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美少女とキャッキャッウフフしたいなと思ってた時期が俺にもありました

「おはようございます、お兄さんっ!」

 今のこの状況を判りやすく説明してみようと思う。初夏に入って久しいこの時期、まださほど強くもない朝日が部屋に差し込んでいる。涼やかな風が頬を撫で、縁側の風鈴が涼しげな音色を奏でた。畳の匂いが鼻をくすぐる。庭をちょこちょこと歩く雀がチュンチュンと可愛らしい鳴き声を上げていた。何らいつもと変わらぬ朝の光景が広がっている。問題は寝巻きを着用し布団に寝転がる舜助を見下ろす影が一つあったことだ。

 少女は両膝を畳に着いて真上から舜助の顔を覗き込んでいた。くっきりとした眉の下、猫科の雰囲気を漂わせる大きなアイスブルーの瞳は理知的に光っており、直視していると吸い込まれてしまいそうだ。陽光を弾くさらさらと細いペールブルーの髪は無造作なショート。しかしそれは手入れの行き届いていないタイプの無造作さとは確実に一線を画しており、額の両側に垂れた髪は結わえられ細い房となっている。小ぶりな鼻と色の薄い唇が続き、その顔は少年ぽさと可憐さを同居させていた。

 その時庭にいた雀が一際大きな声で鳴いた、チュンチュンと。

――まさかこれは朝チュンなのかっ。朝チュンなのかっ。朝チュ……。 

 不意にその桃色の唇が動き、鈴の音のような声で言葉を紡ぐ。

「もう七時ですよ。お休みだからってだらだらしてたら健康に悪いです。今から朝ご飯作るので手伝ってください」

――うん。何となく判ってたよ。朝チュンじゃあないんだね。別にガッカリしてないから。……ほ、ホントだからねっ!

 そこでやっと思考が安定してきて、今の状況を冷静に判断する。あの戦闘の撤収作業を終えたあと、夜間から早朝勤務の騎士たちと入れ替わりで業務を終了した舜助は真っ直ぐ家に直帰し、そのまま布団に倒れ込んで眠りに落ちたようだ。

 それにしても、と心中で呟き視線を走らせる。少女の装いは真っ白なタンクトップにホットパンツ。そこからすらりと伸びる手足は折れそうなほど細く、抜けるように白い肌が覗いていた。この体勢からでも彼女が極めて矮軀であることが見て取れ、幼い少女であることが判る。なんだ天使か。

「もうそんな時間か……。あらよっと」

 掛け声を伴って起き上がる。ちらりと壁掛け時計を見ると七時三分を回ったところだった。傍らの少女に目を向けると何がうれしいのかにこりと笑う。その笑顔を見た途端、視線がある一点に勝手に吸い寄せられていった。今、彼女は両膝を着いたままの姿勢だ。そして出で立ちは白のタンクトップで、それは少しサイズ的にまだ余裕のある物だ。特に首元。つまり。

 なんかもう半ば見えていた、健康的な肌とわずかな膨らみが。危うい雰囲気を醸し出すその首元の奥は、あと少し角度を変えれば全部見えてしまうだろう。うっすらと浮き上がる鎖骨が妙に艶かしく、扇情的だ。……ごくり。

「どうしたんですか? お兄さん、少し顔が赤いですよ。もしかしてどこかお身体が優れませんか?」

 不思議そうな表情が一変して、心配げな色合いを帯びる。ころころ表情の変わる少女だ。ずっと見ていたい気もしたが、ここは誤解を説かねばなるまいと決意し口を開く。

「や、そういうわけじゃないんだが。その、アレだ」

「あれ?」

 可愛らしく小首を傾げる少女。

 ここに至り舜助は人生十七年間に置いて類を見ない葛藤に見舞われていた。すかさず脳内に悪魔が登場する。『ちょっと待てよ旦那。こんなビックチャンスは人生八十年生きたってそうそう訪れないぜ。ここは彼女に身体を動かさないよう指示するんだ。目の前にいるのは純粋さをそのまま具現化したような天使だ。きっと不思議そうにしながらもじっとしてくれるはずだ。そこで旦那がバレないように慎重に身体を数センチ動かして、視角をあとほんの三度、いや五度動かせば桃源郷とご対面ってわけだ。旦那、俺ァあんたを信じてますぜ』やけにアドバイスが的確だな。あと旦那って呼ぶな。

 『お待ちになって下さい!』おおっ、天使きた。『ここはもういっそ桃源郷に手を突っ込んでみてはどうでしょう。具体的に言うと首元のそのわずかな間隙に神速の右手をつっ』言わせねーよっ! 何さらっと悪魔よりひどい助言してんだよ、そんなことしたら俺は逮捕されるっつーの。それに何だよ神速の右手って、ただのセクハラだからなそれ。

