒロはコージャに疑問をぶつけてみる。
「ねぇ、コージャ。さっきのアークの話だけど、彼って本当にただの傭兵なのかなぁ?僕には、そうは見えないけど」
すると、コージャも同じ事を考えていたらしく、急に難しい顔をしてヒロに応えた。
「あれは絶対嘘だと思うぜ。いや、あの刺客云々の話は本当だろうけど、よく見てみろよ。何処の世界に、あんな身なりの立派な傭兵がいるもんか。きっと何処かの城の、王子様か何かだぜ」
コージャの意見はもっともであった。アークの身に着けている防具は、確かにデザインだけで言えば、その辺の盗賊達がまとっている軽冑衣であったが、その素材や作りに雲泥の差があるのだ。
ごく一般的な軽冑衣と言えば、牛革を幾重にも張り合わせた物で作られるのだが、アークの物は大亀の甲羅から削り出されたショルダーに、白蛇の鱗で作られた冑衣で、色も白銀に輝いている。
防具もそうだが、やはり一番目を引くのは、柄の部分の彫刻も見事な剣であろう。明らかに黄金で仕上げられている、大振りの柄の先端に、これまた大きな1粒の真っ赤なルビーが、埋め込まれている。トロールを一刀両断するあたり、かなりの名剣である事は間違いない。
きっと、何かの事情により身分を明らかに出来ない、薄幸の王子様という事で、2人の意見はまとまった。幸いな事に、2人の会話はアークの所まで届いていないらしく、全く気付かぬ様子で、アークも食事をとっていた。
半分くらい食事が進んだ頃、突然、店の入口で男の高笑いがこだました。思わず全員、そちらに目を向ける。店の奥にいた主人も、何事かと店に出て来た。それは、例の盗賊男だった。男は腰に両手を当てて、大声で喋り始める。
「たあ~はっはっはっはっ!!刺客のくせに堂々と食堂で食事とは、俺様に対する挑戦とみた!!ガキのくせに、さっきはよくぞ俺様のトロール達を撃退した。敵ながら天晴れであると誉めておこう。敬意を表して俺様も、今度は本気で行かせてもらうぞ。…いでよ、俺様の可愛い僕たち!!では諸君、今度こそ本当にさらばだ!!は~っはっはっはっ!!」
男の姿が一瞬にして霧に包まれ、霧がかき消えた後に、10匹のトロールと、3体の岩で作られたゴーレムが出現していた。盗賊男は、すでに逃げていない。
素早く剣を抜き放つと、アークは店内に向かって叫びながら、飛び出して行く。
「親父、奥に隠れてろ!ヒロ、ゴーレムは任せる!」
入口付近にいたトロール2匹を、突っ込み様に一撃で斬り倒すと、目前に迫ったトロールの鼻先目掛けて、アークは照明の魔術を解き放つ。
「ライティング!」
目の前に、いきなり太陽ほどの光源が出現した為、トロール達は一斉にその視力を失ってしまい、身動きがとれなくなってしまった。その隙を突いて、アークは次々とトロールを斬り倒して行く。
(上手い!術の使い方とタイミングが絶妙だ。…って、感心してる場合じゃなかったね)
ゴーレムは実に巨大で、身の丈3mくらいは有にあるだろう。巨大なせいで入口から店内に入る事が出来ず、頑丈な両手で食堂の壁を、屋根ごと粉砕していく。主人が堪らずに、悲壮な声を上げていた。
「ひえェ~っっ!!わ…わしの店があぁ~っっ」
「だから危ないから、奥に隠れてろって!」
コージャが主人を、店の奥へと追いやる。
「コージャ、このままじゃ店ごと壊されてしまう。外に出るよ!」
「解った。店に防御結界を張るぜ」
ゴーレムの股の下を隙を突いて潜ると、2人は一気に外の街道に躍り出た。これでもうこれ以上、店を壊される心配はなくなった。店の奥に隠れた主人も、必然的に結界で守られているので安心だ。
