一難去ってまた一難
嫁いで来た当初のセシーラをよく思わない人は多かったが、帝国内を周り終えるころには城内にもセシーラを受け入れる風潮が強くなっていた。
ここで表立って反対をするよりも側室に娘を据えて次期皇帝の国母とする方が得策だという暗黙の了解も手伝って穏やかな日々が訪れる。
「お帰りなさいませ、ローバート陛下」
「あぁ、今戻った」
「お戻りのところ申し訳ございませんが、目を通していただきたい書類がございます。セシーラ様はお部屋にお戻りいただいて構いません。帝国内のことには不慣れでいらっしゃるでしょうから」
宰相のマシューは暗に他国の人間であるセシーラには関わるなと嫌味で伝えた。
だが、セシーラは本当のことだとして言葉通り受け取り与えられた部屋に向かう。
「・・・マシュー」
「何でございますか?」
「セシーラは俺の妻だ」
ローバートの言葉に片眉を上げてマシューは言葉の真意を問うた。
新婚旅行という名目の視察に出るときにはお飾りの妻として扱っていたはずだ。
それがこの数か月の間に進展があったということだ。
だが入れ替わっていた兵たちの報告には寝室もずっと別々で鉱脈を探したり街を見て回ったりするだけで仲が深まった様子はないということだった。
「えぇそうですね」
「書類上の話じゃないぞ」
「・・・いったいどこを気に入ったのですか? あんな小娘を」
「そうだな。気づいたらという感じだな」
「この数か月、女性がいなかったから仕方なくという・・・それは吊り橋効果という勘違いの感情です」
「そうかもしれないが、それでもいいと思えただけだ」
今までの婚約者候補とは義務的に会話をしたり高位貴族の順番に芝居を観たりするだけで間違っても笑顔で何かをすることはなかった。
それがセシーラに関しては妻であると公言したのだから本気であるというのが窺える。
“加護”によって帝国の財政を潤したことは功績として認めても良いが皇帝の妻として認められるかというのは別問題だ。
「ずいぶんとセシーラを目の敵にしていないか?」
「何かあるのではないかと思っています。前任が調べたようですが、表面的な感じがしているんですよ」
「考えすぎだろう。前任の宰相は父の右腕として申し分ないと聞いている」
「考えすぎだといいのですけどね」
ローバートはこの会話でマシューがセシーラの隠したい秘密を知らないことを確信した。
もし知っていれば書類上であっても妻にするはずがないし、後で分かったとしても渋々受け入れるということにはならない。
「それで、書類というのは?」
「こちらですよ。陛下の婚約者候補筆頭株だった公爵家からの嘆願書です」
「前任の宰相だった男とも言えるな。・・・なるほどな。娘を他国へ嫁がせる際の推薦状を求めて来たか」
「后妃になるはずだった令嬢を他国に嫁がせるとなれば、王族クラスですね。だから推薦状を求めた」
「こちらの弱みを正確についてくるあたりはさすがだな。だが、あの令嬢では無理だろう」
高位貴族に生まれたことで高飛車なところはあるが、それも公式の場で取り繕えるなら問題ない。
だが、ローバートが無理だと判断するのは公爵家にしては国の歴史に疎く、さらに帝国内の力関係も知らない。
そして極めつけは帝国で話されている言葉しか分からない。
「・・・仕事はできるが教育という面では失敗しているな」
「そうですね。不採用として返送しておきます」
他の貴族からの嘆願書の内容も似たり寄ったりで最初の数行を読んだあとは不採用として返送された。
だが、全てを返送ばかりしていられない。
しばらくして娘を他国に嫁がせる際の推薦状を求めた公爵家から別の要求があった。
「陛下、こればかりは難しいのでは?」
「そうだな」
「セシーラ様にお伝えします」
「はぁ頭が痛い」
他国より嫁ぎ帝国内に知り合いがおらず寂しい思いをされているセシーラを交えてお茶会を開きたいという要求というより招待状だった。
