第一話 魔神封印
新章開始です。
と言っても今回は前回の最終話の後日談ぽいですけど。
旧ケンスルーナ国の首都ファーブラーにあるホテルの貴賓室。
グラウィオール帝国宰相にして、つい先日まで帝国の実権をほぼほしいままにしていたウォーレンは、目の前で大きなクシャミをした青年を、神経質そうな目で睨んだ。
「なんだ貴様、この大事な時に緊張感のない」
「へえ、申し訳ありません。どこぞで美人さんが自分の噂をしてるようで、モテる男は辛いですなぁ」
青年の軽口に、ちっと舌打ちした彼の面相は驚くほど変わっていた。
以前はたわわだったアッシュブロンドの髪が見事に禿げ上がり、尊大ながらも冷徹であった眼光が、落ち着きのない切羽詰ったものに塗りつぶされてていた。
わずか半月ほどの間に20歳も年をとったかのような精彩のない顔色のまま、トントンと大理石のテーブルを叩いた。
「つまり、我々がどのような戦術や策謀、或いはなりふり構わぬ――たとえ破滅覚悟の戦略を用いたところで、現存の帝国の戦力ではあの小娘……いや、真紅帝国を討ち果たすことは不可能であると、貴様は判断するわけだな?」
口調こそ淡々としたものだが、怒りを押し殺したウォーレンの問い掛けに、青年――影郎はごく自然に応じる。
「へい。その通りです。そもそもお嬢さんは吸血姫の神祖、まあ神様みたいなもんです。その上周りを取り囲んでいる連中が1体で1軍にも匹敵する文字通りの化物ですから。人間がどう足掻いたところで蟷螂の斧ってもんですわ」
あくまで他人事というスタンスの影郎を怒鳴りつけかけ……どうにか奥歯を噛んで押さえつけたウォーレンは、動物の唸り声のような声で詰問した。
「だが、我々には敵を大きく上回る人員と国力、そして各国に対するパイプがある。古来より、戦闘において個々の力が見劣りしていても、全体的な物量や補給が安定している側が勝利するのは鉄則であろう。ならば、こうした利点を生かして、真紅帝国に痛手を与える方策もあるのではないのか?」
「そうですな~。アミティア、クレスといった真紅帝国翼下の周辺国、そしてあちら側に立った皇帝派といったお嬢さんに近しい連中を、いま言った帝国の利点を生かして殲滅することは確かに可能かも知れませんが、実際のところ居なくなったところで、真紅帝国本国には一切の痛手はありません。別に補給線を分担してるわけでもないですから。ぶっちゃけ世界中に味方が一人もいなくなっても、痛くも痒くもないとこじゃないですか」
「果たしてそうかな」
若干、相手を宥めるような調子の影郎を、不満と不審混じりの目つきでじろりと一睨みするウォーレン。
「なるほど真紅帝国の国主は純粋な戦力としては確かに圧倒的ではあるが、精神的には極めて脆いように儂には思える。現に貴様がこうしてのうのうと儂の前に生き恥を晒しているのが良い証拠ではないか。明確に敵対した者に対して、友人と言うだけでの甘い対応。愚かしいにもほどがある」
影郎は無言のまま片眉を上げて、嫌悪感もあらわに吐き捨てるウォーレンを見た。
「そもそもが家族や友人であれこの世に絶対の『味方』などあり得ん。まして自分以外のすべての人間は潜在的には、状況に応じて常に『敵』と変化する可能性を内包している。つまり本来、自分以外が『敵』と認識すべき関係であるのに対し、信頼や好意などという曖昧な基準で『味方』と認めようとするなど甘えであり、未熟も良いところだ。ならば味方のいなくなった精神的な痛手は、あの小娘の大幅な戦力低下へと繋がるのではないのか?」
「いやいや、そりゃ逆ですわ。そんなことをすればお嬢さんの逆鱗に触れます」
パタパタと顔の前で片手を振る影郎。
「確かにお嬢さんは精神的に未熟な部分があります。客観的に見て必要のない味方を味方と思い込むところがありますけど、逆に言えばそういう味方を残らず殲滅した場合には、一切の躊躇なく総力戦を挑んできます。あの連中はお嬢さんを縛る足枷なんですわ」
「なるほど、人質は生かしておかねば人質足りえんか……」
ウォーレンは眉を寄せた。
「ならばその上で、儂に有利なように事態を展開させることも可能なのではないか?」
「まあ、それは可能でしょうね」
ごくあっさりと影郎は頷いた。
「殲滅戦や暗殺、焦土作戦を交渉のカードとしてちらつかせることで、お嬢さんを翻弄したり、意に沿わぬ妥協を引き出すことは充分に可能でしょうな。ですが、わかってると思いますけど、最終的に真紅帝国を討ち果たすことだけは不可能ですわ」
「ぐぬぅぅぅぅぅっ!」
口惜しげに唸るウォーレン。
「ならば貴様の手であの小娘を暗殺すれば……」
「無理ですわ」
皆まで言わないうちに間髪入れずに影郎が腕で×印を作った。
「プレーヤー相手に暗殺なんぞ、よほどのレベル差がなければ、一発当ててお終いですわ。従魔合身してるお嬢さんを一撃で斃すなんて、無茶ぶりもいいとこですな。まして毒なんぞ即座に解毒されますし。だいたい、お嬢さんを殺されたら洒落抜きで、残された真紅帝国の残党がこの世界を完膚なきまで破壊します」
「つまり、現状儂にできることは、せいぜい自己満足の嫌がらせ程度の妥協を引き出すのが限度ということか」
心底口惜しげにウォーレンは吐き捨てた。
「まあ、そういうことですな」
