現原夜風の「夜盗」
順風満帆―、追い風を受け、帆がいっぱいに膨らむこと。転じて、物事が順調に思い通りに運ぶことのたとえ。
例文、「順風満帆の人生」
春を迎え、最高学年へと進級した俺の中学校生活を言葉にするならきっとこいつが一番適切だろう。成績は中の上、部活は帰宅部、良い奴とは大体友達、悪い奴とは無縁・無関係☆。人望だってある。1年生の頃は委員長だってやったもんさ。
まぁこれだけならどちらかと言うと平凡ってやつなのかもしれない。無難だとか、普通だとかそこら辺。
しかしだ、そんな俺、現原夜風 (あまはら よかぜ) の人生にとんでもない追い風が吹いてきたのはつい最近のことだ。あまりの強風にマストが折れないかと冷や汗が垂れるレベルで、面舵も取り舵も効かない、問答無用の神風が。
恐らく現在、この日本でただ俺一人だろう。俺は夜に起きられる体になった。とりあえず、順を追って話すことにする。と言っても、俺も何もわかっていないのだけれど。
………
終業式を終えて、日常が春休みへと移行した3月。俺は誕生日を迎え、14歳になった。自分の誕生日の翌日とその半年後、俺達国民は睡眠導入物質の装填が義務付けられているのは常識だ。
というわけで俺も母親に連れていかれ、国営病院に行った。待合室に行くと装填待ちの人が何人かいるわけなんだが、やはり毎年ここでのみ会う人がいる。そこに同年代らしき女子とかを見てしまうと、あっちも俺のこと実は気づいてるのかな?とか考えてしまうのも、現代を生きる中学生の常識だな。…これはウソだ。
しかし、「袖すりあうも多少の縁」などとのたまうのであれば装填日が被るのも小さな運命ではないだろうか。
「あの人と結婚すれば将来一緒に装填しに行くことになるのか…」
しかし、すかさず隣の母親におよそ思春期の少年に向けるべきでない冷たい視線と共に
「アンタ、気味が悪いからやめな」と釘を刺された。もちろん多感な思春期の少年は、いたく傷ついた。
この日の検診は何の滞りもなく終わった。俺に装填の注射を打った医者の様子も、俺を囲む看護師の様子も、半年前と何も変わらない。大きくなったね、だなんて社交辞令も去年と一文字も変わっちゃいなかった。
しかし、この日の夜。俺達の約束された眠りの時間に、俺は突然に目を覚ました。
時刻は深夜1時15分。
体が毒虫へと見事な変貌を遂げたどこかの主人公は目を覚ましてから自分の状況を把握するのにいくらか時間を要したらしい。だが、俺はすぐに理解できた。俺はいま、起きるはずがない時間に目を覚ましたのだと。
そして目を覚ました原因が尿意であることも看破していた。
とりあえず俺はトイレに行った。
水がちゃんと流れるのかと不安だったが、ちゃんと流れたのでよかった。
放尿を済ませると、とりあえず部屋には戻るのだが自分が置かれた状況とは裏腹に周囲が何も変わっていない様子なので、これは夢なんじゃないかと思ってしまう。しかし、そうだとしたら自分がおねしょをしている可能性が盤石なものになってしまうため、先程のトイレは現実のものであると自分を納得させた。
しかし、順応性の高さに定評がる夜風君だ。とりあえず無様に取り乱すことはしなかった。
何故俺は起きているのだろうと一通り思考してみたが、思い当たる節はなかった。部屋の照明のリモコンに手を伸ばしたが電気の供給はストップしているようだった。そういえば社会の授業で習った気がしないでもない。
俺は暗い部屋でベットに腰かけながら考察を続けた。もし、自分の人工臓器や睡眠導入物質に異常が生じたのだとしたら、それはどう考えても今日の昼、装填の中で何かあったと考えるべきだろう。以前、友達から聞いた眉唾ものの噂話の中に、国営病院には睡眠導入物質を分解するアンチ睡眠剤が配られている、というのがあったのを思い出した。本来は法令の時間帯に容体が悪化するであろう患者を処置する医者のために置かれているらしく、裏の人間に高額に売りつけているだとか。
しかし、万が一にもそんなことがあるだろうか。間違ってそんなものを打たれ、アンチ睡眠剤なんてものの存在が露呈すれば、どのような大義名分があっても批判、いや法律の崩壊さえ免れないのではないだろうか。みんなが寝ている中、一人でも自由に行動できますなどプライバシーも家内安全もあったものではない。
「とりあえず明日病院にいってみよう」
自分の体に何が起きているかわからないという気味の悪さと、警察に捕まるのだろうかという恐怖感から、とりあえずお国の方々に全部任せることにした。
考えることに飽きた頃、ふと部屋のカーテンが揺れた。そういえば寝る前に窓を開けて換気をしていた。なるほど、確かにこのまま寝てしまえば体が冷え尿意も高まるかもしれない。
「というか、風邪ひいてたかもな」
自分の体が発する異常にも気づけない睡眠など本当に質の高い睡眠といえるのだろうかと、心で毒づきながら腰を上げ、カーテンを開けた。
その一瞬、何が起こったのか分からなかった。窓の向こう、眼前の景色が徐々に白く輝きだした。家の前の道路、向かいの家の屋根、輝きはどんどん範囲を広げ、やがて窓枠からはみ出していった。
「すっげ……」
俺は思わず窓から身を乗り出し、周囲に目を遣った。
それは単純な現象、ただの雲間だった。頭上高く、厚い雲の切れ間から白い月が現れ、街を照らしていたその瞬間に過ぎなかった。
順応性に定評がある夜風君は無様に取り乱すようなことはしない。しかし、それは大体のことにたかをくくっているからだ。どこか諦めていて、なにか冷めている。俺の人生に冒険など、絵に描いたような青春など起こりえないのだと。
俺は気が付くと自宅の屋根に登っていた。まるで月明かりに吸い寄せられるようだった。きっと俺はとにかく高い所に行きたかったのだろう。
屋根に登ると先程よりも街を一望することができた。電柱、鉄塔、少し遠くには俺が通う学校。そのすべては白い輝きに照らされ、広く遠く野原のように広がっていた。
「あぁ…」
もうだめだった。急速にとこみ上げてくるものを抑えることなどできなかった。それは興奮とか。感動とか。
そして、期待や希望!予感!確信!
