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冬来たりなば春遠からじ

 国民にお披露目をしてからすぐに新婚旅行という名の視察に出向いていた二人は教会で宣誓を挙げていない。

本当なら視察から戻り次第すぐにでも挙げる予定だったが、予定外にポーシャとミーツェの騒動を収めるのに時間がかかり忘れていた。


「そうだ。セシーラ」


「はい、何でしょう? ローバート様」


「宣誓をしていないということで教会から要請が来た。ようやく国の情勢が収まりつつある時なのにと思うが、半年後に考えている」


「かしこまりました」


 朝食を摂っているときに思い出したかのようにセシーラに伝えるローバートだが、セシーラは気にした様子もなく頷いた。

セシーラと個人的に親しくしたところで家の利益になるわけもないので、呼ばれるお茶会も夜会もほとんどない。

それならばとバザーに出すためのハンカチやカーテンに刺繍をする日々を過ごしている。


 宣誓を上げるときには神への正装をする必要があるのでセシーラの体形の採寸がおこなわれた。

普通の令嬢よりも筋肉質であることを怪しまれるが“石の加護”のために山を歩くことが多いと誤魔化した。


「・・・セシーラ様」


「なぁに? ジューン」


「当日は、わたくしを始めジョーナもニールもいません。くれぐれもくれぐれも、本当にくれぐれも大人しくしてくださいね」


「そんなに念を押さなくても大丈夫よ」


「そう言って、皇帝陛下に知られてしまったのは誰です?」


 ローバートは黙っていてくれているようで、宰相であるマシューにも伝えていないようだ。

マシューはセシーラを疑っているようだが、マショワル王国よりも警備が万全なこの城で危険なことが起きることもなく風変わりな王女という評価に留まっていた。

普通の令嬢は野営などできないのだが、セシーラは特に苦労することなく順応したことが怪しまれるきっかけになった。


「今は陛下のお心の中で済んでおりますが、他の方に知られれば幽閉ではすみませんよ」


「離縁かしら? それは困るわ」


「離縁・・・そうですね。ある意味でそうですね」


「どういうこと?」


「暗殺を企てたとして処刑です」


「そんな! 困るわ。処刑されたら帝国に嫁入りできないじゃない」


「セシーラ様・・・ちょっとそこにお座りください。今どのような状況か。詳しくお話します」


 セシーラのどこかずれた結婚観のせいでジューンの逆鱗に触れたと分かっても遅かった。

どれだけ危険な状況か、どんな立場なのか、神経が擦り減っても終わらないジューンの講義は明け方まで続いた。

食事は部屋に運ばれてマナーを確認されながらセシーラは一日を過ごし、精根尽き果てた状態で僅かな仮眠を取った。


 ジューンによるナルキエンス帝国の歴史講座は続き、暗唱できるようになるまで根気よく繰り返された。

そのおかげで宰相からの小言が少しだけ減少したのは僥倖だった。

宣誓式を明日に控えて早めの就寝をするためにローバートに挨拶をしたセシーラは廊下で呼び止められた。


「セシーラ様、よろしいですか?」


「はい、マシュー様」


 宣誓の段取りを最終確認したいとマシューは説明した。

セシーラが后妃になることを未だ認めていないマシューは何かにつけてセシーラの粗を探している。

そのことにセシーラは文句を言うつもりはないし、いくら王女と言ってもナルキエンス帝国の貴族より格は下だと理解していた。


「ひとつ、よろしいですか?」


「何でございましょう」


「本当なら貴女がこのまま后妃になるのは好ましくないのです。国内外に付け入る隙を与えることになりますから」


 セシーラの異母妹であるポーシャとミーツェがしたことは記憶に新しい。

そのポーシャも厳重な監視のもとマショワル王国に送還されたが、いくら箝口令を布いても人の口には戸が立てられない。

貴族たちは表立って言わないだけで知っている。


「別にわたくしは構いませんわよ。このまま幽閉し、必要に応じて鉱脈を探す。それでも文句は言いませんわ」


「できるわけないでしょう。言ってみただけです。貴女を幽閉すれば、それこそ暴動が起きますよ。いえ、革命と言えるレベルでしょう」


「御冗談を」


「冗談ではありませんよ。貴女の民からの人気は陛下を凌ぐものがあります。見つけた鉱脈によって働き口が見つかった者、宝石の加工職にありつけた者・・・恩恵に預かった者は多い」


