狙撃は初弾が肝心
志波舜助は満天の星空を見上げていた。暗闇の中に点々と輝く星々を見ていると、自分がいかに矮小な存在であるかを認識せざるおえなくなる。
美しい夜空に目を奪われ、気分が高揚した舜助は大きく深呼吸をする。初夏の夜気は澄んでいてとても気持ちがいい。
空にぽっかりと浮かぶ満月は骨にも似て白く冴え、青白い月光が降り注ぐ。
澄んだ空気を取り込んだ肺が喜んでいるのを感じる。
視線を下げ視界中央にある物体を捉える。
闇をその身に吸い込んだかのような漆黒。月明かりに照らされたそれは不気味に輝いているようだ。狙撃銃である。
付近でも高級で知られるタワーマンションの屋上の端っこ、そこで伏せ撃ち(プローン)の体勢で標的を狙う少年がいた。
舜助は気分を切り替えるように左手を二脚によって支えられた巨大な銃身に滑らせる。
名を《PGM・ウルティマラティオ・ヘカートⅡ》と言う。全長百三十八センチ、重量十三・八キロという図体を持つ対物狙撃銃である。
五十口径、つまり直径十二・七ミリもの巨大な弾丸を発射するこのライフルは、車両や建築物といった人ならざるものを貫くよう設計された銃だ。
そんな物騒な代物を夜もとっぷり更けたこんな時間に、構えている。それはすなわち『これから』人ならざる者を相手取る、ということを意味している。そのことを意識すると思い出したかのように全身が震え出す。
その時、夜天に断続的に銃声が響き渡る。
――もう気づいているかもしれないが、そう。戦闘はもうとっくに始まっちゃってます。
面倒くさいがそそくさと狙撃準備をする、と言っても零点規正はとっくの昔に済ませてある。
――さて、仕事を始めよう。
瞬時にスコープの前後のフリップアップ・カバーを跳ね上げ、把手を引き、機関部に初弾を装填する。
視界左上に小さく表示された時刻は午前二時。草木も眠る丑三つ時である。故にスコープの反射でこちらの位置が露見することもない。
とは言え、狙撃が有効なのは敵に射手が発見されていない状態での初弾に限る。可能な限り不安要素を排除しておくに越したことはない。
初弾が重要。故に今この瞬間から舜助はスナイパーとして、プレッシャーと孤独な一対一を繰り広げなければならない。
勝負は一瞬で決まるだろう。なんせヘカートの弾は音速を遥かに超える速さだ。銃声が聞こえた時にはもう遅い。
視界右端のホロディスプレイに搭載された距離計は正面一キロを示す。暗視・望遠機能も備えたアイセンサー越しに見る戦場は滅茶苦茶と言うしかない。
高速機動する二つの影は何度となくその堅牢な装甲をかち合わせ、舜助の拡張されたその聴覚に金属同士がぶつかり合う甲高い音を響かせる。風切り音さえ聞こえてきそうだ。
夜闇を駆ける騎士とバクの戦闘は、高度な人工知能《雪影》の予測演算と高性能アイセンサーがなければ到底、目で追い続けることはできない。
戦場に花咲く銃口炎は幾度となく死の閃光を舜助の鼓膜に焼き付ける。この銃撃音はアサルトライフル特有の小口径高速弾のもの。きっとセレクターをフルオート連射モードに切り替えて発砲しているのだろう。
殺到する銃弾はバクの装甲に派手な火花を散らす。しかしバクはまるで痛みや衝撃を感じていないのか、火を噴く銃口に向かって猛突進する。一瞬で距離を詰め、懐に飛び込んだバクの貫手が騎士の喉元を狙う。
