第六話 合従連衡
クレス自由同盟国の暫定首都ウィリデ。
その近郊にある『転送魔法発送所』には、大陸各地へと向かう商隊や団体客が長い列を作っていた。
元は人口2,000人程度の漁村に毛が生えた程度の町であったのだが、首都機能の拡充と港湾の整備。そしてなにより、大陸中のここにしかない大規模転送魔法交易の発送所という目玉の登場により、あれよあれよという間に市が立ち、商店が軒を連ね、それを目当てに人々が集まり、気が付けばクレス自由同盟国最大の都市となり、名実共に首都として機能することになったのだった。
その行政機能を担う行政庁(と言っても二階建ての商館程度の建物であるが)の応接室で、同盟国の盟主(仮)であるレヴァンは、自国の宗主国である真紅帝国からの使者を迎え入れていた。
豊満な胸を申し訳程度に薄絹で隠し、短い腰衣をまとった妖艶な美女。
額飾りに耳飾り、首飾り、胸飾り、両の指には指輪、腕輪、足輪とふんだんに飾り立てられ、それらすべて金細工の装飾が付けられ、動くたびにシャラシャラと澄んだ鈴の音のような音を立てていた。
耳目すべてを使い男を魅了して止まない、七禍星獣№7にしてアプサラスの化身たる七夕。ちなみにアプサラスはインド神話に出てくる天女で、修行中の僧侶をその美貌で堕落させることでも有名である。
で、応接セットのソファーに座った彼女の膝の上。一見して2歳児くらいに見える美幼女人形『ちびちび緋雪ちゃん』が、可愛らしく腕組みしていた。
「そういうことで鈴蘭から話が来てるんだけど、どう思う? 君の意見としては」
「ええと、カレーにはラッキョウが合うんでしたっけ?」
ごくりと生唾を飲み込んで、七夕の胸の辺りからどうにか視線を膝の上……を軽くスルーして通り過ぎ、肉感的な太股を眺めながら、対面に座ったレヴァンは緋雪人形の言葉に相槌を打った。
「……カレーじゃなくて帝国と聖王国との共闘の件なんだけど、君は一体なにを言ってるの……? というか私の話聞いてる? あと私、ラッキョウは嫌いなんだけど」
「はい、聞いてます。聖帝国が凶暴なのでラッキョウが嫌いになったんですね」
当然上の空である。
――う~~む、使者役を間違えたかな。この朴念仁がここまで魅了されるとは……。
まあ七夕がナチュラルボーンで男を幻惑するのはしかたないよ。プロなんだし。
だけど仮にも次期獣王にして、クレス自由同盟国を背負って立つ武道家なんだから、もうちょっと精神力鍛えたほうがいいと思うんだよね。
このままだとどーにも話が進まないっぽいので、緋雪は対応を検討することにした。
「しかたがない、アスミナに連絡して少し締めてもらうしか――」
刹那、レヴァンは正気に戻った。
「姫陛下っ。俺は平気です! 真面目に話をしましょう、そうしましょう!」
「お、おう・・・」
――どんだけヤンデレ妹が怖いんだ?
