第八話 会議紛糾
非公式……といっても、公式にはグラウィオール帝国帝都アルゼンタムをイーオン聖王国大教皇ウェルナーが訪問し、滞在先の聖教のアルゼンタム大聖堂に皇帝が足を運んで表敬訪問を行い(国力とは関係なく。立場上、大教皇≧皇帝となるので、皇帝の方から足を運ぶのが通例である。さすがにこの時は皇帝本人が訪問した)。
その夜の晩餐会に大教皇を招待したという形で、午後にイーオン聖王国関係者が王宮を訪問していた。
そして、同時刻、王宮内の離宮にあるグラウィオール帝国皇女オリアーナ(通称『鈴蘭の皇女』)の元を、前回の領土交渉の席で親しくなった…と公言するところの、クレス自由同盟国の盟主レヴァン。そして、その関係者と名乗る豪奢な薔薇のドレスを身にまとった、輝く黒髪の美姫が私的に訪問していたとの証言が多く残されている。
だが公式には、同じ日、同じ王宮内に不倶戴天の敵同士であるイーオン聖王国大教皇ウェルナーと、真紅帝国《姫》緋雪が滞在したなどという驚天動地の出来事など記録されてはなく。
ましてや、この両者が直接顔を合わせて言葉を交わしたなど、天地が裂けてもあり得ないことであった。
事実はどうあれ、歴史上、大教皇ウェルナーと緋雪とは、生涯一度も顔を合わせたことはなかったのであるが、なぜかウェルナーの私的な手紙の断片や、日記のそこかしこに“麗しき薔薇の姫君”を恋焦がれる記載が散見され、後年、歴史家の間で「やはり非公式会談はあったのではないか」「いや、もっと踏み込んでこの二人の間に個人的な交流が生まれたのではないか」など諸説紛糾させる原因ともなったのである。
まあ、後世の人間はさておき。
いま現在、一番頭を悩ませているのは、この非公式『大陸三大巨頭会議』の場を設営し、取り仕切っているオリアーナ皇女であるのは、ほぼ間違いがなかった。
ちなみに会場の席は『川』の字型に並べられ、中心部に互い違いになる形で、帝国の高官が並び、左端に聖王国の高位神官一同が、右端に真紅帝国とクレス自由同盟国の代表者たちが並んでいる。
ひとえに聖王国側が真紅帝国との直接対話を拒んだために、このような変則的な会議の席次となった次第であった。
もちろん同じ部屋にいるのだから嫌でもお互いの姿は目に入るが、聖王国側は完全に帝国側以外は存在しないものとして徹底的に無視を決め込み、それをクレス自由同盟国の代表たちは親の仇でも見るような目で睨みつけ、真紅帝国側は聖王国側のポーズとは違い、心底この場にいる全員を机や椅子同様、風景の一部と言う認識で退屈そうに欠伸を漏らし、聖王国側の内心の怒りに火をつける結果となっていた。
そんなギスギスした雰囲気の中。場を取り成すように、『川』の中心部の上座、侍従長と共に離れて部屋全体を見渡せる位置についたオリアーナ皇女が、微笑を浮かべながら愛嬌を振りまき、聖王国の上座に座った大教皇ウェルナーは、魂の抜けたような顔で、対面に座った緋雪を凝視し、緋雪は緋雪で(人の悪い)満面の笑みでこの茶番を見守っていた。
「それでは、ユース大公国で発生中の吸血鬼大増殖事件ですが、現状、同領内の生存者は絶望的と見なしまして、殲滅の為三ヶ国連合軍による」
「待ちたまえ。これはあくまで我が国主導による第二次遠征軍の支援会議と明言してもらいたい」
オリアーナ皇女の発言を、素早く聖王国の枢機卿の一人が待ったをかける。
「――ふん。せいぜい第二次敗残軍とならんようにな」
すかさずクレス側から嘲笑の声が飛ぶが、一瞬目元をひくつかせただけで、発言した枢機卿は聞こえないフリをする。
「名称については今現在はあくまで仮のものであり、公式なモノではございませんので、皆様方がどのように呼称しようと、わたくしから干渉するつもりはございませんわ」
オリアーナがやんわりと『好きにしたら』と各自の裁量に任せた。
「ふむ。では、その第二次遠征軍の規模についてだが。我が聖教としては10万規模の兵力を予定している」
さり気なく『第二次遠征軍』と『10万』を強調する聖王国。
名称はともかく10万という数に、帝国とクレス側双方が同時にどよめき声を発した。