騎士は咄嗟にライフルを盾にする。転瞬、視認さえ困難な貫手が銃身部分を切断する。ほんのわずかに減速した貫手は騎士の顎を擦過し、火花を咲かす。そこにお返しとばかりに騎士のローキックがバクの腹部に炸裂。ぶっ飛ぶバクを尻目にバックダッシュして距離を取る騎士。目にも留まらぬ戦闘が展開されていた。
人工知能が戦闘モードに移行したようだ。その証拠に視界に狙撃弾の直進に影響を与える様々な情報が表示される。
機械音声が耳朶を叩く。
『十五秒後、標的ノ動キガ一時的ニ停止シマス。銃口ヲ右ニ十二度旋回。十三秒後、五秒ノ間風速二・五メートルニ変化』
ライフルをわずかに動かす。
「実質三秒か」
そう思いつつストックを右肩に押し当て、スコープを頬付けする。かすかにキン、と硬質な音が鳴る。舜助の頭頂から足先までを鎧うブラック・クロームの『パワードスーツ』は青い月光を受け怪しく鈍く輝く。
漆黒に染まる左手で銃身をなぞれば厚い装甲越しに冷たく重い感触が伝わってくる。月明かりに照らされたその姿、
殺戮を欲し、死を求める冷酷な塊。
――確かにこの姿を見ればその感想を抱くのも判る。流石は俺の嫁。
『残リ十秒』
心臓の鼓動が激しくなるが、七秒目のカウントを聞いたところで嘘のように動悸が収まる。すっ、と頭の芯が冷えていく感覚。
右眼を接眼レンズに当て、最小倍率にしてあった視野は指先で倍率ダイヤルを調節する度に、わずかなクリック音を伴って拡大されていく。
『残リ五秒』
絶え間なく続く激闘の音が遠ざかり、雪影の氷水のように冷たく澄んだ声だけが意識に響く。トリガーガードに指先を触れさせる。
『残リ三秒』
引き金に指を掛け、わずかにトリガースプリングがきりっと小さく軋む。スプリングは重めに設定してあるが、スーツ越しの指圧ではこれぐらいが丁度良い。
白い照準線の向こう、虚空のその一点を睨み据える。炯々と光るアイセンサー越しに見る照準をその一点のわずか上に滑らせた。
『残リ一――』
その時、スコープ内は刹那爆光に埋め尽くされる。続いて爆音。腕は絶対に動かさない。狙撃は一ミリの誤差が途轍もなく大きい。
何が起きたかは判らない。未だに視野は完全には晴れていない。だが、それでも当てる。当たる。
トリガースプリングがたわみ、引き切る。
撃針が薬莢底部の雷管を叩き、撃発。機関内部で小爆発が起こる。
轟音。
五十口径ライフルの咆哮が世界を震わせた。
ヘカートⅡのアギトに設けられた制退器から巨大な炎が迸る。一瞬の閃光。螺旋溝を通過した音速を超える弾丸は銃声すらも置き去りにし、ジャイロ回転しながら大気を穿ち飛翔する。巨大な反動によって舜助の身体はライフルごと後退しようとするが、強靭かつ堅牢な装甲を持つスーツを着用した舜助は少し踏ん張るだけで、その場に身体を留めた。
虚空に向かって突進する致死の弾丸。その軌道上に突如として影が現れた。その影――バクは銃口炎に気付いたのか、兜とその巨大な面頬に覆われた顔をこちらに向ける。十字に切られた面頬の奥。
刹那、スコープ越しに視線が交錯し――
銃弾はその視線をなぞるかのように突き進み、左眼窩に侵入。突き破りそして貫いた。巨大な運動エネルギーが脳髄を損壊せしめ弾丸は虚空に去る。そして思い出したかのように鮮血が噴き出し、夜の闇に真っ赤な大輪の花を咲かす。
「…………ッ!」
詰めていた息を吐き出し、舜助の右手は自動的に把手を引いていた。金属音と共に真鍮色の巨大な空薬莢が排出され、金属質な音色を響かせながら床を数度跳ねる。
銀色の騎士鎧に身を包んだバクは、断末魔を上げる暇なくその巨軀を真後ろに仰け反らせ、そのまま重力に引かれ地面に落ちて――
