壁に耳あり障子に目あり
先に寄った村より大きくなった町の入り口でセシーラたちはジューンとジョーナを待っていた。
馬車に乗って休んでいた兵たちも復活はしたものの山賊に襲われたのに、のんきに寝ていて更に侍女二人が囮になったと聞いてますますプライドが折れた。
日暮れ前にジューンとジョーナは追いつき、傷がないことを確かめてから町長のもとへ向かった。
この町の町長は分かりやすいくらいに野心家で、食事などは平時と同じでと言っているにも関わらず、フルコースを用意し、宿も町一番の物を貸し切りで用意した。
普通なら当たり前なのかもしれないが、視察ということで普段の町の状況を知るためなのに何の役にも立たない。
「陛下・・・いかがでしたでしょうか?」
「そうだな。味付けも食材も申し分ない」
「ありがとうございます」
「町の者は毎日このような料理を食べているのだな。帝都と変わらぬ財政があると見た。来年からは予算を下げておくように宰相に伝えておこう」
事前に通達しているにもかかわらず町を挙げて歓待をするところも少なくない。
そういう場合は、財政が潤っているとみなし予算などを下げるようにしていた。
そうなると町や村として機能しなくなるため、次の視察からは大人しくなる。
歓待に金をかけたところで元は帝都からの税金のため、意味がないというのもある。
「セシーラ」
「はい、何でございましょう」
「このあたりには山はないから明日の昼には出発する」
「かしこまりました」
この視察は、名目は新婚旅行なのだが、途中で子どもができても困るため一応、寝室は別々になっていた。
それはセシーラにとっては有り難いことで、夕食後から寝るまでの時間が一番、気を緩められるときだった。
寝間着に着替えるとベッドに入ると三秒で眠りに就いた。
セシーラが眠っていることを確認して、ジューンはランプの明かりを小さくした。
続きで使用人の部屋もあるため寝るときは、そちらに移る。
ドアの前には不寝番の兵が立っているが、形式的なもので立ったまま寝ていた。
深夜になり、誰もが寝ているところにセシーラの部屋の窓の外に人影があった。
その人影は窓枠の隙間から針金を入れて、鍵を外すと音も立てずに侵入した。
わずかに上下する布団めがけてナイフを振り下ろした。
「・・・っふ」
「てゃ」
枕の下に隠していた鞭をしならせてセシーラは被っていた布団と侵入者の持つナイフを弾き飛ばす。
まさか反撃されるとは思っていない侵入者はセシーラと向かい合い、隙を伺う。
セシーラは器用に鞭を動かすと侵入者を縛り上げ、そのまま部屋を飛び出した。
物音で気づいた廊下の兵はセシーラに声をかけようとしたが、そんな間もなくセシーラはローバートの部屋にノックもなく入った。
同じく物音で気づいたジューンはセシーラを追いかけ、ジョーナはセシーラの部屋の侵入者を見張った。
「陛下!?」
「っふ」
「っく」
侵入者に気付いていたローバートはベッドに腰かけた状態だった。
こちらは侵入した方も起きているとは思っていなかったのか膠着状態だったようだ。
それを壊したのはセシーラで、侵入者は声から女だと判断し、人質にしようとナイフで襲いかかったはいいが、隠し持っていたナイフで防がれ睨み合い膠着状態に戻った。
「なかなかやりますね」
「女、何者だ?」
「わたくしは、マショワル王国第八王女のセシーラです」
「替え玉か」
「いえ、替え玉ではなく本人です」
寝間着姿のセシーラの両手には刃渡り二十センチメートルのナイフが握られている。
相対する侵入者はセシーラに攻撃する隙がないことで焦ってもいた。
「王女様がナイフを振り回すわけないだろう」
「まぁそうなんですけど、これには色々訳がありまして、話せば長くなりますけど、聞きます?」
「俺のナイフを防いだということは、相当な手練れだ。女、ここで殺すには惜しい。名を聞こう」
「だから、セシーラですって。それよりも・・・あぁだめ! 行ったら」