気を改めて、ヒロはゴーレムと向き合う。パワーは計り知れないが、巨大な分ゴーレムの動きは、トロールより緩慢であった。ゴーレムの攻撃をヒラリヒラリとかわしながら、ヒロは呪文を唱え攻撃する。
「ファイヤーボール!」
大きな炎の塊がゴーレムに命中して、巨大な体が一瞬にして砕け散った。
「やった!」
コージャが歓びの歓声を上げた時、バラバラに砕けた岩の体がゴワリと動いて、一塊になると、また新たなゴーレムが完成していた。
「不死身なの?じゃあ、これならどうだ。……アイシクル·ランス!」
氷の槍がゴーレムに当たると、みるみる内にゴーレムが、巨大氷柱と化していく。
「今度こそ、やったのか?」
ヒロの後ろから、コージャが心配そうにつぶやくが、氷の表面に亀裂が走ったかと思うと、硬いはずの氷を打ち割って、ゴーレムが復活してきた。
「なっっ……!!」
ヒロはゴーレム放つ強大なパンチを背後に下がって避けると、ちょうど最後のトロール1匹を倒し終わったアークが、ヒロに向かって声を掛けた。
「何やってるんだ、そいつらに通常攻撃なんて効かないぞ。神聖魔法でいけ!」
それを聞いてなる程と納得したヒロは、新手の呪文を紡ぎ出す。
「ホーリー·ブレス!」
まるでオーロラのような、淡い光が辺り一帯を包み込んだ途端、ゴーレム達は今まで存在していたのが嘘のように、ボロボロと崩れてただの砂粒へと、その姿を変えていった。
ホーリー·ブレスは、対·アンデッド系の最強浄化魔術である。岩に仮の命を吹き込まれたにすぎないゴーレムでは、ひとたまりもなかった。
「「はあ~っ!」」
ヒロとコージャは互いに顔を見合わせて、安堵の吐息をついた。辺りを見渡すと、午前中に襲われた時と同様、グロテスクな状態と化していた。一面血の海に、内臓の飛び出た肉塊。それに合わせて噎せ返る血臭が、お昼の太陽に燦々と照らし出されて、不快この上ない。
「うえ~。俺、当分肉は食えねぇ…」
コージャが臭いに耐えかねて、思わず弱音を吐いている。
「ああ…、わしの店がぁ~っ」
その声に3人が振り返ると、見事なまでに入口が屋根ごと粉砕された店の主人が、頭を抱えて入口の前に座り込んでいた。ヒロとコージャはヤバイと思ったが、2人ともこういう状況での対応の仕方が解らずに戸惑っていると、アークがすかさず主人の傍らへ行き、彼に静かに声を掛けた。
「大変申し訳ない、俺達のいさかいに貴方を巻き込んでしまった。何とお詫びをすればいいものか…」
至極、神妙な面持ちで語り出すと、ここで瞳を伏せ気味にして、哀しげな顔をする。
「…けれど、俺達も先を急ぐ身。こんな形でしかお詫びが出来ない非礼、どうか察して頂けますか?」
そう言うと、懐から小さな布袋を取り出して、それを袋ごと、そっと主人の手に握らせた。袋の中を見て、驚いた表情で主人はアークを見ると、アークは静かに首を縦に振った。
「そ…そんな、これは多すぎます。こんなには頂けません」
主人の言葉に、アークはただ静かに、まるで聖母のような慈愛に満ちた表情で見つめるだけだった。アークはそのまま、何も告げずにヒロ達の方へ戻ると、早く行くぞと2人を急かして、その場を後にした。
3人がいなくなると、主人は先ほどアークから貰った袋の中身を出してみると、予想通り大粒の宝石が3個、中から出てきた。太陽に透かしてみると、それが極上のルビーである事は素人目にも明らかで、主人は3人が立ち去った方角へ手を合わせて、何度も何度も感謝を述べていた…。
その頃、ヒロ達一行は街道から離れて、川の畔にいた。トロールの返り血を日に何度も浴びたお陰で、明らかにアークの機嫌が悪いのが、端から見ていても手に取るように解る。