いくことはなかった。その身体は不自然な角度でぴたりと静止し、ガラス塊を割り砕くような大音響を振り撒きながら爆散した。微細な欠片となったそれらは青い月光を反射して眩く輝き、その光景はひどく幻想的だった。
スコープから眼を離し、一息つく。バイザーを上げて空を見上げる。肉眼で見る月は一際白く、地上は青白い月光の底に沈んでいた。この街の夜はそこそこ明るく、照明がなくても歩くのに不自由はしないほどだ。
「何度見ても見蕩れてしまうな。――綺麗でしょ? 生命の終わりは……切ないほどに」
『感慨深イセリフモマスターガ言ウ途端ニ薄ッペラクナリマスネ。アル意味才能デスヨ』
――ほっとけ。
『目標成功。温体感知ト動体感知ニ反応一。コレハ『彼ノ者』ノモノデスネ。コノ高度圏内デ半径五キロ以内ニソレ以外ノ反応ハナシ。従ッテ戦闘終了ト判断シマス』
「まぁ、そうだろうな。一夜に一体以上のバクが出現したケースは最近聞かないし、今夜はこれで終わりだろう。それじゃあ俺は寝る」
その言葉で締め括るとすぐさま舜助はヘカートの二脚を畳んで傍に置いてあった真っ黒の長大なアタッシュケースに丁重に収納すると、ごろんと仰臥した。この間わずか一秒にも満たず、まさに早業である。手慣れているのがよく判る速さだった。ブラック・クロームのパワードスーツが不満げな音を立てる。
『寝カセマセン。任務は続行中デルガユエ、午前四時マデハ就業規則上で勤務トサレテイマス』
「俺が寝ると言った」
『マスターノ発言ニ規則ヲ変エルホドノ影響力ハ皆無デス』
寝れそうにない。ここは趣向を変えていっそ褒め殺してみよう。
「いや~雪の声はそう! 水面に波紋を浮かべる一滴の純粋なる超神水のようだ。これほど上質な子守唄ならぬ子守声は世界中を探しても見つかりはしない。まさに女神の歌声と言ってもなんら遜色はない」
『ヘ? ……ソ、ソウデスカ有リ難ウ御座イマ……デハアリマセン。ソンナ褒メテモ出ルノハ可聴域ヲ超エタノイズクライデス』
まだ何かガミガミ言っているが雪影は知らない、それが舜助の眠気を助長させていることを。意識がスーッと暗闇に落ちて行く感覚。舜助は抗うことなくその意識を手放そうとした――
ピィンと高い音が聞こえた気がした。それは例えるなら対戦車狙撃ライフルの超音速の弾丸が真横を掠めていった時に聞こえる、そんな音。
バッと身を起こしてすぐさまヘカートⅡを取り出すと、二脚を展開しフリップアップカバーを跳ね上げるのももどかしく覗き込み、最大倍率したままのスコープの倍率ダイヤルを素早く操作し最小に設定する。
そこにどこか感激の色を滲ませた声音が響く。
『仕事ハサボルタメニアル、ト豪語スルアノマスターガ率先シテ……。明日は槍デモ降ルノデショウカ』
「なんだか嫌な予感がする」
その声は自分でも驚くほどに張り詰めていた。
人間の聴覚より遥かに高感度な音源センサーを持つ雪影がこの有り様だ。九分九厘空耳か幻聴だ。頭ではそう判断しつつも本能が警鐘を鳴らした気がした、あのまま寝ていれば絶好のチャンスを逃す、と。
雪影は舜助のその声が真剣さを帯びているのを察知し、すぐさま警戒モードに移行し、周辺一帯にレーダーを走査する。舜助がすっとスコープから眼を離すと、視線の先に少し前まで前線で戦っていた騎士がこちらに向かってきていた。その悠々とした歩みで『宙』を踏み締める様を見て、彼も彼の人工知能も何も感知していないようだ。
――ただの空耳だったのか。
そう思いかけたまさにその時。舜助は電撃的に反応した。