身も蓋もない調子で軽く肩をすくめる影郎。
内心忸怩たるものはあるであろうが、さすがにみっともなくわめき立てることなく、頭を切り替えたらしいウォーレンは、改めて影郎の無個性な顔を見た。
「――そちらについては改めて対応を決めることにする。……それで、別件で調査させていた例の『ケンスルーナの秘宝』とやら、手がかりは掴めたのか貴様。まさかこちらも」
「ああ、大丈夫ですよ。封印されてる場所も、封印の解き方もばっちりですわ。依頼通り口封じをした後、死霊交信で霊魂に確認しましたので拷問するより確実ですわ」
そう言って影郎は机の上にケンスルーナの地図を広げ、その一箇所を指差した。
「この場所にその秘宝とやらが祀られてるそうで」
「……かなり辺境だな」
「走騎竜でも行って帰ってざっと2週間ってとこですな」
ウォーレンの眉間の皺がさらに深くなった。
「なんとも言えんな。ケンスルーナの現大公――バルデムの甥だったか?――これが身代金代わりに寄越した『鍵』と情報だが、肝心の中身が不明では骨折り損になる可能性も高いか」
「金の為に身内も売るんですから、世知辛い世の中ですなぁ」
しみじみとした…と言うにはわざとらしい、影郎の慨嘆にウォーレンが鼻を鳴らす。
「だから自分以外はすべて敵だというのだ。……まったく。そのあたりの適切な判断がつかない小娘が、超越した力を持っているなど実に愚かしいことだ」
そう忌々しげに独りごちながら、懐から取り出した掌ほどの銀色の十字架を、先ほど影郎が指した地点へと置く。
「『絶大な力を持つ魔神。その力は神に匹敵し、すべての望みを叶える』か。馬鹿馬鹿しいお伽噺にしか思えんが、大公家に密かに伝えられ、直系親族のみがその在所を知るとなると、なんらかの――それこそクレスの転移魔法装置のようなものか、最低でも古代級武器が眠っている可能性が高いからな。この際、使えるカードは1枚でも欲しいところだが……」
過度の期待は最初から放棄した顔で、ウォーレンは十字架の正面を指先で叩いた。
「いいや、それが結構ガセでもないようでして」
にやりと笑う影郎の顔を、射抜くような目で睨みつけるウォーレン。
「――貴様、なにか掴んだのか?」
それには答えず、にやにや笑う影郎に軽く舌打ちをして、いったん席を立ったウォーレンが重そうな皮袋を持って戻ってきた。
「追加報酬だ。これで貴様が掴んだ情報を儂に寄越せ」
ドン!と目の前に置かれた皮袋の中身――帝国金貨を1枚1枚確認して、納得のいった顔で素早く懐に収めた影郎は、替わりに香水の瓶のような、赤い液体の入った透明の瓶をウォーレンの前に置いた。
「まいどあり~っ。で、こっちが例の封印場所……土着の神さんの神殿になってたんですが、そこで密かに信者に配られている『神の血』ですわ」
「『神の血』だと? なんだそれは?」
胡散臭そうに瓶を眺めるウォーレン。
「まず結論から言いますと、『ケンスルーナの秘宝』ってのは魔導具や魔剣の類いではなくて、かつて世界を支配しようとした魔神そのもののを指すようですわ」
「魔神……また、神か」
神祖たる緋雪を連想して、ウォーレンは苦い薬を飲んだような顔になった。
「あくまで言い伝えですから。で、この魔神が別の神さんと争そって負けて、封印されたのがその神殿だそうで。……ああ、言い伝えではクレス方面の荒野はこの時の戦いが原因でできたとか」
それこそ与太話という風に、ふんと鼻を鳴らすウォーレン。
「で、その魔神が封印されているっていう石棺があるんですけど、ここの溝からごくごく微量ですが、いまでも魔神の血が滴り落ちてまして、そいつを神殿の連中が『神の血』と言って信者に法外な値段で売り捌いてるという訳なんですわ」
「なるほど。これがその現物か。――その能書き以外になにか霊験あらたかな薬効でもあるのか?」
「………」
「どうした?」
影郎にしては珍しく躊躇うような素振りで、黙り込んだ後、しぶしぶという感じで口を開いた。
「飲むとあらゆる病気に効果があるそうです」
「――ほう」
思わずという風に両手でその瓶を手に取るウォーレン。
「ただし、服用量を間違えると死ぬ危険性が高いそうです。それに効いてもしばらくは体がだるくなり特に日中は暗いところにいないと落ち着かなくなるとか……」
「……毒ではないのか?」
一転して汚らわしげに瓶をテーブルへと戻す。
「ある意味猛毒でしょうね」
その影郎の口調に、ふと引っ掛かるものがあり、ウォーレンは重ねて詰問した。
「貴様、なにか他にも知っているのではないのか?」
「……知っているというか、推測ですけどね」
「勿体つけずに明瞭に話せ」
「“その血を体内に入れると活性化する”“日中は暗闇を好む”“資格のないものがみだりに摂取すると死亡する”とある種族が眷属を生み出す際に発生する副作用にそっくりなんですわ」
「……まさか」
そこまでヒントを出されればウォーレンにも心当たりがあるのだろう、驚愕と嫌悪で複雑な表情になった。
「ええ、吸血鬼ですな」
あっさりと影郎がその名を口に出した。
聖王国編に入る前に世界観や登場人物の整理を行うことにしました。
いま気が付いたのですが、この調子だとしばらく緋雪の出番がありそうにないですね。やばい!