藪をつついて蛇を出す
無言のままジューンが用意したお茶を飲みセシーラは小さく息を吐いた。
手の震えは止まっている。
「・・・ここに嫁いだときに同じことをローバート様に聞かれましたわ」
「それは・・・陛下はご存じだったということですか?」
「えぇ、誤解の無いように申しますが、わたくしは陛下を暗殺する意図も帝国に牙を向くつもりもありませんでした。今も変わらずに」
ローバートに知られたときは帝国に嫁げないということにならないようにと必死だった。
それにセシーラを亡き者にしたい者も多いが、ローバートを亡き者にしたい者も等しく多かった。
お陰で護衛のニールとジョーナは忙しくなり、セシーラの侍女はジューンだけという状況も続く。
「ローバート様に知られたのも今宵と同じ状況でした。そして、今のマシュー様と同じ台詞を言いましたのよ」
「・・・」
「何故、自分に相談をしてくれなかったのか、そう思っていらっしゃるでしょうね。簡単なことですわ。わたくしが嫁ぐことを反対していらしたのでしょう? そして、いつか言うつもりだったのでしょう。その時が来る前に天に召されてしましたが」
「私は貴女が嫁ぐことに反対でした。百歩譲ったとして、それでも側室という身分で構わないはずだと」
「でも陛下は小国の王女に后妃の座を用意した。それも簡単ですわね。側室として嫁いだ者は後宮に入れば外には出られません。式典のときに顔を出す程度です。帝国中を巡って鉱脈を探すなどできないでしょう」
例外として認めるのは簡単だが、それは後世に嫁いでくる側室たちへの言い訳にされる。
側室は皇族の血を絶やさないための手段で、万が一にでも違う男の子を宿すわけにはいかない。
だからローバートはセシーラを后妃として迎えた。
「マシュー様、陛下は大局を見据えていらしました。政治の世界に何事も例外を作れば、それは付け入る隙を与えることと同義で、民からは暴君と評されることでしょう」
「・・・・・・まるで政治の世界が分かっているかのような口ぶりですね」
「たしかに政治の世界が分かっているとは思っておりませんけど、例外を作れば、マショワル王国では冬を越せませんもの」
「はぁ?」
今日だけ、今回だけというようなことをして貴重な食糧や薪を散財すれば、陸の孤島になる王国では死に直結している。
薪割りをさぼれば暖房用の燃料がない。
「わたくしの処遇はどのようにしていただいても構いません。次期皇帝となる子が生まれたのちに、病死でも事故死でもお好きなように」
「・・・できるはずがないと分かって言っていますね」
「何のことかしら? それが帝国に必要なら受け入れますわよ。そのときには護衛たちも傍にはいませんし、わたくしも普通の后妃として振舞いますわ」
「今の帝国で、仮であったとしても皇帝が不在となれば、瓦解します。貴女には生きていてもらわなければいけないんです」
「承知しましたわ」
マシューはまだ聞き足りないと思っていたが壁に控えているジューンからの視線が痛いため退散することにした。
個人的にセシーラを気に食わないと思っていても皇帝の血を引いた子を宿していることは間違いない。
無事に産んでもらうことが最善の策だった。
「最後に」
「どうぞ」
「あの誘拐事件のときの実行犯は捕まえましたが、黒幕は分からず仕舞いです。にもかかわらず、なぜ捜査の中止を命じられたのです?」
「必要ないからですわ。黒幕が分かったところで帝国に益はない。それに黒幕が誰かは分かっておりますもの」
「誰が!」
「言いませんわ。これは憶測ではなく、証拠を以って確信しておりますが、罪を暴く必要はありませんもの」
これ以上は言うつもりはないとセシーラはマシューからの問いかけを全て無視した。
知ったところでマシューでは最後まで追求できずに終わってしまう。
セシーラは、それが分かっているから無言を貫いている。
「それは・・・」
「マシュー様のお帰りですわ。ジューン、よろしくね」
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
セシーラが沈黙を選んだという意味に気づいたマシューは、静かに頭を下げた。
少なくとも帝国が崩壊する可能性を秘めた人物が関与しているということまでは分かった。
だが、セシーラが后妃になることを疎んでいた人物は多いため候補を絞り切れないでいた。
カップを片付けてからセシーラのために新しいお茶を淹れる。
ローバートが崩御してからすぐにセシーラは誘拐事件の黒幕の調査を打ち切らせた。
言わなくても混乱を治めるために勝手に打ち切りになっただろうが念を入れる。
「セシーラ様」
「まさか誘拐事件だけでなく、北の塔のことも仕組まれたことだなんて思わないでしょうね」
