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蛇に睨まれた蛙

 重苦しい空気の中、セシーラが国から持って来た身元証明書を確認したマシューは丁寧に証明書を封筒に入れた。

これから迎えに行くはずの王女がすでに帝国のすぐそばに来ているとは誰も思っていない。


「きちんと書状にて夏頃に迎えに行くとお知らせしたはずですが?」


「はい?」


「書状を読んでいないのですか?」


「えっと、父からは迎えが来るから合流しろと言われ、着の身着のまま・・・」


「・・・セシーラ様」


 言われたままのことを言ったセシーラを後ろに控えていたジューンは耳打ちをして窘めた。

国と国の話では本音をすべて話すのが正しいわけではない。

だが外交というものを学んだことのないセシーラはどうしても馴染めないでいた。


「まぁ来てしまったものを追い返すわけにはいきません。予定は狂いましたが、このまま帝国に戻ります」


「えっと、わたしは本人だと信じていただけたのでしょうか?」


「本人であろうとなかろうと、“石の加護”が証明してくれます。貴女には陛下とともに各地の視察という名目の新婚旅行に出ていただきます。そこで分かります」


「はぁ」


 このやり取りで欲しいのは、マショワル王国の第八王女ではなく、宝石を生み出す“石の加護”を持つ女性なのだということが分かる。

身分を詐称していても宝石を生み出せば、おそらくは身の保証はされる。


「それで、貴女は帝国のことをどこまでご存知ですか?」


「えっと、リヒャルト皇帝陛下が三十四回目の進軍を決めて、東の国を治めたというのは新聞で読みました」


「はぁ・・・・・・よく分かりました。貴女のおっしゃるリヒャルト皇帝陛下は先々代皇帝陛下で、三十四回目の進軍は今より六十年前のことです」


「へっ?」


 完全に隔離されたマショワル王国では、他国のことを知らなくても社交界から爪弾きになることはなく、わざわざ新聞を売りに来る酔狂な記者もいない。

たまに仕入れる新聞も年代も適当でいつの時代のものかわからない。

商人もマショワル王国の実情は知っているから家の竈で火を点けるための新聞を紛れ込ませたこともある。

倉庫に眠っている新聞を売ったこともあった。

セシーラが六十年前の新聞を読んだのは、そんな事情からだった。


「そんな。せっかく勉強したのに・・・」


「こほん、とにかく帝国に戻ってから正式に教育係をつけますので話はそれからです」


「わかりました」


 セシーラは数少ないナルキエンス帝国の情報を馬車の中で思い出したのに無駄に終わった。

ひとつ安心したのは無知であっても国に追い返されなかったことだ。

この結婚が破談になってもセシーラは、マショワル王国に居場所はない。


「あと、ずいぶんと付き人が少ないようですが、何か理由でも? 帝国で増員の予定でしたか?」


「それは・・・」


「・・・宰相閣下。わたくしはセシーラ様付きの侍女のジューンと申します。ご説明を主人に代わって申し上げたいのですが、許可をいただけますでしょうか」


「いいでしょう。許可します」


「ありがとうございます」


 セシーラが上手い説明をできるとは思っていないし、このままだと誤解されたままになりそうだと判断したジューンが口を挟んだ。

出しゃばることは不敬に当たるが、マショワル王国の当たり前が他国では理解されないことが多い。


「マショワル王国では王族であっても鍬を持ち、網を持ち、日々の生活のために働いておりますので、城の使用人は最低限で賄っております。ですので、一人の王族に対して専属の侍女というものは存在しておりません。今回は、セシーラ様の輿入れということで専属の護衛と侍女がついておりますが、マショワル王国では多いくらいでございます」