無意識に前方右上、三時の方向に視線を走らせた。そのわずか一秒後。
『三時方向カラ超高速デ接近スル動体反応アリ。熱源反応カラ『バク』ト断定。ッ忽然トセンサー知覚範囲内ニッ。移動速度カラ竹ランク以上ト推定。不覚デス』
「軌道予測。奴はどこに向かう」
国内に存在するスパコンと接続することで雪影は、超高速の戦闘演算を可能にし、それにより算出された結果はまさに未来視のような精密さをもつ。
『目標ハ三時方向カラ直進シ、九時方向ヘ――行クト見セカケテ七時ノ方向ニ進路変更。コレハ……』
「どうした。竹ランク以上ならそろそろ可視圏内に入るはず。目的地への到着時刻は?」
『時間ハ約三十秒後。……目標ハ七時方向ノ下方ヘマッスグ……』
「民間人か」
その声が確信めいた響きを持っていることに雪影は気付けなかった。
『ハイ。照ラシ合ワセタヨウニ同時刻、ソコニ民間人ガ一名通過。身長ト体温カラシテ女性ト推定』
舜助は素早く身体を起こし膝撃ちの姿勢になると銃を左に動かし、示されたその方向をスコープ越しに見つめる。この場所から地上は遠いが眼を凝らす。倍率を最大に変更。ポイントから五十メートルほど離れたその場所をピックアップ。
胡麻粒程度だった姿がみるみる大きくなる。外見からして二十代前半と推定。その女性はゆったりとした歩みでポイントへと向かって行く。足取りからして少し酔っているか。
その時、舜助はようやく自分が笑っていることに気付いた。獰猛で、冷酷で、残忍な微笑。
雪影は舜助の体温から心拍数、発汗量に至るまで様々な身体的情報を常時モニタリングしている。表情筋の動きからその笑みが危険な種類のものであると推測して、今だ状況が激動していることに気付ていないもう一人の騎士の人工知能より数倍優秀な雪影は、その笑みを考察材料にある一つの仮定に辿り着き戦慄した。
舜助は冷酷に、残酷に、冷淡に、反抗を許さない圧倒的な制圧力を内包したその冷めた声を囁いた。
「雪影、バクの軌道予測を。予想をつけて狙撃する」
ここで雪影が演算を放棄することも出来る。スーツの全機能を強制的に停止させることも雪影には可能だ、その権限を保持している。未来視とも言うべき演算能力がなくなれば舜助の狙撃能力は『神技』レベルからギリギリ『達人』レベル――八〇〇メートル先の標的に命中させられる――に届くかどうかという程度だ。
そこまで考えて雪影は毅然と言い放つ。
『私ハ悪の片棒マデ担グツモリハアリマセン』
「ああ、そうか。わかった。一人で狙う」
さもあっけらかんと舜助は返答した。まるで拒否されることが判っていたかのような態度だった。
『――――ッ!』
憤りを多量に含んだ声とも嘆息とも言える音が舜助の鼓膜を刺激したのと同時に、全機能停止。舜助の視界がブラックアウトする。
即座にバイザーを跳ね上げスコープ越しで騎士の位置を把握。残念ながらスーツの恩恵なし+ヘカートの狭い視野では超高速で疾駆するバクを現段階では捉え切れない。
これは途轍もなく狙撃困難な状況である。
先ほど命中させた狙撃は雪影が標的の位置座標、温度、湿度、角度、風速などの各情報数値を計算し、それを元に移動予測位置を割り出して見越し(リード)をつけて狙撃したのだ。
それが今はない。これはまず当たらない。
それが判っていながらも舜助は冷静に銃口を、見越しをつけた位置にポイントする。そこには絶対に当てるという執念があった。