「さようでございますか」


「貴女を幽閉すれば、喜ぶのは貴族だけです。それも年頃の娘を持つ、ね」


 山しかなく地場産業というものを欲していた領地を治める貴族はセシーラを歓迎していた。

税収が上がり帝国としては不満はないが、問題を起こしたのがセシーラの異母妹というところに一抹の不安を残している。


「それでも個人的には貴女を排斥したいと思っていますよ。問題ありと判断すれば陛下が何と言おうと国に帰っていただきますよ」


「わかりましたわ」


「そうそう、明日のことですが、私の勘違いでございました。お時間を取らせてしまい申し訳ございません。妃殿下」


「構いませんわ。それでは明日に備えて休みますが問題はありますかしら?」


「いいえ、おやすみなさいませ」


 刺客が送られてくることもなくセシーラは心地の良い目覚めを迎えた。

侍女たちによって飾り立てられたセシーラはいつも隠し持っているナイフや鞭がないことに落ち着かない様子を見せる。

その動きが緊張によるものだと解釈されたが、部屋に迎えに来たローバートには見抜かれた。


「悪いが、さすがに無理だ」


「何も申し上げておりません」


「無いのが落ち着かないんだろう?」


「・・・はい」


「参列する者は入る前に武器がないか確認される。もし襲われてもセシーラなら素手で大丈夫だろう?」


「それでも普段の習慣の動きというものは侮れませんことよ。一瞬の隙で決まるものです」


 セシーラがそう力説するものの武器類を教会に持ち込むことを許可するわけにはいかないとローバートは苦笑する。

頬を膨らませるセシーラが愛おしいとローバートは胸ポケットに刺していた簪を取る。

侍女たちの渾身の作である髪型を崩さないようにローバートは簪を刺した。


「ローバート様?」


「思えば贈り物らしい贈り物をしていなかったからな。受け取ってくれ」


「今、見てもかまいませんこと?」


「いや、髪型が崩れると侍女たちに怒られるからな。終わってからにしてくれ」


「なら刺す前に見せてくださればよろしいのに」


「そうだな。すまない、セシーラ」


 二人を乗せた馬車は騎士団に護衛されながら歴代の皇帝が宣誓を挙げた教会に到着した。

すでに参列者は座っており主役である二人を待っている状態だった。

ローバートが笑いながら手を差し出すとセシーラは手を重ねる。

祝福する曲が穏やかに演奏されると神父のもとまでゆっくりと歩く。


「神の名のものに二人が夫婦となることをわたくしが見届けさせていただきます。生涯の伴侶として認めますか?」


「認めます」


「はい、認めます」


「では、指輪の交換を・・・」


 神父を見ていた二人は向かい合いトレーに乗った指輪をローバートは手に取った。

恥ずかしそうにしながらセシーラは左手を差し出す。


「ぐっ」


「ローバート様?」


「うふふ、そうよ。やったのよ。あはははは、これでローバートは私のものよ!」


「何をしている! 捕らえろ」


 ブーケを持って控えていた修道女が刃渡り二十センチのナイフを両手で握り締めて嗤っていた。

その女は顔の半分を薬品で焼かれたミーツェだった。

そして躊躇いもなくローバートの脇腹に刺したナイフを同じように躊躇いもなく抜いた。

真っ赤な血が噴き出し、その傷の深さからローバートが助からないことは誰の目にも明らかだ。


「ローバート様!? 早くお医者様を!」


「セシーラ・・・」


「しゃべってはだめ! 早く止血を」


 参列者が武器を持っていないかどうかは確かめるが、神父や修道女が持っていないか確かめることはない。

その盲点を突かれてミーツェによるローバート襲撃は完成してしまった。