「だあぁ~っっ!くっそ~、次で絶対最後にしてやるっっ!」
血を洗い流すアークの横で、コージャもげんなりと言う。
「どのみち、あんなのが突然出現するんだから、都には入れないよな。あのおっさんに、時と場所をわきまえるだけのモラルがあるとは、到底思えないし」
「ねぇ、アーク。これだけしつこく僕達を襲って来るんだ、盗賊は一体何を盗んだの?」
ヒロは先ほどからずっと考えていた疑問を、思い切ってアークに投げ掛けてみた。答えが素直に返ってくるかどうかは解らなかったが、とにかく彼に事の真相を聞いておきたかったのだ。意外にも、アークはすんなりと教えてくれる。
「…ま、お前さん達を巻き込んだのは俺の方だからな、知る権利はあるだろう。―魔導士なら話に聞いた事くらいあるだろ?魔典:処世記、またの名を(クリス·カノン)」
「クリス·カノン…って、あの?!」
アークの言葉に、ヒロは息を呑んだ。
「そう。盗まれたのは(クリス·カノン)だ」
「2人とも、クリス·カノンって何だよ?」
話の見えないコージャに、ヒロが簡単に説明を始める。
「(クリス·カノン)っていうのは、150年くらい前にいた、魔導士:クリス·ロードが書いたって言われている、魔族を召喚する方法が記された闇の魔典で、時の王があまりにも危険だという事で、王都の何処かへ永久封印したって言う、曰く付きの代物なんだ」
「眉唾ものだと思っていたんだが、実在したんだな、これが。ちょうど4年前、王都でちょっとした騒ぎがあってね、(クリス·カノン)をカーレのフィレ公爵に王都が一時預かりを依頼したのは良かったが、まんまと今回盗み出されてしまったって訳だ」
ヒロの説明に、アークが追加補正を加える。そんなヒロに、コージャがもっともらしい質問を返す。
「何でそのクリスって魔導士は危険なの解ってて、そんな闇の魔典なんか書いたりしたんだ?」
「クリス·ロードって人物はかなりの狂信者で、(聖戦)で人族が失った叡智を、たとえ魔族の支配下になっても取り戻すべきだと唱え、危険人物として王都で処刑されてしまったんだ」
「へぇ…、本当に魔族なんて召喚出来るのか?」
「…どうなの、アーク?」
ヒロは身体を拭くアークに訊いた。
「まぁ、実際には魔族じゃなくて、低級魔物を召喚する程度だろうな。ネクロマンサー的要素が強いらしいからな、術者のレベルにもよるだろうけど」
アークの台詞に、コージャは納得したらしく、うなずいてみせる。
「だからさっきから、トロールやゴーレムが襲って来るのか。…けど、術者レベルって事は、ヒロならひょっとして使いこなせるんじゃないの?その魔典」
「ば…馬鹿言わないでよ」
「冗談だって」
身体を綺麗にし、武具の手入れも終わらせて、ようやく一息ついた感じのアークが、おもむろに話題を変えて、ヒロとコージャに言う。
「…なるほど、エルフを連れた凄腕の魔導士…ね。噂は確かだったな」
「「え?!な…何?」」
「お前さん達の事さ。大陸南部で噂になっててね、1度会ってみたいもんだって思っていたから、今回の件は俺にとっちゃラッキーだったかなと思ってな」
「もう俺たち、噂になってんの?早いなぁ。…な、ヒロ?」
「う…うん」
気恥ずかしくうなずくヒロに、アークが鋭い目を向けた。
「ヒロ。お前さん、王都の魔導士じゃないよな。一体何処で修行をしたんだ?お前さんの強さは半端じゃない、大陸一番って言っても過言じゃないぞ」
