鬼が出るか蛇が出るか
ローバートの葬儀よりも先にミーツェの処刑だという話が纏まり、日取りが決まったころに重罪人だけを入れるための牢屋にセシーラは足を運んだ。
見張りの兵が何か言いたげだったがセシーラは黙殺し、一番奥の牢屋まで進んだ。
中にはローバートを襲い収容されたミーツェが力なく座っていた。
「笑いに来たの? 無様だって、いい気味だって」
「いいえ」
「嘘よ。ローバートに愛されているのは自分だって自慢するために来たんでしょ。お生憎様ね。貴女から奪ってやったわ」
「そうね。確かに私からローバートを奪ったわね。それは成功しているわ。おめでとう」
泣き叫ぶこともせず淡々とした口調で返すセシーラにミーツェは怪訝な顔をした。
ローバートを返してと罵られると予想していたからだ。
「でもね。貴女まだ勘違いをしているわ。ミーツェ」
「勘違い? 私が? 勘違いをしているのはそっちでしょ? 私がローバートの妻になるのに図々しくも勘違いで押しかけ女房よろしく新婚旅行までしたのはそっちよ」
「そのことじゃないのよ。勘違いしているというのは、ね」
「何が?」
「貴女、明日、処刑されるでしょ?」
「そうね。これでようやくローバートの元に逝けるわ」
死ぬことを恐れていないとばかりにミーツェは硬骨な表情を浮かべて明日への思いを巡らせた。
死んだら邪魔者のセシーラがいないところでローバートと会えると信じて疑っていない。
「そうかしら?」
「何が言いたいの? 私の処刑が取り止めにでもなったの?」
「処刑は予定通り行われるわ。でもね、私が言っているのは、己の欲望のために人を殺した貴女が彼と同じところに逝けるのかしら? そう思っただけよ」
「逝けるに決まっているでしょう? 何を馬鹿なことを」
「本当にそうかしら? 彼は一度だって己のために手を汚したことはないわ。いつだって国のために民のために、その苦悩を抱える人だった。そんな人が地獄に落ちると思う?」
セシーラが嫁ぐ前には戦争があった。
そこで先陣を切って戦い、国のために戦争を早期に終わらせようとしていた。
話だけ聞いたセシーラはローバートが味方が一人でも多く生き残れるようにと作戦を考えていたことを知っている。
「貴女は本当に彼がいる天国に逝けるかしら?」
「・・・逝けるわ。逝けるに決まってる。じゃなきゃおかしいもの」
「本当に? それなら良いのよ。でも一度も懺悔をしていない貴女が・・・己が罪を認めていない貴女が・・・本当に逝けるのかしら?」
「逝けるわ。逝けるわ。待っててね。ローバート、愛するミーツェが今・・・」
「処刑は明日よ。それに祈っておくわ。貴女が本当にローバートがいる天国に逝けるように」
ミーツェの瞳はセシーラを見ていない。
セシーラの言葉を少しでも疑ってしまったミーツェは自己暗示するように呟き続ける。
その姿に憐みの表情を向けたセシーラは踵を返した。
数歩歩いてセシーラは首だけをミーツェに向けて聞こえていないであろうが最期の言葉をかけた。
それはセシーラにできる最大限の復讐とも言える。
「そうそうミーツェ、聞こえていないだろうけど言っておくわ。もし、貴女が天国ではなく地獄に逝ったなら待っててくれない? きっと私もそこに行くからその時は現世で晴らせなかった恨みをぶつけようと思うの。だってそうでしょう? 地獄で殺しても罪ではないもの」
収容されてからの今までミーツェの元には懺悔のための神父が派遣されている。
だが、ミーツェは笑みを浮かべたまま神父の存在を認識しようとしなかった。
「・・・私もローバートと同じところには逝けそうにないわね」
「セシーラ妃」
「神父様、お勤めご苦労様です」
「これから罪人ミーツェの最期の言葉を聞いて参ります。ただ何も話してはくれないでしょうが」
「ありがとうございます」
「・・・セシーラ妃、烏滸がましいことではありますが、一度祈りを捧げに教会に足を運んではいただけませんか?」
「・・・そうですね。神父様のお導きに感謝いたします」
セシーラは教会に足を運び熱心に祈りを捧げている。
神父の言う祈りは懺悔のことだった。
セシーラは神父に挨拶をすると儚げな笑みを浮かべて護衛の兵と共に城に戻る。
「セシーラ様」
「あら、マシュー。何かあったのかしら?」
「そのような体で出歩かないでいただきたい。城の中なら兎も角、罪人のいる牢屋など・・・何かあったらどうなさるおつもりで?」
「何かあったら・・・そうね。わたくしを処刑すればいいわ。次期皇帝となる子を無事に産めなかったとして、ふふふ」
「笑いごとではございません」
セシーラとの結婚を最後まで反対し、今でもローバートが亡くなる原因の引き金となったポーシャの異母姉ということでマシューからの風当たりは強い。
二言目には次期皇帝となりうる子の親としての自覚を持つようにというのが口癖になった。
「だいたい貴女は女帝としての自覚が欠けております。ただでさえ小国の出身の王女という後ろ盾のない・・・それどころかナルキエンス帝国へたかりに来るような国なのですから少しは威厳というものを持っていただきたい」
「あらあら先月も宝石と資金援助をしたというのに、もう手紙が届いたんですの?」
「えぇ、今度は第六王女の支度金だそうですよ」
「お父様にも困ったものですわね。宝石の採掘とて無限ではないというのに・・・あれほど忠告したのに聞き入れてはくださらなかったようですわね」
セシーラが見つけた宝石は目先の利益のために売り払ってしまい残っていない。
見つけた鉱脈も日夜問わずの採掘で今では欠片すら手に入らない。