満足げに会議場を見渡す聖王国側だが、真紅帝国国主の阿呆を見る目に気が付いて、むっと顔をしかめた。
「――姫陛下。なにかご不審な点がございますか?」
オリアーナもそれに気が付いて、さり気なく水を向けた。
「不審というか……そもそも、君等は何と戦うつもりなのかな?」
「それは勿論、ユース大公国を滅亡させた吸血鬼です」
「具体的には?」
「元凶たる吸血鬼とその傀儡として吸血鬼にされた元ユース大公国の住人たちでしょうか? その数は少なくとも50~60万は存在するものと思われます」
その言葉に、ため息と共に肩をすくめる緋雪。
「合成獣の材料にされて、もういないよ」
はあ?という空気が会議室全体に流れた。
唯一、ウェルナー大教皇だけが緋雪の銀の鈴を鳴らしたような涼やかな声を聴いて、目を輝かせ熱い視線を送ったが、話の内容を聞いているのかは、いささか疑問がもたれるところであった。
一方、オリアーナはなにか心当たりがあるのだろう。
「姫陛下。その『合成獣』とやらは、もしや蛇のような巨大な魔物のことですか?」
柳眉をひそめての確認に、帝国・聖王国いずれも一部高官と諜報部門及び軍関係者が、はっとした顔で視線を交換した。
「――ふふん。やっぱりそっちでも情報は握っていたみたいだね。そうそいつだよ。実体は吸血鬼事件の首謀者が、自身の眷属やそれに類する生命体を取り込んで作り上げた合成生物だけどね。そいつが完全に他の吸血鬼を同一化して、現在北西国境線地帯に向けて進行中ってところ。なので、敵は吸血鬼の親玉とあの巨大な合成獣だけだねぇ」
「本当なのか!?」「俄かには信じられん」「そんな報告はどこからも!」等と小声で言葉を交わす聖王国側から、自国の高官たち方へ視線を戻し、無言で問い掛けるオリアーナに対して、「我が方でも未確認です」と代表して答える侍従長。
「……姫陛下、誠に失礼な質問ですけれど、その情報は確かなものなのでしょうか?」
ピシっ!! その瞬間、緋雪の隣に座る天涯の足元から、背後の壁に向かって一条の亀裂が走った。
「我が姫様のお言葉に疑問を挟むおつもりかな?」
殺気のない、むしろ淡々とした天涯の言葉に、居合わせた真紅帝国関係者以外の全員が色を失う。
「疑うわけではございません。事実であれば事実として確認したいだけです。上に立つものとして不確実な情報で、兵を死地に送るわけには参りませんから」
だが、オリアーナ皇女はまったく怯んだ様子もなく、天涯の目を見つめ返した。大国を実質引っ張る王者の風格……というよりも、きちんと自分の信条を持った者の迷いのない瞳だった。
「ふん」と不快そうに鼻を鳴らす――それでも矛を収めたところを見ると、彼なりに相手の言い分を認めたのだろう――天涯を横目に、苦笑しながら緋雪が続けた。
「まあ当然の疑問だろうけど、情報の出所は私達自身が直接接触して、解析したものだから間違いはないよ。あと確認時刻はこの会議の前の半日ほど前ってところかな」
それから具体的な状況を言う。
偶然の接触。肥大化したその姿。草木や大地、光すら喰い尽くしながら進行する様子。天涯と出雲による攻撃。斃し切れず復活したこと。その復元力と飽くなき飢え。魔眼による拘束。緋雪が自分で見たこと分析させた事を――ただし、シマさんとの接触の件は別にして――つぶさに語った。
会議室に、先ほどとは比べ物にならない驚愕と緊張が走る。
「吸血鬼を材料に作られた合成獣だと!?」
「いや、待て目標が集中しているのなら、逆に一網打尽にできるのでは?」
「馬鹿を言うな。線での制圧が面に変わったのだぞ、これがどれほど困難か!」
「そもそもそれほどの質量を相手にどうやって……」
「質量よりも問題は、復元力だろう――」
「まったく、余計な手出しを……」
「だが、もっと早い段階であれば、確実に始末できたのではないのか?」
「情報管制が裏目に出たという事は……」
より混沌たるざわめきが会議室全体に飛び交う。
「――どちらにしても」
オリアーナはため息混じりに誰にともなく言った。