「ぎゃぁぁぁぁぁ」
「だから言ったのに・・・」
セシーラは、王女であることを信じてくれないことで一瞬、気を抜いた。
その隙に侵入者は入って来た窓から飛び降りたのだが、待ち構えていたニールに捕縛され、叫び声をあげた。
「詳しく、聞かせてもらおうか? セシーラ?」
「はい? ・・・ひぃ」
「はぁ、だから言いましたのに、くれぐれも大人しく、大人しくしてくださいと」
「それ今、言う!?」
セシーラの恰好が寝間着だったことで一度、着替えてから宿の応接室に集合することになった。
今回ばかりは町長の貸し切り対応が功を奏してしまった。
セシーラは、事の始まりから全部を話しローバートの言葉を待った。
その間にジューンはお茶を淹れ直したりしているが、二人とも飲んではいない。
「・・・つまり、最初は自衛のためだったと?」
「はい・・・」
「普通は、自衛のためでも暗殺術を極めることはないと思うがな」
「・・・黙っていたのは謝ります。ですが、私に陛下を暗殺しようというような意思はありません。ご不安なら簀巻きにでもして荷物として運んでいただければ」
「仮にも妻を簀巻きにして運べるはずないだろう」
前に滞在した村で笑顔で少年に薪割りを教えていたのだ。
そして、薪割りを覚えたのは死に物狂いだったと言った。
暗殺術とて生きるために覚え、生きるためにその手を汚した。
「納得がいった。いくら護衛が手練れでも三人では少なすぎる。本人も戦力に入っているのなら道理だ」
「陛下、申し訳ございません」
「謝る必要はない。それに身を守る術があるなら好都合だ。皇帝になったばかりの俺を亡き者にして権力を手にしたい有象無象は多い。その関係で人質にされることもあるだろう。だが、一時の感情で国を傾けるわけにはいかない。そのときは切り捨てる。だから自力でどうにかしてくれ」
「お、お任せください! 私、ナイフ投げは得意です。どんな獲物でも仕留めてみせましょう」
セシーラの宣言にジューンは頭を抱えた。
だが、後日、頭を抱えたのはローバートの方だった。
「いったいどうなっている?」
「も、申し訳ございません」
セシーラが暗殺術を極めているとカミングアウトしてから日に日に刺客の数が増えていた。
もちろんニールやジョーナは排除に奔走していたが、数が多いためローバートたちのもとに到着する者もいる。
そんなやつはジューンが隠さなくても良くなったことで生き生きと退治している。
「明らかに俺ではなく、セシーラを狙っている者もいたな」
「は、はい。幼い頃は誘拐未遂は数え切れないほどありますが、今は殺人未遂の方が多いかと」
セシーラがマショワル王国にいたときは、地図に書かれているのかも怪しい国が財政豊かになることを恐れて暗殺者を送られていたが、いつしか殺せないことで、誰がセシーラを暗殺するか競争のような感じになってしまった。
今や惰性で送られていることも少なくない。
「陛下に危害が及ぶようなことにはいたしません」
「うん」
「伏せて!」
隣に座っているローバートの頭を思い切りセシーラは押さえつけた。
一瞬、遅れてガラス窓が割れて弓矢が飛んでくる。
力加減なく押さえたためローバートの額はテーブルに当たり額が赤くなっていた。
「危なかったですわね」
「俺はセシーラに殺されるかと思ったがな」
「うん? ひぃ! 陛下の額が・・・」
「もう少し手加減してくれ」
「・・・ぜ、善処しますわ」
各地を回って鉱山を見つけるとセシーラとローバートは山に入り、鉱脈を探す。
探すと言っても元々セシーラの“加護”のおかげで苦労はしなかった。
ときおり大きな町では二人が観光している姿も見られ、そして最初に回った町の近くの鉱山では、鉱山夫の雇用が生まれ活気づいていた。
それが新しく皇帝になったローバートの妻であるセシーラだと知らされると、たちまち人気になった。
「あの山はどうだ?」
「うーん、水脈が強いので、鉱山には向きませんわ」
「道が整備しやすいから打って付けなんだがな」
