からうめ きまじめ 辛い梅③ 「電脳世界よりも、現実世界だ。僕は現実世界で教師になるよ」
さっ。突然、携帯機器が視界から消えた。
携帯をすばやく制服のポケットに入れ、砂漠蔵が顔をそむけたのだ。
普通の男子なら女子のつれない行動にショックを受けているだろうが、前しか見えないと書いて盲目と読む唐梅は、気にもしない。
『サイバーセカンドでは、実験に参加する先行被験者の方々を募集しています。参加したもっとも優秀な”コンビ”には賞金1億円!』
携帯機器からではなく、窓のほうから音声が聞こえてくる。隣校舎の外壁にへばりつくモニターが窓の向こうに見えており、CMを垂れ流している。
当初は、建物自体に映像を映しこむ投影スクリーンを全国の学校や企業に展開する予定だったが、結局従来型のはめ込み式モニターとなった。という経緯がある。
閑暦の時代になってもなお日本の近代化は遅れており、近畿地区の学校ではこれ一つしかない。
といっても、これは日本にかぎらず世界各地で見られる現象だった。
今一歩、世界は新時代に足を踏みだせずにいる。それが技術的な問題なのか、はたまた世界の保守的な精神による問題なのかは、未だはっきりしない。
『ゲームの世界観を表現した最新の電子空間で、君は剣士に、魔術師に、悪の覇者に、ヒーローになれる!』
そんな時世に現れたのが――電脳世界研究機関、サイバーセカンドだ。
電子の鱗がパキパキと広がり、プラスチックのように白い、電子空間と思しき異空間が出現した。そこに、空模様をモチーフにした、青にも銀にも見える騎士が、青光りする電流とともに降り立ち、剣をかかげる。
CMに決まって登場する、青い房を兜につけた白銀の騎士だ。
女子生徒たちのウケはよくなかったが、電脳世界に興味こそない唐梅も、この騎士には好感を覚えていた。いかにも真面目そうな騎士じゃないか。話が合いそうである。
『――こちらはサイバーセカンド開発総責任者の一人、コード教授です。本日は取材に応じてくださり、ありがとうございます』
CMが終わると、特集が始まった。サイバーセカンドに焦点を当てた特集のようで、「世界同時中継」などと銘打たれている。
新しい元号になって10年が経つ節目の年に、電脳世界の開発に成功したというサイバーセカンドの功績は、この通り世界中で注目を浴びている。
『それではさっそくですが、サイバーセカンドの今回実施する実験について詳しくお願いします』
『我々サイバーセカンドの研究する電脳世界――”電子空間サイバーセカンド”において、ついに生身の人間を投入する段階にまで研究が進み、今回はその被験者を大々的に世界中から募集している次第です』
アナウンサーの隣に、白衣の老年男性が腰かけている。融通がきかなそうな、頑固さの滲みでた顔だ。どこぞの生真面目に似ている。
教授の来歴がざっと紹介され、家族写真などがうつしだされた。教授の娘と思しき銀髪の少女が、教授と仲むつまじく、腕を組んでいる。
銀のセミロングに、水色のカチューシャをつけ、ガラスの陶器を思わせる白人らしい肌をした少女は、その儚いイメージにどうにもそぐわぬ活発な笑顔をくっつけていた。
正義や倫理といったものを好む唐梅だが、家族というものにかぎっては冷えた印象しか持ちえないために、なんとも言えない表情でその写真を見る。
『電子空間へ行くためには、まず電脳世界で存在できるように変換を行います。電脳世界での生存が可能となる生命データ、通称”変換生命データ”への変換を行い、その後電子空間へ移行するのです――』
ダメだ。文系には頭が痛い。数学や科学といった理数系の教師にはなれそうにないな……。
要は、水中で生きるには水の世界で生きられる体にする必要がある、ということだろうが……現実世界の体のままでは、電脳世界では生きられない。だから変換……生命データ。とやらに変換し、移行……する。
『――つまり、水の中に生物を入れるには、まず水に対応した生物になる必要がある。ということです』
驚き、教授の顔を見入った。
頑なにうつった教授は、それでいてやさしい説明を心がけているようだ。日本の取材陣には流暢な日本語で対応しているし、世界中の言葉を使い、やわらかく取材に応じている。
教師に向くタイプだ。まさしく教授だな。
勝手に感心し、後学のためにと観察している唐梅の横で、砂漠蔵もまた、真剣に特集を見ていた。それに気づいた唐梅が目を向ける。
「へえ……ゲームの世界に興味があるのか。君もそういうところは普通の女子高生だな。悪の覇者、だっけ? それでも目指すのか」
「別に。……あんたは」
「ないよ。ゲームは施設にも置いてあるけど、他の子が使うからな。だからあまり詳しくない」
進路希望票の控えを取りだす。
「電脳世界よりも、現実世界だ。僕は現実世界で教師になるよ」
その控えには、近畿地方周辺から遠い県外のものまで、一見では共通性がないように見える大学名が書いてあった。
「……あんた、もっといいとこ行けるんじゃないの」
「施設出身者の学費を免除してくれるところを選んでるんだよ。卒業と同時に出ていかなきゃならないからな」
施設――つまり児童養護施設は、18歳未満を「児童」としている。そのため、大学に進学する場合、施設出身者は施設を出て生活しなければならないのだが、唐梅の表情は決して暗くなかった。
「でも、いい時代だよ。ほら、教育学部がこんなにある! 学校や施設の対応に腹を立てることもあるけれど、行政は冷たいばっかりじゃない。孤独な人間にちゃんと手を伸ばしてくれることだってあるんだ」
それを自分はよく知っている。
学校を始めとした、行政の対応は完璧とは言えない。だけど、孤独な生徒を救おうとする、その制度に救われた者だっているのだ。少なくとも一人、ここにいる。
「僕は救けてもらった人間だ。だから、僕もいつか行政側の人間になる。それで、君や僕みたいな生徒を救けるよ。行政が救えないものを、僕が救う」
怒りや、暗いかげりに染まっていることの多い唐梅の瞳が、今はわずかばかり輝いていた。
少年らしい表情をし、控えの紙を額に当てると、まぶたを閉じる。何かをそれに込めるよう目を閉じている唐梅を、砂漠蔵がじっと見つめる。
「――ほんと、前しか見てないよね。正直、向かないと思うけど。あんたみたいなの」