「やるべきことは変わりません。もともと皆様を招いてこの会議を開催した動機は、吸血鬼化した人々とは別に、巨大な魔物が敵の手駒として存在することが確認されたことによるものです。正直、吸血鬼の群れ程度であれば時間をかけての消耗戦を行えば確実にこちらが勝つ目算がありました。ですが計算外の怪物、それも――」
言葉を切って、ちらりと聖王国側を見る。
「聖堂十字軍を壊滅させるほどの脅威であれば、早晩、防衛線を破られるのが目に見えておりますので。その為の対策会議であったのですから」
『聖堂十字軍を壊滅』の部分で、聖王国側が一斉に眉をしかめ、反駁しようと口を開きかけたが、どうせ建設的な意見ではないだろうと判断して、それを覆い被せるようにしてオリアーナが言葉を続けた。
「ですが、いま姫陛下からお聞きした合成獣の具体的な数値と能力の数々は、我々の想像を遥かに上回っております。姫陛下、我々はどのように対処すべきだと思われますか?」
視線を向けられ苦笑する緋雪。
「――それって、私に聞くの?」
公式にはこの場に居ないはずの真紅帝国関係者――その頂点である――ましてや同席している聖教関係者にとっては、本来は神に背く異端のモノとして存在を否定している相手である。
さらに帝国・聖王国共同軍に参加を表明していない(聖王国が共同名義での派兵に断固たる拒否の姿を執っているため)現在、連合軍の今後の趨勢を占う会議の席で、それに意見するなど茶番もここに極まった、噴飯ものの提案であるだろう。
……もっとも、逆に言えば事態がそれほど逼迫してるとも言えるが。
「この際、お互いの立場やその他はさておきまして、ぜひご意見をお聞かせ願いたいです。少なくとも直接、件の合成獣と戦闘を行い生還したのは貴女だけですので」
「まあ、いいけどさ」
熱意を込めたオリアーナの言葉に、軽く肩をすくめる緋雪。
聖王国側は、場の中心になっているのが神敵たる魔物の頭領である緋雪であるのが面白くないのか、軒並み渋い顔である。……かぶりつくように緋雪の全身を視線で嘗め回す、ウェルナー大教皇は別にして。
そのあたり気が付いているんだか無視しているのかは不明だが、緋雪は特に普段の調子を崩すことなく、飄々とした口調で言葉を繋いだ。
「エネルギーを喰うといっても、吸血鬼ベースなのは変わらないからね。聖光が弱点になっているのは変わらないと、ウチの解析担当者も言っている。下手に大規模魔術で中途半端なダメージを与えて、学習されるよりも、ちまちまと物理攻撃や聖光で削っていく方が有効だろうね。ある程度ダメージを与えてエネルギーを削れたら、こちらの大規模魔術も有効だろうし」
「ですが、近づくと魔眼で操られる危険があるのでは?」
オリアーナが言う。
「魔眼というのは相手を認識しないと無意味だからねぇ。煙幕を張ったりして、視界を塞げば防ぐことは容易なんだよ。だからある程度距離を置いて、視界を塞いだ形で聖光の連射で相手のエネルギーを削り、一定の水準まで相手の力を削ったところで、こちらの手勢を投入して大規模魔術で一掃する。このあたりが現実的な対応かな」
「なるほど。やはり真紅帝国のご助力がなければ不可能ですか……」
「まあ、ウチ以上の火力の当てがあるなら、そちらを使えば良いと思うけど?」
帝国・聖王国ともそんな当てはない。
いや、聖王国側には切り札とも言うべきものはあるが、今回は彼のお方が介入しないことが明言されている。そして、真紅帝国と共同して事に当たれという指示もまた成されている。
「…………」
このため彼らとしても忸怩たる思いで、オリアーナの問い掛けるような視線に沈黙で応じるしかなかった。
「ならば、こちらとしても膝を折って姫陛下に助力をお願いするしかございませんわね。その為の条件や対応についてこれから打ち合わせしたいと思いますが。皆様よろしいでしょうか?」
オリアーナ皇女が会議室全体を見回して尋ねる。
帝国、聖王国、クレスからも異論の声は上がらなかった。
次回、アホ大教皇がはっちゃけます(悪い方向へ)。
10/8 文言修正しました。
×散逸され→○散見され