おそらくあと十五、いや十秒でバクはこの場所を通過する。そしてその二秒後に方向転換をし、残り三秒の間であの女性を襲うだろう。
なんとしてでも阻止しなければならない、絶対に。
スコープに眼を当てていた舜助は少しだけ顔を上げる。
傍らのヘカートを収納しているのと比べると遥かに小さいケースから双眼鏡を取り出し覗き込む。視線の先には横須賀がこちらに向かって来ている姿。その男が不意に視線をある一点に固定する。ようやくバクの接近を感知したようだ。遅すぎる。
双眼鏡を床に放るとヘカートを頬付けする。スコープを覗き込み半ば自動的に照準線の交点を標的の胸部に命中するよう微調整する。トリガーに指を掛ける。
おそらくあと五秒。四、三、二――――引き金を絞る。
再びの轟音。
必殺の閃光で視界が一瞬白く染まる。大気にトンネルを穿ちながら標的へ飛翔する。その弾丸は吸い込まれるように標的の胸――ではなく、大腿部に直撃する。最高速に到達していた身体は破格の運動エネルギーを受けて、体勢を崩し派手にぶっ飛ぶ。
五十口径の《死》そのものを結晶化した弾丸は当然の如く――――騎士の方に命中した。
案の定、『横須賀』はバクの撃破ではなく民間人の保護を優先した。空中を派手に跳ねる横須賀の真横を嘲笑うかのようにバクが通過する。疾走によって発生した衝撃波が追い打ちの如く横須賀の身体を叩く。
バクは予想通り方向転換し獲物に突進する。遥か上空から高速で飛来するバクを見て、女性は何を思ったのか。それは判らない。
舜助は予定通り、捕食を終えて無防備になった所を狙い撃つためヘカートⅡをバクの背中にポイントしようとして……
瞬間、身体と精神が硬直する。
スコープの中の光景は尋常ならざぬものであった。
地面に着地したバクは喰らおうとした所を隣から飛び込んできた影に飛び膝蹴りを受けて捕食を阻止された。
――そんな馬鹿な。あの状態から間に合うのかッ……!
舜助が驚愕するのと同時にスーツの全機能が復旧する。雪影の安堵のため息が聞こえた気がした。
自動的に追跡したアイセンサーと、地面と水平に吹っ飛ぶバクとの視線が交錯した。十字の穴の奥にある瞳、そこから放たれる憎悪が込められた視線が舜助を射抜いた。
バクは空中で曲芸めいた動きで身を翻すと、空気を蹴って進路上の建築物を縫うように回避しながらこちらに突進してきた。舜助は即座にヘカートを抱え立ち上がると大きく後方に跳躍した。
その直後、つい先刻までいたその空間が斜めに斬り裂かれる。がしゃりと鎧を鳴らして屋上に着地したバクの右手には鈍色にぎらりと輝く長大な両刃の西洋剣が握られていた。舜助と相対したバクは剣を肩に担ぐようにして構えを取る。その様は荒々しくも騎士の姿であった。
対してこちらは全身黒ずくめに塗装された特殊な装甲など何もない、金とチタンを素材にし、全天候型のセンサーを搭載した科学の塊だ。騎士という呼称があまりにも似合わない姿形をしている。
殺気を全身に漲らせるバクが床を粉砕し、風を裂いて猛進してくる。彼我の距離は五十メートルはあったはずだが、しかしその距離は双者にとって『近接戦闘の範囲』である。
瞬き一回の間に距離を詰めてきたバクは斜め斬り下ろしを繰り出してくる。だがその一閃は空気を虚しく斬った。黒ずくめの騎士の姿は瞬時に消えていた。
とん、とん、と二回足音がした。斬り下ろし体勢のバクの背後二十メートル先で黒騎士は『冥界の女神』のアギトを向けていた。くの字を書くような形でバクの剣を回避していた。雪影のような人工知能による予測演算を受ける騎士にとって『回避』とは、攻撃よりも得意とする技である。
