少女はラノベのなんたるかを理解していない
鋼の肢体が空を風もかくやというで疾走する。空を踏み進む度に大気が激烈に振動する。眼下の家屋が加速度的に凄まじい速さで前から後ろへと流れていく。高度は千メートル、よほど視力の優れている夢想家でなければ到底その疾駆する黒き影を視認することはできないだろう。
ブラック・クロームの装甲に熱い日の光の反射させながら、志波舜助は空中で大きくその身を翻す。そして身体を逆さまに、つまり頭を地上に向けると充分に足を撓ませ、思い切り空気を蹴り飛ばす。身体に小規模な衝撃波を纏わせながら恐ろしい速度で空気を裂き、下降する。ほんの数秒で地面がみるみる内に近づいてきて、体勢を整えて急制動。途轍もないGが身体に襲いかかるが、スーツがそれを大幅に軽減してくれる。
結果、直前で空気を一回蹴りワンステップ踏むと、音もなく事も無げに地上に降り立った。柔らかな下草に纏わり付いた雨滴が弾け飛ぶ。夜の内に雨が降ったのだ。下草のその小気味よい音を聞きつつバイザーを上げて一息つく。
「何とか間に合ったか」
周囲に目を配らせるとそこは緑豊かな大きめの空き地だった。舜助はすぐにLQ‐84Iをスーツケース型へと変形させると、肩に鞄を引っ掛けて両手でなんとかスーツケースを持ち上げる。そして視界端に映っていた建物に向けて足を踏み出す。
そこにあるのは背の高い竹垣に囲まれた純和風の平屋だった。木製の玄関扉を開け堂々と入っていく。廊下を進み朝日が差し込む縁側に沿ってさらに奥に進む。縁側と竹垣の間には、小さいながら荘厳な枯山水まで設えてある。襖で仕切れる九畳ほどの和室が二つあり、その一つの部屋にケースを放置すると、平屋から出る。背後を振り返りその建物を見つめる。
市立貝塚高校特別棟付近にあるそれは伊達と酔狂で建築されたとしか思えない見た目をした生徒指導室である。
結局あの後、名前を告げたきりパッタリと会話が途切れてしまい、こちらから何度か話し掛けはしたが、全く反応してくれず舜助はそのまま特に何かをするでもなく、日付が変わっても平沢家に居座り続けた。そして午前四時くらいに唐突に帰宅するよう命令され、舜助は大量の雨滴を弾き飛ばしながら帰宅した。
「はぁ……。さらに面倒なことになった」
憂鬱げな舜助と相対的に空は抜けるような青だった。とぼとぼと元気のない足取りで特別棟内に入っていく。舜助は仕事の関係上、睡眠時間が短くさらに朝食を作らねばいけないし、尚且つできるだけ家でゆっくりしようという心意気で朝を過ごすため、常に遅刻ぎりぎりなのである。
「まぁスーツがあるおかげでこんな生活ができているわけだけど」
ぼっち生活が長いとつい独り言が増えていけない。校舎内に入る時に上履きに履き替え、リノリウムの床をぺたぺたと歩く。登校方法上、正門から入って昇降口へのルートは使えない。一応騎士という素性は機密事項なので一般人に知られてはいけないのだ。というか例え目撃されてしまっても装着状態では大抵の人間には見えないし、バイザーを上げていたところで空中に生首が浮いているように見えるだけだ。かと言って脱着の一部始終を見られたら言い訳の仕様がないが、この時間帯に生徒指導室付近に他の生徒はまずいない。
特別棟二階から教室棟へと通じる廊下を進む。この高校は道路側に教室棟、それと向かい合うように特別棟があり俯瞰で見れば四角形を形成しているのが判る。窓から外を覗くと視線の先には中庭がある。先程の空き地同様に柔らかそうな下草が茂っており、地面が乾いていたらさぞや寝心地が良さそうだ。入学時、舜助はこの中庭を昼休みのベストプレイスにしようと決めたのだが、生憎ここはリア充(笑)の聖地なのであえなく断念した。
渡り廊下を通過しついに二年F組の教室前に辿り着いた。そして普通に扉を開け、普通に廊下側の前から三番目の所定の位置に着く。どうでもいいけど所定の位置ってなんか特殊部隊みたいですね。
HR前のこの時刻、当然廊下にも人は疎らに存在し教室内も喧騒に包まれている。普通、朝のこの時間に特別棟の方から歩いてきたら不思議というか舜助の場合不審がられて通報されてしまうのだが、って通報されちゃうのかよ。
しかし舜助クラスにもなると生来の隠密スキルを遺憾なく発揮することにより、全く感知されることなく教室に侵入することができる。やはり忍者の素質があったかと小さく独りごちる。
中学一年のある日、それなりに可愛い女子から『志波くん、独り言ぶつぶつ言っててなんか怖い』と言われた以来、舜助は人前では極力ひとりごちないようにしている。その女の子のあの得も言われない嫌悪と恐怖の入り混じった表情は今でも脳裏にこびり付いて離れない。その子のことを好きになりかけていたので、尚更ショックだった。