「私としては、あちらの山がいいんですけど」
「あれは、近くの町まで半日はかかるぞ。それに鉱石を運ぶとなると道が狭すぎる」
街道を記した地図と実際の山を見比べながら次の鉱山開拓を決める。
何とも色気のない会話だが、それが一番、会話が弾むのだから仕方ない。
護衛の兵は途中で何回か変わったが、そのたびにセシーラの早起きに驚かされ、騒ぎになるが次第に慣れる。
セシーラが慎ましい生活をする王国出身だったため食事に文句を言うこともなく、土砂崩れなどで迂回することになり野宿になっても文句ひとつ言わない。
「陛下、道が寸断されており復旧には三月ほどかかるようです。すでに帝都に知らせは行っているようですが、回り道となると途中は野宿です。そうなると、皇妃陛下の御身が耐えられますかどうか」
「・・・いざとなれば木の根を齧ってでも生き延びそうだがな」
「陛下?」
ローバートの独り言は聞こえなかったようで、兵は聞き直した。
さすがに暗殺術を極めているからといって野営ができるかどうかは別問題だ。
確認のために隣の部屋でナイフの手入れをしているはずのセシーラを訪ねた。
「セシーラ」
「あっ、ちょっと待ってくださいませ。もう少しで終わります」
「あぁ」
「・・・姫様、入って来られたのが陛下でなくば、どうするおつもりですか? くれぐれも大人しく、大人しくしてくださいと申し上げましたでしょう」
ノック無しで入ってくるのは、ローバートくらいのもので、今更、ナイフを研いでいるところを見たくらいで驚きはしない。
それにセシーラもジューンも廊下にいる人の気配が誰のものか判断できる。
「お待たせしましたわ」
「あぁ、それで次の町へ行く道なのだが、土砂で塞がっているようだ。迂回するにも道が遠く、途中で野営する必要がある。野営の経験はあるか?」
「野営というのは、水を川で汲んで煮沸消毒して飲んだり、飛んでいる鳥を弓矢で射止めたりすることでしょうか?」
一国の王女に野営の経験があるかどうか訊ねる方もおかしいが、それに対して経験があると言うのもおかしい。
ローバートが思っていたよりも野営ができると分かり、廊下の兵に問題ないことを伝える。
「しかし本当にあったとはな」
「まぁ追いかけられて城に戻れないことがございましたので、生き延びるために身に着けました。さすがに木の根っ子を齧ったことはございませんが」
「そうか。それは俺もないな」
セシーラの何を以って大丈夫だと判断されたのか分からないまま馬車は迂回路を軽重に進む。
目的地である野営できる開けたところに着くと、携帯食ではあるが食事の準備が始められた。
訓練で塩漬け肉のスープを食べたことはあるが、おいしいとは言えず兵たちからは不評だった。
こんな食事を出せばさすがのセシーラも怒り、野営を甘く見ていたと実感するのではないかと兵たちは考えていたが、そんなことは起こらず、手際良く塩漬け肉をセシーラは果物ナイフで削っていく。
無理をしているのかと思えばそうではなく、遊んでいるわけでもない。
いったいセシーラは何者なのだろうかと内心、思い出したころにセシーラに動きがあった。
「・・・っ、伏せて!」
「ひぃ」
「あっ、これ毒のない蛇でしたわね」
近くを警護していた兵の頭上から蛇が落ちてきた。
咄嗟に毒蛇だと思ったセシーラは持っていた果物ナイフで真っ二つにした。
セシーラの言葉に反応できなかった兵は、頭上をナイフが通過し、あわや大惨事というところだ。
「セシーラ」
「はい」
「丁重に埋葬してやれ」
「えっ? 食べませんの? スープに入れたら美味しいのに」
ローバートの一睨みでセシーラは少し離れたところに穴を掘り、蛇を埋める。
一体、何が起きたか分からないが、セシーラが只者ではないことを感じ取った兵たちは何も見ない聞いていないという無かったことにするという自己防衛をする。
翌朝、出発するときには蛇が埋葬されている付近に兵たちによる献花が行われていた。