7. 助ける理由は……
ジーンの回復は順調だった。特に大きな問題もなく、日々は流れていった。それこそ、新たな刺客に襲われることもなく……。
マナもジーンもそれに関しては、ひどく敏感になっていた。警察さえ、本当に信じていいのか疑ってしまうくらいに。なぜなら、その実行犯はまだ捕まっていなかったからだ。犯人像はどういった類の人間なのか、確実に掴んでいるのは、マナとジーンだけなのだ。いや、もう一人いた。
室内の壁にぴったりと椅子をつけて座っているレグルスに、マナは視線を向けた。腕組みをして座るその姿は、門を警護する警察官のよう。彼は手術室に運ばれてゆくジーンを見たあの日から、度々こうやって足を運んでくれる。彼はマナがいると気を使って、〝出直してくる〟と言うのだが、今日ばかりはそう言って立ち去ろうとする彼を引き留めた。
相変わらず見舞いに訪れては、二言、三言発するだけの男なのだが、それでもジーンにとっては初めての〝友人〟とでも言える男なのかもしれない。確実に表すなら、〝戦友〟のほうが正しいのかもしれないが……。
しかし今日に限っては話すことがあるらしく、マナの引き留めも断ることはなかった。それどころか先程から、何かを考えている。話す内容を考えているのか、はたまた第一声を考えているのか……。普段は豪胆なレグルスだが、妙なところで神経質なのだ。
そんな彼が何かを決めたといった様子で、話し始めた。
「犯人は研究所に買われた人物であることは、やはり間違いなさそうだ」
マナもジーンもその話題が出た途端、日常の少し弛緩した空気に一本の見えない鋭い糸が通ったような気がして、誰もが背を起こした。
「奴らは確実にお前たちを消そうとしている。いや、もしかしたらその中に、オレも入っているのかもしれない……」
空気の流れが途端に止まる。自分の力で身体を動かさなければ、このどろりとした液体から固体に固まる途中のような空気は動かない。そんな錯覚に囚われる。
「そうだな。俺も同じことを考えていた。奴らは見つけたんじゃないか? カイルのデータを」
自身が考えたその仮説を、レグルスにぶつける。今この状況で自由に動き回れて、情報収集に長けているのは、ジーンのまわりにいる人物の中ではレグルスだけなのだ。ケイロンは新たな大陸に旅立ってしまったことは、イリーナから聞いた。こちらの動きもジーンとしては気になるところだったが、今は自分自身の身の安全を考えるべきだと、どこかが警告する。
そして思った通り、レグルスはそれに関する情報を握っていた。
「その可能性は高い。どうやらクラヴの街の港に、珍しく海底探査機がつけていたらしい。かなり大きいものだったから、相当なでかい企業のものなんだろうけれど……、それに関する情報は誰も出してはくれなかった」
〝出してはくれなかった〟。そんな言葉を使った、レグルスのその状況を想像してみる。きっと金を出そうとしたか、何かを担保にでもかけたかして、聞き出そうとしたのだろう。それでも相手は話したがらなかった。その金額以上に、話さないでいるほうが安全だということなのだろう。ということは、相当なバックがついている。
ジーンはレグルスの言葉の奥にあるものを、そう見当をつけた。ある意味では、ジーンの言葉を半分くらい肯定しているということになる。
「そうか……」
ジーンはその言葉で受け止めた。レグルスも、ジーンのその反応で伝えたいことは言葉以上に伝わったのだな、ということを確信したようだ。それに関しては、それ以上語ることはなかった。代わりに、思いもよらない情報を彼は持ってきた。
「それともう一つ。この街に警察が集まってきている。どうやら、爆発騒ぎの実行犯を捕まえるためだけではなさそうだ」
「警察?」
予想もしなかった単語を聞き、ジーンはレグルスの話の先を促した。
「あぁ。街のあらゆる場所の警備を強化しているみたいだ」
「でもそれってやっぱり、犯人を捕まえるためなんじゃないの?」
唐突にマナは、自分の考えを口にしてみた。二人の間だけで話が進んでゆくことに、変に孤独を感じてしまったからだ。だがマナのその意見は、レグルスによってやんわりと否定されてしまった。
「それも目的の一つとしてあるのかもしれない。だが第一の目的としては、街に集まってきているごろつき連中を監視するためなんだろうよ」
「ごろつき?」
ジーンは不思議そうに繰り返した。ずっと病院にいて、今のウインドミルの状況が見えないジーンにとっては、意外なことだったのかもしれない。
「あぁ。ここ最近、妙な奴らがこの街に集まってきているようだ。どういうルートでこの街に入り込んだのかはわからないが、警察もやたらとうろついている」
「……言われてみればそうかも。でも、あんまり気にしてなかったな」
「いや、そこ、気にしようよ……」
「ほんっと、能天気な女だな……」
二人から同時にそう突っ込まれたが、心なしかレグルスの言葉には嫌味さえ感じる。むっとした感情をレグルスに向けて露わにすると、まるで虫でも追い払うように手をひらひらさせた。本当に、むかつく男である。