「そ…そんなアーク、オーバーだよ。僕、(精霊の森)の中で育って、精霊王から魔術の全てを教えてもらったんだ。事情があって、人捜しの旅をしてるんだよ」
「なにせ、ついこの前、人里に降りたばっかでさぁ。世間知らずもいいところよ」
「(精霊の森)の精霊王か。…あの方なら、知ってるんだろうか」
小さくつぶやいたアークに、ヒロが訊く。
「アーク、何か言った?」
「いや、何でもない。…聖なる森の護り人だな、どうりで強いはずだ」
アークの言葉に、ヒロとコージャはキョトンとした。
「ねぇ、聖なる森の護り人って、…どういう意味?」
「俺もそんな話、聞いた事がないな。アーク、それってヒロの事だよな?」
「ああ。半年くらい前、王都の姫巫女様が月読みをされて、その時に託宣を出したんだ。―聖なる森に育まれ成長し護り人、やがて世界を闇夜から解放せん…って、確かそんな内容だったはずだが」
「僕の事が託宣に?!」
驚くヒロに、アークはうなずく。
「託宣の事を知ってるのは王都の人間だけだろうけど、エルフ連れってだけでお前さん達は、今や時の人だよ」
「そ…そんなに有名…なの?」
「おいおい。エルフって言ったって、俺はハーフエルフだぜ。アーク」
アークから思わぬ話を聞いて、ヒロは少々不安に駆られる。ヒロの様子を見て、敏感に察知したコージャが、彼を安心させようとフォローを入れる。
「有名って事はさ、捜し人に俺たちの情報が流れるから、捜しやすくなっていいじゃん」
「人捜しって言ってたよな、あてとかあるのか?」
ヒロの態度がおかしいと思ったのか、アークは質問の矛先を変える。
「…とりあえずカーレの都に出てみて、解らなければ王都に行こうかと、コージャと話をしていたんだ。アークって王都の人なんでしょ?異世界の人間がこの世界に来た…なんて話、聞いた事ない?」
「異世界の人間?」
ヒロから、いきなり途方もない単語を聞いて、アークは一瞬戸惑いをみせたが、彼は昔の記憶を頼りに、人から聞いた事のある実に興味深い話を、2人にしてみる事にした。
「残念だが今のところ、そういった話は聞いた事がないな。けど、もし本当に異世界から人が、この世界へ飛ばされたとしたら、時空間に歪みが発生するって話を、昔聞いた事がある」
「それ、本当!?」
「ああ。世界の何処かでそんな現象があれば、王都の魔導士たちが色々と観測してるだろうから、王都の魔法省に問い合わせれば解るだろうな」
「やったじゃねぇか。これって重要な手掛かりだぜ、ヒロ」
「うん!」
「どのみち、カーレにも行くんだろ?じゃあ、フィレ公爵に城の図書室の閲覧許可を、俺から申請してやるよ」
アークの申し出に、2人は素直に喜んだ。
「ラッキーじゃんか、ヒロ」
「大丈夫?迷惑じゃない、アーク?」
「さっきも言ったが、今回お前さんらを巻き込んだのは俺の方だから、気をつかわないでくれ。城には俺も行かなきゃならんし」
「ありがとう、アーク」
棚からぼた餅、正に渡りに船状態で、幸運にも大きく前進を果たして、色んな情報をヒロは手に入れる事が出来た。アークの雇い主とやらは、大陸のVIPに顔がきくようだ。…彼が本当に、ただの傭兵であればの話だが。
「と言う訳で、次の襲撃で最後にするからな。頼んだぜ、お2人さん」
言ってアークは立ち上がる。
「そんな事言っても、あのおっさん、トロールを召喚してまた何処かへ逃げちまうぜ?」
「あの術者レベルでは、次で最後になるよ」
アークの妙な言い回しに、思わずヒロが訊き返す。
「アーク?」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
「「?」」