「どうされますか?」
「・・・何もしないわ。少なくとも、あの方が表立ってわたくしを糾弾してくださっている間は、音頭が取れているから対処もしやすいわ」
あの日、何があったのかとニールたちは調べた。
帝国の情報網は目を見張るものがあるが、最終的に情報を一括で受ける者が隠してしまえば、無かったことになる。
「当日、侍女に成りすましていた暗殺者を特定しました」
「あら、見つかるとは思わなかったわ」
「はい、私どもも見つけられるとは思っておりませんでした。話を聞きましたところ、ポーシャ様を扇動する役割だったそうです」
「そう」
「また城下での騒ぎは数が多く全て調べ切れておりませんが、同様に暗殺者たちが陽動としておこしたものと思われます」
「そう」
ジューンから報告を聞くと静かに目を閉じた。
ポーシャのわがままに振り回されたこともあるが、それでも異母妹だ。
誰かに利用されていいとは思っていない。
「・・・分かってはいるのよ。彼らとて仕事として受けただけだって、分かってはいるの」
「セシーラ様、お体に障ります。お休みください」
「えぇ、そうするわ」
ランプの灯を消す寸前にセシーラはジューンを呼び止めた。
「どうされましたか?」
「ローバート様からいただいた簪の宝石は何だったかしら?」
「エメラルドとサードオニキスでございます」
「ありがとう」
「おやすみなさいませ」
今度こそ寝るためにランプの灯を消し、真っ暗になった部屋でセシーラは眠った。
倒された兵の代わりの不寝番は配置されたが、ジューンは信用せず気配を消して部屋に留まった。
報告をしたジューンは言及しなかったが、ポーシャを唆した暗殺者はすでにこの世にいない。
セシーラは扇動した暗殺者も仕事だったと言って割り切ろうとしていたが、それを言うならこちらも仕事だ。
幼い頃から成長と共に見てきたセシーラに害があれば排除する。
もし、これが暗殺者として潜入して命を狙ったというなら場合によっては見逃すこともある。
しかし、今回はセシーラの異母妹に手を下させようとしていた。
それは暗殺者が褒められた職業ではなくともプライドが許せなかった。
実際に調査をしたニールとジョーナは何もしないというセシーラの言葉を守っているが黒幕を見張ることは止めていない。
「ねぇ、ニール」
「あぁ?」
「どうして、姫様にばっかり苦難があるんだろうね。神様は不公平だよ」
「“加護”持ちが必ず幸せとは限らない」
「何それ」
「“加護”が必ず幸せを呼び寄せてくれるとは限らないって偉い人の訓示だよ」
マショワル王国にいてもセシーラの絶対的な味方はいなかった。
兄弟仲が悪いわけではないが、それはセシーラが巨万の富を生む鶏だったからという条件がついていた。
そう考えるとポーシャも金を生み出すということで可愛がられていたが価値が下がると向けられる愛情も減った。
「金と権力は人を変えるからな」
「そうね」
「なぁジョーナ」
「何?」
「どうして、姫さんについて来たんだ?」
ニールが声をかけた二人はマショワル王国でセシーラが成人するまでの護衛という約束だった。
それが一緒にナルキエンス帝国に来て侍女を続けている。
「そうねぇ。最初は金払いの良い依頼だって思ったわよ。適当にやって終わるつもりだったんだけど、名前を呼んでくれたから、かな」
「名前?」
「ほら、私とジューンは、さ。ある組織で暗殺者として育てられたじゃない? 名前って言うよりも管理番号的な意味が強かったし、最初にジョナサンって名乗ったときに、姫様ったら可愛くないからジョーナねって」
「それだけか」
「それだけって何よ。ジューンも同じこと言ってたんだから、ジョーゼフって名前をジューンに変えたんだから」
「さよか」
「まぁジューンは、姫様の教育係っていう立ち位置が気に入ってたみたいだし、もし組織に拾われなかったら家庭教師をしたいっていう夢があったみたいだし」
暗殺者というだけで人と見られることが少なく捨て駒扱いが常であるなかセシーラは普通の侍女として接した。
そもそもマショワル王国に専属の侍女という者がいないため何が正解なのか分からないまま行き当たりばったりで接していただけなのだが、それが良かった。
「今更、姫様以外の人に仕えろって言われても無理だし、それに姫様は私利私欲で命令しないからね」
「そうなんだよなぁ。それだけが不満だわ。俺たち暗殺者を何だと思ってんだって話だよな」
「そう言いながら嬉しそうじゃん」
「ま、自分で刺客を縛り上げられる姫さんの護衛なんて俺らじゃないと無理だよな」
明確な殺意や玄人相手ならニールたちが出し抜かれることはなかった。
セシーラが死んだ日に三人の使用人が辞職した。