スコープの中、十字照準線の交点を背中の中心に据える。普通ならどんな屈強な男でも対物狙撃銃を立射すればたまらず後ろに倒れるが、百やそこらでは利かないマイクロアクチュエーターを内蔵したこのスーツなら可能だ。両足を大きく開き床を踏み締める。
バクが振り返ったのと引き金を引き絞ったのはほぼ同時だった。全身を叩く衝撃と爆音、そして鼓膜を焼かんばかりの発射炎。
車両などを貫くことを目的とした弾丸は胸部に弾着。が、一瞬火花を散らして明後日の方向に弾き飛ばされた。やはり硬い。
それでも流石に衝撃は殺し切れなかったようでバクは大きく後ろに仰け反る。無意識にターンし把手を手前に引く。次弾が薬室に送り込まれる。吐き出される薬莢が地面に落ちると同時にトリガーを引き切るその直前。
舜助は信じられない光景を目にした。バクの身体が逆再生するかのように戻ったのだ。
撃針に叩かれた五十口径弾は胸部よりも気持ち薄そうなバクの脇腹に吸い込まれ、弾かれた。居合斬りのような姿勢で固まるそのバクの姿は、剣で銃弾を弾いたことを如実に証明していた。
先程の横須賀の件より遥かに巨大な驚愕が沈黙の狙撃手の理性を貫いた。狙撃手としての抑制も忘れて舜助は呻いた。恐ろしき芸当であった。
――なん……だと。この距離での回避は不可能だ、だがそれでも躱したならまだ判る。弾いただと……。対物狙撃ライフル弾を弾く!?
その台詞が死亡フラグであることをすぐに気付けないぐらい舜助の頭の中は真っ白になっていた。
西洋剣がバネに弾かれたように戻り、正中線に構えられる。距離は二十メートル。完全に間合いである。白銀の鎧を鳴らしてバクが踏み込む。舜助には耳元で叫ぶ雪影の声すら聞こえていなかった。右手に狙撃銃をぶら下げたまま呆然とする様は、バクから見れば案山子の如しであったことだろう。
肉薄してきたバクは床を嚙み、大上段からその大振りの必殺の剣を振り下ろした。剣撃を受けた舜助の頭部から迸ったのは果たして――――火花だった。衝突した剣越しにバクの動揺が伝わってきたような気がした。
舜助は嗜虐的な笑みを頬に刻むとおもむろに口を開く。
「お前が頭に一発ぶち込んでくれたおかげで、思考がクリアになった。礼を言っておく。騎士が最も得意とするのは回避ではなく、堅牢な外装による防御からのカウンターだ。俺の頭をぶっ壊したかったら大砲の弾でも直撃させるんだな」
そこで言葉を切ると同時に右手のヘカートを離すと、その空いた右手を握り締め丹田に力を込める。停止していたバクは即座に回避行動を取ろうとするが遅い。引き絞られた拳は下方から上方へと振り挙げられその顎を捉える。ガンッ、と鈍い衝撃音が響く。
この一撃は堪えたのかバクは数歩たたらを踏む。そこに追い討ちをかけるように右足でハイキックを繰り出す。兜を捉え再び鈍い金属音。たまらずバクは後ろへ後退る。そこに腹パンの要領でもう一発。わずかにくぐもった呻き声が聞こえた。
転瞬、ヘカートを拾い上げると素早く把手を引いて再装填。銃口をバクの目と鼻の先に突き付ける。銃床を肩付けして引き金を引く。巨大な衝撃と轟音。バクの重心が後方へ傾いた所を狙った射撃は、派手に眼前の敵をぶっ飛ばす。
しかしそれでもバクは無理やり両足を地面に接地させると宙に浮いていた身体に制動をかける。足元から大量に火花が散り、やがて止まる。
――これで決める。