まさかお茶会にも参加しないというわけにもいかないため受けることになった。
付け焼き刃ではあるがマナーを学んでいるセシーラは特に気にすることなく気楽に返事をする。
「執務もあるため最後までいられないが私も参加しよう」
「ありがとうございます」
「マシューから聞いたと思うが・・・」
「分かっています。それにわたくしも小国なれど王女でしたもの。ご安心なさって」
何となく安心できないまま公爵家の庭で開かれるお茶会に時間ぴったりにローバートとセシーラは馬車を乗り付けた。
手土産にはセシーラが見つけた宝石をいくつか持っており喜ばせることは必定だった。
「ようこそおいでくださいましたな。陛下、セシーラ様」
「今日は招かれよう」
「ささ、妻と娘が庭で待っておりますゆえ、セシーラ様にも喜んでいただけると思っております」
上機嫌すぎる歓待を受けてローバートとセシーラは季節の花が咲き誇る庭を歩いた。
大きなテーブルに公爵が言う妻と娘以外にも二人ほど女性が多かった。
そのうちの一人に心当たりのあったセシーラは思わず声を上げる。
「ポーシャ!? 貴女どうしてここに? 国に帰ったのでしょう」
「あら、お姉様ったら大きなお声を出して恥ずかしいわ。国に帰ったわよ。それでね。お友達になったミーツェにお手紙を出したの。そうしたら驚いたのだけど、お姉様が新婚旅行からお戻りになるって言うでしょう。出発前にお話しができなかったからミーツェに会えないか聞いたの」
まるで自分が女主人であるかのようにポーシャは振る舞い侍女にお茶のおかわりを淹れさせる。
二度目は無いとマショワル王国に警告は送っているし、セシーラも何かあれば結婚そのものも破断になると手紙を書いている。
だが、ポーシャはミーツェの招待した客であるから無理やり連れだすこともできない。
「本日は足を運んでいただきありがとうございます。皇帝陛下、妃殿下、お座りになってくださいませ」
「あぁ」
「ありがとうございます」
公爵家の夫人は少し困ったような顔をしてローバートたちに席を勧めた。
招待状を送った通りに最初は公爵令嬢であるアイーヴィを側室にする意図を持ったお茶会だった。
その目論見が崩れたのは当日に約束もなく来たミーツェとその友人という扱いで来たセシーラの異母妹のポーシャだ。
お茶会が終わるまでサロンで待たせるつもりが姪に甘い当主がお茶会に出席するようにと言ってしまった。
ミーツェは当主の弟夫妻の子どもで幼い頃から出入りしていた。
身分としては侯爵家だが当主が許している以上、夫人では止めることができない。
「ねぇ、お姉様、この間は城に突然行ってごめんなさい。それでね、お詫びとして話し相手をしてあげようと思うの。ローバート様だってお忙しいからお姉様ばかり構っていられないでしょ。それに・・・」
「ちょっと待ちなさい。ポーシャ、今はそのような話をする場ではないわ。公爵夫人を差し置いて何を勝手に言っているの?」
「お姉様こそ何を言っているの? 私は王女よ。公爵家よりも上なの。先に話して何が問題なの? お姉様のその下々の者にも分け隔てなくは美徳かもしれないけど、時と場合には卑屈になるのよ」
「貴女は確かにマショワル王国の王女よ。だけど、ナルキエンス帝国の王女でもないし、さらに言えば国賓でもないの。招いてくれた方に敬意を持って・・・」
「そんなこと分かってるわよ。だから敬意を持ってるじゃない。ねぇミーツェ」
ポーシャにとってはミーツェが招いてくれた者という認識であるから彼女以外の言葉は聞く耳を持たない。
これ以上、恥を晒すわけにはいかないとポーシャを連れて帰ろうかと本気で考えたときだった。
沈黙していたローバートがセシーラの肩に手を置いた。
「・・・陛下」
「久しぶりに異母妹に会えて嬉しいのは分かるが落ち着いてくれ」