消しゴム貸してくれたんだけどな。
舜助の恋愛脳は純情乙女タイプだった。
あれ以来、二度と同じ手には引っかけられまいと女子を第一印象で判断することをやめた。
ハロー効果。容姿が優れている人は性格も素晴らしいのだろうとイメージする心理。その心理に一度陥った舜助としては、平沢は勘違いせずに済んだので好都合だった。
平沢氷華。
肩肘ついてぽけーとしていた舜助は視線を後方へと流す。そこには五人組の集団がいる。その華やかな雰囲気から彼らがこのクラスのカースト上位者であることは明白だった。男子二人に女子三人。
小学生男児みたいに話を盛り上げているのがサッカー部所属の荒北だったか……。舜助自身、興味がない上にいかにもチャラそうな雰囲気を漂わせているので記憶から排除していた。そしてもう一人が清涼剤の化身かよ、と言わんばかりに爽やかな雰囲気を醸し出している陸上部のエースで次期部長候補の九利生翔平だ。常時朗らかな笑みを浮かべている。長時間視界に収めておきたくない人種である。所謂イケメン(笑)という憎たらしい奴だ。
「けっ……」
思わず毒づいてしまった。自重しない。
女子三人組の方はショートのサバサバ系女子とぽわぽわした髪型をしている癒し系女子。正直言って中々に可愛い。
普段の舜助ならあんな目に毒な連中を視界に収めたりはしない。むしろ死界に収めているまである。……ぜんぜん羨ましくなんか、ないんだからねっ。
その理由は最後の女子の存在だ。青みがかった長髪が照明の光を跳ね散らし輝いている。くっきりとした眉の下の青みががった瞳は温かな光を湛えている。スッと通った鼻筋に淡い色合いの唇が彩りを添える。色素の抜けたような白い肌に尖るような顎先を辿って目線を下に落として行くと、そこには涼しげな雰囲気を出す夏用のブラウスを押し上げる二つの双丘が。
「でかいな……」
制服の上からでも余裕で判るほどの膨らみ。あれはE、いや下手したらFくらいあるのではなかろうか。舜助はアイセンサーの視力と雪影の解析補助がないことを恨めしく思い、歯嚙みした。男はおっぱいに弱いのである。
「けど、ストライクゾーンではないな……」
そう舜助が好むのはソフトボールではなく、野球ボールなのだ。あんな巨乳では断じてない。しかしそれでも、視線は釘付けにされたままだ。男の性である。
なぜ舜助があの少女、綾瀬文のことに注目しているのかというとそれは決して巨乳だからではなく、自身の面倒なこの状況を打開するためだった。
回想スタート。
「俺あんな嫌な女のこと無期限に護衛するとか不可能だから。だから」
「一度引き受けた仕事はしっかりこなしたらどうや? 無責任な男やっちゃな」
「姉貴は俺の精神が崩壊してもいいと言うのか」
「ウチは別にかまへんけどなぁ。せやけどそれだと姫ちゃんが悲しむからねぇ。どないしよか……そうや! それならこないしよ、実はなある二人の人物が悩みを抱えとるみたいでなぁ。その子たちのお悩み相談受けて解決したら考えたる」
「……報酬は、いくらだ?」
「なに言うてんの。そんなものあらへん」
「俺はな奉仕活動とかボランティアとかそういうのが一番嫌いなんだよ。無償で他人に尽くすとか意味わかんねぇ!」
「なら文句言わずに氷華ちゃんのこと身を挺して守るんやな」
回想エンド。
つまりその内の一人が綾瀬文ということだ。リア充グループの楽しそうな話し声が、喧騒満ちるこの空間内であるにもかかわらず自然と耳に入ってくる。彼らの声が大きめなのも理由の一つだ。
カクテルパーティ効果。多くの人々がそれぞれに雑談している中でも、自分が興味のある人の会話、自分の名前などは自然と聞き取ることができる。このように人間は、音を処理して必要な情報だけを再構築していると考えられている。逆説的に人間の脳は不必要な情報は聞き取らないようにしているのだ。
舜助はこの効果を今でも愛用している。主に自分に対する悪口とか、悪口とか。
「ってなことがあってぇ。あん時はマジヤバかったわー!。オレだけに集中砲火してきやがってよ、あん時は流石に死を覚悟したわぁ」
荒北が大げさに身振り手振りを加えて面白おかしく自分の失敗談を披露する。それに合わせてどっと笑いが起きる。バラエティ番組で不自然に足された笑い声のようである。口許の鷹揚とした笑みを上品に手で隠しつつ綾瀬がその清涼な声を響かせる。
「ふふ、それはやはり荒北くんがいけないのでは?」
「ああ、綾瀬の言う通りだ。荒北、お前の自業自得だ」
「そりゃ荒北が悪いでしょ! 日頃の行いを呪いなさいっ」
「ん~よくわかんないけど、やっぱりアラッキーのせいじゃないかな?」
「ちょ、そりゃないっしょ! ここでもオレ集中砲火食らっちゃうのかよー。マジオレのメンタルずたぼろだわー、ライフゼロだぜ!」