内心でそう決意すると、後方に跳躍。屋上の端、つまり狙撃ポイントまで後退するとこれまた小型のケースを開け、中から強化スチール製の円筒缶を取り出し、ピンを抜くとすぐさま投擲。
バクは本能的にそれを切ろうとする。だが遅い。
それはバクの目の前で爆光をまき散らし、闇を吹き飛ばす。百七十デシベル、二百万カンデラの爆音と爆光がバクの視聴覚を一時的に機能不全にする。特殊音響閃光弾。
太陽をも凌ぐフラッシュと室内であれば到底耳を塞いだ程度では防ぐことのできない振動を発生させる化学投擲弾である。
バクはたまらず腕で面頬の十字部分を押さえ悶絶する。十分にスタン効果があったようだ。いくらバクであろうと最低五秒は身動きは取れないだろう。
その様を一瞬見つめたあと、舜助は跪いて手近にある持ってきたアタッシュケースの中で最大サイズのロックを外し、中身のブツを取り出す。
舜助は素早くフィーダーを通して連結された弾薬箱を背負う。本体だけで十八キロ、そこに弾薬を合わせれば総重量は軽く四十キロを超える。
Y字型の支持フレームに支えられた、円筒形の機関部。その上部にある太いキャリアハンドルを掴む。その下に伸びる束ねられた六本の銃身をバッテリーパックの力を使って高速回転させながら、装填・発射・排莢を行うことで七・六二ミリ弾をばら撒く旋回機銃である。
名を《M134・ミニガン》。秒間百発の速度で高速ライフル弾を吐き出しながら超連続射撃をする鏖殺兵器。その全体の長さは軽く一メートルを超える。
そしてバクのスタン効果が切れるよりも早く、腰を落として照準し、トリガーボタンを押し込む。バッテリー動力により回転銃身がゆっくりと、数秒後には高速回転して直後に耳を聾する爆音と共に火を噴いた。
巨大なエネルギーの奔流がバクを呑み込んだ。瀑布のような弾雨に晒されたバクは必死に離脱を試みるが、その足は床に縫い付けられたかのように離れずバクの疾走を阻む。強烈な火花が騎士鎧の表面に花を咲かす。
ノックバックしそうになる身体を懸命に押し留め、五秒間、斉射した後トリガーから指を離す。足下には大量の空薬莢と薬莢連結金具が山と積もっている。
少々重いその銃と言うにはあまりにも獰猛な鋼鉄を床に下ろすのと、バクが崩れ落ちるように床に両膝を着いたのはほぼ同時だった。舜助はその様子を睥睨し、カツカツと足音を甲高く鳴らして少し離れた場所に置いたヘカートⅡを拾い上げると、冷淡と膝撃ち(ニーリング)の姿勢を取る。
静かに照準し、把手を引いて装填。猛烈な弾丸の嵐を受けたバクは大きく後方に退いていたが、それでも有効射程圏内。不意に力なく俯いていたバクが顔を上げた。十字の穴の奥から懇願するような視線をスコープ越しに受けた。
人と同じような姿を包む鎧は黒く煤けていた。もしかしたら人間と同じように家族という存在を、大切な存在をそのバクも有しているのかもしれない。
一発銃声が木霊した。金属音を響かせてその巨体が糸の切れた人形のように倒れ伏す。じわじわと血液が床を侵食していく。薬莢のチン、という跳ねる音は、静寂の中で大きく響いた。その中で舜助は一人ごちた。
「六発もヘカートの弾を消費した、たった二体相手に」
その声には何の感慨も含まれていなかった。静寂を破るように死体が爆散。無数の光の欠片となって夜闇に溶けていった。ヘカートのみを丁寧にケースに戻すと死体のあった場所に歩み寄る。そこには透明な鉱石のような物体があった。研磨されていない原石のようなそれはクリスタルを連想させる。
