鳩に豆鉄砲
お披露目の日まで、あと一週間と差し迫った忙しい時にセシーラは来客を受けた。
それは、三歳年下のポーシャだった。
「・・・何もお聞きしていないのですか?」
「はい」
「来てしまったものは仕方ありません。一応、新婦側の見届け人として席は用意しますが、何か問題を起こせば帰っていただきますが、よろしいですか?」
「はい、申し訳ございません」
応接室にいるポーシャは自国では見たこともない調度品に目を輝かせ、不躾にも手にとって眺めたりしていた。
いくら貧乏な国でもポーシャは王女の肩書きを持っている。
お茶の用意をした侍女たちでは止めることができない。
マシューに頭を下げたセシーラは、どうして出国させたのかと父を恨んだ。
セシーラは、十五歳。
ポーシャは、十二歳。
この年の差は、たった三歳でもセシーラは成人として扱われ、ポーシャは子どもとして扱われる。
「ポーシャ!」
「あっ、お姉さま」
「あっ、お姉さまじゃないわ。いきなり来て何をしているの?」
「あら? 妹が姉を訪ねるのが何かおかしいの?」
「そうではなくて、先触れもなく来るなど非常識だわ。ナルキエンス帝国の方々にご迷惑をおかけすることになると思わなかったの?」
王女ではあるからマショワル王国では、上の身分の扱いを受けてはいるが、他国に出れば、吹けば飛ぶような肩書にしかならない。
ポーシャにとって王女というのは、物語の世界の認識で止まっている。
「そんなことよりもこのランプシェード可愛いと思わない? 持って帰ってもいいでしょ?」
「そんなことって、貴女ね」
「私は王女なのよ。それはどの国でも一緒でしょ?」
「一緒じゃないわよ。ポーシャ、貴女はマショワル王国の王女ではあるけど、ナルキエンス帝国の王女ではないもの。他国では、相応の対応というものが求められるのよ」
唇を尖らせて不満を露わにしたポーシャは、セシーラの小言から逃げるように応接室を出た。
驚いたのはセシーラで勝手に歩き回られては困ると、連れ戻そうとした。
間の悪いことに話を聞いたローバートが一応、挨拶をしようと応接室に向かっているところに遭遇し、セシーラは何が何でも連れ戻そうとしたが、一足早くポーシャが見つけてしまう。
「ポーシャ、良いから戻って」
「お姉さまは黙ってて、あの、ローバート陛下ですよね? 私、セシーラの異母妹のポーシャと言います。絵姿を見てから私ずっと・・・」
「すまないが、名を呼ぶことを許したつもりはないが?」
「あっ、ごめんなさい。私ったらつい、とても格好いい殿方だから」
セシーラは顔を白くさせて気を失いそうだった。
とにかくポーシャを連れ戻そうとしたセシーラは、ポーシャの腕を掴んで引っ張るが、どこにそんな力があるのかびくともしない。
ローバートは、深く溜め息を吐いてからセシーラを見た。
「セシーラ」
「はい」
「妹君の部屋を用意する。お披露目の日までは、そこで休んでもらえばいい」
「ありがとうございます」
セシーラがポーシャを引き離そうとしているのに気づいて、ローバートはポーシャを部屋に留めることを提案した。
城を歩く許可は出さずに、とりあえずお披露目の日を迎えれば、すぐにでもマショワル王国へ返すつもりだった。
それを分かっていないのはポーシャだけだ。
自分は王女だから自由にローバートに会えると思っているポーシャは、部屋を出ようとするが外から護衛が開かないようにしているため軟禁状態だった。
そのことで憤慨はしていたが、窓から出るというような芸当はできず、お披露目会の当日までポーシャは一度もローバートに会えなかった。
ようやく会えると思っても馬車に乗ったローバートとセシーラを沿道の一員として眺めるだけで、とてもじゃないが話はできない。
「お姉さまったらローバート様が私に懸想しているからって、会えないようにするなんて。見苦しいったらありゃしないわ」
異母妹ではあるが、ポーシャとセシーラは目元がそっくりの姉妹で他の人が見ても姉妹だと分かる。
セシーラが通行許可証を発行してもらった領主の妻のリュシリーがポーシャに気づいた。
リュシリーは、今でこそワルダナ公国の領主の妻だが、実家はナルキエンス帝国の公爵家で、帝国が領土拡大をする前からの生粋の帝国人だ。
久しぶりの里帰りと若き皇帝のお披露目会を見ようと来ていた。
「あら? 貴女はもしかしてセシーラ様の妹様かしら?」
「そうよ。そういう貴女は? 名乗りもせずに声をかけるのは無礼だわ」
「失礼しました。わたくしワルダナ公国の領主の妻でございますリュシリーと申します」
「そう。それで、私に何の用?」
リュシリーは視線だけでポーシャの足元を見た。
何も考えずに歩いていたポーシャのドレスの裾は泥だらけになっていた。
汚れに気づいたポーシャは、着替えを持ってくるようにとマショワル王国から一緒に来ていた侍女に申し伝えるが、人込みの多さで城に戻ることはままならない。
「よろしければ、この近くにわたくしどものセカンドハウスがありますの。王女様がお召しになるには心許無い品ではありますが、汚れを落とすお手伝いをさせていただければと思います」