金沢が偉そうにズビシッと荒北を指差し、それに対して荒北がふざけた態度で応対する。そこでまた笑いが巻き起こる。どうやらチャラ男荒北はあのグループの中ではイジられ役らしい。綾瀬から始まり九利生がそれに便乗して、サバ系女子の金沢が上乗せし、癒し系女子の牧野は金沢が行き過ぎないようにストッパーと場を和ませる役を兼ねている印象を受けた。
荒北が場を盛り上げて綾瀬が茶目っ気に発言し、九利生が冗談ぽく言って、金沢がマジっぽい声で荒北をイジり、牧野がそれを緩和するといった様相を呈していた。役を演じているようでひどく大変そうに見える。
だがしかし、彼らにとってそれは苦痛ではないのだろう。関係を安定させるため多少は自分を抑えなければならないが、それでも彼らにとってその行為は慣れたものであり、そして何より彼らは楽しんでいるのだ。その短い青春を謳歌している。
舜助は自分の目がさらに死んでいくのを感じつつ観察を続ける。盗み見るスキルはステルス能力と並んで舜助の百八の特技の一つだ。
しかしこうして観察者としてあのグループを見ると、その内部構造がなんとなく判ってくる。まず綾瀬は教室の一番後ろの席に陣取っており、その正面に椅子の背もたれに腕をついて真正面から綾瀬と会話する九利生がいる。この二人が着席しているのに対し、他の三人は傍で机に腰かけたりしながらも立っているのだ。つまり美男美女(荒北を除き)集団の中でも綾瀬と九利生がメインキャラで、他の三人はサブキャラなのだ。
ラブコメ風に例えれば、最終的に綾瀬と九利生がくっつき金沢と荒北がいがみ合いつつも徐々に惹かれ合っていき、牧瀬が恋路のサポートをすると言った感じか。あるいは綾瀬と九利生と牧瀬が三角関係を演じつつ、荒北と金沢がラブラブカップル状態のパターン。
「文は何か今日予定ある? 放課後みんなで集まってファミレスとかで勉強しようと思ってるんだけど」
金沢が何の気なしに訊いてくる。傍にいる荒北が携帯をいじりながら悲痛な叫びを上げていた。どうやら携帯ゲームで負けたらしい。その荒北の頭をぽんぽんと慰めるように牧野が撫でる。おい、ちょっとそこ変われ今すぐに。
今日、六月二十日月曜日は期末考査の一週間前で部活動は停止期間。つまり荒北も九利生も放課後はフリーなのである。問われた綾瀬は困ったような顔をする。そこに九利生の言葉が続く。
「何か予定あるなら無理しなくていいよ。けど、俺は文と一緒に勉強したいな。数学の判らないとことか、教えてほしいな」
誰にでも好かれそうな笑みを浮かべる九利生。
「ぷっ……!」
思わず少し吹き出してしまった。いやだって。一緒に勉強したいな、の部分が完全にジゴロ風だった。これは笑わずにはいられない。これは他の連中も大変そうだな、笑い堪えるのに必死で。
しかし舜助の予想を裏切り、その台詞を聞いていたであろう金沢は別段気にした風もなかった。どうやらああいうのは日常茶飯事らしい。もし舜助があのグループの一員になったら、一週間としない内に呼吸不全で病院送りになることだろう。
九利生のどうかな、という視線を受けた綾瀬は眉を八の字にしてそのペールブルーの瞳に葛藤の色を浮かばせたが、ややあって申し訳なさそうに返答した。
「ごめんなさい、九利生くん。今日はどうしても外せない用事があって……。また今度誘ってもらえるかな?」
そう言ってぺこりと頭を下げる。青みががった前髪が揺れる。その楚々とした行いは絵に描いたような撫子のそれで、漆黒の髪と黒目ならさらに様になっていたことだろう。
断られたイケメン(笑)は一瞬残念そうにしたあと、爽やかに笑う。
「うん、いいよ。予定があるなら仕方ないね。また今度誘わせてもらうよ」
少し気まずくなった空気を切り替えるように金沢が明るい声を出し、牧瀬がのほほんとした空気を漂わせ、荒北が派手なオーバーリアクションを混ぜて会話を始まる。再び談笑の始まりである。
「気持ち悪いな……」
舜助は侮蔑を込めた瞳でその様を見届けてから、身体の向きを真正面に戻し、腕を枕にして机に突っ伏す。そしてさっきまでの綾瀬の動き、喋り方や声、目線、態度などを思い出す。
彼女が悩める子羊の一人だと清美から告げられていた。とても清美が気にするような悩みを持っているとは思えない。となると、日常生活での悩みではないと推察したほうがいい。悩みがあるとするなら答えは非日常の方にある。
「バク関連か……」
その呟きと同時に教室の扉が開く音と声。担任が入室してきた。学級委員長の声で規律して挨拶をし、HRが始まる。
「綾瀬文さん。二年F組の大和撫子キャラね。だらしない乳をぶら下げた校内でも指折りの美少女。その美貌は少なくとも五本の指には入るであろうと予想されている人ね」