その間でジーンは、〝まぁまぁ〟といった感じに、宥めようとしている。そんな中で一切気にすることなく、レグルスは話を続けた。
「あいつら、ごろつきって言っても、ただの傭兵くずれじゃない気がするんだ。プロ集団が集まって、ごろつきっぽくふるまっている……。しかもこのタイミングでこんなことが起きているって時点で、やはり疑うのは……」
レグルスの言いたいことを察したマナとジーンは、沈黙という肯定で返した。
「十分注意したほうがいいな」
ジーンは小さくそう呟いた。それに対して、マナもレグルスも深く頷いた。
結局マナはジーンが退院するまで、病院のジーンの部屋で日々を共にした。あの爆弾事件以来、一人で宿に寝泊まりするのも危険と判断してのことだ。しかし、相手は怪我をしているとは言え、常に二人で過ごすことは、なんだか落ち着かない。妙にお互いそわそわして、片や読書をして過ごし、片やテレビを見て過ごし、結局無言でいる時間のほうが増えた。だけどそのほうが自然でいい。妙に気を使われたり、意識されたりするほうが、疲れるというもの。次第にそれに慣れてきて、退院する頃には、沈黙の時間さえも必要なことと思えるようになっていた。
そして退院の日、病院の入り口ではレグルスが待っていた。彼は彼なりに心配しているのだろう。〝どうせやることもないし、暇だから付き合ってやってる〟と、見舞いに来たときにそう漏らしていたが、それは本心を隠すための体の良い言い訳なのだろう。
それにしても今の彼のいでたちは、これからジョギングにでも出かけていきそうな、灰色のパーカーにスウェットのパンツという軽装である。いや、実際に普段から朝はジョギングをしてから一日を始める、というタイプかもしれない。じっとしているほうが苦痛だ、というレグルスなのだから。
しかし今日はどうもそれだけではなさそうに見える。肩には私物が詰め込まれているであろう、ショルダー型のボストンバッグを下げ、これから旅に出るといった風貌にも見える。そんな荷物を肩に下げたまま走る、というのも何かおかしい。それとも、ジョギングに行ってそのあと着替えることが面倒で、そのまま来たというパターンだろうか。
いずれにせよ、何かの選手に見えると思ったのは、マナだけではないようだ。
「レグルスさんは、これから強化合宿ですか?」
ジーンはそのいでたちに軽口を叩いた。それに対してレグルスは薄く笑ってこう返した。
「〝合宿〟で済むんだったら、願ったり叶ったりだな」
その意味深な言葉に、疑問符を浮かべていると、レグルスは二人に顔を寄せて小声でこう言った。
「あいつらの動きが活発になってきている。もしかしたら、奴らは本当にオレたちを標的にしているのかもしれない」
その〝奴ら〟が、ごろつきのことを言っているのか、警察のことを言っているのか、はたまた両方を指しているのかはわからないが、レグルスが軽装でいる理由が薄々わかった。
「……そうか。なら、心してかからないとな」
ジーンはひとまず、この場はそんな短い言葉で終わらせることにした。どこで誰が三人を監視しているかわかったものじゃないから、ということなのだろう。
三人は街の港に向けて歩き出した。この街から出ている定期便に乗り、ケイロンが向かったクラヴを目指すことに決めたのだ(それでもジーンはまだ、ウィズの街への未練を断ち切れていない様子だったが……)。
街の大通りを歩く。相変わらずの強風に、街の人々も心得ているのか、温暖な気候にもかかわらず、コートのような上着を必ず着用していた。その街の様相に馴染んでいない三人は、ひたすら我が道を行くように歩を進めるばかりだった。
「おい」
「あぁ」
ジーンとレグルスは唐突に、そんな手短なやり取りをした。その瞬間、マナも薄々勘付いていたことを確信へと変えた。さっきから数メートル後ろを歩く人物、その人物たちの顔触れが変わっていないのだ。通りを挟んで向かいの歩道を歩く人物もだ。
そのとき、目の前を歩く二人が互いに目配せをしたことに気づいた。すると次の瞬間、
「ッ!!」
二人は二手に分かれて走り出した。マナは急激に引っ張られ、一瞬だけ視界ががくんとなり、衝撃を受けた。だがそれはジーンに手を引かれたことによって生じた衝撃だということに気づいてからは、おいていかれないように自分の足で必死に走るのだった。
細い路地を次々と曲がってゆく。でたらめに走っているのだろうかと、最初は思った。だが最終的に向かおうとする方向は、街の郊外だった。複雑なコースを辿り、相手を巻きつつもこの街を出るという目的は変わっていないようだ。
後ろから数名の足音が追いかけてくる。途中何人かの警察官ともすれ違ったが、その警官と乱闘騒ぎを起こすごろつきも数名いた。もはやここまでくれば、レグルスがもたらした情報は間違っていなかったということになる。ごろつきと警察官、どちらを気にするべきかなんて、考えている余裕さえなかった。ただ走って逃げる。それだけだった。