 この間わずか一秒弱。両者の助言を受けた舜助は決断する。

「その……見えそうです」

 後者は駄目として前者すらも選択しなかったヘタレ童貞の姿がそこにはあった。

「え?」

 小さくポカンと口を開けた少女はゆっくりと、舜助の今だ固定されたままの視線をトレースしていった。そして。

 最初に目を見開いて呆然とし、次に羞恥に頬を紅潮させ、最後に顔を真っ赤にしてキッと睨み付けてきた。ころころ表情の変わる少女だ。そして反射的に振り上げられる掌。

「お兄さんのエッチッ!」

 庭にいた雀数羽がパチンッという音に驚いて飛び去っていった。



「あら、どうしたん少年。顔に紅葉なんて貼っつけて、秋はまだ先やで。流石に気が早過ぎるんとちゃう?」

「ほっとけ」

 居間に辿り着いた舜助は軽く頬を擦りつつ、台所に続く暖簾を潜ろうとしていた。あの後、腕を華麗に振り切った少女は数瞬後、ハッと、判りやすく正気に戻って即座に謝罪してきた。そのため怒る気も薄れた、いや謝ってこなくても怒ったりしないけどね。ただ素直な子だなーと感慨に耽っただけで。

 ――それにあれは、我々の業界ではご褒美です。てへへ。

 くすりと笑いを含んだ声を掛けられた舜助は、暖簾を押し上げていた右手を下ろし億劫げにそちらを向く。

 まず目に入ったのはウェーブのかかった長く艶やかな黒髪。次に目を引いたのは明るい黒色の和服で、至る所にはすの花を咲かせている。整えられた眉の下の瞳は垂れ目で、右目の斜め下にある泣きぼくろが妖艶さを醸し出している。耳を撫でた笑い声を発した薄紅の唇を大判の扇子を広げて隠すとさらにクスクスと笑う。その雅な所作も様になっていて、高貴なお嬢様という印象を見る者に与える。

 瞳をにやりとさせると広げていた扇子をすっと戻し胸元に直すと、こちらにすり足で近寄って来ておどけた声音で訊いてきた。

「なんやウチに黙ってついに姫ちゃんに手ぇ出したんか。んもう何でウチを誘ってくれんかったん? ウチは日夜イメージトレーニングしとるから本番になれば舜ちゃんより姫ちゃんのこと、気持ち良くさせられる自信あるんやで」

 そう言ってえへんと、胸を張る和服美人。舜助は呆れたような視線をその女性に向ける。

「そんな自信満々に言うことじゃねぇだろ、それ。姉貴がそんなんだからティアが怯えんだろうが。あと舜ちゃんって呼ぶな」

 え~ん、舜ちゃんのいけずぅと猫撫で声を出すこの女性の名は志波清美という。そう、舜助の姉である。歳は今年で二十七、彼氏なし。最近の悩みは海外赴任中の両親から結婚の話題を出されること。清く美しいと書いて清美。見た目はぎりぎり高校生でも通りそうなほどの童顔と妖艶さを同居させている。名は体を表すと言うが、まさにその言葉の体現者と言えるだろう。だから舜ちゃんって呼ぶな。

「せやけど確かに姫ちゃんを困らすのもウチの本意やないしなぁ。決めたっ!

少しは自重するわ、ウチ。……いや待て、待つんや清美。想像してみぃ、姫ちゃんが子ウサギの如く怯えてる様を…………じゅるり」

 前言撤回。誰だよ清く美しいとか言った奴、下水道より濁りまくりじゃねぇか。これからは心の中で下卑美さんと呼ぼう。おい、美しいのは変わんねぇのかよ。

 こんなのが保護者だなんてティアラも可哀想である。ちなみに姫って言うのは少女、本名はティアラ・プリセットと言うのだが清美曰く、『ティアラってお姫様が頭に乗っけてるアレのことやろ』。いや正確には少し違うのだが。

 ――いやまぁしかし、アレだな。ティアが怯えている姿か……、……攻められている姿かぁ。妄想が加速する。

 とろんとした瞳にだらしなく開いた口から覗く赤い舌、頬は上気してそれでも声は出すまいと必死に抵抗するその姿。だが次第に求めるように膝を擦り合わせ、何か欲しがるような視線をこちらに向けてきて…………げへへ。

 朝方の和室で顔を見合わせながら、片やその綺麗な口許に涎を垂らし片やにへらと笑う姉弟の姿がそこにはあった。

「お二人さん、なにしてはるんどす」

 冷酷な声が耳朶を叩き、二人の沸いた頭を冷却する。

 瞬間、二人の表情が固まった。ギギギギと首を動かし視線を斜め下へ。そこにはピンク色のエプロンを着用し両手に腰を当て、こちらを冷めた眼で睨み上げているティアラが仁王立ちしていた。迂闊であった。暖簾が全くというほど揺れなかったので全然気付けなかった。右手にはお玉を握っている。

「清美さん」

「は、はい!」

 名指しで呼ばれた清美は怯えた声を上げて、何故か敬礼した。そんな清美にティアラは微笑みかける。花の咲くような笑みであった。その表情を見て清美はほっと胸を撫で下ろしたかのように、緊張した顔をわずかに弛緩させる。