護衛二日目、再び平沢宅にお邪魔した舜助(お邪魔しますと言ったら『邪魔するなら返ってー』を素でやられて、ちょっぴり泣きそうになった)は何の気なしにどうせ有力な情報も得られないだろうと高を括ってその名前を口にしたところ思わぬ返答がきて、戸惑っていた。いかにも他人に興味がなさそうな平沢が、舜助すら知らない情報を握っていたことに驚愕する。いやだって、平沢は今なおこちらに一瞥もくれないまま早口でそう告げたのだ。驚くのは無理ないだろう。
「私は志波くんにのみ興味ないだけで、他の人にはそれなりに興味があるのよ」
「お前、エスパーかよ。あと『のみ』の部分を強調しなくていいから、知ってるから」
「何か語弊があったみたいね。私は志波くんに対して学術的興味は持ち合わせているわ。例えばそうね、一体何を主食としているのか? とか」
「人を新発見した生物みたいに言うんじゃない。俺はれっきとした人間だ」
「君が人間? 冗談は顔だけにしてもらえるかしら、後悔してきた」
「それはお前が俺と同じ人類であることに対しての後悔なのか?」
やっとこちらを向いたと思ったら、その顔には嫌悪が張りついていた。「なんでまだ生きてるの? 早く死んでくれないかしら、人類のために」みたいな眼でこちらを見てきた。視線だけで殺す眼ってたぶんああいう殺気溢れる凍えたやつのことを言うのだろう。
まともに会話が成立したと思ったらこのざまだ。相性が悪いなんてレベルではない、もはや天敵の部類だ。もちろん天敵としているのは舜助の方だけで、平沢の方はきっと舜助のことを路肩の石ころ程度にしか思っていないだろう。
あの女の天敵なんて陽の光と十字架とニンニクくらいだろう。吸血鬼かよ。
「よく知ってるな、自分のクラスでもないのに」
「ええ、よく知ってるわ。名前だけなら二年生全てを言える自信があるわ。私、記憶力がいいから。ああでも、志波くんのことは知らなかったわ、眼中になかった」
「お前は俺を傷つけないと死んじゃう病でも患ってるのか。そのちょっといい笑顔やめろ、傷つく」
華やか微笑を見せられても全然得した気分にならない。それにしてもやはり平沢は二次元に精通しているのだろうか。今もキャラとか言っていたし、それに胸がどうとかも。
舜助はバレないように一瞬だけチラッと盗み見る。安心安全の絶壁だった。もうなんか綺麗に地層とか見えそうな勢い。今日は真っ白なネグリジェだった。ちなみに昨日は淡いピンク色。この女に恥じらいというものはないのだろうか。
「だらしないって……。なにお前もしかして胸のこと」
「もしかして何? 何かしら下郎。 そもそも女性の乳房とは授乳のためにあるもので、大きければ母乳が良く出るというわけでもないしそれに乳児に与える機能さえしっかりと果たせていればそれでいいの。胸の大小で女の魅力は決まらないし、何より小さいのも需要があると聞くわ」
アナウンサーになれるのでは、と思わせるほどの円滑な饒舌さだった。早口で言ったためか、荒い息を繰り返し頬は少し上気している。
これで性格に難がなければ完璧なのに、と内心で二重の意味で悔しがった。もう一人の悩める子羊は何を隠そう目の前の少女なのだ。流石に身体的コンプレックスをあの清美が悩みと断定づけるとは思えない。というか、その悩みとやらを知っていてなぜ夢のことは知らないのか。そっちの方が重要だろうに。
所定の位置(距離を二メートルほど開けた場所)で頭を抱える舜助を「何この生き物? ぎょう虫?」的な眼で見つめる平沢は取り直すように一つ、咳払いした。
「それで、何故志波くんは急に綾瀬さんのことを? 未遂だからと言って罪に問われないわけではないのよ」
「なんで俺がストーカーしてること前提なんだよ」
平沢は瞬時にソファから立ち上がると窓際まで後退した。両手を構え、右手には鋭利な鉛筆を持っている。厳重警戒態勢及び戦闘態勢だった。
「それじゃあ私?」
「どんだけ俺を犯罪者にしたいんだよ。自信過剰も大概にしろ」
と言ってみたものの、足かけ七年間で不特定多数の男子から好意を寄せられ続ければ自意識過剰にもなるか。まさかすぐにストーカーという推論に行き着くとは思わなかったが。
「おい、その不審者を見るような眼やめろ。違うから、ただ姉貴に条件を提示されただけだから」
「条件?」
警戒を解除した平沢がするするとソファまで戻ってくる。舜助は事の顛末を話した。護衛を拒否したら条件を提示されたこと、その内容に関係するのが綾瀬だということ。ここでは敢えて平沢もその一人だとは言わなかった。
こちらの都合を露見させてしまえば例え平沢でなくとも、舜助に悩みを打ち明けようと思う人間はいないだろう。
話を聞き終えた平沢は神妙な顔をして感慨深げに呟く。
「誰にでも悩みというのはあるものなのね……」