両掌に収まるような大きさのそれを拾い上げる。バイザーを上げると肉眼で、鑑定するかのようにじーっと見つめる。結晶は月光を吸収しているかのようにその内部に幻想的な光を灯す。
嘆息混じりに一言漏らす。
「まぁ上々か。それなりの金にはなるだろう」
そう納得してようやく舜助の胸中に感情というものが満ちる。それはごく少量の喜悦であった。その時、背後で何かが着地したような音がした。舜助はそちらを振り向く。
そこには案の定、先刻舜助に狙撃されたあの騎士が立っていた。見れば左大腿部に弾痕がしっかりと残っている。貫通はしていなかった。
二人の間に重い沈黙が降り注ぐ。雪影も空気を察してか黙り込んでいる。数秒間の沈黙の後、憤怒を滲ませた声が静寂を破った。
「なんで邪魔したンすか。オレがあと数秒遅かったら犠牲者が出てたンすよ。オレらの使命は夢を持つ人たちをバクから守ること! 『兄貴』だってそンぐらい判ってンでしょッ!!」
黄金色のアイセンサーがこちらを睨む。兄貴、と呼ばれた舜助はやれやれと言った風に嘆息し呆れたように返答する。
「それを言うならお前だって俺の邪魔しただろうが。バクの特徴を頭に叩き込むのもその何、使命ってやつの一つだぞ。バクは夢を食糧とし喰らうことで腹を満たし、夢を食えば食うほどただでさえ常軌を逸しているその戦闘力は向上する」
そう言って掌の水晶をぐいっと差し向ける。
「これはバクの心臓だったものだ。あいつらは絶命すると同時にその肢体を爆発させて後には結晶化した心臓だけが残る。俺らに強靭な力を与えてくれるこのスーツだって、この心臓を合金の素材にして作られている。これを技術開発局に譲渡すれば金が懐に入ってくる。そんでより多く夢を喰ったバクの心臓は高く売れるんだよ。先輩からのアドバイスは以上だ」
舜助にしては長い台詞を喋り終えると横須賀と呼ばれるその騎士の脇を通り過ぎようとする。だがその歩みを眼前の騎士が阻んだ。怒りを押し殺したような声が漏れ聞こえてくる。
「……兄貴は、兄貴は人の命より金のほうが大事つっーのかッ!」
「いやそれは流石に命の方が大事だろ。死んじまったらいくら金持ってても意味ないしな。けどまぁ、アレだ。それはそれってヤツだ。正直言って他人がどうなろうが知ったこっちゃない」
「ッ! アンタって人はどこまで最低なんだ! それでも騎士かッ!!」
横須賀は感情に任せて胸ぐらを摑もうとするが生憎、舜助の装着しているこのスーツに摑めるような部位はない。行き場を失った手が拳の形になり舜助の胸部を殴り付ける。甲高い金属音が空気を震わす。
「生憎、俺はお前みてーに大層な誇りやら正義感やら、他の騎士たちみたいに名誉欲とか英雄欲も持ち合わせていない。いや実際のところ、実は俺には重病を患った妹がいてよ、その病気は手術しないと治らなくてそれには莫大な金が必要で――――みたいな台詞を一度で言いから言ってみたいと思う今日この頃。まぁ本当のところは借金があってその額が一介の高校生には到底返せないもんだから、仕方なく高給なこの職に就いているわけで。まぁそういうことだ」
がしゃりと横須賀の肩を叩くと、その横を通り過ぎる。散らかった物の撤収作業に入ろうとして、ふと肩越しに声を掛ける。
「そういやまだ礼を言ってなかったな。お前が助けたあの女性、高性能アイセンサーの見立てによればおそらくバストは70前半と推定されるらしい。これであの女性がそのサイズに悩んでいるのだろうと仮定すれば、お前の功績は大きい。そういう女性は俺のタイプだ。だから礼を言っとく、ありがとな」