セシーラが必死に手で血を止めようとするものの医者が来るまでに時間がかかり、その前に失血死となる。


「セシーラ・・・指輪を」


「こんなときに何を!? だまって・・・」


「きれいだ」


 赤く染まったセシーラの左手にはローバートから指輪が填められた。

セシーラもローバートの傷の深さから助からないことは誰よりも分かっている。

トレーに残ったままのローバートの指のサイズに合わせられた指輪をセシーラは震える手で持つと同じようにローバートの左手に填める。


「ローバート様?」


「・・・」


「いや、いやぁ、ローバート様! 起きて、ねぇ、ねぇ、お願いだから、わたしの、わたしの我がままを聞いて、ねぇ」


 セシーラがどれだけ呼び掛けてもローバートが目を覚ますことはなく、そのまま息を引き取った。

皇帝の突然の崩御に民は驚き、そしてローバートの命を奪ったのがナルキエンス帝国の元侯爵令嬢だということに驚きを重ねた。

すでに貴族籍から抜かれているものの過去にセシーラを襲ったことがある令嬢だということは知れ渡った。

その責を問われ、ミーツェの生家の侯爵家は男爵位に降格となり小さな地方領地を治めるという処分を受ける。


 ローバートを失った悲しみを嘆く暇もなくセシーラは虎視眈々と皇帝の座を狙う者たちの相手をすることになる。

セシーラをマショワル王国に返すという声と公爵家から婿入りさせてその者を皇帝とするという声と様々だが、誰もローバートの死を悲しんではいなかった。

ローバートがいたからナルキエンス帝国のために己の役割を果たしたセシーラは、すべての喧騒から逃れるように城のバルコニーに立っていた。


「ここにいたのですか? 探しましたよ」


「探す? 必要ないでしょう? 正式な后妃ではありませんもの。宣誓式が途中で終わり神父の承認がなされていない以上、わたくしは良くて側室、悪くて愛妾」


「それでも民の間では貴女は皇帝の妻であり、后妃です。護衛もつけずにうろつかないでいただきたい」


「護衛ならいますわよ。それにあれからひと月も経つのに葬儀すら行われておりませんわ。みな次の皇帝の椅子が大事なようですね」


「・・・・・・お戻りください。御身はすでにお一人のものではございませんことをご理解しているはずです」


 ローバートを失ってからセシーラは塞ぎがちになり食も喉を通らない日が続いた。

そしてセシーラの体にその兆しは現れた。


「お聞きになりましたのね」


「はい、まだ医師とセシーラ様以外では私しか知らないでしょう。この混乱の最中では気づきようもありません」


「今更、護衛を増やしたところで怪しまれるだけです。それに足手まといは不要です」


「何を仰っているのです? 訓練を受けた兵が足手まといなどとは・・・」


「・・・・・・これでも訓練を受けた兵の方が上だと言えまして?」


 セシーラは袖口に隠し持っていたナイフをマシューの頬ぎりぎり目掛けて投げた。

マシューも宰相になる前にはローバートと一緒に軍事演習に参加したことがあった。

早い剣筋を見極めるために動体視力には自信があったがセシーラの投げたナイフはおろか目の前で見ていた腕すらも視認できない。


「セシーラ様?」


「わたくし、ナイフ投げは得意なんですの。まぁ困らせるのは本意ではございませんから戻りますわ」


 マシューは背筋に冷たいものを感じ振り返った。

視線の先には誰もいないことを確認し、胸を撫で下ろす。

投げたはずのナイフがないことには意識は向かない。

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