第十一話 蝸牛侵攻
「……まーた妙なこと考えたね、しまさん」
大地の精を残さず吸い尽くしながら、パーレンこと、しまさんの駆る空前絶後の巨獣――廃龍が、蠕動しながらゆっくりと北上していた。
遠からず帝国の国境を突破するだろう。
それと、コレ自体の姿かたちは最後に見た時と変わっていないけど、その背中の上に余計な付属物が付いていた。
形としては土鍋……いや、どちらかといえばモロッコのタジン鍋に近いかな? 基底部分が浅くて黒いし、その上にモスク風の末広がりで上に向かって尖った城が蓋みたいに乗っている。
しまさんの本拠地《アルマミス》。この元は巨大商業施設だった巨大な城が、廃龍に乗ったその様は、まるで蝸牛のようだった。
ちなみに城には派手なネオンサインやノボリ、アドバルーンが随所に上がっていたりする。
『ファッショントレンドを強制提案します』『春物一掃フェア開催中』『らくらくぬくぬくフェア』『期間中【1/1~∞】レジにて値下げ300%』『なんといまならポイント350万倍』『夏物処分の大安売り』『年に一度のこのチャンスにぜひお立ち寄りください』『極北でも使えるあったか不死鳥羽毛布団』『新作秋物入荷しました』『ほっこりスタイル』『本日、日月火水木金土曜日祭開催中』『話題の冬物が俺参上』『冷やし中華始めました』『プレーヤーの方はいまならなんと9~10割引』『靴下、下着詰め放題実施中』『早く来ないと行っちゃうよ』
見れば、サクラだろう吸血鬼たちが、玄関の前にずらりと列を作っている。
「――天涯」
ボクは騎乗している天涯に落ち着いた声を掛けた。
「はっ」
雲の下に見えるしまさんのお城を指差して指示した。
「ちょっと品揃えを見てくるので、下に降りてもらえるかな」
「は――はあ?」
「いや、しまさんの趣味がイマイチなのはわかるんだけどさ。ひょっとしてなんか掘出し物があるかも。……ああっ! 国産コタツ布団が上下組で3,000円だって! すぐに降りて! 売れちゃう!!」
「あ……いやいや、姫。どう考えても国産でその値段はないでしょう。罠です。正気にお戻りください」
「だからそれを確認しようと……ってなんで引き返すわけ!? ちょっと見てくるだけだから!」
「……この天涯、姫のご命令とあらば、たとえ地獄の底だろうとお付き合いする所存ですが、あの胡散臭い店だけはお連れするわけには参りません」
断固とした天涯が一際大きく翼をはためかせ、一気にその場から離脱した。
◆◇◆◇
「……恐ろしい罠だった」
危うく虎口を脱して冷静になったボクは、しみじみと嘆声を漏らした。
「バーゲンセールと長蛇の列。人間心理の裏の裏まで読み抜いた正に孔明の罠。これに引っ掛からない主婦や日本人などいないという、二重三重の姦計……さすがはしまさん。おそろしい子……」
周囲に集まっていた面々――円卓メンバーや親衛隊、隠密部隊やクレスの獣人部隊が、微妙な表情で首を捻っている。……うーむ、やはりこの罠の真の恐ろしさを理解してもらうことはできないのだろう。
スーパーで閉店前の値引き品を買ったり、バーゲンセールで限定の卵パックやトイレットペーパーを買うのに奔走していた前世の記憶が久々に――最近はなんとなく昔から緋雪で、女の子やっていた錯覚に陥っている――暴走して、こっちは危なく誑かされるところだったというのに。
「あの、ヒユキ様。その『バーゲン』とか『長蛇の列』とかって、そんな危険なものなんですか?」
巫女として参加していたアスミナが、恐る恐るという感じで右手を上げた。
「そうだねぇ……君で言えば、いかにも怪しげな部屋の中に、手足を拘束されたレヴァンがいて、その周りにガチホモの筋肉質の男達が固めて、いまにもパンツ下ろそうとしている現場に居合わせて、罠を警戒してその場に踏みとどまるくらいの精神力を要するところだね」
「なっ……!!」
アスミナが事の重大さを理解して絶句し、隣で聞いていたレヴァンが「げっ」想像して吐きそうな顔をした。
「なんて恐ろしい罠! そ、そんな状況耐えられる訳が……よく、よく耐えられました。ヒユキ様! 心の底から尊敬します!!」
共感を得られたらしいアスミナが、ボクの手を取って滂沱と涙を流した。
「わかってくれたの!?」
「わかります! わかりますとも! わからいでか! なんて卑劣で悪辣なのでしょう、そのパーレンとやら! 許すまじっ」
改めてアスミナと固い友情が確認できた瞬間であった。
「ごほんっ。――それにしても態々本拠地ごと移動してくるとは、なに考えてんでしょうね。あの廃龍とやらにしてもそうですけど、わざわざ戦力を集中する意味がわかりません。的をでかくしてるだけに思えますけど」
妙なテンションになっているアスミナを押し退けるようにして、レヴァンが前に出てきた。
「さあ? あんまり深い考えとかないかも。ほら、男の子って合体変形する巨大ロボとか、他より強くて立派なカブトムシとか喜んで集めるでしょう。あのノリじゃないかなぁ」
「はあ? イマイチ良くわかりませんけど、要するに趣味ってことでしょうか……?」
「まあねえ。どっちかというと悪趣味の方だけど。あと城の方は、明らかに私を意識した煽り文句だったので、多分、私に来いっていう意思表示なんでろうねぇ」
