彼の名前について
名前を呼ぶたびに幸せそうな雰囲気になる彼を見て、嬉しくなる。
しかしどうして今回の私には聞き取れて、前までの私には名前を聞き取れなかったのだろうか。
「ねぇ、ファイレストルル。」
「なぁに?僕の名前呼びにくかったら縮めても構わないよ。フィーでもルルでも。」
「じゃあ、ルル。どうして前の私たちは貴方の名前を聞き取れなかったの?」
その答えは意外なものだった。
「それが、分からないんだよね。前までは僕の世界でしか僕の名前は聞き取れないようになってるのかなって思ってたんだけど、今度の君は聞き取ることが出来たからそれは違ったみたい。他の君たちは僕の名前が水の音に聞こえたり、風の音に聞こえたりするって言ってた。」
「水の音に、風の音…。」
「うん。後は何も聞こえなくて陽だまりみたいな暖かさしか感じないって言う子もいたな。」
その話を聞いて、私は直感的に思い浮かんだことがある。
しかしこれを肯定するには、まだ情報が足りない。
「ねぇ、ルル。いつも貴方の名前を教える前に貴方がどんな存在か話した?あと、精霊が存在する世界で生まれた私はいた?」
ルルは私の質問に少し考えるような仕草をした。
「うん。順序よく話さないと多分分からないだろうって最初の君が言ってたからね。精霊に関しては、誰一人としていない、かな。君の世界のように伝承みたいな形で存在しているところは多々あったけど、実物が身近にいる世界は二つしかないんだ。」
伝承に記されているのは神が創りだした精霊の方で、ルルが創った精霊に関してはどこにも記されていないらしい。
確かに、私の知る精霊は世界そのものではなかったし、一つの属性しか持っていなかったように思う。
「僕の力は神に奪われてしまったからね、もう誰も僕の世界では生まれない。まぁ、僕が死なない限り皆生き続けるから平気だけど。…そういえば君は僕の力を奪った神の世界には最初の君以外一度も生まれたことが無いな。」
「そっか。最後にもう一つ、説明するときはいつも体の一部を水や風にした?」
私は自分の考えた事が当たっていると感じていた。
そして最後の質問の答えで私は確信した。
「うん。人間は視覚で物事を捉えるのが一番なんでしょう?」
「その通りだよ、ルル。…あのね、ルル。これは私の予想でしかないんだけど、聞いてくれる?」
「何か分かったの?」
真剣な様子に慌てて付け加える。
「あくまで推測よ。鵜呑みにしちゃ駄目。」
「分かった。」
私は一度深呼吸をしてから、話し始めた。
「他の私がルルの名前を聞き取れないのはルルを偏った知識のみで判断してしまったからだと思うの。」
「偏った知識?」
ルルは不思議そうに首を傾げる。
「そう。最初の私は多分、何も知らない真っ白な状態で貴方に名前を付けた。」
「確かに、君が僕に名前を付けたのは出会ってすぐの事だった。」
やはり、と思う。
初めの私は精霊という存在を知らないままに、ルルという個体だけをみて名前を付けたのだ。
「でも、他の私達は精霊という存在を知らない、もしくは中途半端に知っている状態で貴方に出会い、説明をうけた。貴方は水であり、風であり、光である、と。」
ルルは頷く。
「私は、そう聞いたとき主体は水なのかと思った。ルルが説明の時に、水になったから。けれどルルは自分は風でもあると言った。」
ルルは黙って聞いている。
多分何が原因か分かっていないのだろう。
自分はずっとそういう存在であると当たり前のように生きてきたのだから。
「私はルルを、精霊をただそういうものとして認識したから貴方の名前を聞き取ることが出来た。けれど、みんながみんなそういう風に貴方を捉えることは出来なかったんだと思う。」
「ある私は、貴方を水だと思った。もう一人の私は風だと思った。光だと思った私もいた。そして名前はその存在を司るもの。…あくまで予想だけど、多分そういうことだと思う。」
ルルは下を向き、少しだけ落ち込んでいるように見えた。
「僕は色んな君を見てきて、君をたくさん知っているつもりでいたけど、本当は分かってなかったのかな。」
ぽつりと呟かれた言葉は落胆と自嘲の色が見えた。
私は手を伸ばし、その頬に触れた。
「そんなことないよ。ルルは私をずっと見守ってくれてたんでしょう?きっと誰よりも私を知ってるわ。ただ、ルルは人間を知らな過ぎたの。」
「人間を?」
顔を上げさせ、目を合わせる。
…確かそういえば、瞳はとても綺麗な赤色をしていたっけ。
キラキラ輝いていて、吸い込まれそうなほど透き通った赤色。
「そう。人間は、視覚にとても頼っているの。ルルが思っている以上にね。だから説明するときに、体の一部を変化させるのはとてもいい方法だと思う。それでね、提案なんだけど、今度からは先に名前を言ってみるのはどう?」
「先に、名前を…。」
「うん。そうしたら、私はきっとファイレストルルってちゃんと貴方の名前を呼べる気がする。」
赤い宝石がゆらゆらと揺れて、静かに隠れた。
それと同時に暖かな真珠がひとつ、頬をすべり落ちていった。
「ふふふ、君は、やっぱり優しいね。」