アークの考えている事が理解できず、ヒロもコージャも、思わず互いに顔を見合わせてしまった。2人にとって、アークはやはり謎の人である。気まずい雰囲気をまぎらわすように、コージャがアークに訊ねてみる。
「話は変わるけど、さっきの店の親父に渡してた物、あれは俺達も…その、弁償とか何かした方がいいのか?」
するとアークは、不敵な笑みをコージャへ向けた。
「弁償?…そんなものいらないよ。どうせタダみたいな物だし」
「けど、あれって金か何かだろ?」
「大粒ルビーが3個」
「ル…ルビー?!」
コージャは腰を抜かすくらい驚いて、口をパクパクさせている。ヒロも、それが高価な宝石であるくらいは知っていたが、なにせ世界の貨幣価値が今1つ解らないので、ピンとこない。
「山賊どもを退治した際、連中から巻き上げた物だから、別にいいんだって」
「アーク、それって役人に届けないと駄目なんじゃあ…」
「いいの、いいの」
アークは2人に背を向けると、バイバイと手を振った。すかさずコージャが呼び止める。
「アーク、何処行くんだよ?」
「それじゃあ俺は、また離れて様子を見てるから。よろしく」
言うや否や、さっさと木立の中へと消えて行く。アークの消えた方へ視線を向けたまま、コージャがヒロに言う。
「よろしくって言われても、なぁ?」
「うん…」
水源確保という事で、今夜一晩、この場所で野宿する事にした、ヒロとコージャの2人であった…。
日も沈み、辺りがすっかり暗くなった頃、不意に人の気配を感じた。
「ライティング!」
ヒロが照明の魔術を使って辺りを照らし出してみると、木立の間から1人の男が現れた。顔は見るまでもない、盗賊の男である。
「俺様のゴーレムまでも倒すとは…。もはや遊びもここまで。今度は俺様が、直に相手をしてくれよう!」
「…その方が早くてよろしいでしょう」
この男の相手をすると考えただけで頭が痛くなるヒロであったが、アークに頼まれた手前、嫌とは言えない。そんなヒロの様子を見て、コージャは苦笑いを浮かべた。
男は懐から1冊の、黒くて分厚い本を取り出すと、ページを開き呪文を唱えだす。恐らくは、あれが奪われた(クリス·カノン)であろう。気を付けて攻撃を仕掛けないと、魔典まで一緒に消失してしま恐れがある。ヒロはとりあえず、相手の出方を見る事にした。
「……いでよ、我が僕、トロールよ!」
男は呪文を発動させるが、何も起こらない。当人はもちろんだが、ヒロとコージャにも、一体何が起きたのか、まるで解らない。
「何だ、どうした?…ええぃっっ!いでよ、ゴーレム!!」
されど、やはり何も起こりはしない…。男は半ばパニックになりながら、何度も何度も呪文を繰り返すが、一向に何も起きなかった。
「ヒロ、あれ!」
コージャが男の足元を指差し、驚愕の声を上げるので、ヒロも男の足元へ視線を移すと、驚いた事に男自身の影が男の足を、上へ上へと登って行くではないか。だが、男はすでに混乱しており、その事に気付いていない様子である。ヒロもコージャもどうする事も出来ず、成り行きを見守るしかなかった。
男の影が胸の辺りまで到達した時、ようやく自身の異変に気付いた男が、悲痛な叫び声を上げた。
「うわぁっ、何だこれは!たっ、助けてくれっっ!!」
影に呑み込まれる…、その表現が一番正しいだろう。みるみる内に首まで影に呑まれてしまい、辛うじて顔だけ出ている状態だ。男の影に呑まれている身体の部分が、水面のように波打って、イビツな形に変化し始める。
「おいっ、ヒロ。何とかならないのかよ?!」
(こんなの見た事がない。一体、どうすればいいんだ?!)