静かな声音でそう言うと自然な動作で月を見上げるようにして舜助から顔を背ける。まるで隠すかのように。舜助は視力がいい方だ、そして動体視力も高い。だから一瞬だけ平沢のその表情を垣間見た。黒い暗雲のような憂鬱な表情がそこにはあった。
その表情が悩みとやらに関係していることは明白だった。だが舜助はまだその表情の理由を知らない。ため息をついたかのように肩をわずかに竦ませるとこちらを振り向く。そこには冷たい、いっそ無表情とも言っていい顔があった。妙な沈黙が降り注いだ。自然と口を噤む。そんな舜助の表情をどう受け取ったのか平沢は凛とした声を響かせる。
「私のような可憐で華麗で美麗かつあらゆる才能に恵まれた完璧美少女の護衛を断るなんて、身の程を知りなさい。志波くん、君は宝くじが当たったら全額をどこぞの団体に寄付をする派の人なの?」
「お前の護衛はどこぞの団体に寄付するほどの大金と換金できるほどの宝くじと同価値というのか」
「ええ、これは周知の事実よ志波くん。これは世界一般論よ」
「お前の美しさは世間はおろか世界が認めているほどのものなのか!」
これは自信過剰とかいうレベルではない。単純に馬鹿だ。どの辺が馬鹿かというと今の言葉を本気で言っているあたりが馬鹿だ。
自信満々にそう宣言するとそれきり平沢はこちらから意識を完全に外し、テーブルの上のノートPCを凝視する。昨日と同じく平沢はまたせっせとキーをカタカタ鳴らしていた。昨日の今日で平沢のことを理解したわけではない。知ったことは性格が悪いということ、歯に着せぬ物言いを得意としていること、ある意味馬鹿なところ、種類は違えど自分と同じぼっちだということくらいだ。それでも一つだけ理解したことがある。
それは一頻り言葉の嵐を舜助に正確無比に直撃させると、それ以降黙りきってしまうことだ。まるで役目を終えたみたいに。
「俺を傷つけることが役目ってどういう使命を授かってるんだよ」
無音に近い部屋で呟きは虚しく溶けていく。その間もひたすらにタイピングをやめない平沢。ブラインドタッチという奴だ。電車男かよ。
正直言うと途轍もなく何をしているのか気になるのだが、如何せん近付く勇気がない。
きっと平沢の周囲半径85センチは無傷圏なので、そこまで到達すれば大丈夫だろうが、しかしそこに行き着く前に精神を微塵斬りにされてしまいそうだ。それほどの殺気ならぬ冷気を常時放出しているのだ。そう考えれば昨日の舜助は凄まじい蛮勇ぷりを発揮していたと言える。
「まぁ近づいたところで今度は肉体的に損傷させられるんだけどね。主に刺されそう。……はぁ」
校内一と言っても過言ではない美少女と二人っきりなのに全然心がうきうきしない舜助だった。
綾瀬のことも気になるが平沢のこともある。早い内にお悩み解消しないととは思うのだが、肝心の夢が何なのか皆目検討もつかない。バクに関連している事項といえば夢と、あとは騎士くらいだろうか。騎士の線はないからもう夢しか残っていないのだが……。
「スポーツ選手とか音楽家、画家か歌手か料理人か……。上げたらキリがないな。いや、意外にも漫画家とか声優って線も……小説家も似合いそうだな」
そこまで例を上げていってはたと気付く。遊ばせていた視線を固定する。その先にあるのは綺麗に磨かれたテーブル、の上のノートPC。平沢は舜助との会話中ですらキーを叩くのをやめない。つまり夢はPCでも練習のできる技術系の職業か。その上で絞り込みをかける。
「画家か漫画家、最近はPCでも描けるというし。あとはもう小説家くらいか。数ある職業の中でも比較的、他人との接触が少ない傾向にある。平沢らしいと言えばらしいな」
当の平沢は完全に舜助を意識外へと追放してしまったのか、全く見向きもしないし話し掛けてもこない。
そこまで絞り込んだ舜助は部屋の本棚に視線を走らせる。本の種類が判ればすぐにでも答えに辿り着ける。舜助は前方の黒髪少女に視線を滑らせ、恐る恐る許可を求める。
「あの、その、本を少し拝見させてもらってもよろしいでしょうか?」
頼み事をする時は下手に、よく清美が舜助に対して使っている手だ。例の如く平沢はこちらに一瞥もくれずに返答する。
「いいわよ。けれど本には決して触れないように」
「俺が触っても別に腐ったりしねぇよ」
平沢は別に腐るとか壊死するとかそんなことは一言も言っていないのだが。この時ほど舜助は自分の卑屈さを恨んだことはない。すっくと立ち上がると壁際の本棚に近寄って物色し始める。
種類は多岐に渡った。一般小説と学術系の書籍が本棚のほとんどを埋めていた。持ち主の性格を反映してか本は綺麗に分類分けされており掃除も行き届いているようだ。どちらかというと種類が多岐に渡るのは学術系の方だった。宗教、哲学、理科、数学、物理、法律、文化、民族、金融などがあった。まず舜助が読まないであろう本たちがそこには並んでいた。