「で、話を戻すけど例の聖堂十字軍が全滅したらしいんだ。……いや、相手方に取り込まれたのかな? まあたいして変わらないけど」
「さんざん大口叩いていてこれですからね。大陸最強が聞いて呆れる」
ざまあみろと言わんばかりの口調で言い放つレヴァン。
元来が獣人や亜人を差別(流石に近年はそこまで過激ではなくなってきたものの、200年ほど前までは無差別に惨殺してきた)している聖教の本家本元たるイーオン聖王国。
不倶戴天の敵の失態に喝采を叫びたくなるのも当然と言えば当然だろう。
「まあ、気持ちはわからなくもないし、正直私としても余所の国の話だし、こっちが無事ならどーでもいいんだけどね。実際、いまのところはクレスの国境線は破られてないだろう?」
「無論です。夜目の利かない人間族とは違って、俺達や本国の方々は夜戦が本領ですからね。吸血鬼なんぞ――っと。も、申し訳ございません」
目の前に座る人形の本体が吸血姫だったのを思い出して、慌てて立ち上がって頭を下げるレヴァン。
「構わないさ。別に血族ってわけでもないんだし、気にしちゃいないし、容赦する必要もないよ」
緋雪人形は軽く肩をすくめ、「ただ・・・」と付け加えた。
「最近、グラウィオール帝国国境側では、撃退する吸血鬼の数が増えてるそうなんだ。そろそろ公国内の食料が底を着いたのかも知れないねぇ。――こっちの按配はどうなの?」
「どうでしょう……? ウチは基本的に避難民の誘導と警護、その世話を主に行っていますので、最前線の戦闘は恥ずかしながら本国の皆様にお任せしてる状況ですので」
このあたりが若さの発露と言うものか。前線に立って戦えないことを歯がゆく思って、苦悩している様がありありと窺える。
「いやいや、それもとても重要な役目だよ。ウチの連中だとそういうことはできないからねぇ」
緋雪の取り成しを受けて、
「そうですね。現場で陣頭指揮を執っているアケロン族長からも言われました。『戦いは目先の戦闘のみではない。勝つためには立場にこだわることなく適材適所の働きをするのは、戦士たるものの当然の務めだ』と」
レヴァンは自分に言い聞かせるように、そう言って頷いた。
「しかし、そうなると……どうなのかな七夕? 国境線の様子は? やっぱ増えてる?」
「そうですわね…」
肉厚の唇にそっと親指を当てて考え込む七夕。動作のいちいちが艶っぽいので、レヴァンはあまりそちらを見ないように目を逸らせた。
それでもハスキーボイスが耳からじわじわ浸透してくる。
「詳しい数値や内容は総指揮を執っておられる魔将軍・出雲様か、国境一体に『目』を飛ばしておられる周参様のほうで把握されていらっしゃるかと思いますが、確かに体感としましては頻繁に攻められる感じですわ」
『体感』とか『攻められる』とか蠱惑的単語を、熱い吐息とともに語られて背筋がゾクゾクするような感覚と煩悩に刺激されるレヴァン。
◆◇◆◇
「……うふふふっ。感じるわっ。レヴァン義兄様に近づく雌狐の影が!」
その頃、周囲の静止を振り切って、獅子族の居留地から一匹の般若が野に放たれた。
目指すは一番近い転送ポイント。
普通の獅子族の脚でも4時間はかかるところだが、この吹き零れるような義兄への愛があれば2時間で走破してみせる!
「待っていてね義兄様! 可愛い義妹が必ず嫌な虫を追い払ってあげるから!!」
◆◇◆◇
「――うおっ!?」
猛烈な悪寒を感じでレヴァンは仰け反った。
「どうかした?」
「いえ、なぜか急に背筋に氷柱が入れられような、とてつもない寒気を感じたもので……」
レヴァンの言い訳に案の定、妙な顔をする緋雪人形。
「まあ、話を戻すけど、そのあたりのことも踏まえて、今後のことを鈴蘭が協議したいって言ってきてね」
「なるほど。では、当然オレも参加ですね」
「そーなるねー」
妙に浮かない顔の緋雪に首を捻るレヴァン。
「……気が進まないんですか?」
「いや、重要性はわかるし、ほっとくと無限増殖するアレが、これ以上力をつけるのも問題だとは思うんだけど」ため息をついて緋雪は続けた。「――ぶっちゃけ、アレには係わり合いになりたくない」
「そんなにマズイ相手なんですか?」