その時、滑るようにアークが森の中から現れて、男の横に立った。男は泣きながら、アークに助けを求める。
「あ…、あんた、た…助けてくれよ~」
「…自業自得だな。自分の魔力の限界も知らず、限界以上の力を求めた結果がこれだ」
アークの表情は人形のように冷たく、瞳には憐憫の光さえ宿っていない。
「そ…そんなぁ」
2人が会話している間にも、男の身体は変化し続けていた。影はついに、男の顔半分を覆い尽くしていたが、その代わりに下の方から、徐々に影が薄くなり出した。影は波打ちながら、上へ上へと移動して行く。
影が消えて現れた男の足は、なんと鉤爪の生えた、獣の足に変わっているではないか!ヒロとコージャが息を呑む。
「…やはり(クリス·カノン)にみいられたか。その魔典は使用者を自分で選び、且つ魔物へと変換してしまう、伝説通り(魔族召喚)の魔典だ。時の王が封印するのも仕方がない代物だな」
そう言うとアークは、髪を隠していたターバンを、一気にはずした。
「もうあんたを救う手立てはない、せめて楽にしてやろう」
アークは剣を抜き放ち上段に構えると、一気に男の首へと振り下ろした。
「それは(太陽の剣)、貴様が俺の刺客だったのか!!」
斬っっ!!
アークが男の首を斬り落とすのと、男が魔物に変化し終わるのは、ほとんど同時であった。約束通りアークは一撃で首を斬り落としたのだから、苦しまずに死ねたであろう。
懐紙を取り出して、剣に付いた血を拭い取ると、鞘に剣を戻しながら、アークはヒロ達の方へ歩み寄る。男のいた辺りには何故か死体がなく、一面黒い血の中に(クリス·カノン)が落ちていた。
「…悪いがヒロ、浄化魔法で清めてくれるか?」
昼間会話していたのが、まるで別人であったかの如く、アークの顔も声も、何の感情も窺い知る事が出来ないくらい、暗く厳しいものであった。低く静かな声で、ヒロが呪文を詠唱する。
「ホーリー·ブレス!」
黒い血の周りを神々しい光が包むと、黒い血が魔典に吸い込まれて、魔典は盗み出される前の状態へと戻っていった。
もう男の痕跡は、何処にもない。ただ、月明かりに照らされた3人だけが、立っているだけであった。
アークは魔典を拾うと、懐に仕舞い、2人に声を掛けた。
「お疲れさん。さぁ、カーレに向かうか」
ヒロ達3人がカーレの都に着いたのが、夜がだいぶ更けてからだった為、その日の夜はそのまま宿に泊まり、翌朝フィレ公爵の所へ行く事になった。
宿屋の1階の食堂で軽めの朝食をとり、3人は宿屋を後にした。朝が早いにも関わらず、すでに街は人波で溢れ返っていて、さすがは大陸南部の拠点と言われているだけの事はある。あまりの街の賑わいにヒロは戸惑っているようで、フードでしっかりと赤い髪を隠していたが、アークを見ると、まるで人の視線なんてお構い無し、実に堂々とした態度で先頭を歩いている。ヒロの視線に気付いてか、アークはヒロの横に行く。
「何?」
「えっ!?あ…、いや…、その、アークは自分の髪の色、人に見られても平気なのかなって…」
「ヒロ、お前さんは恥ずかしいのか?」
「あの…僕、人にまだ慣れてないから…」
アークはヒロの態度が意外だったようで、かなり驚いたみたいだ。
「赤い髪は(精霊の祝福を受けし者)の、立派な証しなんだぞ。人にありがたく思われるのが当然で、何で恥ずかしく思う必要がある?堂々としろよ、みっともない。それに、俺から言わせてもらえば、お前さんの黒いマントの方がハッキリ言って目立つ!」
コージャも黙って、アークの言葉にうなずいた。そうなのだ。先ほどより3人とすれ違う人々は、皆一様にアークの髪に驚き、続いてコージャの風貌にみとれて、最後にヒロのいでたちに視線が釘付けになっていたのである。
「そ…そうなのかな?」