 だが舜助は気付いていた。その蒼い瞳が全くこれっぽっちも笑っていないことに。

「そんな事を妄想しながら毎日私を見ていたのですか、穢らわしい。全くもって不潔です、不快です。虫唾が走ります。いったいこの汚物はどこに廃棄処分に出せばいいのでしょう。ああ、このゴミ異臭が強烈過ぎてどの業者さんもきっと引き取ってくれませんね。困りました、ここは微生物さん達のお力をお借りするしかありませんね」

 どうやら地下に埋没させる算段をつけたようです。

「ぐげはっ!」

 言葉の散弾銃ショットガンを浴びた清美は奇怪な叫び声を上げると、床に倒れ伏した。時折身体をくの字に曲げて悶絶している。ついでに激しく痙攣している。ティアラはその様子を睥睨してさらに追い打ちをかける。

「あ、ゴキブリ……じゃなくて清美さんでしたか。あまりにも姿形が似ていたので見間違えました。その着物、アレの羽みたいですね。目に害悪ですね、毒なんて生易しいものではありません。台所でお湯を沸かしているのでそれ掛けたら死にますかね」

「あぐあっ!」

 再び奇妙な呻き声を出す清美。その身体の痙攣は細かく振動タイプから時々ピクピクタイプにシフトしたようだ。不意に「舜助……」と弱々しい声を掛けられた。途轍もなく嫌だったが仕方なく腰を落とす。そして囁き声。

「……えへへ……えへ……へ」

 ティアラのれいとうビームは、清美にはこうかがないようだ。こいつ、少なくともドラゴンタイプじゃないな。

 どうやらマゾヒスト(ティアラ限定)の清美にはあの罵詈雑言はご褒美だったようだ。心なしかその顔は幸せそうである。

 舜助は立ち上がるとティアラに視線を戻す。当の本人は清美を不気味な異型の怪物を見るかのような目で見つめていた。心なしか顔色が悪い。一瞬後、舜助と視線が交わる。その瞳にはさっきまでの怖気の色はなく、ただ冷徹な光があった。

「お兄さん」

「ヒィッ!」

 思わず口からか細い悲鳴が漏れてしまった。身構えながらもどんな罵倒をされるのかと内心戦々恐々する舜助にティアラは一言告げた。

「如何わしい妄想をするお兄さんのこと、私嫌いです」

 嫌いです、嫌いです、嫌いです。その言葉が舜助の耳にエコーを引いて入り込んで来る。数秒後、脳がその言葉を理解したのと同時に舜助の意識はブラックアウトした。

「くおっ……!」

 かと思いきや舜助は強靭な意思力を振り絞って暗闇に落ちかけた意識をぎりぎりのところで回復させる。鍛えられた狙撃手の忍耐力を内包する精神がティアラ専用強化外装、対舜助用の精神破壊兵器『嫌いです』の破格の攻撃力を受け切った瞬間だった。

「……ぐぅ、そ、そんなこと言うなよぉ。男の性だよぉ、仕方ないんだょだってティアが可愛すぎるからぁ……。許してよぉ、き、き、き……なんて言わないでよぉ」

 どうしても『嫌い』という単語を発言出来ないらしく、本能がその発声を拒否しているようだ。完全にはティアラ専用強化外装(以下略)は受け切ることはできなかったようだ。涙を滝のごとく流しながらティアラに縋り付く。エプロンが悲しみの大洪水に見る間に侵食されていく。

 《半年前の戦時中》に四方八方をバクに包囲された時ですら涙はおろか冷や汗一つ流さず毅然と立ち向かっていった舜助が、一人の年端もいかない少女に拒絶の言葉を言われただけで幼子のようにしゃくり鳴いていた。

 恐ろしい子ティアラ・プリセットは『可愛すぎる』というフレーズに反応して頬を色づかせる。そしてその小さな手であやすように舜助の頭を撫でると優しい声音で囁く。

「ごめんなさい、さすがに言いすぎました。本当に嫌いってわけじゃありません。むしろその好き……です。その、変な意味じゃなくて! そう! 家族として大切に思ってるってこと、です!」

 前半は落ち着いた、後半は慌ただしい声でそう言う。ティアラは今度は顔を真っ赤にしてまるで弁明するかのように必死に言葉を紡ぐ。意味もなく手をあわあわしている様は、もし清美が見れば萌え死にするほどの破壊力を有していた。

 ティアラが喋り始めてからピタリと泣き声を収めた舜助は、バッとその身を翻すと肩越しにティアラを料理に誘う。

「よし、ティア一緒に飯作ろうぜっ」

 先程の醜態を帳消しにしてしまいそうなほどの快活な声。その顔はにへらとだらしなく崩れていた。ティアラの方からはその表情を見ることは出来ずその様に呆気に取られた後、にやりと小さく悪戯めいた笑みを口許に浮かべる。そして律儀に返答する。

「はい、よろしくお願いしますっ」

 和室の暖簾前で十才の少女に手玉に取られる男子高校生の姿がそこにはあった。

 暖簾の奥できゃっきゃと楽しげな声が聞こえてくる中、床に寝転ぶ清美は調理終了まで気持ち悪い笑みを伴って喜悦に浸り続けた。  

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