「あぁ……あぁ!」
俺の平凡をぶっ飛ばしたそれらに、体はあっという間に支配された。
「あああああああああああああああああああ!!!!」
病院なんていくもんか。警察なんて知るもんか。俺が手に入れた俺の冒険は……!
「全部俺のもんだ!!!!」
………
っとまあこんな感じのことが起こったわけだ。それからはまぁ朝起きる苦労とか、なかなか寝付けない日とか半世紀前あるあるみたいなものを俺も経験している。中でも朝は遅刻しないようにしなければいけないから正直キツイ。
「おう、夜風。おはよう!」
「おーっす、ふわぁ~」
「朝から欠伸って相変わらずだな。不思議な体してるぜ」
まぁ男子中学生とはあまり深く考える生物ではないので、怪しまれる心配はあまりない。
朝を自力で起きる代わりに得ることができた夜の冒険はめちゃくちゃに楽しい。初めこそ、自宅周辺の散歩とかで終わっていたけれど今ではもう湯水のようにアイデアが湧いてくる。この前は鉄塔に登ってカラオケをした。カラオケと言っても電気供給はないのであらかじめ携帯に音楽をダウンロードしておいて、ただそれを流しつつ歌うくらいのものだ。
しかし、月のスポットライトに照らされた俺のワンマンライブというものは非常にテンションが上がった。
そして今夜、実行するアイデア今までとは一線を画している。世の中には超えちゃいけないラインってものが存在するらしいが、恐らくそいつをゆうに越してしまったアイデアだ。
俺は今夜女子の家に忍び込もうと思う。
朝のホームルームを終えると、行儀よく座っていたクラスが徐々に崩れていった。クラスが思い思いの動きを見せる中、俺は今夜の計画を練り続けた。
ターゲットはクラスメイトで人気者。吉良頼 綺羅々(きららい きらら)さんだ。もちろん彼女に何か恨みがあるわけではない。むしろその逆、俺は彼女に片思いしていた。つまり簡単に言うとこのアイデア。原動力は恋心もとい、性欲である。
ああ、黙れ黙れ。俺に残されたわずかばかりの良心よ。早まるな、だなんて言うんじゃない。
早まってこその恋だろう。誤ってこその青春ではないか。超えちゃいけないラインなんて、スタートラインみたいなもんだろ?