「そうね。いいわよ」
「では、こちらに」
まだ子どもであるポーシャが上からの物言いをして怒るようなことはないが、セシーラとは随分と性格が違うものだとリュシリーは内心で思う。
一応、城へポーシャを招いたことを連絡するが、焦った様子もなかった。
「それ・・・きれいね」
「ありがとうございます。セシーラ様がお礼の品としてくださったのです」
セシーラに宝石を強請ったことがあったが、まだ子どもには早いと言われ、指輪にする程度の宝石しか貰えなかった。
それがリュシリーの胸元でブローチとして輝いている。
ただ見せるだけならと考えてリュシリーはポーシャにダイヤモンドのブローチを手渡した。
「ふーん」
「何を!?」
「何って、ダイヤモンドは燃えるのよ。良かったわね。よく燃えているもの。偽物じゃなかったようよ」
寒さを凌ぐために暖炉には火が入れられて煌々と燃えていた。
そこにポーシャは躊躇いもなく、投げ入れた。
自分は持っていないのに、ただの領主の妻が持っているということが耐えられず、大きなダイヤモンドを嫉妬から燃やした。
「いくら王女であっても許されることとそうでないことがありますわ。正式に抗議をさせていただきます」
「一国の王女にその言い方はいかがなものかしら? 私も帰ってお父様に報告しますわ」
「・・・どうぞ、城へお戻りください」
「そうさせていただくわ」
ポーシャは、憤慨したまま席を立ち、執事の案内で馬車まで廊下を歩いた。
ダイヤモンドを燃やしたことはすぐに使用人たちに伝わり、ポーシャを見る目は冷たい。
そんな中で違うのが、侯爵令嬢であるミーツェだった。
ポーシャと同い年で、かなり甘やかされて育ったミーツェは、里帰りしてきているリュシリーをうるさい伯母と思っておりポーシャがダイヤモンドを燃やしたことを喜んでいた。
「伯母様が連れて来た王女様って貴女よね?」
「何?」
「ミーツェお嬢様、お部屋にお戻りください」
「挨拶くらいしたっていいでしょ。黙ってて。私、伯母様が付けていたブローチ、すっごく嫌いだったの。だってこれ見よがしに財力があるのよって言っているようなものだもの。でも私では貸しても貰えなかったから王女様が燃やしてくれて清々したのよ。お礼を言わせていただくわ。私はミーツェよ」
「ポーシャよ。ミーツェ、貴女とは気が合いそうだわ」
「嬉しい。また遊びに来てね」
燃やしたという行為は行き過ぎたとは思っているが、それをミーツェは清々したと言った。
ほんの少しだけあった罪悪感がポーシャの中からきれいさっぱりと無くなった。
馬車で城に戻ると、セシーラが仁王立ちをして待っていた。
「ポーシャ! 貴女、何を考えているの?」
「何よ」
「わたくしが懇意にさせていただいている夫人のブローチを燃やすだなんて、恥知らずもいい加減になさい」
「恥知らずはお姉さまの方じゃない。宝石で媚びを売って、まるで犬だわ」
「そう。わたくしのことを犬呼ばわりしようが、どうでもいいわ。ただ、領主はマショワル王国に抗議の文を出すそうよ」
貴族が他国の王族に抗議の文を出すことは、まずないがマショワル王国が財力と権力に乏しい国であることとワルダナ公国の領主はそれぞれが王族と同じだけの権限を持っている。
ナルキエンス帝国からすれば娶った王女の妹が仕出かしたことだから黙認はできなかった。
「私は王女よ。何も責められるいわれはないわ」
「そうね。マショワル王国ならそうだったでしょうけど、ここは違うわ。もし、不服だと言うなら帰ってお父様に進言すれば良いと思うわ」
「そうするわ。お父様なら分かってくださるもの。分からず屋の恥知らずのお姉さまと違うから。本当に橋の下の子なんじゃないかしら?」
「わたくしが生まれた年に他に妊娠していた方はいないわよ」
「他国から捨てに来たかもしれないじゃない」
「わざわざ馬車に乗って? そんなことをするお金があるなら子どもを捨てずにすむのではないかしら」
セシーラが言うことはもっともで、ポーシャは少ない荷物を持って城を出た。
ここまで来た方法だが、マショワル王国に出入りする数少ない商人の伝手を使って来たらしい。
帰りも同じようにして帰るのだろうが、戻ればポーシャは外に出してはもらない。
ポーシャにとっては、不本意だろうが、そうなる。
他国から睨まれて生活できるほど、マショワル王国は裕福ではない。
ポーシャは、それほどのことをしたとまだ自覚していなかった。
「・・・このたびは異母妹が大変失礼いたしました」
「いや、かまわん。国へ帰ったのだろう?」
「はい。ご迷惑をおかけし申し訳ございません」
「子どものすることだ。一度は目を瞑ろう。だが、次は帝国として黙ってはいない。抗議はその警告だと肝に銘じておけ」
「かしこまりました」
セシーラは今回の婚姻が自分の“加護”によるものだと痛いくらいに理解していた。
だが、それをポーシャもマショワル王国の王も理解していない。
それは致命的な欠陥だった。
お披露目会が終わり、顔見せという名目の新婚旅行の出発の日取りが決まる。