「当たり前だ。今ごろ通りすぎた連中、魔導士様が現れた~って、騒いでるはずだぞ。それに、顔と髪を隠すならヒロよりコージャ、お前さんの方だろう。エルフって…」
「はっはっは…、ごもっともっす」
アークとコージャのお陰で、少し勇気が湧いたヒロであった。おもむろにフードをはずすと、下を向く事なく、真っ直ぐと前を向いてヒロが歩き出した。それを見て、コージャは心の中でアークとの出会いを、神に感謝せずにはいられなかった。
街の大通りを抜けてしばらく歩くと、ようやくお城の前にたどり着く事が出来た。アークが門番に二言三言語り掛けると、大きな木の門扉が、音を立ててゆっくりと開いていく。
門扉の内側にいた近衛兵に案内されて、一行は城の大広間に連れて行かれた。そこで待つこと数分、城の主·大陸南部を統治する、フィレ公爵自らが出迎えてくれた。
「王都より盗賊討伐の為、兵を派遣したとは伺っていたが、…まさか貴方が直接おいで下さるとは」
そう言うと、公爵はにこやかにアークに握手を求め、アークもこれに応えた。
「お久しぶりです、閣下。本日は貴方に、お願いしたい事があるのですが」
「ほぅ、いかがされました?」
「こちらの魔導士殿は、俺の知り合いなのですが、所用がありまして、こちらの城の蔵書を拝見させて戴きたいのです。よろしいでしょうか?」
「王都の…方ですかな?」
「いいえ。今、巷で噂の、エルフ連れの魔導士ですよ」
アークの言葉に、フィレ公爵はヒロ達に破顔した。
「おお、その方らであったか。領民たちを数々の難関から救ってもらい、感謝しておるぞ」
「お褒めのお言葉、恐縮でございます」
ヒロは深々と頭を下げて、公爵に礼を述べた。コージャもヒロと共に頭を下げながら、心の中で(アーク·ただの傭兵説)が、ますます嘘っぽいなと、感じずにはいられなかった。
「誰か、これへ」
公爵が広間に面した扉に向かって声を掛けると、1人のメイドが現れた。
「魔導士殿を、図書室へ案内しなさい」
「畏まりました。…魔導士様、こちらでございます」
「公爵様、お心遣い感謝いたします」
再度、丁寧に礼を述べてから、ヒロとコージャはメイドに案内されて広間から出て行くと、広い広間にはアークと公爵だけが残された。
「では早速、ここでは何なので、私の部屋で話を伺いましょう」
公爵自らが案内する形で、アークと公爵も大広間を後にした。
広間を出てしばらく廊下を進むと、大きな螺旋階段の前に出た。階段を上がり、2階の廊下を左に曲がった一番奥の部屋が、フィレ公爵の部屋であった。2階も天井が高く、開放的な造りになっている。アークは部屋に入ると公爵の勧めで、ゲスト用のソファに腰を下ろした。
「取り戻せましたか、アレは?」
アークは黙って、懐から魔典を取り出すと、テーブルの上に置いた。
「…残念ながら、盗賊の男はコレに変換されて、取り込まれてしまいました」
「むむ…」
公爵の顔が急に険しくなった。
「あのお方から、どうやって盗み出しなのか、盗んだ経緯や首謀者は誰なのか、白状させるよう言われていたのですが…ね」
「アーク殿、決して言い訳がましいとは思って下さるな。私の城での警備は万全だったのです。賊は何処かより城内へ、魔力により転送されて来たらしいのです」
公爵の告白に、アークは眉をひそませた。
「…王都の魔導士に、手引きした者がいると?」
「否。断定は出来ませぬが、私個人では、その可能性があるかと」
「………」
アークはしばらく思案していたが、おもむろに立ち上がると、公爵に言う。
「どうやら、俺はこのまま王都へ戻るより、隠密りに行動した方が良さそうだ。閣下、早速で申し訳ございませんが、俺と連れの魔導士たちの通行許可証を、至急ご用意頂きたい」