自分に問答をしているうちに無意識に彼女に目を遣ってしまっていた。後ろを振り向いた彼女と偶然目が合った。手を振ってみようかと考えてはみたが、逡巡しているうちにあっちが元の向きに戻ってしまった。
俺は別に女子と話すことが極度に苦手というわけではない。初めに言ってあると思うが、クラスメイトとの関係は男女問わず良好だ。(それに顔もそこそこ悪くないと思っている)
そんな俺がなぜ告白せず、夜な夜な部屋に忍び込むまで恋心を拗らせてしまったかというと、俺と彼女の間にひと悶着あったからだった。
そうだな、折角だからその話もしようか。およそ5ヶ月ほど前、雪の降る聖夜の出来事だ。初めに訂正しておくと、俺は告白していないわけではない。いや、これも正しくないのか?……何をもって「告白」が完了となるのか、誰か俺に教えてくれ!―――――――――
………
「クリスマス会しようぜ!」
「は…?」
俺の後ろを歩いていた哲人が突然声を上げた。俺や他の友人達も体育館の寒さと体育着の意味のなさに多少イライラしていただけに、誰もすぐには反応できなかった。
「だからークラスでクリスマス会しようぜ!夜風委員長じゃん、企画してくれよー」
「はぁ…テツ、急に何言ってんだ。ヤだよ、面倒くさい」
俺はわざと大げさに息を吐くと、立ち上る白い息で煩わしさを表現した。
「えぇーー!頼むよ!ほら、二年になるとクラス替えあるだろー?」
「いやまぁね。悲しいけれど仕方ないことだろ」
テツは掲げるように揃えた両手の下から懇願するように俺を見上げていた。
「いやさー、俺…好きな人いるんだよね」
「それも知ってるよ、佐倉さんだろ?……って、お前まさか!」
「そう…そのまさかだ!俺はクリスマスに彼女に告白したいんだ!」
なるほど、この男なかなかやり手じゃないか。確かに俺にも片思いの女子、吉良頼さんがいる。しかし、彼女に告白する気は正直言うとあまりなかったりするのだった。もちろん好きではある。締め付けられる胸の苦しさに悶えた放課後もあった。それでも告白するには、男子力、覚悟、タイミング、それらが満ち足りない限りはするものではないと考えていた。
だが、心の底ではもちろん気づいていた。それらはくだらない言い訳に過ぎないことを。
計画的なフリをして、逃げ続ける俺に対してテツの素直な男らしさはわずかに俺の感情を揺さぶった。
「なあ、夜風頼むよぅ。お前も好きな人とかいないのか!?協力するからさ!」
いい機会かもしれない、理由は分からないがふとそう感じた。いつまでも揃わない条件を盾に、逃げ続けていても望みが叶うだなんてあり得ない。虫が良すぎると、そう思う。
俺も告白したい。思いを告げたい、募る想いを解放させたい。
この時、揃うはずのない条件がまるで揃ったかのような全能感に包まれたのを覚えている。今までの俺はどうして皆が「告白」をできるのか不思議でしょうがなかった。しかし、その疑問は間違っていたのだ。恐らく、みんな「告白」をしたいのではなく、募る想いに押しつぶされるような形で言葉が出てきてしまったのだろう。引き金を引かれた水鉄砲のように、それを我慢するのはおよそ人間では無理なのかもしれない。
きっとコミュニケーションが生じたその時から、言葉が生まれた瞬間から、僕らは恋をせずにはいられないのだ。
逆らいようがないものなのだと分かれば、後は今までの時代に乗っかるだけでいい。
というわけで俺は、友情半分、下心半分でクリスマス会を企画することを承諾してしまった。
「仕方ねーなー、やってやるよ」
「…本当か!?本当か夜風!ありがとう、嬉しい、やったー!」
テツが俺に掲げていた手を今度は万歳に切り替えて、くるくるとその場で踊りだした。調子のいいやつだが、まあ友達が喜ぶ姿を見て嫌な気持ちになる奴はいない。
しかし、クリスマス会か…。どうせなら何か大きな、特別なことをやりたいな。
「なになに!?クリスマス会やるの?いいじゃんいいじゃん!」
テツがでかい声で話していたからか、どうやら周りの女子達にも聞こえていたようだった。男子中学生というのは得てしてスケベ心を隠したがる。だからクリスマス会を開いて、そこで女子達と一緒にキャッキャしようなどと軟派なことは言いにくいものだが、その点に関してこの女子達は頼もしい。イベント事には全力投球かつ、盛り上げ要員を頼んでいないにも関わらず勝手に引き受けてくれるため非常に物事が進行しやすくなる。
世の中の委員長諸君よ、覚えておくがいい。クラスで何か行う時は、まず女子を味方につけるのが鉄則だ。スケベな男子はだいたいそれについて行く。
「そうなんだよ、俺達の夜風が企画してくれるってよ!」
「夜風君、やるぅ~!」
「なに、クラス会?俺らもいっていいやつ?え、全員?」
「お、24日ちょうど土曜日じゃん!学校ないし、どっかの店貸し切ってできるんじゃね?」
だんだんと人だかりが大きくなり、寒々しい体育の授業は一気にざわざわと騒がしくなった。
「マジでー!?おいおい計らずして最高のタイミングだな!」
ってお前は提案しといて日取りも計ってなかったのか。
「ねえねえ夜風君、じゃああのお店にしようよ-。駅前のさ、すっごいお洒落な…」
「ああ、うん。えっと…」
クラスの盛り上げ隊が突然に迫ってきたので、思わず目線を逸らしてしまったのだが、その先には吉良賴さんがいた。吉良賴さんは取り巻きの女子達と笑顔でクリスマス会について話していた。
テツにも負けないくらいお調子者の俺は、すっかり気が大きくなり、思いついたアイデアをつい口走ってしまった。ついでになんだか格好つけてしまった。
「いや…どうせならもっと大きくいこうぜ」
ついでに妙に芝居がかった身振り手振りも加えてしまった。
「俺達のクラスに敬虔なキリシタン諸君はいるか?もし、いないのであれば…クリスマスイブは不法侵入と洒落こもうぜ!」
「「「は、はぁ~~~~!?」」」
ああ…もし俺が死んだら、お調子者が落ちる地獄にでもいくのだろうか。