やがて、開けた場所に出た。数メートル先には、風力発電用の白い風車が回っている。その広大な地を進まなければ、ウインドミルを出ることはできない。そしてそこには、先客たちがいた。
レグルスとごろつきたちだった。数度手を合わせたのか、衣服が乱れていた。彼らは睨みあったまま、硬直状態を続けていた。そこにジーンたちは乱入するように、やってきたのだ。一斉に注目を集めつつも、さりげなくマナだけは安全な場所へと避難させる。どうやら彼らは、そこは見逃してくれるようだ。それともマナの能力を怖れて、手を出さないようにしているのか――。
いずれにせよジーンにとっては、一安心である。一思いに暴れられる――と思っていると、徐々に相手の数が増えてゆく。ジーンもレグルスも囲めるほどの数に達したとき、さすがの二人も状況が状況なせいなのか、口元に笑いが込み上げてくる。それは武者震いからくるものなのか、危機感からくるものなのかはわからないが、人間はある一定の何かを超えると笑いが込み上げてくるものらしい。
二人は互いに互いの背中を守るように背中合わせになると、ごろつき連中を装う刺客たちと対峙した。
「それにしても、なかなかのトレーニングメニューだな」
レグルスは、こんな状況下で珍しく軽口を叩いた。いや、こんな状況下だからこそ、なのかもしれないが。
「これを〝トレーニング〟と言えるお前に感心するよ」
ジーンはため息を吐いて、呆れた。そんな軽口を叩いている間にも、一人、二人と襲い掛かってくる。しかしそれこそレグルスは、トレーニングをする如く、相手を確実に伸していった。
「そりゃあ。誰かさんに比べりゃあ、こんな相手、〝トレーニング〟みたいなものだろうよ」
ちらりとジーンに視線を向けつつ、レグルスはそんな揶揄を言う。襲い掛かってきた相手を、ちょうどいつぞやのレグルスのように投げ飛ばしたジーンは、半眼でレグルスを睨みつけた。
「まさか、どさくさに紛れて、また喧嘩吹っかけてきたりしないよな……」
「さぁ。それも悪くないな」
「あぁ!?」
二人とも獲物を使わずとも、刺客たちを伸してゆく。しかしその中でも、再度起き上がって襲い掛かってくる者たちもいた。再び二人は背中合わせで、刺客たちと対峙する。
「まぁ、正直なところ、もう一度見てみたいという気持ちも無きにしも非ず」
「何が?」
「ナイフを使うあんたをね」
「……」
背中越しに、〝相手はゾンビみたいに起き上がってくるぞ〟という囁き声が伝わる。だがジーンはそれでも、しばし表情の宿らぬ顔で刺客たちを眺めていた。そしておもむろに懐に手を差し入れる。次の瞬間、ジーンは吐き出すような笑いと共に、手にしたそれを懐から取り出した。
「悪いが俺は、人殺しにはなりたくないものでね」
伸縮機能の付いた警棒を手にすると、そのまま刺客たちに向かって走り出した。それが合図とばかりに、再度場は乱闘の様相を呈した。
ジーンもレグルスも、あまりのその素早い動きに、少し離れたところから事の成り行きを見守っていたマナは、目がついていけなかった。自分の特殊な力を使って援護したくとも、こうも大人数の中で動きまくられてしまうと、誤射ではないけれど、間違えてしまう可能性は大いにあった。
もしくは、森でジーンとレグルスが戦ったときのように、大きなものを動かしてみようかとも思った。だがまわりにあるのは、白い風車のみ。それこそ街のシンボルでもあるそれを壊してしまえば、器物破損で罪になるかもしれない。さすがにマナは、それはためらった。
風車のいななきと、舞い上がる煙幕のような土煙が、あたりの様子をかき消そうとする。マナは心配になって、隠れていた場所から一歩前に出た。ごろつき集団との距離も十分にあることだし、大丈夫だろうと思っていた。
しかし次の瞬間、
「動くな」
静かな声が背後からかけられた。マナは、ちらりと視線で背後を窺った。そこには、銃を手にした警察官が立っていた。
刺客たちの動きの変化に、ジーンもレグルスも気づいていた。二人に襲い掛かってくる人数が、徐々に徐々に減ってきたのだ。形勢を見て逃げ出したのだろうか。最初は単純にそう思っていた。だがある方向を見て、ジーンもレグルスも素早く反応した。
刺客たちが逃げていった方向とは逆の方向から、警察機動隊が集団で現れたのだ。この場の全員を一網打尽にしようという作戦なのだろう。
ジーンもレグルスも、素早く路地裏へと逃げ込んだ。機動隊から逃れながら、なんとかマナのところまで辿り着こうとする。
だがその前に、ジーンの足はぴたりと止まった。手錠をはめられたマナが警察官に両脇を伴われて、連行されてゆく光景が目に入ってしまったからだ。
「あの、どんくさ女め……」
レグルスはその光景に毒を吐いた。ジーンもまさかマナが捕まるとは思っていなかった手前、思わずため息を漏らしてしまった。
それが奇跡的にマナに届いたのか、視線をぱっと上げた。そして見事にジーンを見つけたのだった。
(どうして、あの力を使わない!?)