「つまり、王家として使用人を雇うほどの財力がないと判断してもよろしいですか?」


「そう考えていただいて差し支えないかと。さすがナルキエンス帝国の宰相閣下でいらっしゃいます。ご慧眼に感服いたします」


 嫌味で答えたマシューだったが、そうだと肯定されては嫌味にならない。

事実、城の使用人に対する給金は低く、衣食住の保障という程度で、花形職業ではない。

ニールとジューン、ジョーンはセシーラから宝石による給金の支払いが別途あり、マショワル王国の見本にはならなかった。


「人が少ないほうが護衛が楽ですから良いとしましょう」


「帝国でもできましたらば、この人員で身の回りをいたしたいのですがよろしゅうございますか?」


「それは陛下に確認が必要です。私では答えかねます」


 セシーラと合流した一行は宿に一泊してから帝国に戻ることになった。

あり得ない早い戻りに何か問題があったのかと憶測が飛んだが、何のことはない。

セシーラがすでにこちらに向かっていただけのことだ。


「頭を上げろ」


「マショワル王国の第八王女セシーラでございます」


「ナルキエンス帝国皇帝ローバートだ。早速だが新婚旅行に出発する。準備をしておけ」


「かしこまりました」


 ローバートは三ヶ月前に就任したばかりだ。

本当なら城を空けるのは好ましくないが、祖父と父が侵略して得た領地の査察が終わっていない。

皇太子の頃からの役目だったが、皇帝となった今も続いていた。

それは、父である先代皇帝が無理をして行った進軍で落馬し、腰の骨を折るという重傷を負った。

命には別状はないが二度と歩けない体になり、皇帝の業務も出来ないとなり、退位した。


 セシーラは普通の王女のような生活をしたことがない。

だから、お風呂のお湯も自分で薪割りをして、交代で火の番をして、手早く入る。

湯船にバラの花びらが浮いていたり、浴槽から溢れんばかりのお湯にセシーラは尻込みをした。


「ねぇジューン」


「何です? 姫様」


「これ、入ったらお湯が溢れると思うの」


「そうですね。ほら早く入ってください」


「うぅ、もったいない」


「王女様はそんなこと思わないんですよ。入らないなら突き落としますよ」


 ジューンは仕事で潜入することもあり貴族などの権力者の生活を知っている。

溢れた湯をもったいないなどと言う王女はセシーラくらいだ。

広い湯船の隅に小さくなって浸かる。

そんなことをしても溢れる量は変わらない。


「・・・髪の艶出しに椿油なんて」


「はいはい、祖国では貴重なオイルランプの原料でしたものね」


「私ここで生きていく自信がないわ」


「はいはい」


 部屋には足首まで埋まるくらいの絨毯が敷かれており、ベッドもふかふか過ぎてセシーラは落ち着かなかった。

何度も寝返りを打っては寝ようとするが、結局のところ明け方まで寝られなかった。


「ねぇジューン」


「何です? 姫様」


「もっと硬いベッドは無いかしら?」


「もっとふかふかのベッドがいいという要望は通るでしょうが、硬いベッドは無理でしょうね」


 ナルキエンス帝国までの宿のベッドもふかふかだったが、寝られないというほどではなかった。

普通の王女ならベッドが硬いと文句を言うところでもセシーラは無駄に安眠を得ていた。


「はぁ、憂鬱だわ」


「・・・新婚旅行で泊まる宿のベッドは今よりも硬いと思いますよ」


「それを楽しみに頑張るわ」


「・・・セシーラ様」


「なぁに?」


「顔を洗う水は、こちらです。井戸に水を汲みに行く必要はございません」


 水といっても暖めてあり、冬の凍てつく水とは雲泥の差だった。

なかなか体に染み付いた習慣というものは厄介だった。

できるだけきれいなドレスを着て、食堂に向かう。


 席に案内されると、野菜を煮込んだスープに、白い柔らかいパンが選び放題だ。

これが王族の朝食かと感心しながらセシーラは静かに食べる。

付き人はジューンだけで、残りの二人は城の警備の確認や大きな鼠の始末を密かに行っていた。

移動中なら警備も薄くなると思い数が増えていたが、そう簡単にやられるセシーラではない。


「セシーラ」


「はい、陛下」


「何かお困りのことはないかな? 何分、突然来られたものだからこちらも準備が追い付いていない」


「何もございませんわ。」


 安眠できなくなるくらいのベッドに、干し野菜でないスープに白いパンはセシーラにとって信じられないくらいの贅沢だった。

心から困っていることはないと答えたのだが、側で聞いていたジューンは、嫌みに聞こえているのだろうと確信している。

困っているとすれば手持ちの服が少ないことだ。

これについては、布さえあれば縫って作れるため緊急性は低い。


「恐れながら陛下、セシーラ様は自国では姉君様や妹君と添い寝をしておりましたので、一人寝は寂しかったようで、昨晩は何度も目を覚ましてございました」


「ちょっとジューン! それは言わないでよ」


「・・・そうか」


 セシーラが普通の王女ではないということは印象付けられた。

あとは、何事もなくセシーラが王妃となれれば良いが、障害は多いだろう。

急に来たセシーラの扱いを議会も決めかねていたが、特に食事に文句を言うわけでもなく、待遇に不満を言うわけでもなく、求めたものはドレスを作るための布だ。

それも侍女のジューンが選び、買うと自分で裁断して縫い始めた。


 新婚旅行をするにも結婚したことを民にお披露目しなくてはいけないし、それは夏以降を予定していたがセシーラが早く到着したのなら前倒ししようと予定は色々と変更になった。

そんな周りの思惑も気にすることなく、今日も今日とてチクチクをドレスを縫う。

綻びができれば自分で繕って来年もまた着る。

上の姉からのお下がりも自分でサイズを直して着る。

そこがマショワル王国が王国と名乗っているだけの国と揶揄される所以だ。


「ジュ、ジューン」


「なんでしょう? 姫様」


「この布は、ものすごくきれいなのだけど、見たことないわ」


「それは、蚕の繭から紡いだ糸で織った布です。シルクと呼ばれていますね」


「これがシルク。冬の間に絹糸はさんざん紡いだけど、全部出荷していたから知らなかったわ」


 光沢はあるものの農作業には不向きのためシルクはマショワル王国では全く使われなかった。

そんな布がここにあるのは、お披露目のときに着るドレスだ。

結婚式に花嫁が着るウエディングドレスのようなもので、本来ならデザインから全て商会に依頼するが、時間だけはある。

自分で作っていた。


「こんな布を一回だけの結婚式のために使うなんて王族って贅沢なことをするのね」


「・・・一生に一度の晴れ舞台ですから」


「そういうものなのね」


 自分でドレスを縫うという奇妙な王女だと噂されたが、あのマショワル王国出身だからということで片づけられた。

そう過ごしているうちにお披露目の日が近づいてきた。

有力貴族とは直接挨拶をするためジューンの指導のもと絵姿と名前を覚える作業が増えた。

物覚えは良くも悪くも普通で何度も繰り返していれば人並みに覚えられるというところだ。

それよりもジューンが気にしているのは食事が豪華になって体形が変わらないかということだ。

朝昼晩とジューンはセシーラにスクワットを義務付けた。

そのかいあってセシーラの体形は守られた。



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