困ったマショワル王国の王は反対に宝石の産出国になりつつあるナルキエンス帝国に援助を求め、さらにはセシーラに今まで育てた恩を返せと手紙を送って来ていた。
セシーラも自由になる宝石をいくつか送っていたが、要求は止まることを知らず最初は大目に見ていたマシューも苦言を言うようになっている。
「あちらの言い分は、セシーラという貴重な“加護”持ちを嫁がせたのだから本来、自分たちが受けたであろう恩恵を渡すべきであるというものみたいですよ」
「厄介払いのように送り出しておいて今更ですわね。人は贅沢を覚えたら戻れないということをお父様はお忘れになられてしまったようですね」
「・・・いつものようにセシーラ様の鉱脈から出た宝石をお送りします」
「・・・・・・一層のこと」
「縁起でもないことを言わないでくださいね」
「冗談よ、冗談」
セシーラが女帝に就いたことを快く思っていない者は一定数いる。
そんな者が取る手段など限られているが、セシーラには護衛がいらないくらいに自衛するだけの力がある。
「安心してちょうだい。この子が戴冠できる年になるまでは守ってみせるから」
「守るのは何も貴女一人ではありませんよ。我々もいます」
「そうね。頼りにしているわ」
セシーラのことを書き記した書物は少ない。
ただ、帝国を宝石の一大産地にまで高めた女神だと言う人もいれば、その手は血に濡れた女帝だと言う人もいる。
小国の王女から女帝になるために夫を殺害したという歌劇が作られるほどに謎が多いともいえた。
それでも国民からの評判は悪くなく、帝国を豊かにしたとして受け入れられた。
最期は凶刃に倒れ、その生涯を終えた。
マシューは小言も風当たりも強いがセシーラを排除しようとは考えていない。
この混乱の中、他の誰が皇帝になっても血で血を洗う玉座の争奪が起きる。
まだ民からの支持が高いセシーラが仮初めでも玉座についている方が混乱も少ない。
「・・・そう長くは隠し通せませんよ」
「分かっているわ」
「そろそろ気づく者が出て来るでしょうね」
セシーラの妊娠は隠していても六か月目ともなると気づかれる。
食べ物や服装の些細な変化で分かるものだ。
今セシーラに亡き皇帝の血を引く子を産んでもらっては困る貴族が多い。
本当に皇帝の血を引いていなくても亡き皇帝の子であると認められてしまえば世論は一気に傾く。
セシーラを亡き者にしようとする動きはニールも分かっていた。
だからジューンもジョーナも警戒を高めている。
もちろんセシーラ自身も気を付けているが、数が多いと包囲網を突破する刺客もいた。
「彼らの包囲網を突破するとは中々の手練れですわね」
「ほぅ、替え玉か・・・よく似ているな」
「替え玉も何も、わたくしは本人ですわ。マショワル王国出身の夫を亡くした后妃です」
「はっ、后妃が暗殺術を極めているはずないだろう」
「それは思い込みというもの・・・それにお喋りは寿命を縮めますのよ」
「くっ」
寝込みを襲われたセシーラは枕の下に隠していたナイフで攻撃を防ぎ侵入者と対峙した。
ほんの一瞬の体の動きを見定めたセシーラは手首の袖に隠したナイフを投げる。
さすがに手の内を知っている暗殺者は喉元を狙ったナイフをかわした。
「ナイフ投げは得意のようだな。だが手の内を知っている者には効果は半減だろう」
「そうとも限りませんのよ」
「うっ」
「ナイフの刀身に二種類の毒を塗っておりますの。ひとつは痺れ薬・・・逃げられては困りますから。もうひとつは遅効性の神経毒・・・万が一、逃げられても死んでいただけるように・・・わたくしは息の根を止めるときは手を抜くなと教わりましたの。もう・・・聞こえておりませんわね」
「セシーラ様!?」
暗殺者の心臓が止まったことを確認していたセシーラは焦った様子で飛び込んで来たマシューを感情のない瞳で見た。
床には暗殺者と思しき男とナイフを握り締めたセシーラがいた。
マシューはかける声を失った。
「こんな夜更けに淑女の部屋にノックも無く入るなど・・・」
「そんなことを言っている場合ですか! 一体、何があったのです!?」
「見たままのことですわ。わたくしの命を狙って来た暗殺者をわたくしが返り討ちにしただけの簡単なことです」
「簡単? どういうことです?」
「わたくしは暗殺術を極めておりますの。そう申しましたらマシュー様はどうなさいます?」
セシーラの目には怯えも何も浮かんでいない。
マシューは背筋に冷たいものを感じ勢いよく振り返った。
そこには何の気負いもなく腕を組んで壁に凭れたニールがいた。
「お話し中、失礼いたします。セシーラ様は身重でございますので何か温かいものをご用意させていただきます。またその床の男の搬出もございます。隣のお部屋にご移動を願いたいのですが」
「そうね。まだマシュー様も混乱なさっているようですもの。ジョーナは?」
「本日、セシーラ様の扉の護衛を務めていた兵の手当てをしております。気を失わされていただけですので命に別状はありません」
「そう・・・」
「ですが、手首の腱を切られておりますので二度と剣を持つことは叶いません」
一流の暗殺者は標的以外を殺さないことを信条にしている者が多い。
だが仕事の障害になる者の戦力を除くことは躊躇いをもっていない。
今日が不寝番だったことを恨むしかなかった。
「・・・・・・セシーラ様」
「何でしょう?」
「なぜ暗殺術を極めたのです?」
「・・・・・・生きるため」
人を殺す技を極めたからと言ってセシーラは人を殺すことに躊躇いを持っていないわけではない。
気づかれないように震える両手を握り締めた。