「申し訳ございません。夫人、勝手なことをしてしまい申し訳ありません」
「お気になさらないでくださいな。久方ぶりの再会でございましたのでしょう。異母妹の方とは年も近いようですし、口喧嘩などありますでしょう。わたくしの娘のアイーヴィと夫の姪のミーツェもよく喧嘩しておりましたのよ。それは見ているこちらがハラハラするくらいに」
「まぁお母様ったら陛下の前で恥ずかしいわ」
ローバートの計らいで気分を落ち着かせたセシーラはポーシャへの小言を収めた。
夫人の合図で新しいお茶とケーキが配られた。
「ローバート様は、セシーラお姉様と結婚なさったのでしょう? ローバートお義兄さまとお呼びしても良いでしょう?」
「ポーシャ」
「公の場では困るが、このような茶会の席ならば構わない」
「まぁ嬉しい。お姉様と違ってローバートお義兄さまはお優しいわ」
ローバートが許可をしたのもポーシャと同席する茶会がほとんどないという目算のもとだ。
いくらポーシャがセシーラの異母妹であったとしてもマショワル王国の王女との繋がりをこれ以上増やしても利点はない。
それにセシーラはポーシャを諌めるのに必死で気づいていなかったがアイーヴィが物凄い顔でポーシャを睨んでいた。
「あの、陛下、庭の薔薇が見頃ですの。その・・・」
「まぁ、薔薇が見頃なの? お義兄さま、一緒に見に行きましょう」
「ポーシャ、少しは自重しなさい。それにここは公爵家のお庭よ。アイーヴィ様がご案内するのが普通でしょう! あっ、申し訳ありません。お名前を勝手に」
「いえ、構いませんわ。どうぞそのままアイーヴィとお呼びください。妃殿下」
「まだ正式に結婚したわけではございません。どうぞ、セシーラと」
不満があるというのを顔にありありと表したポーシャだったがセシーラに新しいタルトを分けてもらうと夢中になった。
マショワル王国では甘い物はあまり食べられないこともあってポーシャは甘い物に目がない。
「ねぇミーツェ」
「何かしら?」
「アイーヴィはいつもああなの? せっかくお義兄さまがお茶会に参加してるのに一人で連れて行っちゃって」
「そうよ。いっつもよ。わたくしも一緒にって言っても侯爵家じゃダメって意地悪するの。従姉妹なのに」
アイーヴィは公爵令嬢であり婚約者候補であったから会うことが許されていた。
そこに従妹であるとはいえ侯爵令嬢を引き合わせることは他の公爵家へ喧嘩を売る行為だ。
間違っていないのだが、わがままは全部両親ではなく伯父が聞いてくれたから我慢というものを知らない。
「伯母様からも言ってくださらない? アイーヴィにわたくしを苛めるなって、淑女としてあるまじき行為だわ」
「そうねぇ」
「伯父様だってわたくしが公爵家の生まれでないことを嘆いてくださっていたもの」
「そうねぇ」
夫人は一ミリも動かない笑顔で姪のミーツェの言葉を流す。
意地悪をしているのではないし、身分というものを考えれば正しかった。
だが、ミーツェの伯父である公爵が甘い言葉をかけるものだから夫人はミーツェを叱ることができない。
一度だけ叱ったことがあるが、姪であっても他家の令嬢を叱るなと反対に言われてしまったため笑顔でやり過ごすことにした。
「ねぇお姉様」
「何? ポーシャ」
「やだ。そんな怖い顔しないでよ。私なにもしてないわ」
「自分の胸に手を当てて考えてご覧なさい」
「うーん、お姉様と仲良くお話しただけよね? うーん、それでね。私を城のお姉様のお部屋に泊めて欲しいの」
「はぁ? 貴女、何を言っているの?」
まだ教会で宣誓をしていないから正式ではないだけで、セシーラはローバートの妻になる。
そんなセシーラの部屋に泊めて欲しいというのはローバートと同衾させろと言外に言っていることになる。
ポーシャにそんな意図はなく自国では暖房の薪を節約するために何人かで寝ていた。
その延長でのことでポーシャは提案した。