前の私について
処女作品です。
拙い文章ですが、楽しんでいただけると幸いです。
幼い頃から手の掛からない子だった。
赤ちゃんだった時は夜泣きせず、昼夜かかわらずいつも寝ているような子だったそうだ。
物心ついたときには上に我が儘な姉がいて両親を困らせる姿を見ながら育った。
いつもはやさしい母の、眉が下がり眉間に皺が寄った顔と、父の咎めるような視線が苦手で、自分に向けられたものではないと知っていても苦しい気持ちになる。
その顔を見るのが嫌で、姉への説教が始まるとその場から逃げるように離れるのが常だった。
それに気づいた姉が私に後から文句を言うのも嫌いだった。
だからだろうか、私は人に迷惑をかけることに多大な嫌悪と罪悪感を感じてしまうようになり、私はあまり自分の意見を最後まで押し通すことが出来ない子になった。
身内に対してもそれは適用されて、いつも欲しいものを素直に口に出すことが出来なかった。
両親はそんな我が子が心配なのか、事あるごとに私を気にかけてくれた。
それは嬉しくもあり、申し訳なくもあった。
しばらくして弟が生まれると、そちらに掛かりきりになり、私は堂々と意見を言うことが出来ないまま、成長していった。
そして年齢が上がるにつれ、私は相手の顔色を伺う術を得、なるべく人の迷惑にならないように生きるようになった。
教えてもらえば大抵のことはすぐ出来る様になったし、話をするよりも聞くことのほうが楽だったため、皆の話を聞くことが多くなった私はいつの間にか「何でも出来て皆を気に掛ける優しい子」と評価されるようになった。
仲がいいと思っていた友達にそれを言われたときは、吃驚よりもショックの方が大きかったのを今でも覚えている。
何でも出来るわけじゃない。ただ、皆よりも少しだけ早く出来る様になっただけ。
気に掛けてるんじゃない。私が皆に迷惑をかけていないか心配なだけ。
優しい子なんかじゃない。臆病で、自分が大事なだけ。
-どうして、分かってくれないの?
悲しくて、苦しくて、辛くて、何かがこみ上げてくる何かが気持ち悪い。
それでも口から出た言葉は「そんなことないよ。」だった。
その子は笑って、「そんなことあるよ。」と元気いっぱいに答えた。
じくじくと痛む感覚を無視しながら、私はきちんと笑えていたんだな、と思った。
高校も口には出していないが両親が希望していた所に進学した。
進学先を伝えた時の少し複雑そうな顔をした父が何故か印象に残った。
友達もそこそこ出来て、バイトも始めて、それなりに忙しい毎日を送っていたが、ふと頭に過ぎることがある。
どうして私は生きているのだろうか。と。
私の性格も周りの評価も変わっていない。
けれど小さい頃と比べると出来ないことは増えたし、やむを得ず他人に迷惑をかけることも多くなった。
みんなの手本となるような子は他にいたし、別に私じゃなくても相談に乗ってくれる子はたくさんいる。
自分がいてもいなくてもいい人間だと気づいたとき、心に空いた穴が何なのかを理解した。
これは、虚無だ。
私は一番じゃない。
それは両親にとっても、友達にとっても先生にとってもだ。
分かっていたつもりだった。
所詮それはつもりでしかなかったのだ。
一番でない事の、いつも感じていた感情の意味を理解してしまった私は、これをどう処理すればいいか分からなかった。
一番でない私を理解してくれる人は、私しかいない。
そしてそれが自分のせいだということも分かっていた。
だって私は、本当の心を誰にも見せた事が無かったのだから。
ずっと目を背け続けていた。見ないふりをし続けていた。
分からないふりを続けていれば、いつか慣れると思っていたのだ。
けれどそれは間違いだった。
積もりに積もったそれは溢れてしまった。
壊れた鍵はもう二度と閉まらない。
-あぁ、世界はなんて厳しいのだろう。
その時の涙は誰にも気づかれることは無かった。