第二話 吸血公国
ユース大公国は、もともとがケンスルーナ国建国王の王弟にあたる人物が辺境公として治めていた土地であり、その後ありきたりのお家騒動を経て200年ほど前に独立国となった。
そのお家騒動の際に肝心のケンスルーナでは記録が散逸してしまったが、この国には一つの重要な使命があった。
すなわち『ケンスルーナの秘宝を守れ。決して世に出してはならない』というものである。
大公家に代々厳命されてきた、ある意味ユース大公国の存在意義にも関わる命題でもあったが、代を重ねるにつれいつしかそれは形骸化されていき、それに加えて此度の敗戦により詳細に伝承を継承する直系親族に成り代わって、断片的にしかそのことを知らされていない傍系の親族が実権を得たことで、完全にその歴史に幕を閉じることとなったのである。
◆◇◆◇
「……またか」
ボコボコと地面を割って現れた、青白い肌にボロボロの服を着た亡者のような下級吸血鬼の首を一薙ぎで断ち切り、念のために心臓に止めを刺しておく。
たちまち灰になって崩れ落ちる……もとは単なる村人だったのであろう男の吊り上った口角と牙が消え、平凡な顔つきに戻ると同時に転がっていた首もその後を追った。
「これで何匹目でしたっけ?」
仮面越しにでもわかるうんざりした顔の稀人の問いに、ボクもため息で応じた。
「国境線を越えてから22人目だよ」
「……失礼しました。彼らも人でしたね」
背後で謝罪する稀人だけど、確かに『一匹二匹』と数えたくなるのも理解できる。下級吸血鬼ってまったく理性がなくて、吸血の欲望だけで行動しているだけだもんね。
それでも見た目か弱そうなボクの方へばかり向かってくるところが、妙に小ずるいというか……ある意味、見境がないよりも嫌らしい。
「――親から数えて劣化第4世代の玄孫くらいかな? もうちょい上の孫世代くらいなら上位同族って見ればわかると思うんだけどねぇ」
「いやいや、姫様は充分おいしそうですよ。主に性的な意味で」
後ろに立つ稀人に向かって、無言で手にした『薔薇の罪人』を振り向きざま横薙ぎに振るった――けど、余裕を持って躱される。
――ちっ。さてはこっちの反応を予想して、喋りながら先にバックステップで跳んでたな。
「……それはそうと、そろそろ聖堂十字軍の進軍が始まる頃合じゃないですかね」
この場所からだと、さすがに吸血鬼の視力でも見えるはずもないけど、地平線の彼方――イーオン聖王国の誇る最強騎士団・聖堂十字軍5,000名の威容を眺めるように、右掌を目の上に当てる稀人。
「いきなり虎の子を繰り出してくるとは、腰の重い聖王国にしては意外でしたね。まあ連中にしてもウォーレン宰相が謎の失踪を遂げてからこっち、帝国内での権威が右肩下がりですから。ここらで本気度を見せて起死回生を計るつもりなんでしょうが……」
「どうなのかな? 頭の居なくなった宰相派が巻き返しの為、聖王国に泣きついたのは確からしいけど、幾らなんでも派兵が早すぎる、まるで用意していたみたいだってオリアーナも不審がってたねぇ」
「ふむ。確かにタイミングが良すぎますね。――ひょっとするとウォーレンの失踪も連中のシナリオですか?」
顎の下に手を当てて首を捻る稀人。
思わず苦笑する。
「いつから陰謀論者になったんだい? 有力な協力者を亡き者にして、その上、一国を丸ごと滅ぼして国民をことごとく吸血鬼にする。その上で自分たちの権威を見せ付けるなんて、さすがにデメリットが大きすぎるよ。ま、このあたりは鈴蘭も同意見だったけど、ただ、今回の聖王国の迅速な派兵については、大教皇からのトップダウン――勅命でもなけりゃ難しいだろうってことで、まったく無関係とも思えないのでは?というのが彼女の見解。……まあでも、あの阿呆が自己判断できるわけないので、誰かが裏で手を回したに違いないけど、実際のところ、現段階ではパズルのピースが少なすぎるとも言ってたね」
ちなみに『あの阿呆』というのは、言うまでもなくイーオン聖王国の大教皇のこと。よほど嫌っているらしい。
「なるほど。それはそれとして帝国軍は国境の警備と聖王国の補給を分担するんでしたっけ?」
「らしいね。いちおうクレス側国境の監視にこっちからも人員を出しているけど、お陰で余計な出費が増えたって鈴蘭が頭を抱えていたよ」
ちなみにクレス側ではレヴァン以下虎人族族長『豪腕』アケロンが陣頭指揮を執って、数千人規模の部隊が展開している他、真紅帝国からも七禍星獣全員と遊撃部隊。それに十三魔将軍№2の出雲とその隠密部隊及び近衛軍の天使数十人が同行している(さすがに国境全部を蟻の這い出る隙間もなく、というのは物理的に不可能なので散兵線を維持できるよう機動力と連絡網を重視した結果である)。
「大丈夫ですかね? 聖堂十字軍がいくら精強だとはいえ所詮は生身の人間。相手は少なく見積もっても数十万規模。その上、他国への侵攻となると補給線がかなり延びると思うんですが、踏み止まれますか? しかも相手は夜襲が本領の吸血鬼ですよ。どう考えても長期間になると総崩れしそうな気がするんですが……?」
「長期戦にする気はないんじゃないかな? 鼠算式に増えた吸血鬼相手なら、大本の一人を斃せば自動的に全滅するからねぇ。一撃離脱で敵の本陣に攻め込んで、さっさと大将を斃してお終いにする気なんじゃないかな」