「う~~ん、単純な個人の戦力でどうにか互角くらい。国としての総合的な戦力なら圧倒できるとは思うけど、たいへんな変態なので、苦手なんだよねぇ」
ここまで弱気になるのも珍しいな、と思ってまだ見ぬ今回の吸血鬼騒動の首魁を思って眉を寄せるレヴァン。
「じゃあ今回のお誘いはお断りしますか?」
「ん~~っ、だったらだったで帝国と聖王国の混成軍の戦いになりそうだけど、そうなったら負けて、敵の戦力増強に寄与することになるからねぇ。止めるべきなんだろうけど。……というか、公国内に生きた人間がいなくなってるなら、遠からず自滅するのは目に見えてるんだから、待ちに徹して相手が疲弊するのを待つべきだと思うんんだけど。あの鈴蘭がそんな基本的なことを考えないで、急遽私と聖王国の大教皇を引き合わせて、非公式に『大陸三大巨頭会議』を開くなんてよほどだと思うしね」
さらりと言われた言葉に、レヴァンは度肝を抜かされ、危うく引っくり返るところだった。
「聖王国の大教皇!? それと姫陛下が同席!! そんな馬鹿な!?!」
「それが意外とあっさり了承されたってことで、鈴蘭もビックリしてた。あと『できればあのタワケにはお会いさせたくないのですが……』と言い添えられていたから、どーも本当っぽいよ」
「で、ですが、相手は聖教の最高権力者ですよ! 天敵どころではないんじゃ……!?」
「まあ、私は別にどーとも思ってないけど。相手がどう出るかだねぇ」
「……行かれるおつもりですか?」
「ま。顔を見るくらいはね。協力するかどうかは別問題だけど」
「正直、オレとしては気が進みません。聖教の連中と馴れ合うなんて。……ですが、姫陛下の意思を尊重します」
「ありがとう。別に私も馴れ合うつもりはないよ。ただ事態がひょっとすると私の予想を上回っている可能性がありそうなので、確認したいだけ。その上でせいぜい高くウチの戦力が売り込めるなら、恩を着せるのも良いかとは思ってるよ」
「それは……オレ達、獣人族の安全の為ですか?」
もし、そのために姫陛下が骨折りされるというなら、自分達の誇りにかけても阻止すべき。
そう固い決意で確認する。
緋雪はちょっと考え、
「……コラード国王が、最近になってクロエと付き合ってるのは知ってる?」
なぜか関係のないことを聞いてきた。
「いえ、初耳ですけど。あの姐さんとコラード国王がですか?」
正直意外な取り合わせである。
「これが意外なことにコラード君が熱烈に求婚してね。クロエも満更でない様子で、見ていて妬けるというか……」
「はあ、でもおめでたいことですね」
獣人族が一国の国王の后になるなどそうそうあることではない。
コラード国王なら人間性も問題ないし、悪い話ではない――どころか、手放しで祝福すべきだろう。
「近いうちに結婚するんじゃないかな」
「そうですか。その時には獣人族総出で祝福に訪れさせていただきます」
「うん、聖教がアミティア国内から撤退してる以上、また相手が獣人族の女性と言うことになれば、式の形式も変則的にならざるを得ないだろうね」
「いいんじゃないですか、お互いに幸福なら」
「そうだね。まあ、あの二人はそれでいいのかも知れないけど、周りの目ってのもあるからねぇ。形骸化していても、形だけでも式をあげてあげたいな、とか思うわけさ。そのために聖教のトップと顔を合わせようと思っただけさ」
そう言ってヤレヤレと肩をすくめる緋雪人形。
「ま。それが断られるくらいなら、さっさと滅びればいいけどね」
「そんなもんですか?」
「そんなもんだよ」
韜晦してるのか、照れ隠しなのか、本気なのかわからないけれど、自分達やコラード国王のためにできることは行う。あとは知らんと言い切る緋雪の姿勢に、泣き笑いのような表情になるレヴァンなのであった。
◆◇◆◇
そして、『大陸三大巨頭会議』当日。
現状の視察がてらユース大公国領上空を天涯、出雲、周参らを引き連れて通過しようとした緋雪は、地平線の彼方まで延びる巨大な竜とも、ナメクジとも、ナマコともつかない肌色の怪物を見て、唖然とするのだった。
「なに、あれ……?」
呆然とした呟きが、死の大地と化した領空に溶けて消えた。
12/20 脱字の追加を行いました。
×『目』を飛ばしてられる→○『目』を飛ばしておられる