「構いませぬが、あのお方には何と?」
「俺が、また勝手に行動していると。しばらくは戻れそうにないからと、連絡していて下さい」
アークの物言いに、公爵は口元をほころばせた。
「おやおや、またお父上に怒られますぞ?」
「いつもの事です、お気遣いなく」
「これは、世界で唯一、シルバーの称号を拝した方のお言葉とは思えませぬな」
2人は互いに大きく笑うと、挨拶程度の会話を交わし、アークはヒロ達の元へ向かうのだった。
ヒロとコージャはお互い手分けして、捜し人に関する資料がないか徹底的に調べ、関係がありそうな書物を片っ端から読み漁ったが、前にアークから聞いた話以上の情報は、何ら得る事は出来なかった。
仕方がないので、出した書物を元にあった場所へ戻していると、アークがやって来た。
「どう?何か解ったか?」
「全然、収穫なしたぜ」
最後の本を棚に戻し終えたコージャが、アークに報告する。同じく片付けが終わったヒロが、アークに訊いた。
「アークこそ、(クリス·カノン)を、ちゃんと公爵様に返して来たのかい?」
「まぁね。報酬と言っちゃあなんだが、閣下からこれ、貰ってきたぞ」
アークはヒロとコージャ、それぞれの手に1つずつ、小さな石板を渡した。
「「これは?」」
「大陸の通行許可証だ。しかも閣下のお墨付き、フリーパスだ。貴族待遇だぞ」
「そう」
「えぇ~!?マジかよっ!」
予想通り、ヒロは何事か解っていない返事をし、コージャはあまりの事に驚きの声を上げた。仕方ないのだけど、アークとコージャは呆れた視線を、思わずヒロに送ってしまう。仕切り直しをするかのように、アークがヒロに訊いた。
「…ま、いいか。で、ここに手がかりはなかったんだな。これからどうする気だ?」
「王都の魔導士たちは、世界の磁場の変化を観測してるって、アーク言ったよね?だったら、世界の中心·王都に行ってみたいんだ」
「…王都か。コージャ、お前さん、行った事は?」
「ないけど、ここから延びる街道のルートなら知ってるぜ。大陸西部の砂漠地帯を抜けるか、大陸東部の山地を抜けるか、大陸中央を行くか…だろ?」
「そうだ。俺は今回、カーレに来る時は魔導士の扱う、転送装置で来たんだが。…さて、どうしたもんか」
「何か問題でもあるの?」
急に黙り込むアークに、ヒロが言った。
「いや、大した事じゃないんだ。東部の山岳地帯は雪が降り始めたから、氷に閉ざされて春まで通行が出来ない。西部の砂漠地帯は、大陸で唯一王都が統治していない独立地帯だ。あそこから王都へ向かうのは、難しいだろうな」
「じゃあ、一番近そうな大陸中央を、真っ直ぐ行けばいいだけでしょ?」
「…言ってくれるなぁ、ヒロ。お前さん、今世界がどうなってるのか、まったく理解出来ていないだろう?今、最も旅路で危険なのが、森の中を歩く事なんだぞ」
「そうなの?」
「そうなのってヒロ、お前…」
呆れたコージャがヒロに説明しようとして、…やめた。アークも、自分がしなくてもいい心配をしていた事に、ようやく気付く。
「…そうだったな。このメンツでいらん心配だったようだ。森の中の街道はつまり…、お前さんが(精霊の森)からここまで来たのと、同じ状況という事だ。じゃあ、大陸中央のルートで行くとするか」
「行こうかって、アーク、君も?」
驚くヒロに、アークはうなずく。
「出会ったのも何かのご縁。どうせ俺も王都に戻る訳で、一緒に行こうぜ、お2人さん」
2人にとびっきりの営業スマイルを見せるアークであった。
こうして、ひょんな事から3人で旅をする事になったヒロたち一行は、フィレ公爵の城を後にすると、街で長旅の備品を買い込んで、いよいよ王都:シルバーブルクを目指して、出発するのであった…。
神の緋色、魔族の蒼色4に続く