「なるほど……そうなると、連中は騒ぎの主催者がどこにいるのか知っているってことですかね?」
「知ってるんだか、知る術があるのかは不明だけどね」
「――ふむ。もしもそうなら、ますます聖堂十字軍単独ではなく、帝国とウチとの混成軍で包囲戦を展開したほうが確実だと思うんですが」
連中が失敗した場合は今後戦力の逐次投入という愚を犯すことになりそうな予想を立てているんだろう。稀人はなおさらうんざりした顔になる。
まあ、まして相手は吸血鬼。下手をすると大陸屈指の精鋭部隊が、そっくりそのまま敵の手駒にされる可能性すらあるからねぇ。
「鈴蘭が間を取り持って、いちおう聖王国には打診したんだけど、まあ、予想通り『魔国やそれに与する者の協力は必要ない』って取り付く島もない返答だったみたいだねぇ」
予想通りの回答に二人揃って肩をすくめる。
「ま、連中から見れば吸血鬼であふれ返ったこの国も、ウチも同じってとこですか」
「だろうね。――まあ、あながち間違いでもないかな」
呟きながら、意図的に伸ばした自分の牙に触れる。
「そういや、いまさらだけど、君は食事の方はどうしてるの?」
「はっはっはっ、そんなもん街で適当な相手を見つけて一夜限りのお相手をお願いするのに決まってますよ。いまのところ成功率はほぼ100%ですね」
「……うん。とりあえずモゲればいいと思うけど、間違っても血を与えて眷族作ろうなんて思わないでね」
「まあ、この惨状を見れば軽はずみに眷属を作ろうとは思いませんけど。……ああ、姫様との間に眷属作るのは俺としては望むところですが」
刹那、かなり本気の急所狙いで『薔薇の罪人』を次々と振るったんだけど、ギリギリ躱された。
「ちょっ、ちょっと姫様。これは洒落になりませんよ!」
「変質者を相手に本気で抵抗してるんだから、当たり前だろ!」
慌てて逃げる稀人を追いかけながら、取りあえず噂の聖堂十字軍のお手並み拝見するつもりで、そちらの方向へと走っていった。
◆◇◆◇
このユース大公国の悲劇からおよそ1ヶ月前、物語の発端は旧ケンスルーナ国の首都ファーブラーにあるホテルの豪奢な貴賓室で行われていた。
「……吸血鬼だと? それが魔神の正体だというのか貴様」
「確証はありませんけど、可能性は高いと思いますよ。それも封印されたまま、いまだ健在ってことはそこいらのモンスターじゃないでしょうね。始祖か……いやいや、仮にも『魔神』っていうくらいですから神祖かも知れません」
「神祖……あの小娘と同類か。ならば使えるかも知れんな……」
なにを思いついたのか、ウォーレンは昏い目でテーブルに置いてある『神の血』を、じっと見詰ながら押し殺したような声を出す。
「――あの、なんのお話でしょうか?」
その声に潜む狂気と自暴自棄の響きを感じて、影郎は恐る恐る尋ねた。
「決まっておる。真紅帝国の小娘は吸血姫の神祖であり、神にも匹敵する力を持つゆえ現状の戦力では討ち果たすことができないと、貴様は判断するのであろう。ならば話は単純だ。同じ神祖を戦力に加えれば良いだけではないか」
「ちょ、ちょっ、ちょっと、ちょっと待ってください!」
珍しく、影郎が本気で狼狽した様子でウォーレンを制する。
「戦力に加えるって言っても、相手は仮にも魔神とか言われるとんでもない相手ですよ。封印を解いたが最後、圧倒的な力で、逆に支配下に置かれるのが関の山です!」
「……妙に必死だな。他にもなにか知っていることがあるのか?」
「いやいや、自分が知ってるのは吸血鬼の怖さです。あれは同じプレーヤーとしてもある意味別格ですから。とにかく思い止まってください」
「ふん。いかに強大であろうと所詮は血肉を供えた存在であろう。ましてや長年の封印で相当に衰弱しているのは想像に難くない。さらにこちらには封印の魔具もある」
銀色の十字架を掌中で転がす。
「逆に儂が恐れるのは封印を解いてはみたものの、肝心の魔神が弱体で失望させられる結果だな。封印を解いた上で、使い物にならないようなら再封印すればいいこと。いや、さっさと始末したほうが不確定要素を排除できるか」
少し醒めた様子でウォーレンは呟いた。
「仮に貴様の言うとおり魔神が制御できない存在であれば、放置するかクレス方面に誘導すれば良いだけのこと。自国領で暴れられればあの大甘の小娘は乗り出してくるであろう。そうなれば我々は傍観し、双方の消耗を待てば良い。……理想とすれば共倒れが望ましいが、さすがにそれは虫が良すぎるだろう。どちらかが斃されたところで介入すれば期せずして最小限の労力で最大の成果が得られるというものよ」
冷然と言い放ち薄く笑うウォーレンの言葉を、内心頭を抱えながら聞き流す影郎。
どうやらこのおっさん、お嬢さんにやられたことを根に持ちすぎて深く静かに壊れていたらしい。
――えらいことになったなぁ。
封印の石棺に眠っているであろう、顔なじみのプレーヤー――緋雪以外で唯一超レア種族『吸血鬼(神祖)』となった男の、自分とは別の方向でなにを考えているかわからない言動を思い出して、影郎は密かにため息をついた。
ちなみに吸血鬼が他の吸血鬼の血を摂取した場合は、拒絶反応で良くて発狂、普通は消滅します(血で結ばれた眷属関係なら大丈夫ですが)。
それと散兵線というのは、ずらりと前線を維持できる人数が居ない場合、ぽつんぽつんと兵士の集団を配置して、前線を維持するやり方です。