他には科学雑誌や天体雑誌、一般文芸は東野圭吾とか村上春樹、赤川次郎などがあった。
視線を流していくと本棚の一番下に大学ノートが数十冊と並べられており、そのノートの近くには数冊の新聞紙が。ひと目で気になった記事を切り取って貼り付けているのだと判った。清美が同じような仕様になったノートを何度か舜助に見せてきたことがある。
ここまで検分した結果、平沢の夢は大方検討がついた。振り返ると、ソファを挟んで正面に真剣な表情をした平沢の姿。思わず一瞬見蕩れてしまい、すぐに首を振って正気を取り戻し結論を口にする。
「あのさ、お前の夢って小説家?」
「いえ、違うわよ」
「いや、別に恥ずかしがることはないと思うぞ。本好きなら一度は憧れる職業だろうし…………はっ!? 違うのか?」
「だからそう言っているじゃない。ついに聴覚までその眼同様に死んでしまったのかしら」
黒い瞳がこちらを見返すことはなかったし呼吸をするかのように毒づいてきたが、それらを気にするほどの余裕は舜助にはなかった。自分としては名推理のつもりだったのだ。
文学初心者や年間で数冊しか本を読まない者の中に、文章力とアイディアさえあれば小説を書けると思っている連中がわずかながら存在するが、その認識は大きな誤りである。
物語には数多の様々な情報が詰め込まれ、その世界を構築している。家を建てる時に基礎をしっかり固めるように、世界観という土台をきちんと固めなければたちまち物語は破綻する。
従って、資料集めというのは小説を執筆する上で重要かつ避けては通れない道だ。
大量の本は執筆で使う資料と踏んだのだが、誤りだったのか。少し間抜けな表情を作った舜助を平沢は不快そうに見つめ、その夜空のような瞳に確固とした意思を宿らせて堂々と宣言した。
「私の夢は…………ライトノベル作家よ」
毅然と、堂々と、自信満々に恥じることなく凛とした声を響かせた。
しーん。
痛いほどの静寂が場に満ちる。当の本人は気にしている様子も平素と変わらない冷たい表情のまま、舜助を見つめている。なまじ美人なだけに直視されると、こちらの動悸が荒くなってしまいそうである。舜助は軽く顔を赤く染める。
舜助は視線を振り切るように顔を逸らす。冷静な思考で今の言葉を咀嚼していく。一言一句しっかりと。言葉の意味を理解していくのと並行して顔の熱が引いていった。
思わずため息を一つ。予想外であった。いや、正確には予想の斜め上を行ったというところか。一応、予想の中にはあったのだ、その可能性も。しかしまさか、よりにもよってその答えが返ってくるとは思わなかった。
完璧な人間なんていない、ととある生徒会長は述べたが、それでもおよそ完璧に近いと認めざるおえない高スペック少女。松ランクをも惹き付ける可能性を持ったその誇り高き夢想が、あのライトノベル作家なんて。
舜助の表情から心情を読み取ったのではないだろうが、それでも平沢は的を得た続きを口にした。
「ライトノベルが良いイメージを持たれていないことも知っている。もちろん一般文芸の上をいくなんて豪語するつもりはないし、むしろ足元にも及ばないと思っているわ。無料コンテンツが溢れる現代の日本で生き残るために、商業的戦法とはいえ購買者を刺激するようなイラストを表紙に載せていることに関しては、一部から批判されても仕方のないことだと思う。『イラストで売りつけている』だの『妄想を垂れ流した作品とすら呼べない物を商業出版している』などと痛烈に批判されていることも知っている。結局はただの娯楽作品」
黒き瞳に真摯な光を灯して嘲るでもなく、貶めるでもなくただ厳然と事実を述べていく。その表情は真剣そのもので、口を挟むことが憚れたがそれでも言わずにはおれなかった。
「そんだけの才能に恵まれながらなんでラノベ作家なのかはこの際聞かねぇよ。やっぱりお前馬鹿だな。そのために日付が変わって、朝日が登ってくるまで執筆してるのか。睡眠時間削ってせっせと原稿執筆してましたってか? 知ってるか? 夢ってのは叶わないのが世の常で、叶わないから夢なんだよ」
自分でも支離滅裂なことを言っているのは理解している。少なくとも舜助はこうも意味不明な口応えをするような男ではない。それでも口を挟まずにはいられなかった。
舜助は合理主義者だ。常に効率を求めてきた。他人に頼れないぼっちは一人で様々な試練に立ち向かわなければならないから、高スペック者でない故に効率を重視しなければ周りと足並みを揃えることができなかった。
そして舜助は利己主義者であり現実主義者だ。時は金なりを推奨しており、時間と金を何より重宝している。時間も金も効率よく稼ぎ、使用し、消費しなければならないと思っている。
