第十九話 喪失神話
「『永遠なる地平』……だって?」
オリアーナ皇女が交換条件として口にしたグラウィオール帝国の皇族直系にのみに伝わる伝承の内容、その冒頭に語られた神話の舞台になる世界の名前に、緋雪は柳眉をしかめた。
オリアーナが頷く。
「はい。遥かな昔、我々の祖先にあたる人々は『永遠なる地平』と呼ばれる楽土に住んでいたと言われております」
「昔って具体的には何年くらいなの?」
「わかりません。そもそも喪失世紀というものは『世界が滅び。過去・現在・未来が入り混じった』と言われ、そもそも時間の概念が存在しなかった時代なそうなので、『いつ』と規定することができないそうです」
「……なんのこっちゃ」
「わたしにもさっぱりです。まあ、あくまで神話ですから、整合性がないのもいたしかたないかと……取りあえず聖教が起源を主張する千年前より昔なのは確かでしょうが」
実証的には完全に匙を投げた感じで、オリアーナはあくまで伝承として語りだした。
遥かな昔、我々の祖先は『永遠なる地平』と呼ばれる豊穣なる世界に住んでおりました。
その世界は四季を通じて温暖であり、花々は常に咲き乱れ、天災も老いも病気もない……まさに天上界であったといいます。
また、現在の世界と同様に魔物も存在していましたが、彼らも己の領分を越えることなく、人々の住まう都市や村などを襲うことはなかったそうです。
そしてなにより違っていたのは、空想上の存在ではなく実在する者として、神人や魔王など超越者と呼ばれる者達が居たことです。
彼らは人間とは完全に別の存在であり、外見こそ人間に酷似していましたが、人間が人間という枠から逃れられないのに対して、まるで魔物のように時間の経過と共に別の存在へと変化し、また年若い者でも腕の一振りで魔物を斃し、また実質的に不滅の存在であり、例え死亡しても即座に生き返ったとも言われています。
そんな超越者達の中でも、特に頂点を極めた者達は各地に己の領土を持ち、絶大な力と名声とを轟かせていました。
例えば移動する巨大な魔導の城に住む奔放なる獣神アニマル
例えば鋼鉄の城塞の主にして正義の龍騎士王ディーヴータ。
例えば海を支配する寡黙なる魔王モーンガイ
そして浮遊する巨大な宮殿の主にして夜と闇の美姫ヒユキ。
オリアーナは優等生が答え合わせをするような目で、緋雪の目を真正面から見た。
「――ここまでに間違いはございませんか?」
「さあ? そこらへんは所詮は三次情報だからねぇ。二次情報もあまり意味がないと思うよ。……まあ個人的にはかなり脚色されてる気もするけどね」
苦笑いする緋雪の言葉を曖昧な肯定ととらえて、オリアーナはうっすら微笑んだ。
「……なるほど、そして一次情報はいままさに目の前ということですね」
「失望させたかな?」
「とんでもございません。いまだかつてない興奮と感動を覚えております」
さて、この超越者ですが、同じ『永遠なる地平』に生きるとはいえ、人間とは完全に隔絶した存在であり、そもそも人が足元の蟻に注意を払わないのと同じようにほとんど会話にもならない……そもそも目に入っているのかすら不明で、いまでいうゴーレムのように不気味で無機質であったと言われております。
その『永遠なる地平』にある日、唐突な破滅が襲い掛かりました。世界は闇に沈み、超越者たちも何処かへ消えた……いえ、最初に超越者が姿を消し、しかるべき後世界に滅びが襲い掛かったそうですから、因果関係としてはどちらが原因で結果であるかは不明ですね。
残された力なき人々は従容と滅びを受け入れるばかりでしたが、そこで最後まで残られた超越者が、不意に血肉を持った存在として大地へ降臨され、残された大地にあったすべてのものを一箇所に集め、新たな世界へと移り住み『神』となりました。
これが現在の大地であると伝えられております。
その後、生きとし生けるものたちはこの大地に広がり、人々はご他聞に漏れず群雄割拠し、合従連衡を繰り返しておりましたが、1000年前に聖王国が。400年ほど前に帝国が最大勢力として君臨するようになり、現在に至っております。
ちなみに聖教では、この救い主を『蒼き神』と呼称して、唯一神として信奉しているそうです。
◆◇◆◇
あれから2週間あまり。
レヴァン経由で受け取ったオリアーナ皇女の親書に目を通しながら、彼女が語ってくれた喪失世紀について、ふと思い出して頭の中で整理してみた。
「……まあ、ある程度符号は合うかな」
皇女が語った神話を信じるならば、やはりこの世界は『E・H・O』の情報を元に生み出された世界ということになる。
あと、いままで出会ったプレーヤーの存在も謎だよね。伝承では1人を除いて全員消えたことになってるし、まあ自分に都合の良いように話を変えたり伝播の過程で変質するのは当然かも知れないけど。
「そういや、天涯。君が覚えている昔のプレイヤー……まあ私も含めて、そんなゴーレムみたいに無口だったの?」