ジーンは口パクと共に、久々にマナの脳内に直接届く、テレパス能力を使った。するとマナの返答は、
(だって、相手は一般人だし、研究所とは関係なさそうだし、なんてったって、警察官だし!)
〝いや、今この状況で善良な市民にならなくていいから!〟と、よっぽど言ってやりたかった。どうやらこの声をレグルスも聞き取れたのか(動物の声を聞いたり、働きかけたりすることができるのだから、当然と言えば当然か)、呆れたように、
「あいつは、馬鹿なのか?」
と、呟いた。またもや、ジーンの口からため息が漏れる。だがマナはどんなに説得しても、こういう問題に関しては意見を変えないだろう。〝とんだお人好しだな〟と、腹の中で思う。だけどそれは自分の中にもある自分で、たまにそれを情けないなとも思ってしまう。特に今が、そのときなのかもしれない――
ジーンは、身を潜めていた場所から立ち上がった。後ろから慌てた様子のレグルスの小声が迫ってくる。
「おい! 何、立ち上がってんだよ!? 捕まりたいのか!?」
ジーンは、僅かに後ろを向いて言う。
「俺もなんだかんだで、馬鹿なお人好しなのかもな」
呟くようにそう言うと、最後に一言こう付け足した。
「……お前を信じてるよ」
〝はぁ!?〟という抗議の声を上げる間もなく、次の瞬間にはジーンは飛び出していた。そしてそのまま抵抗することなく、あっさりとお縄についてしまった。
「クソッ!!」
レグルスは吐き出すようにそう言うと、裏路地に向けて走り出した。
オレに一体何を期待してやがる、あの馬鹿は!
正直、面倒なことに巻き込まれたと思った。借りを返すだとか、そういう貸し借りならまだいい。割り切ってしまえる。だがジーンが言った言葉は、そういうのを抜きにしての感情的なもののように聞こえたのだ。レグルスにとってそういうものは、〝面倒〟以外の何者でもなかった。
例えば、一時の情に流されて拾ってしまった小動物のような。人間と動物を同じ土俵で考えることは、そもそも間違っているのかもしれないが、それに近いものをレグルスは今この状況に感じていた。そのときはいいさ、ただ相手を助けたなんていう救世主にでもなったような妙な自己満足に浸れて。だけど一度手を差し伸べるということは、最後まで面倒を見るということなのだ。そこには、責任が生じてくる。そして長い時を共に過ごすということは、様々なひねくれた形となって甘えが生まれてくる。
だけど自分はこんな身の上だ。一生どこかで研究所や、ノア国からは監視されながら生きるのだろう。最後まで責任を持って守りきるということも、ひねくれたその感情に振り回されることも、どちらもまっぴらごめんだった。そういうものはひとまとめにくくって、〝面倒なもの〟だった。
だからなるべく、そういうものとは関わらないように生きてきた。自由に生きることこそが、一番幸せなことだとそう思ってきた。少なくとも、今この瞬間までは。
「クソッ!!」
レグルスは、走りながらもう一度悪態をついた。
望んでもいない課題をあいつは置いていきやがった……
レグルスは心の中でそう思った。心が見事に半分に、割れていた。今までのように面倒だと思う自分と、感情的になっている自分と。
レグルスはひたすらに走った。心の中でもう一度、毒づきながら。