私の見解にレヴァンが眉をひそめる。
「完全に罠じゃないですか。乗り込むつもりですか?」
「まっさか~!」
ボクは思いっきり首を横に振った。
「男の誘いに乗ってホイホイ付いていくなんて、金輪際やる気はないよ! 予定通り外から攻撃するのに専念するので、皆もそのつもりで!」
「……なんかあったんですか?」
怪訝な様子で聞き返すレヴァンに、思わず「ははははは」と虚ろな笑いで返す。
「余計な質問は不要だ。貴様らは姫のお言葉に粛々と従っていればいいだけのこと」
傍らに侍る天涯が断固とした口調で、居丈高に切り捨てた。
「申し訳ありません。差し出がましい口をききました」
謝罪するレヴァンを冷たい視線で一瞥する天涯。
やめたげてよぉ、それって単なる八つ当たりなんだから。
あの時は本当に大変だった。取りあえずあの大教皇に関しては、「いきなり裸になって関係を迫ってきたので、反対に叩きのめした」という説明で押し通したんだけど、天涯・オリアーナとも怒りが凄まじく、被害者のボクのほうが引くくらいだった。
塵も残さず消し飛ばそうとする天涯と、平然と同意するオリアーナ。
いや、ボクとしても気持ち的には同じだったけどさ。影郎さんとの約束もあったので、その後、場所を変えて、原型を留める程度に殺しては復活させ殺しては復活させを繰り返して、なんか最後のほうでは大教皇が変な性癖に目覚めて、うっとりし始めたので全員うんざりして止めたものだったけど……。
その後、大教皇の身柄は非公式に聖王国側へ引渡し。
オリアーナは一連の証拠資料とかばっちり記録して、今後、公式・非公式に聖王国を追い詰めるネタにすると息巻いていた。
被害にあったボクを心配して終始沈鬱な表情だったけど、大嫌いな大教皇を攻撃できる手札を握って、内心ではそうとう歓んでたねあれは。
まあ、そういう政治のことは彼女に任せて、こちらは現場で混成軍の指揮を執ることになった。
幸いオリアーナの尽力で、皇帝の勅命という形でグラウィオール帝国軍の指揮権を一時的に預かることができることになったので、こちらとしても指揮権を一本化できるので非常に助かるところ。――聖王国軍? 知らん。
「兎に角、現在の進行速度から考えて、廃龍はあと5日もあれば国境線を越えると思われる。この辺りはまだ難民キャンプもあるし、まだ避難していない村も近隣にはあると推定されるので、獣人部隊は彼らの避難誘導に当たること」
レヴァンや獣人部隊の主だった幹部たちが重々しく頷いた。
「本国の本隊は明日、日の出とともに攻撃を開始します。いちおうどーでもいいことだけど、聖王国の聖騎士も同時刻に反対側から攻撃をすることになってる。ま、別に連携は考えなくていいので……なんだったら巻き込むつもりで全力で攻撃してね!」
『うおおおおおおっ!』『承知いたしました、姫っ!』『必ずや姫のご期待に応えて見せます!!』『貴様らっ、声が小さい!!』『うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』『姫様に勝利を!』『姫様っ! 姫様ーっ!!』『恐れるものは何もない! 敵は自分の油断だけだ! 忘れるな!!』『うおおおおおっ!!』『廃龍なにするものぞ!!』
たちまち飛び交う怒号・絶叫・雄叫び・鬨の声。
無聊をかこって今回の出兵に参加した真紅帝国の兵士約6,000名が、あらん限りの声で絶叫を迸らせていた。
数こそ聖王国の10万に遥かに及ばないが、その個々の身体能力と質量は圧倒的で、空気はおろか地面が震えて立っていられない程だった。
「――どうぞ、姫」
素早く龍形態に戻った天涯の掌が差し出されて、ボクは反射的にその上に乗った。
恭しく立ち上がった天涯が、胸元にボクを捧げたまま、轟雷のような鼓舞の声をあげる。
「姫のお言葉を聞こえたか諸君! 姫に敵対する愚か者の悶え苦しむ声を聞こうではないか! それこそ我らにとっては僥倖の音。今こそ目障りなる害虫どもを突き崩し、完膚なきまでに叩き伏せよと姫様も願っておられる。己が愛した姫様をお守る事が出来るのは、共に戦う汝ら一人一人に他ならぬ。断固たる意思を持つ者こそ、己が命を投げ出す事の出来る者こそ勝利を手にすることが叶うのだ。私は世界の為、世の為などという大義を求めず、己が守りたい者の為に戦う事のみを求めよう! いざ行くべしっ。いかな難攻不落の要害だろうと敵を粉砕し、ことごとく死地に送り、その威に接した者共には末代まで震えをきたすほどの畏怖を与えて永遠なる安寧を姫様に捧げるべし!!」
再びもの凄い絶叫と熱い視線が集中する。
というか……クレスの獣人部隊が一緒になって狂乱に巻き込まれているのはまだわかるんだけど、なんでグラウィオール帝国軍兵士まで一緒になって騒いでいる。
なんかもうアイドルコンサートのようなノリに近い。
見れば挨拶した帝国の司令官や将校まで一緒になって、ウチの従魔たちと一緒になって絶叫していた。老いも若きも一緒になって目を血走らせて、狂騒状態になっていた。
なにコレ怖い……。
取りあえず、ボクは引き攣った顔で手を振るしかなかった。