からうめ きまじめ 辛い梅① 「酸っぱいを通り越して辛い梅」
『電脳世界研究の最高峰、サイバーセカンドの提供する電子空間、同名サイバーセカンド!』
閑暦10年、4月。新しい元号になって10年が経つ節目の年に、電脳世界の開発に成功したというサイバーセカンドなる機関のCMが世間を賑わせていた。
『サイバーセカンドでは、実験に参加する先行被験者の方々を募集しています。参加したもっとも優秀な”コンビ”には賞金1億円! ゲームの世界観を表現した最新の電子空間で、君は剣士に、魔術師に、悪の覇者に、ヒーローになれる!』
唐梅が通う高校も、その例外ではない。砂漠蔵との”じゃれ合い”教育指導事件の数日後。生徒たちの私物の携帯端末からは、話題のCMがひっきりなしに再生されていた。
「ねー、これゲームの世界に入れるってこと? VRと違くて、体ごとゲームの世界に行くんでしょ?」
「やっばいよねぇー! でもさー、コンビで出なきゃいけないの? 優秀なコンビに1億~! って。一緒に出ようぜぃ、相棒!」
「NPCと組むらしいよ。偉ーい教授? みたいな人が言ってた。ほら! CMのこれ! この騎士とかそうじゃない?」
「えー、やだあ。もっとかわいいのがいいなー。猫とかウサギとかあ、リボンいーっぱいの女の子キャラとかさあ」
「ガチャで決めるんでしょー、きっと。ごつい男キャラとかまじ勘弁~っ!」
「運だよねー、最初に出たカードで決まっちゃうじゃん? こないだなんてさあ~」
曇り空が伸び、春を思わせぬ肌寒さがとりまく放課後。しかし、世界中で取りざたされている実験の話に、クラスの温度は高い。
どうなることかと思ったが、教育指導事件の噂は一日で飽きられ、新世界の喧伝にあっさりのまれたようだ。
今どきは男女関係なくゲームというものへの関心が強い。それでも普通は男子生徒のほうが興味を持つのだろうが、女子生徒たちの話を耳に入れながら、唐梅は電脳世界ではなく、現実世界のほうと向き合っていた。
「唐梅くん……書き直すよう言った、はず……なんだが……」
「はい。丁寧に書き直しました。何か問題でも」
教師の一人が持っているのは、唐梅の進路希望票だ。そこには、教育学部の名前がずらっと書き連ねられている。
砂漠蔵との”じゃれ合い”を目撃されたあと、教師数人に囲まれ、進路希望票の再提出を命じられた。にもかかわらず、再提出させたらまた教育学部志望とこりずに書いてきたので、教師たちが戸惑っている。
そういう意味での書き直しではないことはわかっているが、しらばっくれて突き通す。
「その……なんだ。施設の人と、もう一度よく話し合って……」
「自分で決めます。僕はもう十分世話になってる。これ以上行政を頼るつもりはありません」
教師たちが唸っていると、女子生徒たちが携帯機器から顔を上げた。
「せんせー、書き直す必要ないでしょ。唐梅くんがやるわけないよ。勘違いだってえ~。根っからの真面目くんだもん!」
「そうそう。からうめじゃなくて、きまじめ。だもんねー」
生真面目。
よくそうからかわれるが、唐梅自身は自分を生真面目などとは思っていない。ただ、口酸っぱく説教する梅ではある。そこに怒りが加わって、酸っぱいを通り越して辛い梅。短気で口やかましい辛梅だ。
「ああ……もちろんわかってるよ。本当に真面目だ、唐梅くんは。この間のことも、ちゃんとわかってる。あくまで体裁だから、気にしなくていい」
諦めたのか、急に態度を変える教師たちに疑念を覚えつつも、進路希望票の控えを受けとる。
「君にはこの通り、立派な目標がある。これからはそっちに集中したらどうかね。つまりだね、その……砂漠蔵さんの件は、もう手を引――」
「砂漠蔵は誰かに見てほしいだけです。やり方は間違ってますが……それに、ちゃんと相手を選んでる。あなた方行政が見ないなら、僕が見ます。今さら何もしていただかなくて結構です」
失礼。と短く告げ、辛い梅は教師たちから背を向ける。
誰よりも見ている、誰に言われずとも。砂漠蔵を。自分の目標を。
盲目だと言われてもいい。元々視力はいいほうじゃない。でも、見失ったりするものか。
掃き溜めの世界でも、見失わない自分の正義があれば、たとえ盲目でも人は歩いていけるのだ。
廊下に出て、唐梅は鞄から自分の携帯機器を取りだした。CMに夢中になっている生徒たちとは別に、メールの返信を確認する。
行政はあてにしていない。だが、砂漠蔵のためにやれることはやるべきだ。学校という行政がダメなら、他にも行政は山ほどある。どれか一つの機関でも反応してくれれば――。
返信はきていない。どこからも。
砂漠蔵の家庭の状況を、管轄外の児童相談所、相談サービスなど、思いつくかぎりの行政に連絡した。しかし、冷たくなければ、あたたくもない、生ぬるい返事がくるばかりで、なぜ対応しないのかと怒りの文面を送ったところ、とうとう返信すらこなくなったようだ。
くそっ、もういい。行政は端からあてにしていない。もとより、頼るつもりなどないのだ。大人たちは動かない。なら、自分一人で……!
ふと、廊下の向こう、珍しく職員室の方向から砂漠蔵が出てくるのが見えた。教室には戻らず、そのままどこかへ行こうとしている。場所はわかっている。
わいて出る怒りを振り払い、一度落ちついてメガネを直すと、唐梅は砂漠蔵に向かい、盲目的に飛びだしていった。