MIN-000「扉を開けて」
「ありがとうございましたー!」
「また来るよ」
お店に私の声が響き、そしてお客さんは笑顔で帰っていく。
カランと鳴るベルを聞きながら、店内を見渡した。
今のお客さん、結構買ってたな……。
次なるお客さんに備えて、展示品を整える。
ちょっとしたことだけど、こういうのが大事なのだ。
びっちし!じゃなくって、ちょっと手にしてみようかなって微妙な具合。
(自分が欲しいかなって思うレイアウトなら、外れはないわよね)
テーブルの1つ1つに、色々な雑貨が置かれている店内。
こうして見ていると欲しくなるのは……なんだろう、もう病気みたいなもんだよね。
今の私は、売る側だというのに。
いや、前の私も……だったのだが。
店内にある大きな鏡を見ると、そこに映るのは私。
肩よりは伸びている黒髪に、少し垂れ目。
今のところ、自分でも悪くないかなと思う顔立ち。
それが、映画のような服装に身を包んでいる。
「ユキ、お茶にしましょ」
「ベリーナさん! 動いても大丈夫なんですか?」
お店の奥、住居側から歩いてきたのは、癖のある赤毛が可愛らしい女性。
姉と呼ぶには少々年上だけど、おばさんなんて絶対に言えない若々しさで、ゆったりとした服装だ。
それに、抱えるようにしているお腹は大きい。
「じっとしてるのもダメだって、産婆さんは言う物だから、ね」
「それはそうですけど……あ、お茶は頂きます」
せめてもと、こちらから駆け寄ってお店に併設されている小さなキッチンへ。
ストーブで熱せられているお鍋から、お湯をポットへ注ぐ。
このあたりの作法は、正直我流だけどウケは悪くない。
雑貨好きが高じて、お茶周りの作法にも詳しくなったなんてのは、本来なら笑い話だ。
でも、この世界では案外、それが役に立つのだから世の中、わからない。
「ありがと。うん、ユキのお茶は美味しいわね」
「ありがとうございます。夕方でしたよね、アルトさんが買い出しから戻る予定なのは」
ちらりと見るのは、壁に貼られたコルクボードみたいな板にある、予定表。
そこには大きく、日程と買い出し!と書かれている。
書いたのはこの店、そして家の主人であり、目の前の妊婦であるベリーナさんの夫であるアルトさん。
なかなかのイケメンなおじ様で、昔はそこそこヤンチャだったらしい。
ベリーナさんは、ずっとそんな彼を見守るようにそばにいて、少し遅めだけどようやく結ばれたんだとか。
「ええ、そうね。怪我もないといいのだけど」
「アルトさん、自分で見ないと納得いかないっていう人ですもんね。まあ、だから私もここで働けると思えば……感謝しかないんですけど」
お腹にたまる温かさにほっとしつつ、このお店、正確にはこの異世界で働き始めることになった出来事を思い出す。
それは、確か少ないながら夏のボーナスが出たころだったと思う。
輸入雑貨を中心にしたお店で、店員として働いてた私。
20代ももうすぐ折り返し、そろそろ出会いも欲しいなと思いつつ、働く日々。
趣味と言えば、手芸や小物づくり、そして雑貨屋巡りだ。
働く先も、それに合わせてるのだから好きな部類なんだと思う。
その日も、せっかくの休日だからと、日差しに汗をかきながらの街の散策。
狙いは、いくつかある雑貨屋さん巡りだ。
そう、このあたりは自分の働く店も含めて、そういうのが集まってる界隈なのだ。
「この前、リニューアル工事してたもんね。何が出来たかなー……ん?」
普段なら、気にせず通り過ぎるだろう路地。
そこに、何かを見つけた。
足を止め、路地を覗き込むと……扉だ。
「こんな場所に扉? って、看板……出会いを貴方に……新しいお店かしら?」
何故そんなことを思ったのかはわからない。
暑さにやられていたってことはないと思うのだけど……。
でも、深く考えずに扉を開いてくぐったのは、正解だったのかどうなのか。
よくあるベルの音がする。
なぜか、何かに頭を撫でられた気がした。
不思議に思いながらくぐった先に広がっていたのは、見知らぬ雑貨屋……ではない。
私は森の中にいた。
「へ? ええ!? ナニコレ……森、もりぃ!?」
驚くのも無理はないと思う。
さっきまで、都会にいたのだ。
路地裏だから、人気はなかったとはいえ町中だったはず。
決して、こんな緑の匂いあふれる場所ではなかった。
「冗談じゃない。帰る……扉、ないし……」
思わず膝をついてしまう私だったが、現実は非情だった。
手のひらや足は地面の土で汚れるし、よくわからない鳥の声も聞こえる。
カラスとは違う、不気味に感じる鳴き声がすぐ上でした。
慌てて顔を上げると、見たことのない鳥が、無言でこちらを見つめている。
そして、鳴いた。
「っ!! 動こう」
正直、怖かった。
その場にいたくなくて、方向なんてわからないけどとにかく移動し始める。
でもおかしいな。視線が低いような……それに、なんだか体が小さい。
周りが大きいからそう感じるのかしらね?
動き始めたことで、頭に血が回ってきたのか少し冷静になってきた。
荷物は……ほとんどない。財布に、ハンドバックと、持ち帰り用のリュックサック。
お店巡りは長くなるから、ハイヒールとかじゃなくスニーカーだったのは嬉しい。
今大事そうなのは、持っている荷物。水とおやつもどきな食料……それに。
「戻るのは、難しいね。うん……」
物音に、慌てて木陰に隠れた私の視線の先。
見たことがない毛並みの、鹿だ。
鹿なら草食だけど、わからない。
全身青い鹿なんて見たことある? 私はないよ。
そうっと動き、鹿が歩いて行ったのとは違う方向へ。
なんとなくのカンだけど、それは正解だった。
「やった、道だ」
見つけたのは、獣道とは違う、明らかに人の手が入った道。
自然と足取りは軽くなり、早くなる。
せめて人里に……そう思いながら歩く私は、確かに油断していたのだ。
「だからって神様っ!」
恨み言を口にしても、目の前の現実は変わらない。
出会ったのは、犬。
痩せこけて、決して友好的には見えない相手。
『グルルル……』
「あは……私、おいしくないよ?」
じりじりと、下がる。
でも、こっちは森だ。下がって逃げたところで、逃げ場はない。
バッグかリュックをかませて、逃げるか?
視線を外さないよう、犬を向いたままの私。
後ろから何かが走ってくる音が聞こえた。
増援、そんな考えが頭をよぎった時、光が走る。
「え?」
『ギャウン!』
それは犬に突き刺さって、消えた。
手のひらほどの大きさの、ナイフにも見えたそれは、光っていた。
犬は、叫びながら逃げていく。
後には、呆然とする私だけが残され……いや、結構たくさんの人がいる。
「あら? 一般人?」
「見ない顔だな。お嬢ちゃん、どこの子だ」
突然の異世界、そして襲われたという衝撃。
それらは、私から色々な余裕を奪っていた。
振り返ると、たくさんの馬と、馬に乗った人たち。
先頭の男女は、馬から降りている。
外で出会うには、少々きれいすぎる少女と、いかにもな装備に身を包むおじさま。
馬に乗っているのは、映画のような装備を身につけた人たちに……王子様?
よくわからない組み合わせが、余裕のなさに拍車をかける。
「故郷は無いわ。雪……ユキって呼んで」
かろうじてそれだけを告げた私に、2人はきょとんとした顔を返してきた。
それが、長い付き合いになる人たちとの出会いだった。