無益なことに時間を消費せず、利用できるものは何でも利用する。
「時間費やして叶えたい夢がそれかよ。お前のその夢は一朝一夕じゃないだろ。今までそうやって時間作って何本も書いておそらく新人賞やら何やらに送って落選してきたんだろ? なんで諦めねぇ。お前だったら別の夢に切り替えたほうが成功する確率高いと思うぜ。お前ほどの奴が未だにデビューできてないってことはつまり、才能がないからだ」
自己中心的な発言だった。自分の意見を押し付けているだけだった。しかし金のために一般人を犠牲にしようとしたあたりから、舜助の自己中心さは今に始まったことでもなかった。
様々な才覚に恵まれていながら何故それなのか、舜助には理解できなかった。どんな分野でも技術だけでは大成できない、必ず才能という高い壁が立ち塞がる。その才能がないことは平沢自身判っているはずだ。
この激情はただのエゴだった。平沢氷華ともあろう者がライトノベル作家を目指すな、というただのエゴ。しかし何よりも舜助の感情を掻きたてたのは、その時間の浪費。
舜助は努力とか夢とか、そういうのが世界一大嫌いだった。
「なんで諦めないんだ?」
舜助の苦言を平沢は黙って聞いていた。静かに瞼を下ろすと数秒黙考する。長い睫毛が揺れていた。そして眼を開けるとそこから射抜くような視線を放ち、凛とした芯の通った声で質問に答えた。
「好きだから。それが書き続ける理由よ」
瞬間、舜助は悟った。そう、彼女は作家病にかかっているのだ。書きたいから書く。そこに自己承認欲求などはない。ただ書いて、それだけで幸せで面白いと言ってもらえばなお嬉しい。
心のどこかで舜助は夢を諦めさせればこの護衛任務を終わらせられると画策していた。しかしその企みは最初から破綻していたのだ。そもそも松ランクを惹き寄せるほどの夢をただの言葉で諦めさせようというのが、無理な話なのだ。
「話は以上かしら」
それは確認ではなく命令。「これ以上あなた如きの存在のために私の時間を浪費させたくはないのだけど」と言外に示していた。その威圧的な態度に気圧された舜助は少々ビビりながらも応答する。
それきり平沢はまた集中モードを発動させて、こちらを意識外に追放した。キーボードの上で白く細い指が軽やかに踊る。凍りのように冷たい視線から逃れた舜助は安堵の息を吐き、そそくさと元の位置に戻り座り込んだ。
「どうしたものか……」
夢を諦めさせるという線はこれで完全になくなった。ここままでは本当に無期限にこの女の毒舌に耐え続けなければならなくなる。それだけは御免だ。
「いや……」
まだ諦める時間ではない。舜助の言葉で夢を潰えることができないのであれば、別のそれこそ影響力のある方法で、あの難攻不落の氷姫を落とせばいいのだ。
ある計画を思い付き舜助はにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。そうと決まれば有言実行あるのみ。
「あのさ、落選した原稿とかあるか。差し支えなければ拝見したいのだが」
現時刻は午前三時。あれから六時間半が経過していた。その場には胡座をかく舜助を囲うように複数の段ボールが置かれていた。中に入っていたのは過去に落選した原稿類だ。PCに保存されたテキストを印刷してもらった(当然の如くインク代と紙代を支払うことになった)。数はざっと五十。これが全部落選だというのだから平沢氷華、相当にメンタルがタフだ。
ここで舜助は百八の特技の一つ、速読を発揮していた。四時間弱で五十もの長編小説を読み切った。流石に疲れて肩を鳴らし、疲労が色濃く滲む吐息を一つ。
感想として面白かった。語彙も比喩表現も豊富で文章力は申し分ない。本当に人に無関心というわけではないらしく、心理描写もリアルだった。土台の世界観も矛盾とか意味不明な点もなかったし、構成も起承転結がしっかりしていて読みやすかった。しかし問題点もある。
原稿をダンボールに収納した舜助は「今回だけ特別よ」ということでテーブルを挟んでソファに座る許可を頂いた。正面に背筋を伸ばした平沢の姿。二メートルから一メートル空けた距離まで到達した。えらい躍進だと思う。
机の上にソーサーに置かれたティーカップ。平沢が淹れた紅茶である。オレンジ色の液体からわずかに湯気が立ち上り、得も言われない香りが鼻腔を擽る。
「いただきます。…………美味いな、ダージリンか」
「ありがとう。しかし残念、アールグレイよ。ベルガモット(柑橘系)の香りがするでしょう。この違いも判らないの?」
「ほっとけ。俺は緑茶派なんだよ」
平沢は馬鹿にしくさった感じで笑みを零しと、香りを楽しんだ後に桜色の唇をカップにつけ一口飲む。満足そうな吐息を漏らし、伏せていた黒曜石のような双眸をこちらに向ける。