傍らに立っていたタキシード姿の天涯に訊いてみた。
「あの与太話でございますか? そのようなことは一切ございませんでした。超越者の方々も常に陽気に会話されておりましたし、姫もご同様で。……まあ、我々も地に生きる者どもの動向などいちいち注意しませんでしたから、人間どもの目から見ればそう見えたかも知れませんが、所詮は瑣事にございます。姫がお気になされることはございません」
ふむ。このあたりの認識の違いがちょっと気になるけど、従魔とNPCの視点の違いもあるかも知れないね。
「……或いは、その『蒼き神』と私では同じ情報を使っても、構成が違うか」
そっちの方がありそうだねぇ。
そもそも時間経過もボクらの認識では100年で、こっちでは1000年と開きがあるし。
「そうなるとこちらの方が外来種ってことになるのかな? 問題はその神様になったプレーヤーが誰なのかだけど、今の段階では『男性キャラ』ってことしかわかってないし」
「姫様のお言葉に疑問を挟むなど恐れ多いことながら、男性というのはなぜおわかりに?」
同じく脇に立っていた命都が、怪訝そうに小首を傾げた。
「影郎さんが教えてくれた」
「影郎様がですか……?」
「そう、彼が何回も言ってたんだ黒幕を『今度の旦那さん』って。つまり男性ってことだね」
「……信用できますか?」
命都の当然の疑問にボクとしても苦笑いするしかなかった。
「あの人はウソツキだけど、こういう引っ掛けで『さあ言葉の裏を読め』という悪戯をしかけるのが好きだったからね。割と信用できるんじゃないかと思うよ」
「なるほど。……とはいえ、もうその真意を確認する術もございませんね」
命都にとっても、影郎さんはある意味思い出深い相手なのだろう。
実のところ彼はウチのギルド創設時からのメンバーなので(サブマスとかは本人が嫌がってやらなかった)、天涯よりも遥かに付き合いが長かったりする。なのでボク同様その死には思うところがあるのだろう。
「まああの後、影郎さんの首と記録は動かぬ証拠として宰相派に突きつけられ、かなり皇帝派……というか、鈴蘭の皇女様が盛り返しているみたいだしね。なんだかんだで収まるところに収まった感じかな。ま、様子見がてら、そのうちお墓参りにでも行って見るつもりだから、命都も付いてくればいいよ」
ちなみに案の定と言うかボクの『薔薇の姫陛下』という中二臭い通り名は、グラウィオール帝国方面で定着しているらしい。
……正直ほとぼりが冷めるまで、しばらく行きたくないところだねぇ。
「はい。お供させていただきます」
楚々とした仕草で頷く命都。
「うん。――まあ、行くとしても転移魔法装置を使った相互貿易協定締結後だろうね。あっちはあっちで利権争いで大変みたいだし」
いざ転移魔法装置の存在を公表して皇帝派と交渉を始めたところ、宰相派がいけしゃあしゃあと便乗してきたらしい。
で、結局は皇帝の代理人としてオリアーナ皇女が。実務的な補佐としてウォーレン宰相が同行し、旧ケンスルーナ国の首都ファーブラーで領土交渉と併せて、現在、協議を行ったいるらしい。
まあこのあたりはレヴァンに任せているので詳しくはわからないけどね。
それにしてもあの宰相よく復帰したねぇ。さすが偉い人になると面の皮の厚さが常人とは違うらしい。
まあ明らかにカツラだったとオリアーナ皇女の親書には書いてあるので、あの皇女様の性格を考えるといい様にこき下ろしたんだろうけどね。
あと、あの日同行した侍女のリィーナが一言の連絡もなく仕事を辞め、実家から詫び状が着たと添えられていた。
あの日の光景がよほど衝撃的だったのでしょう申し訳ないことをしました。と彼女にしては珍しく後悔ともいえることを力なく書かれていたので、オリアーナもそうとう心細い想いをしているのだろう。ボクでなにか力になれればいいんだけどねぇ。
「取りあえず交渉が一区切りつけば、レヴァンからも連絡がくるだろうから、それからかな」
「はい、姫様の仰せのままに――」
その命都の表情が微妙なことに気が付いて、「どうかした?」と訊いてみた。
「いえ、私は直接影郎様の最後に立ち会わなかったせいでしょうか、どうにもお亡くなりなられたと思えないもので」
言われてみれば現場に居合わせたボクでも、影郎さんに関しては『実は生きてました』というふうに思えてならない。
「まあ、私でもピンとこないからねぇ。漫画やアニメみたいにほいほい復活しそうな気がするね」
「楽しそうですね姫様」
「まーね。そう考えたらお互いに少しは気が楽になるんじゃないかな。――そのうち『盛り上がったところで奇跡の復活を遂げて現れる』なんて演出、いかにも影郎さんならやりそうだからねぇ」
ま、あくまで冗談だけどね。
「逆にいますぐ復活とかしたら、盛り上がりも何もないよね。漫画だったら『もう復活しやがったのか』って文句言うところだねぇ」