「『舞姫』の主人公のような志波くんの感想なんて聞いた途端耳が壊死してしまいそうだけど、私は寛大な人間だから素直に聞いてあげる」
「それは俺が最低のクズだということか。いいか、感想ってのは質より量なんだよ。自分では気付けない欠点とかあるから、他人の感想ってのはけっこう重要で」
「御託はいいから簡潔的に述べなさい。私は志波くんと違って暇ではないの」
平沢の辛口をうんざりした顔で聞いて、感想を言う気が失せてきた舜助はふとある事に気付く。少し目を伏せている平沢の身体が少しそわそわしていた。日頃から標的の動きを神経を研ぎ澄まして注視している舜助だからこそ気付くことができるほどの微細で些細な揺れだった。
何だかんだ言って少し楽しみにしているのかもしれない。友達がいないから他人に感想を言われる経験は初めてなのだろう。そう思うと眼前の少女のことが少し可愛らしく見えた。
その様子を見て少し罪悪感が湧いたが、舜助は正直な感想を告げた。
「小説としては面白いと思う。だが、ラノベとしては面白くない。正直言ってつまらない」
「つまらない人につまらないと面と向かって言われると結構傷つくわね。ずいぶんと辛辣ね」
「いや今のお前の発言と比べたら、ずいぶんな甘口批評だと思うぞ」
すると平沢はきょとんと小首を傾げた。いや可愛く首傾げても駄目だから。許さないから。
「それでどの辺りがつまらないのかしら。具体的に言ってもらわないと改善のしようがないわ」
「え? あ、ああ。具体的には……」
間の抜けた対応をする舜助に平沢は不審げな視線を注ぐ。正直言うと舜助は少し戸惑っていた。プライドの高そうな平沢が舜助の感想で作品の改善をしようとするとは思わなかった。舜助は気を取り直すように咳払いをすると続きを口にする。
「設定がオリジナリティ溢れるかどうかはこの際置いとく。まずは物語が全体的に暗めだ。ライトなノベルなんだからもっと明るく軽くした方がウケが良い。次にキャラクター、平沢の作るキャラは何というか等身大過ぎるんだ。これが一般文芸ならこのままで良いんだが、応募するのはライトノベルの新人賞だ。もっと砕けた、ぶっ飛んだ性格のキャラにした方が読者の印象に残りやすいしキャラも立つ。ラノベはキャラクター小説と呼ばれるほどキャラが重視される。この点は特に改善したほうが良い」
舜助が饒舌に批評を述べていくのに平行して、平沢はふむふむと頷きながら事前に用意したメモ長に鉛筆を走らせる。達筆だった。この女、容姿どころか字まで綺麗らしい。
「最後に、これもまた物語のほうなんだが。カタルシスが足りない。もっと主人公をいじめて逆境に立たせたほうがドラマが盛り上がる。もっとこう、中高生が好きそうなストーリーにしたほうがいい。あとこれもキャラなんだけど、主人公は格好いいから良いんだが問題はヒロイン。なんかこうもっと、そう。男性読者に都合がいい感じにするべきだ」
すらすらと文字を綴っていた右手が止まる。綺麗に髪を上げる。さらさらと細い上質な絹のような黒髪が宙をさらりと流れる。そしてちらりとこちらを上目遣いで見つめてきた。華麗な仕草に思わずドキリとする。薄い色彩の唇が音を発する。
「都合が良い? つまりそれは志波くんにとっての、と解釈していいのかしら」
「おい、なんだその、『あなたにとって都合の良い女なんてたとえ二次元だろうと存在するわけがないでしょう』みたいな目やめろ。いるよ、きっといるよ!」
願望を込めて『きっと』の部分にアクセントを置いてみた。そんな舜助の平沢は憐れむような視線をぶつけてくる。その視線から逃れようと咳払いを一つする。
「平沢、お前の描くヒロインがデレが足りない。あと萌え成分も不足してる。お前の場合ツン九割、デレ一割の配分なんだよ。ラノベを購読する奴なんて九分九厘、夢見がちなチェリーボーイなんだから少年の理想を追求した女の子にするべきなんだよ」
「あなた自虐癖まであったの? 卑屈が過ぎると顔はおろか心まで死んでしまうわよ」
「そうです俺は童貞野郎です!」
半ばやけくそだった。何が悲しくて女の子の前で童貞宣言をしなければならないのだろう。平沢の可哀想なものを見るような目に何とか耐え、話を続ける。
「まぁこれは口で言っても判らねぇだろうから、明日俺がラノベとか漫画ヒット作を持ってくるからよ。しばらくそれらを読み漁れ。いいか、ラノベは商品でラノベ作家はサービス提供者だ。売れているラノベはテンプレート+αなのがほとんどだ。まずはテンプレートなストーリーとキャラを描けるようになれ、独自性云々はそれからだ」
『全力を尽くした上で落選すれば少しは心折れるんじゃね』作戦はこうして始まった。